魔術師さんは爛れた関係の同居人に記憶を取り戻させたくない

さか【傘路さか】

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 ここ数日、同居人が気味の悪い行動を取るようになった。欠かさず早く起きて朝食を用意し、僕の起床が遅ければ優しく起こしに来たりもする。

 仕事の帰りに菓子屋に立ち寄って二人分の菓子を買い求め、夕食後に出してきたときには、やっぱり頭を打ったんじゃないかと素で心配になった。

 僕への憎まれ口は相変わらずだが、行動はただの猫かわいがり。こちらとしては混乱するばかりだが、不調が治らない現状では世話する人間がいることが有り難いのも確かだ。

 ただ、何か聞き出したいのかと怪しむことしかできず、気は休まらない。

 そんな中で身体的な限界が来たのは、思ったよりも早かった。

 朝から起こしに来たベイカーに返事をしたまま起き上がれず、流石に慌てた同居人に背負われ、医院に担ぎ込まれた。

 こぢんまりした医院の主は、彼の記憶の件でも世話になっている医者だ。魔術知識もあり、診察程度の魔力なら上手く扱うことができるそうだ。

 医院の固い寝台に寝かされたまま、軽く魔力を流されて診察を受けた。

 同居人は僕を運んだ後は待合室で待機しており、帰りにはまた背負って連れ帰るつもりだろう。

「ベイカーさんと似た状況ですね。おそらく直近で魔力の波が変化して、身体は見慣れぬ波形を受け付けなくなってしまった。自分の身体を魔力が流れる時につっかえて、身体にも影響しているのでしょう」

「魔力の波……の、変化……?」

「最近、魔力に関しての生活に変化があったでしょう。おそらく、生活を戻せば症状は治まります。長期的には、生活を戻さずとも魔力は順応するかもしれませんが」

 にこにこと朗らかな表情を浮かべているものの、その瞳の奥は何かを見透かしているようだった。

 魔力に関する生活の変化、と言う時に思い当たるのは、ベイカーと身体を重ねる習慣がなくなったことだ。身体を重ねれば、自然と魔力が混ざってしまう。魔力が相手の波の形を取り込み、変異するのだ。

 だが、僕たちは一気にその習慣を断たねばならなくなった。ベイカーの魔力が混じった波形に慣れきった僕の身体は、それで悲鳴を上げたのだろう。

「……生活を戻さずに、症状を軽くすることはできますか?」

 医者は診療録を軽く叩き、何事かを思い付いたように口を開く。

「深い接触でなく、軽い触れ合いを増やしてみたらどうでしょう?」

「あぁ、そう…………ですね」

 それさえも拒否してしまいたかったが、ベイカーの仕事に影響するのは避けたかった。実際に、彼に背負われている間に触れたおかげか、寝起きの時よりも体調は良くなっている。

 医者は栄養剤を出しておく、とは言ったものの、気休めでしかないと念押しした。

「もしも長引くなら、治癒魔術師のいる大病院への紹介状を用意します。ただ、治療費も高価になるから、できればお相手の協力を得て症状を落ち着かせる方を勧めたいですね」

「……はい。わかりました」

 症状と薬について追加の説明を終えると、医者が呼んだのかベイカーが診察室に入ってくる。

 何度か通院しているからか、医者とは気安い様子だ。

「ベイカーさんは、調子はどうですか?」

「記憶は戻りませんが、体調は……フィオノよりは悪くないです」

 普段なら絶好調、と軽口を叩くだろうに、悪くない、と曖昧な言い方をしたのが気になった。

 その場で薬の袋がベイカーに渡され、このまま僕を連れ帰って欲しいので先に受付で支払いを済ませるよう指示があった。いったん診察室を出て行った背を見送って、医者は横たわる僕を見下ろす。

「魔力と身体の差で軽微とはいえ、貴方と同じように、お相手にも影響が出るものですからね」

「あの、相手が分かっていらっしゃるなら……ぼかさなくて大丈夫です……」

「はは。私は双方の魔力に触れていますからね、察してしまうんですよ」

 つまり医者が言いたいのは、お互いのために接触を増やせ、ということだ。

 せっかく色々と誤魔化すために接触を避けてきたのに、それが僕に取っては徒となっている。

 ベイカーは支払いを終えて戻ってくると、起き上がった僕の前に背を向けた。身を起こして首に掴まると、そのまま背負い上げられる。

 体重は軽くないはずなのに、力仕事も多いしっかりとした体躯はよろめくことも無かった。

「お世話になりました」

「お大事に」

 ベイカーの声に医者はまた穏やかに微笑み、見透かすような瞳を瞼の裏に隠した。

 医院から出ると、同居人は無言で歩き始める。もっと症状について問われるかと思ったが、促すような言葉はない。

 寒くないか、つらくないか尋ねられたとしても、原因を聞こうとはしなかった。

 ああ、こういう男だったな、と思い出す。

 すぐに友達は増やす癖に、それ以上の関係は線を引くような慎重さがこの男にはあった。心の奥深くを明かすことを、決して相手に求めない。

 だから僕は、同居人と寝台を共にする理由を、決して彼に聞けなかった。翌日に丁寧に釘を刺されてしまえば、相手にとって僕は特別なのだ、と浮かれることも無かった。

 もし、彼が恋愛感情ゆえにそうしたのなら、僕は嬉しく思ったんだろうか。

 触れた皮膚越しに、馴染んだ魔力が帰ってくる。ほんの少しの接触の筈なのに、身体は長く待ち侘びていたように歓喜していた。

「魔力が、さ」

「…………ああ」

 脚を踏み出すたび、揺れる感覚は夢の中にいるようだ。顎も肩に預けて、見知った身体に全てを委ねる。

 どう言おうか、と迷って僕は誤魔化すことを選んだ。

「すっごく乱れて身体に影響してるみたいだ。だから、普段いっしょにいる人と、接触を増やした方がいいって」

「俺か」

 途端に跳ね上がる声に、くす、と背後で笑う。茶化してくれているのだと分かって、気が楽になった。

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ。面倒がれ」

「面倒がって欲しいのかよ?」

「少なくとも、喜んで、って感じじゃないだろ」

 言い切って、瞼を閉じる。

 彼が喜んで僕に触れることはないし、体調を崩した僕の世話をするのは面倒ごとのはずだ。僕たちの間柄は、それでいいはずだった。

 規則的な揺れの合間に、段差を越えたのか大きく揺れる。

「面倒じゃねえよ。調子が狂うから、早く元気になってくれ」

 友達の延長線上である言葉に、鼓動が跳ねる。気づかれぬように背を丸めて、胸を彼から僅かでも離した。

 軽口を叩き合っていた頃は、こんな感傷に浸ることなんてなかった。珍しい二人の間の沈黙が、否が応でも関係を見直させる。

 背に当たる陽光は暖かくて、慎重に歩く揺れの感覚はただ心地よい。ベイカーと、こんなに穏やかな時間を過ごせることを初めて知った。

 半分眠っていたのか、家に辿り着き、はっと身を起こす。扉を開けた先、玄関で下ろされ室内履きに履き替える。

 ベイカーは僕に羽織らせていたコートを受け取ると、わざわざ僕の部屋まで片付けに行った。戻ってきた手には毛布が抱えられている。

「居間で寝てろ」

「仕事は?」

「これから休みにしてくる」

 平然と言い、僕に毛布を放って居間から出て行った。

 僕はとぼとぼとソファまで歩いて横になり、与えられた毛布を掛ける。少し前までは僕も共に使っていた毛布で、見知った匂いが懐かしい気分だった。

 部屋の外からは、ベイカーの話し声が聞こえてくる。予定を先送りする必要があったはずで、申し訳なく身を縮めた。

 しばらく経って戻って来た同居人は、僕が寝ているソファの空いている場所に腰掛ける。

「大丈夫だったか?」

「平気だよ。記憶無くすほどのことがあったんならもっと休め、って同情的だった」

 体調に問題は無いから、と長期の休みも取らずに働き続けるベイカーに、事情を説明した依頼主達はみな驚いていた。本人は身体が鈍る、と変わらずに手を動かしていたが、確かにもっと休んでも良かったはずだ。

 彼の勢いに呑まれて僕も働いてしまったが、休みを勧めれば良かった、と自分が体調を悪くしてやっと反省する。

「俺も良い機会だから、今日は休むわ」

 ベイカーは近くの机に積み上げていた僕の魔術書を手に取ると、躊躇いなく特定の頁を開いて読み始める。

 彼は技師として知識の取得は好きらしく、興味の広さから乱読派だ。僕の魔術書も意味は分かるらしく、置いておくと分からないなりに目を通している。

 ちょっかいを掛けようとしたり、無駄に話しかけてきたりもしない。僕の頭に時おり手を伸ばし、撫でて魔力を混ぜてくれる。

 不揃いな間隔で、紙の擦れる音がする。毛布からは嗅ぎ慣れた匂いがして、引き寄せると柔らかい。触れてくれる指先の馴染んだ感触から、魔力が流れ込んで身体を落ち着けてくれる。穏やかな場所は、心地良い眠りへと手招きした。

 うとうとしている僕の横顔に降る視線は、ただ案じる者のそれだ。

 明るい室内で、僕は眠ってしまったらしい。ほんの一瞬だったのか、長い間だったのか、目を覚ますとまだベイカーは同じ場所で、同じように本を読んでいた。

「体調はどうだ?」

 本に栞を挟むことなく、膝の上で閉じる。

 僕は毛布を引き寄せたまま身を起こすと、ぼんやりとしたまま彼を見返した。大きな掌が頬に伸ばされ、すり、と優しく皮膚を擦り付ける。

 僕がそうしたほうがいい、と言ってから先、几帳面に希望を叶え続けている。

「力、入るようになった……」

 手元で拳を握りながら答えると、ほっとしたように息が吐かれた。起き上がれないほどの脱力感や、頭の怠さも改善している。

 両手でわしわしと頭が撫でられると、慣れた魔力も頭皮を掠めていく。

「やっぱ触ってると体調良い?」

 ぐ、と言葉に詰まるが、背に腹は代えられない。正直にゆっくりと頷いた。頭を撫でていた手が両頬を包み込む。

「俺もそう。あんまりお前と仲良くなれると思ってなかったけど、数ヶ月で俺たち、魔力を交換しないと体調が変化するくらい仲良くなったんだな」

「…………別に、そこまで仲良くなかった」

 むす、と頬を膨らませると、挟み込んだ掌が押し返してくる。

「照れんなって。嬉しいって言ってんの」

 頬から手が離れたかと思うと、広げた手に抱き竦められる。初めてではないはずなのに、妙に気恥ずかしくて顔を胸に埋めた。

 顔を擦り付け、背を撫でる腕は寝台の中と触れ方がまた違っている。身体を重ねていたあの頃より、まだ今の僕たちの方が関係が深く思えるのは何故だろう。

 関係を清算することばかりを望んでいたが、もし一からやり直せるのなら、手を伸ばすのを躊躇うようなあの時期には戻りたくなかった。

「やっぱり、心地良いな。なぁ、このまま寝よう」

 狭いソファで横に並んで、少し動けば落ちてしまいそうになりながら目を閉じる。裸でもなく、深い触れ合いをしている訳でもない。

 けれど、服を隔てたこの距離が、今まででいちばん近かった。



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