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▽2
それから、二人で集まっては石を調べ始めた。
重さを量ってみたり、光に透かしてみたり、と一般的な宝石を観察する方法を繰り返す。数度集まって、その石が雷管石であることは間違いないようだ、と意見が固まった。
調査時間には、リカルドがお菓子を持ち込んでくる。休憩、と称してはお菓子を食べ、お茶を飲む。遊戯盤で遊びもする。仕事、というには余りにものんびりした時間だ。
その日も、仕事の合間にリカルドの自室へ向かっていた。今日は質の良い拡大鏡を貸してもらった。比較用に透明な雷管石も貸し与えられている。
二つを見比べ、差を探そうと考えている。もはや魔術師である意味はない気がしたが、依頼主が諦めるまでは最善を尽くすつもりだ。
廊下の先に人影を見て、さっと端に寄る。おはよう、と声を掛けてきたのは、リカルドの兄……ジール家当主の長男だった。
「オースティン様、おはようございます」
僕が進路を譲ろうとすると、オースティン様はその場に立ち止まった。動く様子のない影を見て、頭を上げる。
「最近、リカルドと雷管石の調査をしてるんだって?」
「はい。魔力が籠もらないそうで」
「聞いた聞いた。返金と埋め合わせをしなくちゃいけなくなって、父もリカルドもがっかりしてた」
彼は口元に指を当て、くすくすと朗らかに笑った。リカルドよりも上品で、貴族に抱く印象の典型のような人だ。
弟と同じ灰色の髪を縛る必要のない長さに整え、瞳の色は、弟の琥珀とは全く違った青色だ。彼の生みの親は、リカルドの母とは違う。
聞いた限りでは、見合い結婚をした後で、当主が今の番と出会ってしまったらしい。先妻との関係は、結果的に言えば『番になりきれていなかった』そうだ。当主と先妻は離婚。赤子だったオースティン様は、当主の番……リカルドの母の手元で育てられることになった、と聞いている。
両親との仲が悪い、という話は聞いたことがない。オースティン自身も、別れたとき幼すぎて当主の先妻のことはよく覚えていないそうだ。
リカルドの話をするオースティン様は本当に嬉しそうで、その感情には染みひとつも見えなかった。
「ねえ。リカルドの自室で作業してるんだって? ロシュはリカルドと二人きりになって、どきどきしたりしないの?」
オースティン様はこういう、色恋沙汰が好きだ。というより、誰かとお喋りする時間が好きみたいだ。気がつくとオメガの間に入って、きゃっきゃと恋愛談義をしていたりする。
周囲にリカルドがいないことを確認し、目の前の人に向き直った。
「しません……! そもそも、僕じゃリカルド様とは不釣り合いです!」
「そうかなぁ。とっても仲良さそうなのに」
残念そうな表情は、僕がリカルドと番になってもいい、とでも言いたげだ。
長い睫毛はゆっくりと瞬きをし、弟とは違って丁寧に手入れされた髪は、つややかな光を放っている。
物語の中の王子様を想像する時、皆この人のような人物を想うんじゃないだろうか。
「リカルド様は、誰に対してもあんな感じですよ」
「そうなんだ? いっつもロシュを見つけるのが上手いから、特別なんだって思ってた」
慌てて否定する。いくら誤解だといっても、兄から弟に伝わってしまえば気まずいことに変わりは無かった。
僕が必死に否定の言葉を紡いでいるのを、目の前のひとは微笑ましそうに眺めている。
「それに……! まだリカルド様は神殿に石を預けていないんですから、預けたらすぐ相手が見つかりますよ」
その言葉を放った途端、オースティン様の表情がしゅんとしたものになる。眉は下がり、持ち上がっていた唇は下がってしまった。
何が悪かったのかは分からないが、不味いことを言った、と別の意味で慌てる。
「────リカルド。神殿に石を預ける気はなさそう?」
「そういった話はしませんが、……なにか、あるんですか?」
うぅん、とオースティン様は悩んで、近くをちらちらと見回した。手招きをして付いていった先は、リカルドの自室とも近い、彼の自室だった。
弟は人懐っこいからいいが、この兄は滅多なことで自室に人を招いたりはしない印象だ。動揺が顔に出る僕に、彼は安心させるように微笑みかけた。
「何もしないけれど。信用を得るのは難しいよね……そうだ。結界を君の周りに展開したら?」
「いいんですか?」
「いいよ。君が安心してお話しできるのがいちばん善い」
言われた通りに自分の周囲に結界を展開し、彼に続いて自室に招かれた。ソファを勧められて腰掛ける流れに、既視感を覚える。
兄の部屋は弟の部屋よりも、淡い色合いでまとめられていた。色味が少なく、塵一つ無いほど片付いた室内は、本棚に並んだ恋愛小説の背表紙が鮮やかに浮かび上がって見える。そして、弟と同じく、机の上は書類で溢れていた。
前回と違ったのは、オースティン様が向かいの椅子に腰掛けたことだ。あえて距離を取ってくれようとしているらしい。
本当にオメガの中にいても、オメガが接していても、怖くない人だ。
「この部屋の外に、会話が聞こえないようにできる?」
「できます」
外との間に遮音結界を張る。目の前でオースティン様は手を叩いた。
「凄いなぁ。じゃあ、話すけど。……リカルドに神殿に石を預けるよう、それとなく促してくれないかな?」
「それは構いませんけど。自室に招いてまで頼もうとする理由をお伺いしても?」
構わないよ、と彼は頷いた。白い指は膝の上で組まれ、睫毛は憂うように伏せられている。整った唇から、吐息が漏れた。
「ロシュは、私とリカルドが異母兄弟だということは知っているよね」
「はい。当主様が、番を得る前に結婚されたのがオースティン様のお母上、ですよね」
「そうだね。けれど、私は生みの母だけを『母』と思うには幼すぎた。今は母が二人いる。そう思っているよ」
寛容で、そして善良。見目に相応しい内面を持った彼は、きっと葛藤もあっただろうに、それをおくびにも出さない。次期当主として、理想的な人物だと誰もが言う。
けれど、彼を見て察するものもあった。光が大きいほど、闇は濃くなる。この兄を見続けて育った弟は、兄の姿を見るたび何を考えたのだろう。
「でも、リカルドは私に対して、生みの母を奪った、という負い目があるみたいなんだ。神殿に雷管石を預けようとしないのも、私が番を見つけるまで待つつもりなんじゃないか、と心配になってね」
「え……?」
「杞憂、だったらいいんだけれど」
表面上は、彼らは問題なく兄弟をやっている。だが、リカルドが頑なに神殿に雷管石を預けようとしないことは、僕も、僕以外も不思議に思っていた。見合いは断っているようで、だからといって遊びの恋愛をしている暇も彼にはない。
兄から実の母を奪った、とリカルドが思っているのなら。だから、神殿に雷管石を預けないのだとしたら。
「真実を確かめるためにも私の番が見つかれば早いんだろうけど、こればかりは縁でね。リカルドがなぜ神殿に雷管石を預けようとしないのか、探りを入れて。私のことを気にしているようなら、それとなく気にしないよう伝えてもらえないかな?」
「はぁ……。まあ、これから共に調査を進めていくことになりますし。説得はともかく、機会があれば話を聞いてみる、くらいの協力でよろしければ……」
「うん。それで構わないよ。私にも両親にも、きっと話してはくれないだろうから」
よろしく、と手を差し伸べられ、その手を取った。
表面は汚いことなど何も知らないように見える手だが、掌は筆記具の使いすぎで皮膚が硬くなっている。弟の手によく似ていた。
立ち上がったオースティン様に合わせ、僕も席を立つ。手ずから扉を開けられ、廊下へと出る。続けて部屋の主が出てくると、僕の背後、廊下の端に青の目が向いた。つられて視線を向けた先には、長身の姿がある。
「あ、リカルド様…………」
気まずいことなど何もないはずなのに、眉間に皺を寄せる表情に慌てて口を開く。
「おはよう、ございます」
「おはよ。ロシュにしては遅いなと思って見に来たんだ、なんで兄貴と?」
眇められた瞳は細く、兄を射るような凄みがある。なぜ怒られているのか分からないまま、僕は兄弟の間に挟まれた。
オースティン様はにこにことするばかりで、弟の圧をさらりと受け流している。
「ロシュに相談があって」
「相談?」
「うん。詳しくは言えないんだけど、少し頼みごとをしていたんだ」
じろ、とリカルドに視線を向けられ、こくこくと頷いて兄の言葉を肯定する。機嫌の悪い弟は、このまま僕を追い詰めても益がないと悟ったのか、溜め息と共に怒気を散らした。こっそりと詰めていた息を吐き出す。
何だったのだろう。負い目があるのでは、と言っていた事に関わるのだろうか。
「……もう、話はいいのか」
「大丈夫。ゆっくりお話はできたから」
チッ、と音がした。舌打ちの音に似ていたが、兄相手にそうする理由が分からず困惑する。
リカルドは僕の手を取った。触れた所から、乱れた魔力の波が流れ込んでくる。
「行くぞ。調査するんだろ」
「は、はい……!」
大股で歩き出す彼に合わせて、僕も駆けるように歩き出した。ちら、と振り返ると、オースティン様はひらひらと手を振っている。
僕が手を振り返すと、それを見ていたリカルドはまた瞳の奥をぎらつかせた。歩み去る兄の背を見送り、姿が消えた途端、僕に視線を向ける。
「……兄貴と仲よかったか?」
「特別、仲が良い訳じゃないですけど」
「じゃあ、なんでお前に頼み事なんだ?」
「………………。僕にも、よく分かりません」
じり、とリカルドが歩みを進める。長身で肩幅のある身体に、壁まで追いやられる。
先程までの怒気はないが、面白がるように僕を追い詰めた。とん、と顔の両側、背後にある壁に腕が押し付けられる。顔が近い。
「頼み事って?」
「…………言えません」
「お兄さん相手でもー?」
「…………冗談も大概にしてください。リカルド様は兄ではないですし、内緒の相談事を口外するような使用人は解雇されるべきです。だから、言いません」
目の前で息が吐かれた。僕に対する空気はほぼいつも通りだ。ならば、あの怒気は兄であるオースティン様に向けられたものなのだ。
鼻先が触れるか触れないかという所まで近づいた。体温を感じる。
「俺とお前の仲じゃないか」
「別にそこまでの仲じゃないです」
きっぱりと言い切ると、思い当たる節があるようにリカルドは視線を逸らした。あ、と声を漏らすと、何事かを思いついたように視線を戻してくる。
「そこまでの仲じゃないから、話してくれないんなら。そこまでの仲になればいいのか」
「その理屈がおかしいの、分かってますよね」
「いや。元々さ、ロシュに几帳面に敬語を使われるの、寂しいなと思ってたんだよなぁ。歳もすごく離れてる訳じゃないだろ」
いい機会だ、とでも言いたげな表情に、嫌な予感がする。僕を困らせて楽しもうとする時の、あの光だった。
僕はべったりと壁に背を押し付ける。両側は腕に塞がれ、逃げようがなかった。頭の後ろがひやりと冷える。
「────雷管石の調査の間。敬語。やめよっか」
「うわぁ…………」
漏れた言葉は、げんなりした僕の感情を真っ直ぐに現していた。むっとした顔のリカルドに、引く様子はない。
指先が頬を撫で、僕の髪を払った。
「じゃあ、もっと急いで仲良くなるか?」
「敬語をやめればいいんですね」
「ほら敬語」
「敬語……を、やめればいいんだよね」
リカルドは目を見開くと、自身の胸に手を当てた。ふむ、と視線を逸らし、何故かふんふんと満足そうに頷いている。
周囲に人がいないからいいものの、使用人長にでも見つかれば注意されるのは間違いない。
「……敬語を外してほしいんなら、部屋、行こうよ。石の調査をするんでしょ」
大きな掌が、彼自身の胸元の服に食い込んだ。骨張った指先が服を握りしめ、無言で視線が下がっていった。
拘束から逃れられたのをいいことに、僕は追い詰められた場所から抜け出る。彼の部屋の扉に近づくと、背後から僕の歩幅より広い間隔で付いてくる足音がある。
「ロシュ」
「なに?」
「リカルド、って呼んで」
はぁ!? と言いながら振り返るのだが、彼は切なげな、何かを求めるような表情をしていた。複数の感情が綯い交ぜになった顔は、普段のリカルドとは違って見えた。
茶化しているのではない。希望を伝えられただけの言葉は、足蹴にするには華奢すぎる。
「────リカルド」
ぱあ、と咲き誇るような表情を飾るように、揺れたカーテンの先から光が降り注ぐ。兄弟はよく似ている。オースティン様を王子様に相応しい顔立ち、というのなら、普段のへらへらとした表情をしていないリカルドも、またそうだ。
分かっていたはずなのに、珍しい表情から目が離せない。
とくん、跳ねた鼓動がやかましい。腕が伸びてくる。髪を掻き回してくる掌を払いのけようと、腕を振り回している間、どくんどくんと胸が鳴り続けていた。
それから、二人で集まっては石を調べ始めた。
重さを量ってみたり、光に透かしてみたり、と一般的な宝石を観察する方法を繰り返す。数度集まって、その石が雷管石であることは間違いないようだ、と意見が固まった。
調査時間には、リカルドがお菓子を持ち込んでくる。休憩、と称してはお菓子を食べ、お茶を飲む。遊戯盤で遊びもする。仕事、というには余りにものんびりした時間だ。
その日も、仕事の合間にリカルドの自室へ向かっていた。今日は質の良い拡大鏡を貸してもらった。比較用に透明な雷管石も貸し与えられている。
二つを見比べ、差を探そうと考えている。もはや魔術師である意味はない気がしたが、依頼主が諦めるまでは最善を尽くすつもりだ。
廊下の先に人影を見て、さっと端に寄る。おはよう、と声を掛けてきたのは、リカルドの兄……ジール家当主の長男だった。
「オースティン様、おはようございます」
僕が進路を譲ろうとすると、オースティン様はその場に立ち止まった。動く様子のない影を見て、頭を上げる。
「最近、リカルドと雷管石の調査をしてるんだって?」
「はい。魔力が籠もらないそうで」
「聞いた聞いた。返金と埋め合わせをしなくちゃいけなくなって、父もリカルドもがっかりしてた」
彼は口元に指を当て、くすくすと朗らかに笑った。リカルドよりも上品で、貴族に抱く印象の典型のような人だ。
弟と同じ灰色の髪を縛る必要のない長さに整え、瞳の色は、弟の琥珀とは全く違った青色だ。彼の生みの親は、リカルドの母とは違う。
聞いた限りでは、見合い結婚をした後で、当主が今の番と出会ってしまったらしい。先妻との関係は、結果的に言えば『番になりきれていなかった』そうだ。当主と先妻は離婚。赤子だったオースティン様は、当主の番……リカルドの母の手元で育てられることになった、と聞いている。
両親との仲が悪い、という話は聞いたことがない。オースティン自身も、別れたとき幼すぎて当主の先妻のことはよく覚えていないそうだ。
リカルドの話をするオースティン様は本当に嬉しそうで、その感情には染みひとつも見えなかった。
「ねえ。リカルドの自室で作業してるんだって? ロシュはリカルドと二人きりになって、どきどきしたりしないの?」
オースティン様はこういう、色恋沙汰が好きだ。というより、誰かとお喋りする時間が好きみたいだ。気がつくとオメガの間に入って、きゃっきゃと恋愛談義をしていたりする。
周囲にリカルドがいないことを確認し、目の前の人に向き直った。
「しません……! そもそも、僕じゃリカルド様とは不釣り合いです!」
「そうかなぁ。とっても仲良さそうなのに」
残念そうな表情は、僕がリカルドと番になってもいい、とでも言いたげだ。
長い睫毛はゆっくりと瞬きをし、弟とは違って丁寧に手入れされた髪は、つややかな光を放っている。
物語の中の王子様を想像する時、皆この人のような人物を想うんじゃないだろうか。
「リカルド様は、誰に対してもあんな感じですよ」
「そうなんだ? いっつもロシュを見つけるのが上手いから、特別なんだって思ってた」
慌てて否定する。いくら誤解だといっても、兄から弟に伝わってしまえば気まずいことに変わりは無かった。
僕が必死に否定の言葉を紡いでいるのを、目の前のひとは微笑ましそうに眺めている。
「それに……! まだリカルド様は神殿に石を預けていないんですから、預けたらすぐ相手が見つかりますよ」
その言葉を放った途端、オースティン様の表情がしゅんとしたものになる。眉は下がり、持ち上がっていた唇は下がってしまった。
何が悪かったのかは分からないが、不味いことを言った、と別の意味で慌てる。
「────リカルド。神殿に石を預ける気はなさそう?」
「そういった話はしませんが、……なにか、あるんですか?」
うぅん、とオースティン様は悩んで、近くをちらちらと見回した。手招きをして付いていった先は、リカルドの自室とも近い、彼の自室だった。
弟は人懐っこいからいいが、この兄は滅多なことで自室に人を招いたりはしない印象だ。動揺が顔に出る僕に、彼は安心させるように微笑みかけた。
「何もしないけれど。信用を得るのは難しいよね……そうだ。結界を君の周りに展開したら?」
「いいんですか?」
「いいよ。君が安心してお話しできるのがいちばん善い」
言われた通りに自分の周囲に結界を展開し、彼に続いて自室に招かれた。ソファを勧められて腰掛ける流れに、既視感を覚える。
兄の部屋は弟の部屋よりも、淡い色合いでまとめられていた。色味が少なく、塵一つ無いほど片付いた室内は、本棚に並んだ恋愛小説の背表紙が鮮やかに浮かび上がって見える。そして、弟と同じく、机の上は書類で溢れていた。
前回と違ったのは、オースティン様が向かいの椅子に腰掛けたことだ。あえて距離を取ってくれようとしているらしい。
本当にオメガの中にいても、オメガが接していても、怖くない人だ。
「この部屋の外に、会話が聞こえないようにできる?」
「できます」
外との間に遮音結界を張る。目の前でオースティン様は手を叩いた。
「凄いなぁ。じゃあ、話すけど。……リカルドに神殿に石を預けるよう、それとなく促してくれないかな?」
「それは構いませんけど。自室に招いてまで頼もうとする理由をお伺いしても?」
構わないよ、と彼は頷いた。白い指は膝の上で組まれ、睫毛は憂うように伏せられている。整った唇から、吐息が漏れた。
「ロシュは、私とリカルドが異母兄弟だということは知っているよね」
「はい。当主様が、番を得る前に結婚されたのがオースティン様のお母上、ですよね」
「そうだね。けれど、私は生みの母だけを『母』と思うには幼すぎた。今は母が二人いる。そう思っているよ」
寛容で、そして善良。見目に相応しい内面を持った彼は、きっと葛藤もあっただろうに、それをおくびにも出さない。次期当主として、理想的な人物だと誰もが言う。
けれど、彼を見て察するものもあった。光が大きいほど、闇は濃くなる。この兄を見続けて育った弟は、兄の姿を見るたび何を考えたのだろう。
「でも、リカルドは私に対して、生みの母を奪った、という負い目があるみたいなんだ。神殿に雷管石を預けようとしないのも、私が番を見つけるまで待つつもりなんじゃないか、と心配になってね」
「え……?」
「杞憂、だったらいいんだけれど」
表面上は、彼らは問題なく兄弟をやっている。だが、リカルドが頑なに神殿に雷管石を預けようとしないことは、僕も、僕以外も不思議に思っていた。見合いは断っているようで、だからといって遊びの恋愛をしている暇も彼にはない。
兄から実の母を奪った、とリカルドが思っているのなら。だから、神殿に雷管石を預けないのだとしたら。
「真実を確かめるためにも私の番が見つかれば早いんだろうけど、こればかりは縁でね。リカルドがなぜ神殿に雷管石を預けようとしないのか、探りを入れて。私のことを気にしているようなら、それとなく気にしないよう伝えてもらえないかな?」
「はぁ……。まあ、これから共に調査を進めていくことになりますし。説得はともかく、機会があれば話を聞いてみる、くらいの協力でよろしければ……」
「うん。それで構わないよ。私にも両親にも、きっと話してはくれないだろうから」
よろしく、と手を差し伸べられ、その手を取った。
表面は汚いことなど何も知らないように見える手だが、掌は筆記具の使いすぎで皮膚が硬くなっている。弟の手によく似ていた。
立ち上がったオースティン様に合わせ、僕も席を立つ。手ずから扉を開けられ、廊下へと出る。続けて部屋の主が出てくると、僕の背後、廊下の端に青の目が向いた。つられて視線を向けた先には、長身の姿がある。
「あ、リカルド様…………」
気まずいことなど何もないはずなのに、眉間に皺を寄せる表情に慌てて口を開く。
「おはよう、ございます」
「おはよ。ロシュにしては遅いなと思って見に来たんだ、なんで兄貴と?」
眇められた瞳は細く、兄を射るような凄みがある。なぜ怒られているのか分からないまま、僕は兄弟の間に挟まれた。
オースティン様はにこにことするばかりで、弟の圧をさらりと受け流している。
「ロシュに相談があって」
「相談?」
「うん。詳しくは言えないんだけど、少し頼みごとをしていたんだ」
じろ、とリカルドに視線を向けられ、こくこくと頷いて兄の言葉を肯定する。機嫌の悪い弟は、このまま僕を追い詰めても益がないと悟ったのか、溜め息と共に怒気を散らした。こっそりと詰めていた息を吐き出す。
何だったのだろう。負い目があるのでは、と言っていた事に関わるのだろうか。
「……もう、話はいいのか」
「大丈夫。ゆっくりお話はできたから」
チッ、と音がした。舌打ちの音に似ていたが、兄相手にそうする理由が分からず困惑する。
リカルドは僕の手を取った。触れた所から、乱れた魔力の波が流れ込んでくる。
「行くぞ。調査するんだろ」
「は、はい……!」
大股で歩き出す彼に合わせて、僕も駆けるように歩き出した。ちら、と振り返ると、オースティン様はひらひらと手を振っている。
僕が手を振り返すと、それを見ていたリカルドはまた瞳の奥をぎらつかせた。歩み去る兄の背を見送り、姿が消えた途端、僕に視線を向ける。
「……兄貴と仲よかったか?」
「特別、仲が良い訳じゃないですけど」
「じゃあ、なんでお前に頼み事なんだ?」
「………………。僕にも、よく分かりません」
じり、とリカルドが歩みを進める。長身で肩幅のある身体に、壁まで追いやられる。
先程までの怒気はないが、面白がるように僕を追い詰めた。とん、と顔の両側、背後にある壁に腕が押し付けられる。顔が近い。
「頼み事って?」
「…………言えません」
「お兄さん相手でもー?」
「…………冗談も大概にしてください。リカルド様は兄ではないですし、内緒の相談事を口外するような使用人は解雇されるべきです。だから、言いません」
目の前で息が吐かれた。僕に対する空気はほぼいつも通りだ。ならば、あの怒気は兄であるオースティン様に向けられたものなのだ。
鼻先が触れるか触れないかという所まで近づいた。体温を感じる。
「俺とお前の仲じゃないか」
「別にそこまでの仲じゃないです」
きっぱりと言い切ると、思い当たる節があるようにリカルドは視線を逸らした。あ、と声を漏らすと、何事かを思いついたように視線を戻してくる。
「そこまでの仲じゃないから、話してくれないんなら。そこまでの仲になればいいのか」
「その理屈がおかしいの、分かってますよね」
「いや。元々さ、ロシュに几帳面に敬語を使われるの、寂しいなと思ってたんだよなぁ。歳もすごく離れてる訳じゃないだろ」
いい機会だ、とでも言いたげな表情に、嫌な予感がする。僕を困らせて楽しもうとする時の、あの光だった。
僕はべったりと壁に背を押し付ける。両側は腕に塞がれ、逃げようがなかった。頭の後ろがひやりと冷える。
「────雷管石の調査の間。敬語。やめよっか」
「うわぁ…………」
漏れた言葉は、げんなりした僕の感情を真っ直ぐに現していた。むっとした顔のリカルドに、引く様子はない。
指先が頬を撫で、僕の髪を払った。
「じゃあ、もっと急いで仲良くなるか?」
「敬語をやめればいいんですね」
「ほら敬語」
「敬語……を、やめればいいんだよね」
リカルドは目を見開くと、自身の胸に手を当てた。ふむ、と視線を逸らし、何故かふんふんと満足そうに頷いている。
周囲に人がいないからいいものの、使用人長にでも見つかれば注意されるのは間違いない。
「……敬語を外してほしいんなら、部屋、行こうよ。石の調査をするんでしょ」
大きな掌が、彼自身の胸元の服に食い込んだ。骨張った指先が服を握りしめ、無言で視線が下がっていった。
拘束から逃れられたのをいいことに、僕は追い詰められた場所から抜け出る。彼の部屋の扉に近づくと、背後から僕の歩幅より広い間隔で付いてくる足音がある。
「ロシュ」
「なに?」
「リカルド、って呼んで」
はぁ!? と言いながら振り返るのだが、彼は切なげな、何かを求めるような表情をしていた。複数の感情が綯い交ぜになった顔は、普段のリカルドとは違って見えた。
茶化しているのではない。希望を伝えられただけの言葉は、足蹴にするには華奢すぎる。
「────リカルド」
ぱあ、と咲き誇るような表情を飾るように、揺れたカーテンの先から光が降り注ぐ。兄弟はよく似ている。オースティン様を王子様に相応しい顔立ち、というのなら、普段のへらへらとした表情をしていないリカルドも、またそうだ。
分かっていたはずなのに、珍しい表情から目が離せない。
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