魔術師さんは囲われ気味な高位貴族の愛人になりたくない

さか【傘路さか】

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 初めてのキスを奪われたその瞬間、俺はノックスの頬を引っぱたいた。ついでに蹴りも入れた。

 だが、本人に懲りた様子はない。翌日にも捕まって、額に頬にとちゅっちゅとやられた。今まで受けてきた接触よりも格段に濃く触れ合ってこようとする男に、わななきながら張り飛ばし続ける。

 そして、研究も一気に進めなければならなくなった。今まで様々な可能性の枝について探っていたが、剪定しなければひと月では成果が出ない。

 相談のために連絡した昔の知り合いと会うことになったのは、ノックスの宣言から数日後のことだった。

 会って相談したいと通信魔術越しに言ったら、相手が個室のある店を用意してくれた。店内は裏通りの隅にあり、大きな店では無い。だが、出迎えた店員の仕草は貴族を相手にすることへの慣れを感じさせた。

 店内は上品な色味で統一されていた。そして更に、個室へ向かう廊下に足を踏み入れると、一気に調度品の質が上がった。表は誰でも受け入れているが、個室は紹介制、といったところだろうか。

 先に辿り着いた俺は、広めに設けられた席でそわそわと彼を待った。

「ラディ。お前やつれたか? 大丈夫か」

 目の前に座ったその人は、何でも好きなものを頼めよ、と言い置いた。彼と食事を取る時、俺が金を出したことはない。地元の孤児院によく訪れていた人物であり、魔術学校の先輩でもある人物。

「平気です。ロア兄も忙しいでしょう?」

「まあまあだよ。こういう所に来る余裕くらいはある」

 ロア・ハッセ。宰相の伴侶であり、結婚式を控えている人だ。

 普通なら、俺との人生に接点なんてないような人だった。前より伸びた暗褐色の髪は丁寧に纏められ、以前に会った時よりも落ち着いて見える。

 俺が放り込まれた孤児院は、ロア兄の父……イニアック領主様が運営している孤児院だった。経営を領主一族がよく手伝っており、ロア兄もまた、魔力の授業であったり、魔力の多い子どもに対して扱い方を教えていた。

 小さい頃は反抗していたし、魔術すら使って喧嘩を仕掛けにいった。だが、今では王宮で役職持ち、という力の強い魔術師である。当時も見事に反撃をくらい、その度に『危ないから、もうするな』と言い含められた。

 するな、と言われても俺自身が、勝てない、と納得できるまで仕掛けにいった。だが、諦めが出てくるともう惰性で、ロア兄も俺の魔術の上達を喜んでいた節があった。

「────で。金もらってた貴族から追い出されそう、って話だっけ」

 頼んでいた飲み物と菓子から緑色の瞳を上げ、ロア兄はそう切り出した。俺は慌てて掬い上げていた生地を口に放り込む。もぐもぐと急いで咀嚼して、一気に飲み込んだ。

「金もらってた。……まあ、そうですけど。研究費と生活費を出して貰ってたんですけど、急に『一ヶ月後までに成果物を出すか、愛人になるか、しなければ手を引いて追い出す』って言われちゃって」

「お前が囲われてたの、ってグラウ家の長男だよな。後援してた人物に対して非道なことをするような評判は聞かないが。寧ろ、芽が出るまでしっかり面倒を見る印象だ」

「『囲われて』ないです。……俺もそう思ってたんですけどね。本人にそう言われるまでは」

 ロア兄から見たノックスの印象も、急に後援を打ち切るような人物には思えないらしい。彼はそういう人の筈だよなあ、と一気に褪せて見える皿を見つめた。

 俺の声音も上向きにはならない。大人に頼らなければ生きていけなかった昔みたいだ。

「あと、愛人だっけ? それも意外っていうか」

「そうですか? ノックス、昔は派手に遊んでたみたいですけど」

「うん。それは知ってるけど、離婚した例の相手とは、家同士の結婚とはいえ添い遂げるつもりだった、って聞いてる」

「え。……詳しく、聞いてもいいですか?」

 ロア兄は言ってもいいものか悩むように、視線を空へと投げる。ぱちりぱちりと瞬きをして、黙っているのを諦めたかのように息を吐いた。

 フォークを持ち上げ、甘く味付けされた黒い生地を丁寧に割る。

「双方ともに昔からの知り合いで、恋ではないが情はあったと思う。結婚後はノックス・グラウも落ち着いて、浮気なんていう話はなかった。本人から話を聞いた人もいたそうだが、真面目に良い夫になろう、と意識していたようだ。結婚前に両親と揉めたそうで、その課程で心境の変化があったんだろう、って話してくれた人は言っていたかな」

「でも、別れたんだから愛人でもなんでも、って思うもんなんじゃ…………」

 うぅん、とロア兄は唸るような声を漏らす。俺の言葉に同意しきれないようだ。

「離婚した後も、ぱったり遊ばなくなったままなんだと。別れ方もあんまり良くなかったし、傷付いているんじゃ、って思わないか?」

「はぁ……」

「だから、結婚を機に心を入れ替え、不貞を働かれて傷付くような真面目なところのある人が、愛人関係を提案するかな、ってのが不思議でなぁ……」

「でも、からかってる時の態度じゃないんです。いつもなら、もっと分かりやすいし、種明かしも早い」

 ロア兄も俺と同じく、ノックスの態度に違和感を覚えながらも、決め手に欠ける、という印象のようだ。しばらく黙って菓子をつつくが、お互いにもやもやしたものを言い合うだけで、結論は出なかった。

「──ラディはさ、研究の成果物を期限内に出せるか?」

「まず無理です。どれくらい前から錬金術があると思ってるんですか」

「じゃあ、愛人になる?」

「絶対に嫌です」

 ロア兄はカップを傾け、底の見えない珈琲を口に運ぶ。丁寧に手挽きされた豆から立ち上る香りは、ふんわりと俺の鼻先にまで届いた。

「……これ言ったら怒ると思うけど。お前が、研究に後援者が付いた、って話してくれた時、黙ってるけど実は恋人なのか、って思ってたんだよ」

「な……! なんで!?」

「お前から伝え聞く相手の態度が、友人にしては甘かったから。そのノックスとやらも、いずれ恋愛関係になりたいから囲ってるのかな、って思ってた」

「……無いでしょ。俺をからかってるだけです、いつも」

 目の前の人に恋人だと誤解されていたのは衝撃だが、ノックスの触れ合いは友人にしてはべったりとしたもので、そのまま口にすれば誤解されるか、と今になって反省した。

 口の中が乾き、飲み物で潤す。

「なあ、興味本位なんだけど。恋人になって、って提案だったら、頷いてた?」

「………………」

 つい太腿まで視線を落としてしまう。

 咄嗟のことに、言葉が出なかった。友人よりも触れ合いの深いあの男が、恋人以外の全てを持っているであろうあの男が、俺を恋人に望む。

 愛人、と言われたのなら咄嗟に言えた、『嫌』を口ごもった。

「……考えたこともない、です」

 顔を上げると、目の前の年上はにまにまと口元を緩めていた。知人の甘酸っぱい恋を見守るような表情だ。

 むすり、と頬を膨らませる。だが、負けてばかりの年上には効きもしない。

「正式に恋人扱いしてくれたらいいのになあ。相手にはもう養子がいるし、お前は顔の良さと負けん気だけはあるし。案外、上手いこと結婚までいったりして」

「あり得ません。大きな商家なんかであればいいですけど、俺、自分の家すら覚えてないのに」

「出自が問題になるなら、どっかの貴族にいちど養子にして貰えば、貴族社会は有耶無耶に取り扱うよ。何ならモーリッツ家に養子に来たら?」

 いや、いや、とあまりにも荒唐無稽な提案に首を横に振るのだが、ロア兄はそれが普通であるかのように提案を口にする。孤児院を出た人間が、貴族の養子に入って、そしてまた別の貴族と結婚する。それらは、俺にとって雲の上の出来事でしかない。

「恋愛結婚の通し方だってあるってことだよ。グラウ家なら突飛なことしても、『ああ、あの家か』で済みそうだしなぁ……」

「そうなんですか?」

「あそこ、普通の貴族家なら拾わないような研究家や芸術家を拾うんだ。でも、元々が手広く商いをしているから、どんな人を拾っても形にしてしまう。一族に文化人も多くて、世間的に言う変人も多いから、貴族から淘汰されそうなものなのに、金の力でみんな黙る」

「あぁ……。なんか、金はいっぱいありそうですね」

 俺みたいな今まで結果を薄くしか出せないような人間であっても、買いたい材料や器具を申し出て断られたことはなかった。食事や服を揃えるための生活費も、平均より少し多く出してもらっている。

 余裕があるから生まれるものもある、たしか彼はそう言った。

「俺は好きな家風なんだよな。もう金持ちなのに稼ごうと努力するとこ」

「まあ、俺もノックスが、何に対しても学ぼうとする姿勢は尊敬してますけど」

「けど?」

「俺に『金を作り出すか愛人になれ』って言うんですよねえ……」

 元々の課題がまた持ち上がってしまい、口からは溜め息が復活した。ロア兄は向かい側でけらけらと笑っている。腹は立たない。疑問が多すぎて、俺もいっそ笑ってしまいたかった。

「で、相談したかったのは成果物を出す方もなんですよ」

「え? やるつもりはあるんだな」

「大きな成果を出して、それを元に『金は作れなかったけど、これで勘弁してくれ』って言うつもりなんです。それで、金を作るために使う別の金属を一つに決め打ちしようと思ってます」

「へえ、どれにするんだ」

「王道ではありますが、水銀にします。硫黄と水銀の比率を突き詰める研究も多かったんですが、俺は、水銀単体をどうにか加工して金にできないか、って考えていて、その成果物を何らか用意して、ノックスに判断を仰ぐつもりです」

 俺は続けて、他の金属についての説明と、水銀を選んだ理由を語る。話している間、ロア兄は静かに聞いていた。途中で質問を挟むが、言葉の端々から否定を感じ取ることはない。

 途中で、珈琲が二杯目になった。

「────と、考えていて、水銀の加工用の魔術式をですね……」

 がさがさと鞄から魔術式を書き綴った紙を取り出す。机の空いた空間に広げると、ロア兄は手早く視線を走らせた。

「水銀は、ごく小さい粒で構成されています。特定の魔術式でこの粒を追加して、崩壊させ、構成を変換すれば金に辿り着くんじゃないかと。変換させるために俺が考えている魔術式が……」

 変換には特殊な場と大きな力が必要で、魔術式はかなり大規模なものになる。起動させるための魔力も大量に必要だ。紙は机の上を覆い尽くすほど広く、ロア兄は指先を伝わせながら内容を読んでいく。

 何をしたいかという質問を挟みつつ、俺から筆記具を受け取った優秀な魔術師は、魔術式に訂正を入れていく。錬金には詳しくないと言うが、魔術式については俺よりも二歩も三歩も先を行く人だ。正確に意図を伝えれば、術式だけを見て効率化を施してくれた。

 ロア兄は顎に手を当てる。

「もっと改良できたらなぁ。部下にこういった物質を変化させる魔術式、得意な奴がいるんだが、繋ごうか?」

「本当ですか!」

「ああ、たまに窓を吹っ飛ばすような奴だけどいいか」

「…………? 実験をしていたら、窓を吹き飛ばすことくらいありますよね」

 彼は口元をひん曲げると、腕組みをして唸った。しばし考え、頭を抱え始める。何か嫌な思い出でも蘇ったのだろうか。

 きょとん、と兄貴分を見つめていると、大丈夫、と目の前で手が振られた。

「…………研究じゃなく、恋愛を選んだところも見たかったなぁ」

「恋人じゃなく、あっちが望んでいるのは愛人です!」

「そうかなぁ……?」

 俺が言い含めても、ロア兄は納得のいかない様子でしばらく粘っていた。久しぶりの会合は楽しく、やいやい言っているとすぐに時間は過ぎ去った。




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