魔術師さんは囲われ気味な高位貴族の愛人になりたくない

さか【傘路さか】

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 何故かヘルメスが面白がって協力してくれた事もあり、期限内に魔術式は出来上がった。ノックスに王宮の魔術式構築課へ術式提供してもいいか尋ねたところ、不機嫌そうにしながらも承諾してくれた。

 術式が出来上がった日、仕事帰りに実験室へと立ち寄ったヘルメスは、変化した水銀を確認し、満足そうにお礼の術式を抱えて帰っていった。

 がらんとした家を見渡す。家中はすっきりと片付き、本も纏めて縛ってある。実験の待ち時間を見つけて、少しずつ引っ越しの準備を進めていた。元々、自分の物は多くなかったから、あと数日もあれば引っ越しできるだろう。

 成果物を提出して、愛人は嫌だと伝えて、でも、もう此処にはいられないと告げて出ていく。

「ここに居たのも、長かったなぁ……」

 当然のように自分の家だった空間が、別の家を見ているようで物寂しい。窓の外を見ると、そろそろ、ノックスが成果の確認に来る時間が迫っていた。

 うろうろと実験室を歩き回りながら待つと、玄関から呼び鈴が鳴った。珍しいこともあるものだ、と扉に近寄り、近くの窓から姿を確認する。

 呼び鈴を鳴らしてくれるようになって喜ばしいはずが、何故か距離を突き放されたように感じてしまう。そろそろと扉を開けると、ノックスが微妙な表情で立っていた。

「どうぞ……」

「ああ、お邪魔するよ」

 笑ってみせているはずなのだが、何処となくぎこちない。ロア兄とヘルメス、そして犬が一緒に来た日からずっとこんな感じだ。

 理由を聞くべきか悩んだが、もう、関係が切れる予定の相手だ。俺は黙って、部屋の中へと招き入れた。

 実験室に来て貰うと、机の中央には液体の水銀が入った容器が置かれている。まず机の周囲に結界を張り、変質した物質がこちらを害すことのないよう隔離した。

「そのまま、こっちに入ってくるなよ。危ないから」

「分かった。君は大丈夫?」

 愛人を提案する前のような慈しむ声の響きが、懐かしかった。こくん、と頷いて、組み上げた魔術式を指で宙へ綴っていく。魔力を込めた指の軌跡は、きらきらと光りながら式として成形する。長い長い術式を書く間、ノックスは声を掛けたりはしなかった。

 一定の魔力を、調整しながら放ち続ける。指が動く度にどくどくと血が巡り、たらりと額から汗が流れた。分割して組んだ魔術式を、一から起動用に組み上げているのだが、俺もこの規模の魔術式を展開するのは初めてだ。

 身体の至る所から汗が流れ、ぱちり、と瞬きをする度に睫毛が水分で重たくなった。ただ、何かに取り憑かれるように、何度も繰り返した文字を書き続ける。

 机の周囲が半円状の文字の群れに覆い隠された頃、ようやく終わりが訪れる。

「────よし、『起動』!」

 一気に魔力を流し込むと、浮かんだ文字が別の色へと一斉に変色する。文字は一度、膨れ上がり、そして収縮して容器を包み込む。

 流れ込む魔力の先、銀色だった物質の一部が、金の煌めきを帯びた気がした。

「………………」

 だが、その煌めきは一瞬だ。結局、魔力の多さに耐えきれず、物質は金でも水銀でもない物質に変化して崩壊した。

 はああ、と長く息を吐き、崩壊した物質を内向きの結界で包み込む。別の魔術式を綴り、危険かもしれない物質を固めると、そのまま別の廃棄容器へと移した。

 全てが片付くと、結界を解除する。

「……これが成果物。俺は、金に変化するなら水銀を元にする。そして、魔術で水銀の構成を探り、金の構成との差を埋めていく。そのために、金属が変異する空間が必要だと考えた」

 机の上を指差す。さっき、大量の式が埋め尽くしていた空間は、祭りの後、とでもいうように静寂を保っていた。

「その空間が、さっき魔術式で包み込んでいた空間だ。内向きの結界を使って、物質が変化しやすい空間と、変化のための魔力を大量に膨張させて供給する。俺は、これからこの魔術式を元に、錬金の研究を続けていこうと思ってる」

 ぽかんとした表情のノックスを見つめて、背筋を正す。あんなに大量の術式を見ることは無かっただろう。少しでも、度肝を抜けたのなら良かった。

 あの時のノックスの選択は、間違いじゃなかった。別の仕事を続けながら、こんな大量の式を生み出すのは無理だったはずだ。

 別れの言葉を笑って言いたかったが、顔はくしゃくしゃにしかならなかった。

「俺は、愛人にはならない」

 震えずに言い切った。これだけは、誤解なく伝えなければならなかった。

「成果物は見せたけど、金は作れなかった。だからもう此処にもいられない。────今までありがとう、ノックス。急に愛人だの、と言い出した事には腹が立ったけど、今まで世話になったことは間違いないから」

 握手のために手を差し出すと、ノックスは俺の手を払った。むっとして顔を見上げると、その先に、涙を湛えた睫毛がある。

 戦慄く唇は、しばし言葉を失っていた。

「今度は、……あの男のところに行くの」

「はぁ?」

 次の家も決まっていないのに、他の男も何もない。ノックスとの事に懲りて、次の後援者を求めるつもりもなかった。

「ロア兄のことか?」

「ヘルメスと言った。……あの男だよ」

「あいつに俺を養う理由はない。何の話だ」

 ぐ、と彼は唇を噛み締める。ノックスが俺とヘルメスの関係を何か誤解しているらしいことは分かるのだが、悲しむ理由が分からない。

 ただ、決定的に齟齬があるのは分かる。それを、解決しないまま出ていくのは後味が悪かった。ああもう、とつま先立ちになり、服の袖で目元を拭ってやる。

 触れても、彼は嫌がる様子はなかった。嫌われている訳ではないようだ。手を伸ばして、彼の頭を撫でた。泣いている子にはこれが効く。

「…………ラディ」

「なんだ?」

「私は、君を愛人にしたいよ」

「まだ言うか」

 両手で頬を挟み込んで、無理矢理にでも視線を合わせる。黄の混じった瞳は涙で潤んで宝石のような輝きを湛えていた。

 むちゃくちゃなことを言いながら、ほろほろと泣く。たくさんの感情が綯い交ぜになった彼の顔は、人間らしさに溢れていた。これまで見てきたどの美術品よりも綺麗だ。

「でも、愛人にしたい訳じゃないんだ」

 二つの矛盾した言葉が、彼の中では矛盾せずに成立している。人がこうやって感情にとり殺される様を俺は知っている。ノックスの再婚を想像して、寝台の中で息を殺しながら泣いていた、あの時の俺だった。

 四角布を差し出して、溢れる目元を次々に拭う。押さえても押さえても、その透明な宝石は贅沢に零れては消えていった。

 ぽつり、と唇が動く。

「私は、元妻に裏切られた時に、もう、恋愛は無理だと思ったんだ。ロジータに対して、焦がれるような恋情は遠かったけれど、それでも愛が返ってこないのは悲しかった。幸い、生きてきて、心が張り裂けてでも欲しい人を見つけた事なんてなかったから、それでもいいと思ってた」

 頬に添えていた手のひらが捕まった。ちゅ、と指先にキスが落ちる。

「でも、君に出会ってしまった」

 目を瞠ったまま固まっていると、ノックスは俺の腰を抱いた。抱き込む身体を撥ね除ける余裕なんてない。

「本当に、手元にいてくれれば、それで満足しようと思ったんだ。でも、戯れのように触れる度、追い詰められるのは私の方だったよ」

「…………じゃあ、なんで。愛人、って」

 近くで、唾を飲む音が聞こえた。久しぶりに、彼の体温が近い。触れてくる場所から流れてくる魔力は凪よりも無風の海のようで、諦めが満ちているのが分かる。

「結婚式の絵、見たでしょう」

「個人美術館で……」

「そう。最近は特に、あの手の目出度い絵が好まれるようになった。見る機会も増えて、それが続く度にね。────なんで私は、君とああやって結ばれることができないんだろう、って思うようになった」

 ひとつ、魔力に波ができた。押し殺してきた彼の欲だ。盛り上がった波が、肌からこちらの魔力を刺激する。

「もし君を迎え入れるなら、って。君に渡す資産の整理をして、二人で暮らすための部屋を用意して。そうやって心を慰めて、でも。そうやっていても、何も満たされなかった。君はいつ出ていくか分からないし、私たちは出会ったときからずっと変わらない。私を、好きになってくれるとは、とても思えなかった」

 静かな声だった。感情を吐露するとき独特の、荒らげた声ではなかった。彼は、こうやって気持ちを殺すことに慣れている。俺が、慣れさせてしまった。

 重ねてきた時間は無駄ではなかった。俺はきっと知らぬ間にノックスへとのめり込んでいたのだし、それは彼が停滞と称した時間なしにはあり得なかった。

 背に手を回して、肩に顔を擦り付ける。

「……じゃあ、愛人だなんて言うなよ。ばか」

「ずっと、追い詰められていたんだろうね。私は」

 吐き出される息が、耳を擽った。

「愛人であっても。何でもいい。独占できるなら、って思ってしまったんだ」

 彼の両手が俺の肩に掛かり、引き剥がそうと力を掛ける。むっと唇を噛み、その胸元に飛び込んだ。ぎゅう、と力いっぱい抱き締める。

 触れた部分から、困惑の波が伝わってきた。

「あのなあ……! 恋人を提案されてたら、もっと話が早かったんだぞ!」

 きょとん、と目を丸くしながら、彼は辛うじて言葉を吐き出す。

「そう言われたら、断りやすかった、って事……?」

 ああ、と俺は諦めの声を漏らした。この男は、いちど裏切られて、人が信用できなくなっている。自分が俺を好きになったように、俺が気持ちを返すことを欠片も想像していない。

 拳を固めて、ノックスの背を叩いた。

「……俺は、愛人なんて嫌だよ。でも、恋人を望んでくれるんなら…………」

 言葉を切った。視線を上げて、分かるか、と言外の気持ちを視線にのせる。彼の目元が、ぼう、と赤く染まった。きっと、俺の頬も同じような様に違いない。

 互いに、言葉に詰まって、ちらちらと視線を合わせながら沈黙した。時間を置いて、俺の背に腕が回る。

 俺が言うか、彼が言うか。じりじりと無言で間を読んで、唇を開いたのは目の前にいる男のほうだった。

「ラディ。君が好きだ。……私と、結婚してください」

「は……?」

 目の前の男は、やっぱり違うのか、とうろたえ、俺の背から手が浮く。違う違う、と、ぎゅうっと彼の身体を拘束した。

「まず、付き合う所からだろ」

「でも私は、いずれ結婚したいと思っているんだよ」

「…………じゃあ、結婚を前提にお付き合い、でいいだろ」

 結婚を譲るつもりはないらしい様子に、諦めて妥協案を提示する。ノックスは、ぱぁっと明るい顔になると、いそいそと俺を抱き締め直した。

「ラディ。私と結婚を前提にお付き合いをしてください」

「うん。…………俺も好きだよ、ノックスのこと。愛人は嫌だな。あんたを、独占できないから」

 誤魔化そうとするとまた曲解しかねない。最短で感情を伝えて、誤解しないように身体は離さなかった。

 ぶわ、と波が何度も持ち上がった。流し込まれる俺がざぶざぶと浸かってしまいそうな波は、嬉しがっている彼の感情をつぶさに伝えてくる。

 言葉を疑う余地もない。この男はただ俺が好きで、色々と行動した挙げ句、感情が暴走して、愛人としてでも、と独占するための関係を望むに至ったらしい。振り回された俺にとっては、傍迷惑な話だった。

 だが、俺はその面倒な感情ごと受け止めるつもりでいる。

「出ていかないでくれる?」

「別に、追い出されないならいるよ」

「屋敷に、君との部屋を用意したんだ。君が体調が悪かった時に案内した部屋なんだけれど────」

 それから彼は、俺を屋敷の部屋へ引っ越させようと延々と勧誘し続ける。実験室が遠くなるからいやだ、と言ったのだが、あまりにも相手が引かないものだから、やがて根負けすることになった。

 俺も、たいがい彼には甘いのかもしれない。



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