わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

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ディートハルト

9、悪人のまま

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 ディートハルトが第八王女マルガレーテと結婚する話はあっという間に城内に知れ渡った。当然、イレーネの主人であったグリゼルダの耳にも入った。一度廊下ですれ違った彼女は立ち止まって、まるで汚物を見るかのような目でディートハルトのことを見てきた。

「おまえも結局、あの娼婦の娘を選ぶのね」

 彼女は可愛がっていたイレーネを捨てることよりも、マルガレーテが選ばれることに強い憤りを覚えているらしかった。異母妹が幸せになることが許せないのだろう。

『ディートハルト。グリゼルダには気をつけよ。あやつは並々ならぬ憎悪をマルガレーテに抱いておる』

 魔女の娘はさらに恐ろしい魔女だと、父親である国王の忠告を思い出す。しかし、彼女もしょせんは第三王女に過ぎず、ゆくゆくはどこかへ嫁ぐ定め。嫌味を言われるのも、それまでの我慢だと彼は丁重に頭を下げた。

「グリゼルダ殿下。マルガレーテ様の母君について、どうかそのようにおっしゃらないでいただきたい」
「もう夫として義姉の陰口を取り締まるつもり? ご立派なこと」
「……身分が卑しい方は、何もマルガレーテ様の母親だけには限りません」

 出自だけで言うならば、彼女の母親はいちおう貴族の娘であった。それこそ正真正銘、娼婦上がりの公妾だって他にいた。彼女たちだって王子や王女を生んでいる。

「そんなことはわかっているわ。私が言っているのはね、心のあり方よ。家のため、と言いながら自ら父に抱かれることを選んだ。いえ、それは別にいいわ。やはり許せないのは父の愛を独占したことね。王妃である母よりも、その愛を自分のものにしてしまったことよ」
「愛を選ぶのは、女性ではなく男性でしょう」

 彼女を恨むのではなく、国王を責めるべきだろう。

「ええ。だからこの世で誰よりも一番憎んでいるわ。私の母の精神を壊したことも、それまで平和を保ってきた女たちの心を壊したことも――娘である私にこんな憎悪を抱かせたことも、頭がおかしくなるほど、この手で殺してやりたいほど、許し難く思っているわ」

 ディートハルトは、美しいグリゼルダの毒に触れた気がした。黙り込んだ彼を、王女は嗤う。

「男であるおまえには、理解できないでしょうね。むしろ父の気持ちに共感するんじゃないかしら」

 じゃあこう言えばどうかしら、と彼女は目を細める。

「それまでずっと悪人だった人間が、何かをきっかけにして、急に善人ぶる。後悔して、反省して、さも自分たちがやっていることは正しいという顔で、非難してきた相手を逆に責め立てる」

 自分の子であるのに父はディートハルトを庇ってくれなかった。いない者として扱った。父は悪人だった。それなのに異母弟が生まれてからは、優しくなった。まるで良い父親になろうと演じていた。それをディートハルトが責めれば、父はなぜ、という顔をした。

 なぜ、おまえとこの子が同じ存在だと思ったのか――いや、違う。最初は愛するつもりはなかった。何とも思っていなかった。でも、一緒に暮らしていくに、我が子が愛おしくて、守ってやりたくなって、出来のいい自分なんかよりずっと――

「そういうの、吐き気がするほど悍ましいと思わない?」

 おまえならわかるだろう、とグリゼルダはディートハルトに問いかけた。

「悪人はずっと悪人であればよかったのよ。今まで通り、大勢の女たちを愛していればよかったのよ。それなのに真実の愛に触れたからとかで、急に変わろうとして、一人だけを愛そうとして……冗談じゃない。そんなこと、認められるものですか」

 そうだ。父も、非道を貫けばよかった。母も、あんな愚鈍な息子愛さなければよかった。そうすれば、ディートハルトはまだ穏やかな気持ちでいられただろうに……。

「人間の性根は変わらない。腐った人間は腐ったまま。さらに腐り続けるだけよ」

 ゾッとする声で、グリゼルダは真実を告げた。

「ディートハルト。おまえはきっといつか後悔するわよ」

 彼女は最後にそう付け加えて、去っていった。男爵と同じ台詞を吐いて。

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