86 / 116
ディートハルト
9、悪人のまま
しおりを挟む
ディートハルトが第八王女と結婚する話はあっという間に城内に知れ渡った。当然、イレーネの主人であったグリゼルダの耳にも入った。一度廊下ですれ違った彼女は立ち止まって、まるで汚物を見るかのような目でディートハルトのことを見てきた。
「おまえも結局、あの娼婦の娘を選ぶのね」
彼女は可愛がっていたイレーネを捨てることよりも、マルガレーテが選ばれることに強い憤りを覚えているらしかった。異母妹が幸せになることが許せないのだろう。
『ディートハルト。グリゼルダには気をつけよ。あやつは並々ならぬ憎悪をマルガレーテに抱いておる』
魔女の娘はさらに恐ろしい魔女だと、父親である国王の忠告を思い出す。しかし、彼女もしょせんは第三王女に過ぎず、ゆくゆくはどこかへ嫁ぐ定め。嫌味を言われるのも、それまでの我慢だと彼は丁重に頭を下げた。
「グリゼルダ殿下。マルガレーテ様の母君について、どうかそのようにおっしゃらないでいただきたい」
「もう夫として義姉の陰口を取り締まるつもり? ご立派なこと」
「……身分が卑しい方は、何もマルガレーテ様の母親だけには限りません」
出自だけで言うならば、彼女の母親はいちおう貴族の娘であった。それこそ正真正銘、娼婦上がりの公妾だって他にいた。彼女たちだって王子や王女を生んでいる。
「そんなことはわかっているわ。私が言っているのはね、心のあり方よ。家のため、と言いながら自ら父に抱かれることを選んだ。いえ、それは別にいいわ。やはり許せないのは父の愛を独占したことね。王妃である母よりも、その愛を自分のものにしてしまったことよ」
「愛を選ぶのは、女性ではなく男性でしょう」
彼女を恨むのではなく、国王を責めるべきだろう。
「ええ。だからこの世で誰よりも一番憎んでいるわ。私の母の精神を壊したことも、それまで平和を保ってきた女たちの心を壊したことも――娘である私にこんな憎悪を抱かせたことも、頭がおかしくなるほど、この手で殺してやりたいほど、許し難く思っているわ」
ディートハルトは、美しいグリゼルダの毒に触れた気がした。黙り込んだ彼を、王女は嗤う。
「男であるおまえには、理解できないでしょうね。むしろ父の気持ちに共感するんじゃないかしら」
じゃあこう言えばどうかしら、と彼女は目を細める。
「それまでずっと悪人だった人間が、何かをきっかけにして、急に善人ぶる。後悔して、反省して、さも自分たちがやっていることは正しいという顔で、非難してきた相手を逆に責め立てる」
自分の子であるのに父はディートハルトを庇ってくれなかった。いない者として扱った。父は悪人だった。それなのに異母弟が生まれてからは、優しくなった。まるで良い父親になろうと演じていた。それをディートハルトが責めれば、父はなぜ、という顔をした。
なぜ、おまえとこの子が同じ存在だと思ったのか――いや、違う。最初は愛するつもりはなかった。何とも思っていなかった。でも、一緒に暮らしていくに、我が子が愛おしくて、守ってやりたくなって、出来のいい自分なんかよりずっと――
「そういうの、吐き気がするほど悍ましいと思わない?」
おまえならわかるだろう、とグリゼルダはディートハルトに問いかけた。
「悪人はずっと悪人であればよかったのよ。今まで通り、大勢の女たちを愛していればよかったのよ。それなのに真実の愛に触れたからとかで、急に変わろうとして、一人だけを愛そうとして……冗談じゃない。そんなこと、認められるものですか」
そうだ。父も、非道を貫けばよかった。母も、あんな愚鈍な息子愛さなければよかった。そうすれば、ディートハルトはまだ穏やかな気持ちでいられただろうに……。
「人間の性根は変わらない。腐った人間は腐ったまま。さらに腐り続けるだけよ」
ゾッとする声で、グリゼルダは真実を告げた。
「ディートハルト。おまえはきっといつか後悔するわよ」
彼女は最後にそう付け加えて、去っていった。男爵と同じ台詞を吐いて。
「おまえも結局、あの娼婦の娘を選ぶのね」
彼女は可愛がっていたイレーネを捨てることよりも、マルガレーテが選ばれることに強い憤りを覚えているらしかった。異母妹が幸せになることが許せないのだろう。
『ディートハルト。グリゼルダには気をつけよ。あやつは並々ならぬ憎悪をマルガレーテに抱いておる』
魔女の娘はさらに恐ろしい魔女だと、父親である国王の忠告を思い出す。しかし、彼女もしょせんは第三王女に過ぎず、ゆくゆくはどこかへ嫁ぐ定め。嫌味を言われるのも、それまでの我慢だと彼は丁重に頭を下げた。
「グリゼルダ殿下。マルガレーテ様の母君について、どうかそのようにおっしゃらないでいただきたい」
「もう夫として義姉の陰口を取り締まるつもり? ご立派なこと」
「……身分が卑しい方は、何もマルガレーテ様の母親だけには限りません」
出自だけで言うならば、彼女の母親はいちおう貴族の娘であった。それこそ正真正銘、娼婦上がりの公妾だって他にいた。彼女たちだって王子や王女を生んでいる。
「そんなことはわかっているわ。私が言っているのはね、心のあり方よ。家のため、と言いながら自ら父に抱かれることを選んだ。いえ、それは別にいいわ。やはり許せないのは父の愛を独占したことね。王妃である母よりも、その愛を自分のものにしてしまったことよ」
「愛を選ぶのは、女性ではなく男性でしょう」
彼女を恨むのではなく、国王を責めるべきだろう。
「ええ。だからこの世で誰よりも一番憎んでいるわ。私の母の精神を壊したことも、それまで平和を保ってきた女たちの心を壊したことも――娘である私にこんな憎悪を抱かせたことも、頭がおかしくなるほど、この手で殺してやりたいほど、許し難く思っているわ」
ディートハルトは、美しいグリゼルダの毒に触れた気がした。黙り込んだ彼を、王女は嗤う。
「男であるおまえには、理解できないでしょうね。むしろ父の気持ちに共感するんじゃないかしら」
じゃあこう言えばどうかしら、と彼女は目を細める。
「それまでずっと悪人だった人間が、何かをきっかけにして、急に善人ぶる。後悔して、反省して、さも自分たちがやっていることは正しいという顔で、非難してきた相手を逆に責め立てる」
自分の子であるのに父はディートハルトを庇ってくれなかった。いない者として扱った。父は悪人だった。それなのに異母弟が生まれてからは、優しくなった。まるで良い父親になろうと演じていた。それをディートハルトが責めれば、父はなぜ、という顔をした。
なぜ、おまえとこの子が同じ存在だと思ったのか――いや、違う。最初は愛するつもりはなかった。何とも思っていなかった。でも、一緒に暮らしていくに、我が子が愛おしくて、守ってやりたくなって、出来のいい自分なんかよりずっと――
「そういうの、吐き気がするほど悍ましいと思わない?」
おまえならわかるだろう、とグリゼルダはディートハルトに問いかけた。
「悪人はずっと悪人であればよかったのよ。今まで通り、大勢の女たちを愛していればよかったのよ。それなのに真実の愛に触れたからとかで、急に変わろうとして、一人だけを愛そうとして……冗談じゃない。そんなこと、認められるものですか」
そうだ。父も、非道を貫けばよかった。母も、あんな愚鈍な息子愛さなければよかった。そうすれば、ディートハルトはまだ穏やかな気持ちでいられただろうに……。
「人間の性根は変わらない。腐った人間は腐ったまま。さらに腐り続けるだけよ」
ゾッとする声で、グリゼルダは真実を告げた。
「ディートハルト。おまえはきっといつか後悔するわよ」
彼女は最後にそう付け加えて、去っていった。男爵と同じ台詞を吐いて。
453
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる