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4、婚約者
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伯爵家に引き取られてから二年の月日が経った。
十歳になったマリアはもう使用人や街ですれ違う人々から孤児院育ちの平民だとは思われない立ち振る舞いができるようになった。
ヨゼフィーネもそんなマリアが誇らしいのか、あるいは余所へ連れて行っても恥をかかないと思ったのか、付き合いのある友人に紹介した。
「マリアよ。とてもいい子なの」
ヨゼフィーネの友人の娘とも一緒に遊んでいるうちに親しくなり、マリアは少し肩の力を抜くことができたように思う。
「マリアって、お母様にあまり似ていないのね」
だが時々何の悪意なく、子どもらしくただ思ったことを素直に口にされてひやりとする瞬間もあった。
そういう時マリアは自分を戒めるようにもっと努力しなければと言い聞かせた。
友人と呼べる関係を数人作ると、両親は次の段階に進むように婚約者を紹介した。
エルヴィン・フレーベル。子爵家の嫡男だった。歳もマリアと同じだ。
「初めまして」
黒髪で、そばかすのある優しそうな少年に見えた。マリアに気遣うように微笑んでいる。
婚約は親同士で決めたことだが、互いにまだ子どもだったので、まずは友人として仲を深めていけばいいと二人きりで遊ぶよう勧められた。
「きみみたいな可愛い子が僕の婚約者になれて、とっても嬉しいよ」
中庭を歩きながらエルヴィンが秘密を打ち明けるようにはにかみながら告白した。マリアは恥ずかしい気持ちになって、頬を赤く染めた。
「ありがとうございます」
「敬語はいいよ。同い年だし、僕の方が家柄は下だし」
まだ十歳なのに、エルヴィンは貴族の爵位を重視した。そんなところがやはり自分とは生まれが違うのだなと思いながらマリアは頷いた。
「じゃあ、これから、よろしく」
「ああ。エルヴィンって、気軽に呼んでいいから。僕も、マリアって呼んでいい?」
「ええ、もちろん」
エルヴィンはまた笑った。明るい子だと思った。
実際その後の付き合いも、エルヴィンはマリアに優しくしてくれた。
時々、強引に感じる時もあったが、それはマリアがあまり自己主張しないせいだろう。
「マリアはさ、もっと我儘になってもいいと思うよ」
付き合いが長くなるにつれて、そう言われることが増えた。
マリアももっと気持ちを出した方がいいのだろうと思ったが、お喋りははしたないという家庭教師の教えがどうしても頭をよぎってしまう。
また何か口にして相手に受けなかったら……と臆病な気持ちになり、結局何も言わない方がいいと口を噤んでしまうのだ。
そして何より、自分はヒルデの代わりで、本当は平民の孤児院出身だという意識が消えなかった。
「マリアってさ、本当は孤児院出身なの?」
ある日。エルヴィンの何気ない一言に息を止めて、頭の中が真っ白になった。
一瞬言葉を失うマリアを、エルヴィンの目がじっと見つめる。彼女は内心激しく動揺しながら、何とか平静を装う。
「ええ、そうなの。両親が亡くなって、孤児院に預けられて……でも、今のお母様とお父様が引き取ってくれて、本当の娘のように育ててくれたわ」
自然と早口になって、どこか言い訳するように聞こえた。
「ふぅん。そうなんだ」
エルヴィンの返事にマリアは不安になった。今の答えは、まずかっただろうか。平民の子ではないとばれてがっかりしただろうか。婚約を解消したくなっただろうか。
「リーデル夫妻って、優しい人たちなんだね」
「……ええ、とても」
エルヴィンは笑顔で言ってくれたものの、マリアは内心不安でたまらなかった。
エルヴィンの態度は、幸いにもその後も変わらなかった。疑ってしまったことが申し訳なくて、でも、心のどこかで安心していた。
それから、マリアは週に一度エルヴィンとの交流を欠かさず続けて婚約者として仲を深めた。
年齢を重ねるにつれて異性と接する気まずさや緊張を覚えるかと思ったが、エルヴィンの気さくな性格のお陰か、まったくそんなことはなかった。
正直友人のように感じていたが、マリアは伯爵家での生活を完璧にこなさなければならないと常にいつもどこか気を張っていたので、これくらいの関係がよかった。
(結婚したら、夫婦らしくなるのかしら)
結婚は家同士の結び付きを強めるためのものだと教えられた。
高貴な人間は平民よりも裕福な生活を送ることができるが、その代わり平民よりも義務があると。
男性は領民や領地を守ることで、女性はそんな夫を支えて跡継ぎを産むこと。
(家族を、作ること……)
心の中でそう繰り返して、マリアは自分の将来について考えてみる。
両親は幼い頃に亡くなり、親戚にも養育を面倒がられて孤児院に預けられた。孤児院での生活に慣れてからは伯爵家に引き取られて今に至る。
(わたしに、作れるのかな)
正直不安だ。……でも、血の繋がりがある家族を欲しいという気持ちはあった。
子ができるまでは夫が家族になる。伯爵夫妻のような、仲睦まじい夫婦にマリアはできればなりたかった。
「ねぇ、エルヴィン。わたし、まだまだ至らないところがあるかもしれないけれど、あなたの隣に立っても恥ずかしくないような妻になるわ」
エルヴィンと会った際、いつになく真剣な表情で伝えたマリアが珍しかったのか、エルヴィンは目を真ん丸とさせた。
だが次の瞬間には吹き出すように笑った。
「急に深刻な顔をして何を言い出すかと思えば……別れ話かと思っちゃった。びっくりさせないでよ」
「ご、ごめん! でも、きちんと伝えておきたいと思って」
「ううん。ありがとう。でも、そんなに肩肘張らなくても、マリアはもう十分僕の妻に相応しいと思うよ」
「そう、かしら」
そうだよ、とエルヴィンはにこりと笑う。
「それに少しくらいだらしないところがあっても、僕は気にしないよ。マリアは、僕にそんなところあったら幻滅する? 嫌いになる?」
「いいえ、そんなことないわ」
「よかった。なら、マリアもそうしてよ」
マリアはエルヴィンの言葉に不安だった心が慰められた。
そしてもう少し、彼のことを信じてみようと思った。
(今までわたしの方から壁を作っていたけれど……夫婦になるのなら、もっとわたしの心を見せないとだめよね)
それはエルヴィンだけではなく、伯爵夫妻や使用人たちにも言えることだと思った。
引き取られてから、もうそろそろ十年になるのだ。
社交界デビューも無事に迎えて、大人の仲間入りもした。
エルヴィンと結婚すれば、これからもっと本格的に外へ出て行く機会が増えるだろう。
人が大勢いるところに出かければ、心のない言葉を浴びせられたり陰口を叩かれたりと、嫌な思いをすることもある。そういう時、家族や婚約者の存在はきっと心強い味方になるはずだ。
だから勇気を出して、マリアは歩み寄ってみようと決めた。
遅すぎる決断であるが、どうしても遠慮してしまって一歩引いてしまっていた。
でも、これからは……。
「お、奥様! 旦那様! 見つかったそうです! ヒルデお嬢様が!」
夕食後。家族団欒を楽しんでいたマリアたちのもとにいつもは冷静な家令が取り乱した様子で報告しにやってきた。
十歳になったマリアはもう使用人や街ですれ違う人々から孤児院育ちの平民だとは思われない立ち振る舞いができるようになった。
ヨゼフィーネもそんなマリアが誇らしいのか、あるいは余所へ連れて行っても恥をかかないと思ったのか、付き合いのある友人に紹介した。
「マリアよ。とてもいい子なの」
ヨゼフィーネの友人の娘とも一緒に遊んでいるうちに親しくなり、マリアは少し肩の力を抜くことができたように思う。
「マリアって、お母様にあまり似ていないのね」
だが時々何の悪意なく、子どもらしくただ思ったことを素直に口にされてひやりとする瞬間もあった。
そういう時マリアは自分を戒めるようにもっと努力しなければと言い聞かせた。
友人と呼べる関係を数人作ると、両親は次の段階に進むように婚約者を紹介した。
エルヴィン・フレーベル。子爵家の嫡男だった。歳もマリアと同じだ。
「初めまして」
黒髪で、そばかすのある優しそうな少年に見えた。マリアに気遣うように微笑んでいる。
婚約は親同士で決めたことだが、互いにまだ子どもだったので、まずは友人として仲を深めていけばいいと二人きりで遊ぶよう勧められた。
「きみみたいな可愛い子が僕の婚約者になれて、とっても嬉しいよ」
中庭を歩きながらエルヴィンが秘密を打ち明けるようにはにかみながら告白した。マリアは恥ずかしい気持ちになって、頬を赤く染めた。
「ありがとうございます」
「敬語はいいよ。同い年だし、僕の方が家柄は下だし」
まだ十歳なのに、エルヴィンは貴族の爵位を重視した。そんなところがやはり自分とは生まれが違うのだなと思いながらマリアは頷いた。
「じゃあ、これから、よろしく」
「ああ。エルヴィンって、気軽に呼んでいいから。僕も、マリアって呼んでいい?」
「ええ、もちろん」
エルヴィンはまた笑った。明るい子だと思った。
実際その後の付き合いも、エルヴィンはマリアに優しくしてくれた。
時々、強引に感じる時もあったが、それはマリアがあまり自己主張しないせいだろう。
「マリアはさ、もっと我儘になってもいいと思うよ」
付き合いが長くなるにつれて、そう言われることが増えた。
マリアももっと気持ちを出した方がいいのだろうと思ったが、お喋りははしたないという家庭教師の教えがどうしても頭をよぎってしまう。
また何か口にして相手に受けなかったら……と臆病な気持ちになり、結局何も言わない方がいいと口を噤んでしまうのだ。
そして何より、自分はヒルデの代わりで、本当は平民の孤児院出身だという意識が消えなかった。
「マリアってさ、本当は孤児院出身なの?」
ある日。エルヴィンの何気ない一言に息を止めて、頭の中が真っ白になった。
一瞬言葉を失うマリアを、エルヴィンの目がじっと見つめる。彼女は内心激しく動揺しながら、何とか平静を装う。
「ええ、そうなの。両親が亡くなって、孤児院に預けられて……でも、今のお母様とお父様が引き取ってくれて、本当の娘のように育ててくれたわ」
自然と早口になって、どこか言い訳するように聞こえた。
「ふぅん。そうなんだ」
エルヴィンの返事にマリアは不安になった。今の答えは、まずかっただろうか。平民の子ではないとばれてがっかりしただろうか。婚約を解消したくなっただろうか。
「リーデル夫妻って、優しい人たちなんだね」
「……ええ、とても」
エルヴィンは笑顔で言ってくれたものの、マリアは内心不安でたまらなかった。
エルヴィンの態度は、幸いにもその後も変わらなかった。疑ってしまったことが申し訳なくて、でも、心のどこかで安心していた。
それから、マリアは週に一度エルヴィンとの交流を欠かさず続けて婚約者として仲を深めた。
年齢を重ねるにつれて異性と接する気まずさや緊張を覚えるかと思ったが、エルヴィンの気さくな性格のお陰か、まったくそんなことはなかった。
正直友人のように感じていたが、マリアは伯爵家での生活を完璧にこなさなければならないと常にいつもどこか気を張っていたので、これくらいの関係がよかった。
(結婚したら、夫婦らしくなるのかしら)
結婚は家同士の結び付きを強めるためのものだと教えられた。
高貴な人間は平民よりも裕福な生活を送ることができるが、その代わり平民よりも義務があると。
男性は領民や領地を守ることで、女性はそんな夫を支えて跡継ぎを産むこと。
(家族を、作ること……)
心の中でそう繰り返して、マリアは自分の将来について考えてみる。
両親は幼い頃に亡くなり、親戚にも養育を面倒がられて孤児院に預けられた。孤児院での生活に慣れてからは伯爵家に引き取られて今に至る。
(わたしに、作れるのかな)
正直不安だ。……でも、血の繋がりがある家族を欲しいという気持ちはあった。
子ができるまでは夫が家族になる。伯爵夫妻のような、仲睦まじい夫婦にマリアはできればなりたかった。
「ねぇ、エルヴィン。わたし、まだまだ至らないところがあるかもしれないけれど、あなたの隣に立っても恥ずかしくないような妻になるわ」
エルヴィンと会った際、いつになく真剣な表情で伝えたマリアが珍しかったのか、エルヴィンは目を真ん丸とさせた。
だが次の瞬間には吹き出すように笑った。
「急に深刻な顔をして何を言い出すかと思えば……別れ話かと思っちゃった。びっくりさせないでよ」
「ご、ごめん! でも、きちんと伝えておきたいと思って」
「ううん。ありがとう。でも、そんなに肩肘張らなくても、マリアはもう十分僕の妻に相応しいと思うよ」
「そう、かしら」
そうだよ、とエルヴィンはにこりと笑う。
「それに少しくらいだらしないところがあっても、僕は気にしないよ。マリアは、僕にそんなところあったら幻滅する? 嫌いになる?」
「いいえ、そんなことないわ」
「よかった。なら、マリアもそうしてよ」
マリアはエルヴィンの言葉に不安だった心が慰められた。
そしてもう少し、彼のことを信じてみようと思った。
(今までわたしの方から壁を作っていたけれど……夫婦になるのなら、もっとわたしの心を見せないとだめよね)
それはエルヴィンだけではなく、伯爵夫妻や使用人たちにも言えることだと思った。
引き取られてから、もうそろそろ十年になるのだ。
社交界デビューも無事に迎えて、大人の仲間入りもした。
エルヴィンと結婚すれば、これからもっと本格的に外へ出て行く機会が増えるだろう。
人が大勢いるところに出かければ、心のない言葉を浴びせられたり陰口を叩かれたりと、嫌な思いをすることもある。そういう時、家族や婚約者の存在はきっと心強い味方になるはずだ。
だから勇気を出して、マリアは歩み寄ってみようと決めた。
遅すぎる決断であるが、どうしても遠慮してしまって一歩引いてしまっていた。
でも、これからは……。
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