いなくなった伯爵令嬢の代わりとして育てられました。本物が見つかって今度は彼女の婚約者だった辺境伯様に嫁ぎます。

りつ

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5、本物

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 伯爵夫妻の本当の娘であるヒルデが見つかった。

 隣国の農村に住む老夫妻のもとで育てられていたらしい。

 発見者は普段マリアの住む国や隣国で商いをしている商人だ。彼が仕事で今まで行ったことのない村へ足を運んだ時に、見つけたという。

 リーデル伯爵夫妻の娘が行方不明になった事件を記憶しており、かつその娘の特徴ある髪色と農民の娘にしてはどこか気品ある顔立ちにひょっとしたら……と思ったのが幸いした。

 だがまだ確証は得られなかったので、とりあえず商人はマリアを養女にしてからもヒルデの行方を探させていた伯爵家に連絡して、詳しい事情を訊くことにした。

 伯爵夫妻は知らせを受けたものの、最初半信半疑の様子だった。これまでも見つかったと言って、髪を染めただけの全く似ていない娘を連れてくるお礼目当ての人間が大勢いたからだ。

 それにヒルデがいなくなって、もうすぐ十年の月日が経とうとしていた。見つかってほしいと思いながら心のどこかでもう……という諦めの境地に入りかけていた。

 しかし万が一という場合もある。

 そしてやはり見つかったと聞けば、消えかけていた希望に火が灯るものだ。

 夫妻は人をやってその娘を伯爵家へ連れて来させた。それで彼女の顔を見て……。

「ヒルデと言います。えっと……あなたたちが、私のお父さんとお母さん、ですか?」

 部屋の中がシンと静まり返る。

「おお。なんてことだ……!」

 最初に声を上げたのは、伯爵だった。
 他の者はみな言葉を失って、少女の顔を凝視している。
 マリアもまた、呆然としていた。

(お母様とお父様に、似ている)

 その顔はヨゼフィーネの若い頃にそっくりだった。
 その目は伯爵と同じエメラルドのような美しい緑色だった。

 髪色も、マリアと同じピンクブロンドだった。いや、違う。マリアよりも彼女の方が濃いピンクで、輝いて見えた。ふわふわ波打って、顔立ちも愛らしく、天使のような可憐な娘だった。

 間違いない。この子は二人の娘だ。本物のヒルデだ。

「ああ、ああ……!」

 口元を両手で覆い、一言も発せなかったヨゼフィーネが嗚咽を漏らすような声を上げた。

 伯爵が先に駆け寄ると、後に続いて、少女の前で膝をついた。そして恐る恐る彼女の柔らかな頬を両手で挟み、食い入るように見つめる。ヒルデが不思議そうに首を傾げた。

「お母さん?」

 そのたった一言で、ヨゼフィーネの瞳から大粒の涙を溢れさせた。

「ヒルデ!」

 ヨゼフィーネは娘の名前を叫ぶように呼んで、強く抱きしめた。力いっぱいの抱擁には、娘が生きていたこと、帰ってきたこと、また会えたこと……たくさんの喜びが込められていた。

「ごめ、ごめんなさいっ、あの時、あなたを置き去りにしてしまって、本当にごめんなさいっ」

 夫人はあの日ヒルデを失ってからずっと後悔してもいた。

 我が子を置いて外出しなければよかった。そうすれば、ヒルデを失うことなく、ずっと一緒に暮らせたのに……、と。

「お母さん、泣かないで。私は大丈夫よ」

 ヒルデは天使のように優しい表情をして自身の母親を抱きしめて、慰めと許しの言葉をかけた。それでますます夫人は号泣してしまい、伯爵も泣いて妻と子どもを抱きしめた。親子の感動の再会に使用人たちも鼻を鳴らしていた。

 マリアは、それらすべてを広い部屋の隅で見ていた。

 よかった、と思わなくてはならない。

 だってヨゼフィーネたちはずっとヒルデのことを心配していたから。娘の無事を神に祈っていることも一緒に暮らしていたマリアはきちんと知っていた。

 だから、ヒルデが無事に戻ってきて本当によかった。そう、思うべきなのに……。

(わたし、これからどうなるんだろう)

 そんなことを思ってしまった自分が嫌だった。最低だと思った。

 でも、本当の娘が帰ってきて、身代わりだった自分の役目はもう終わったと、心の奥底にいるもう一人の自分が冷酷に告げていた。

 捨てられるのではないかと怯える自分がいた。

     ◇

 引き取られた時、それからも度々孤児院に帰りたいと思っていたくせに、マリアは自分でも気づかぬうちに伯爵家を自分の居場所だと思っていたみたいだ。

 ヒルデが帰ってきて、そのことに気づかされた。

「ヒルデ。こちらはマリアよ」

 ヨゼフィーネたちはマリアを孤児院に送り返すことはしなかった。外聞もあるし、今まで育ててきた情はあるのだろう。

 でも、ヒルデに事情を説明する時の顔はどこか気まずそうであった。

「孤児院で生活していたの。ご両親は幼い頃に亡くなられて……可哀想だから、家で引き取ったのよ」

 孤児院に寄付をしており、院長から頼まれた。引き取るか悩んだものの、マリアに会って決めた。

 そんなふうに、ヒルデの顔色を気にしながらヨゼフィーネたちは話した。マリアの方は見なかった。

「ヒルデ?」

 黙って耳を傾けるヒルデに、マリアも緊張してくる。

 実際は、ヒルデの代わりにマリアを引き取った。本人からすると、あまりいい気分の話ではない。行方不明だった自分を見捨てたように感じるかもしれない。

 自分が与えられるはずだった親の愛情を、まったく関係のないよその子に奪われたのだ。

(恨まれても、おかしくない)

 だからいきなり両手をぎゅっと握りしめられて、マリアはびくっと全身を震わせた。次いで自分を見つめるキラキラと輝く瞳に目を奪われる。

 この子はなんて明るい目をしているのだろう。

(どうしてそんな顔、できるの)

「じゃあ、私の姉か妹ってこと? わぁ、嬉しい!」

 その言葉にマリアだけでなくヨゼフィーネたちも呆気に取られたようだ。

 だがすぐにヒルデを愛おしむように見つめて笑みを浮かべていた。

「ええ、そうよ。あなたたちは姉妹なの」
「素敵! ね、マリア。私が姉でもいい? あっ、でもやっぱり、お姉様って呼びたいから、私が妹でもいいかな? 誕生日はどちらが先なのかしら?」
「わ、わたしはどちらでも……」
「そう? じゃあ、お姉様って呼んで、時々マリア、って呼ぶね!」

 屈託なく笑って宣言するヒルデに、まぁ、と夫人たちが驚いて、自然と笑いが起きた。

 敵わないと思った。なぜか、とても胸が苦しくなった。

(笑わなく、ちゃ)

 そしてヒルデが言ったように、これからは彼女の姉として、振る舞わなければならない。

 にこにこ微笑むヒルデの姿を見つめながら、マリアはそう心に刻んだ。

「――お姉様! 一緒に外で遊びましょう!」
「でも、ヒルデ。あなたまだ、課題が終わっていないでしょう?」
「そんなの後でいいわ! 夫人も許してくれるはずよ!」

 さっ、とヒルデはやや強引にマリアの手を引っ張り、廊下を走り出す。

「ヒルデ! 淑女が廊下を走ってはいけませんよ!」
「お母様、見逃して! 外から戻ったら、まだレディに戻るから!」

 長い空白の期間があったというのにヒルデはあっという間に伯爵家に馴染んでいった。考えてみれば当然だ。彼女の居場所はもともとこの家だったのだから。

「もう、お嬢様ったら! また服を脱ぎ散らかして!」
「ごめんなさい! 片付けておいて!」

 まったく、と怒りながらも、メイドの顔は優しかった。ようやく帰ってきたお転婆な主の世話が楽しくてたまらないのだろう。

 マリアは掃除や洗濯の大変さを知っているので、決してメイドたちの手がかかるようなことはしなかった。そんなこと、できなかった。

「ね、どうしてお姉様はそんなにお母様たちに余所余所しいの?」

 二人きりになってヒルデにそう訊かれた時、マリアは言葉に詰まった。

「そんなつもりは、ないけれど……そう、見えるかしら」
「見えるわよ。いっつも一線を引いているというか……やっぱり、実の親ではないから?」

 あっけらかんと答えを当てるヒルデにマリアは曖昧に微笑んで誤魔化そうとした。

 たとえそうだとしても、口にするのはヨゼフィーネたちに失礼だと思ったからだ。

「私もおばあさんやおじいさん……向こうにいた時に育ててもらった人とは血が繋がっていなかったけど、言いたいことは何でも好きに言ったわ」
「そうなの? 怒られたり、嫌われたりするの、怖くなかった?」

 ちっとも、と笑うヒルデの笑顔が眩しかった。

「確かに我儘を言った時、怒られたり困った顔をされることがあったけれど、二人とも私のことが大好きだってわかっているから、平気。それにすぐに忘れちゃうもの」

 だからお姉様もそうしてみたら? と言われても、マリアには到底できないことだった。

(きっとヒルデは、みんなから愛される特別な子なんだわ)

 だから行方不明になっても、優しい人に拾ってもらって、愛情を注いでもらえた。

 自分だったら、絶対にそうはならない。

(すごいな、ヒルデは……)

 屋敷にいなかった約十年の月日を、ヒルデは急速な勢いで埋めていき、まるで悲しい過去などなかったかのように過ごしている。

「お母様! 演劇のチケット、もらったのでしょう? 私も観に行きたいわ!」
「ええ。でも、一枚、足りなくて……」

 ヨゼフィーネがどうしましょうと言うようにマリアを見た。

「お母様。わたしは留守番していますから、ヒルデと一緒に出かけてきてください」
「まぁ。でもそんな悪いわ」

 困り顔のヨゼフィーネにマリアはにっこり笑い、気にしないでいいと伝えた。

「お姉様もいい、って言っているんだから、お母様、行きましょうよ!」
「そうね……ごめんなさいね、マリア」

 そう言って二人は仲良く出かけて行った。

 マリアは本当に気にしていなかった。

 だって本来なら、ヨゼフィーネと出かけるのはヒルデだった。観劇にドレスや美味しいデザートなど、幼い頃マリアに与えられたものはすべてヒルデのものだった。

(彼女は強くて、優しい……)

 私のものを奪ったくせに、と責められることもマリアは心のどこかで覚悟していて、彼女が決してそんな性格ではないことを知って己を恥じた。そしていっそう罪悪感が増した。

 もっとヒルデに優しくしないといけない。彼女が欲したら譲らなくてはいけない。

 マリアはそう思うようになった。

     ◇

 マリアのそうした気持ちは他の人間の態度にも変化をもたらした。

 最初はマリアを気にしていたヨゼフィーネたちは次第に実の娘であるヒルデを優先することが当たり前になり、マリアが伯爵家に来た頃のように敬語で話すことを寂しいと零すこともなくなった。

「お姉様。私、もっと明るい部屋がいいわ。変わってくれないかしら?」
「マリア。あなたには別の部屋を用意するから、ヒルデに譲ってくれる?」
「……はい、わかりました」

 いっそ今からでも使用人として雇ってもらえないだろうか。
 すでに社交界デビューしてしまったから難しいだろうか。

 本当の娘のように思っていますと伯爵も夫人も人々に話してしまったから、外聞も悪いのだろう。

 まだ十歳くらいの年だったならともかく、今の年齢で貴族の令嬢から使用人になったら、働いている使用人たちも困るにきまっている。

「ヒルデお嬢様が戻ってきて、本当によかったわ」
「本当ね。明るくて、少しお転婆だけれど、放っておけない方よね」
「私は以前のヒルデ様を知らなかったから勝手にマリアお嬢様みたいな方だと思っていたけれど、全然違うのね」

 マリアはメイドたちの世間話をうっかり耳にしてしまう度、胸がドキドキした。

 扱いにくいと思われたらどうしよう。自分よりヒルデの世話係になりたいと言われたら。もう伯爵家に自分は必要ないと言われたら……。

(その時、わたしはどこに帰ればいいのかな……)

 孤児院に戻っても、院長であるザムエルは受け入れてくれるだろうか。

 いや、自分はもう十七歳だ。奉公人になるなど職を見つけて独り立ちする時期だ。

 いっそ結婚して伯爵家を早く出た方がいい。そうだ。きっとヨゼフィーネたちもそう思っている。

 自分には婚約者がいる。エルヴィン。彼なら。

「――だめよ。あなたは、お姉様の婚約者ですもの」

 少し席を外すと言って部屋を出たエルヴィンを探したのが間違いだった。

「でも、ヒルデ。僕はきみが好きなんだ」

 伯爵家の中庭。木陰になっている所で、エルヴィンがヒルデに詰め寄るようにして告白していた。

 今までマリアが見たこともない真剣な表情をしていて、その眼差しは熱を帯びている。

 エルヴィンとは今でも婚約者の交流を深めるために週に一度、伯爵家でお茶をしている。

 いつもはヒルデもいるのだが、今日は体調を理由に参加していなかった。エルヴィンは心配していたのだろう。

(エルヴィン……)

 婚約者が自分ではなくヒルデに心惹かれていることには、気づいていた。

「マリアには、悪いと思っている。でも、自分の気持ちにもう嘘をつけないんだ」

 エルヴィンが初めてヒルデに会った時から、二人だけのお茶会にいつしかヒルデも当然のように加わるようになった頃から、マリアはこうなることをうっすらと予期していたのかもしれない。

 だから今二人が互いの想いを確かめ合う場面を目にしても、やっぱり……という気持ちで、それほどショックではない。ずっと、覚悟していたから。

 もしヒルデが行方不明にならなければと考えれば、最初からエルヴィンの婚約者はヒルデになっていた。二人は惹かれ合う運命だったのだ。

(代わってあげたい)

 ヒルデには好きな人と幸せになってほしい。エルヴィンにも生い立ちのことでずっと引け目を感じていた。自分が身を引くことで二人が幸せになれるのならば、マリアは自ら婚約解消を願い出て、伯爵夫妻を説得しただろう。でも。

「だめよ。たとえあなたがお姉様の婚約者だとしても……あなたとは一緒になれない」
「どうして? 僕のことが嫌い?」
「違う。だって私……カリウス辺境伯様に、嫁がなくてはならないもの」

 そう。ヒルデはエーレンベルク国の北東部・国境地帯を治めるジークハルト・カリウスに嫁ぐことが決まっていた。ゆえにマリアがエルヴィンと婚約を解消しても、彼とは一緒になれないのだ。

 このことはまだ公に発表されておらず、加えてヒルデも想い人に打ち明けられなかったのだろう。

 今初めて残酷な運命を突き付けられて、エルヴィンは絶望する。

「そんな……どうにか、ならないのかい。リーデル卿なら、きみのことをとても可愛がっているし、娘であるきみの願いなら……」
「ええ。お父様は確かに私を深く愛していらっしゃるわ。でも、無理なの。この結婚は、王家からいただいたお話だから」

 リーデル伯爵たちが拒むことができないのは、王家から命じられたせいでもあるが、過去、行方不明になったヒルデを捜索する時に協力してもらったからだ。

 彼らは国境警備のために強い軍事力を持つ辺境伯を警戒しており、監視の意味も込めて、王家に忠誠を誓う貴族に縁を結ばせたかった。恩のあるリーデル伯爵家はちょうどよかったのだ。

「だから、ごめんなさい、エルヴィン……あなたの気持ちには応えられないの。お姉様とどうか幸せになって」
「そんな、ヒルデ……こんなの、あんまりだ……」

 エルヴィンがしくしくと泣いているヒルデを抱きしめたところで、マリアはそっとその場を離れた。

 二人はいっそ駆け落ちでもするだろうか。それとも諦めて義務を果たすだろうか。

 二人がどちらの道を選ぼうと、マリアには何もできない。受け入れるだけだ。

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