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25、ゲームとは違うわたしたち
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(あーあ。何だか疲れちゃった)
アランたちが意外にも主思いだということはよくわかったが、イザベル自身の意思を無視してくっつけようとするのは腹立たしく、ついきつい態度で拒絶してしまった。
別に喧嘩したいとは思っていないので、罪悪感のような、後味の悪さを覚えている。
『お前はかっとなって思わず言い返すことがあるが、冷静になると自分の言動を反省する性質だな』
幼い頃些細なことで兄に腹を立てて癇癪を起こし、その後自己嫌悪に陥って謝った時に兄から言われた言葉を思い出す。そう。自分は感情的なのだ……熱しやすく冷めやすい。
(でもわたしが好きなのはお兄様だし、もう結婚する予定だし、それを反故にしろってことよね? やっぱりあんなこと頼むのはおかしいわ。いくら友人で仕える主だからって……)
思い返してもやはり胸がモヤモヤ、むかむかしてくる。
イザベルはこのままじゃいけないと胸に手を当てて、ふーっと息を吐いた。
(こんな調子でお兄様に会っては、すぐに何かあったと勘付かれて、心配しているから事情を話してくれと言われて、それで話したらすごく怒って、アランとジルベール、レーモンにも何らかの手を下すはずだわ)
それはそれで面倒になる予感がする。……兄は自分のためならば容赦しないだろうから。
嫌いとはいえ、あまりにひどい目に遭わせるのは気が咎める。実際に接して、少し親しみが湧いたせいかもしれない。兄にそんなことさせるのも嫌だ。
「はぁ……」
「お嬢さん。疲れているのなら、このパンを買っていったらどうかね?」
何だかどこかで聞いた声だなと違和感を覚えたイザベルが何気なくそちらを見ると、見覚えのある丸眼鏡をかけた購買部の店主の姿が目に入る。
「ん? んん? あなた、もしかして……いや、でも」
髪型が違う。彼はこんなサラサラヘアではなかった。決定的な違いだ。しかし声はそっくり……親戚か何かだろうか。
イザベルが判断しかねていると、男性がにっこり笑った。
「あは。僕のお名前、忘れてしまいましたか?」
「……シャルルでいいのね?」
「はい」
やはりシャルルで合っていたのだ。
「あなた、こんなところで何しているの?」
「見ての通り、購買部の店主を務めております」
「……聖職者が働くとか、ありなの?」
「私は見習いなので、ギリセーフです」
本当かよ、と胡散臭い目でイザベルはシャルルの全身を眺めた。
「その髪はどうしたの」
「一応、変装といいますか。同一人物だと判明してしまうと、いろいろ支障をきたしてしまう可能性があるので」
「やっぱり働くのに問題あるんじゃない」
イザベルは呆れて、少し心配する気持ちになった。
「そんなに教会の経営って厳しいの?」
「ええ、まぁ、それもありますが、ここで働いているとたくさんの情報が得られて……迷える子羊を導くことができますから」
「つまり客引きのために働いているってことね」
「えっと、その言い方だと語弊が生まれる気が……いえ、いいのです。それよりも、あれからお変わりありませんか? お兄様とは今も仲良く?」
「ええ。すごく仲睦まじいわ」
おやおや、とシャルルは口に手を当てて乙女のように頬を染めた。ちょっと気持ち悪い。
「でも、ため息をつかれて、何か悩んでいる様子でしたが」
「そうなの。……でも、たぶん大丈夫」
イザベルらしくないと思ったのか、シャルルが驚いたのがわかる。ゲーム世界のことまで話してしまったので、今さら言わないのが不思議なのだろう。
「何でも相談に乗りますよ」
「ありがとう。でも……まだいろいろ自分一人で悩んで解決策を見つけたい気分だから」
なんとなく、レーモンの問題は慎重に対処しなければいけない気がする。
「そうでしたか。では、最初声をかけました通り、ぜひパンを買っていてください」
「これ、ひょっとしてマリオンが焼いたパン?」
「それもありますけれど、教会で出店しているのもありますから、できればそちらを購入していただると嬉しいですね」
「パンまで焼いているの? ちゃっかりしているのね。聖水とか、教会の有り難い教えを書いた本とかは売っていないの?」
「聖水はございませんが、教本の方は売っておりました。ですが教職の方から怪しいからやめろと止められてしまって……残念です」
(売っていたんだ……)
確かゲームの方でも購入できた気がする。何に使うアイテムだったかは忘れてしまったが……。
「じゃあ、せっかくだからあなたが作ったパンとマリオンのパンをいただこうかしら」
「味比べというやつですね。ドキドキします」
「ふふ。勝てる自信があるの?」
「まさか。彼女の腕に叶う者はこの世界に誰もいませんよ」
確かに美味しい味であったが、少し大げさな気がした。いや。でもゲームでのことを考えると、主人公であるマリオンほど美味しいパンを作る者はいなかった。
(確かそんなふうに評したキャラがいたはず)
これもまた誰か忘れてしまったが……。
「このメロンパン、美味しいですよね。入れておきますね」
「ありがとう。わたしもそのパン大好き」
袋いっぱいに詰め込んでもらい、ほくほくした気持ちでイザベルは腕に抱えた。
「ご購入ありがとうございます。次回もぜひ――おや?」
「どうしたの?」
シャルルの視線の先を辿ると、イザベルは「あ」と間抜けな声を出した。
向こうも目を真ん丸としてまさかこんなところで会うとは予想していなかったという様子を見せる。
(レーモン)
イザベルが微妙な顔をしたせいか、それとも他に何か別の理由があったのか、レーモンはくるりと方向転換して、走るようにして去っていく。
「あっ、ちょっと」
「逃げられちゃいましたね。イザベル様、何か怒らせるような真似したんですか」
「べ、別に何も、していない、はず……とも言えなくない?」
いや、どうなのだろう。
可愛くない態度だと自分でも思うが……でも、すでに婚約者がおり、フェリクスを愛している自分の立場では、あれ以上求められても困る。
『最近、殿下の様子が変なのです』
『あいつは幼い頃から感情を制御するよう教育されている』
「はぁ……もう、面倒」
「え? 何か言いました?」
「何も。わたし、もう行くから。じゃあ、またね」
「あっ、イザベル様」
シャルルはまだ何か話したそうであったが、イザベルはレーモンの立ち去った方向へ足早に駆けていった。
「――殿下!」
幸いにも彼は生徒会室に入る前に、広い廊下をとぼとぼ歩いていた。イザベルに気づくとぎょっとした様子で、なぜか走り出す。
「ちょっと、何で逃げるんですか!」
「きみこそ、どうして追いかけてくる!」
「あなたと話したいことがあるからですよ!」
「今まで散々僕のことを嫌って逃げていたくせにか!」
「それは――きゃっ」
イザベルはバランスを崩して、転びそうになった。――が、すんでのところで足を踏ん張り、何とか無様な姿を晒さずにすんだ。
「……大丈夫か」
レーモンにはばっちり見られてしまったが。
「もう。殿下が逃げるせいですよ!」
「僕のせいにするな。きみの運動神経のせいだろう。……いや、すまない。そうだな。僕のせいだ……」
素直に謝られて、イザベルは調子が狂う。
「悪いものでも食べたのですか?」
「食べていない」
「そうですか……アラン様やジルベール様たちも、心配していましたよ」
「……彼らに言われて、僕を追いかけてきたのか」
自嘲気味に言うレーモンの顔をイザベルは無感情で見つめた。
「ふん。ご苦労なことだな。余計な手間暇をかけさせて悪かった。アランたちには後で言っておくから、さっさと行くといいさ。きみの愛する兄上も心配して、むぐっ――」
イザベルは袋からパンを取り出すと、レーモンの口の中に突っ込んだ。ふがふがとくぐもった声で何をするんだとレーモンが文句を言う。
「殿下は、わたしのことが好きなんですか?」
レーモンが目を見開き、ごくんと食べかけのパンを呑み込んだ。
「ばっ、そんなことない!」
「そうですか。それなら、よかったです」
イザベルのあっさりした反応に一瞬レーモンは傷ついたような顔をして、すぐにムッとした表情をする。
「ただ」
「ただ?」
「……きみがフェリクスに接する姿を見ていると胸がざわつく。僕への刺々しい接し方も、腹が立つような……違和感を覚えて……」
違和感、という言い方に引っかかりを覚える。
(わたしの態度がゲームとは違うから、違和感を覚えている?)
だから気になって、無意識に突っかかってくるのだろうか。だとしたら、少し責任を感じる。
「わたし、殿下のことを誤解していたのです」
「……きみは、初めて僕を見た時、怯えていた。いきなり声をかけられたからだと思っていたが、今考えると、僕だから怯えたように見えた。何か、理由があるのか」
鋭い。
(だけど、本当のことは話せない)
誰だって将来自分が誰かを傷つけるとは知りたくないだろう。たとえ当然だという理由があるとしても心がざわつき、不快に感じる可能性がある。
でも、ここで何でもない、気のせいだと誤魔化しても、レーモンのような人間は納得してくれない。ますますイザベルとの間にある溝を深めて、不信感を募らせる気がした。
「……一年くらい前からずっと、殿下によく似た人が出てくる夢を見ていたのです」
「夢?」
「はい。わたし、その頃ずっと夢に魘されていて、今は落ち着いて大丈夫なのですが、その時は辛くて……」
「どんな夢なんだ」
「夢の中でわたしは学院に通っていました。それで、自分の思い通りにいかないことに腹を立てて、いろんな人を傷つける夢でした」
「その夢に僕も出てきたというわけか?」
レーモンは意外にも真剣に聴いてくれる。イザベルは頷いて先を続けた。
「わたしはその夢が怖くて……自分もいつかあの夢の通りになってしまうのではないかと毎日怯えていました。そんな時にあなたに出会ってしまったから、あんな態度をとってしまったのです」
「……そうか」
レーモンは腑に落ちたというように暗い表情をした。
「でも、それは殿下によく似た別の誰かです」
レーモンは困惑した表情をする。
「しかし、僕なのだろう?」
「ええ。でもあの夢のわたしは、今のわたしとあまりにもかけ離れている。あなたもです」
同じ人間であるが、イザベルには同じ人物だとは思えなかった。ゲームの……脚本のために無理矢理動かされているキャラクター。すべてを知ってしまった今、そんなふうに思えてしまう。
(わたしだけでなく、もしかしたらレーモンも本来は違う人だったのかもしれない)
大勢の女性と付き合うようなだらしない人ではなく、真面目な青年なのかも……。
「わたしは今のあなたを見ようとしていませんでした。あなたのことを警戒するあまり、失礼な態度をとってしまいました。……ごめんなさい」
頭を下げるイザベルに、レーモンは驚愕し、悲鳴を上げるように言った。
「よしてくれ! きみに頭を下げられるなんて、何か恐ろしいことが起きそうだ!」
なんて言い草、と思いつつ、イザベルは笑ってしまった。
その彼女の屈託のない自然な笑みにレーモンが息を呑む。イザベルは呆けた顔をするレーモンを茶目っ気たっぷりに見つめて、面白がるように言った。
「では、許してくれますか」
「……もとから、怒ってなどいない」
「よかった」
安堵から微笑めば、レーモンは目を逸らした。
「それではこれからは友人として、顔を見合わせた際には軽く挨拶するほどの仲になれれば幸いです」
「……わかった」
了承をもらえて、イザベルは一歩近づく。彼が何だと言うように身構えたので口元をニヤリとさせる。
「友好の証として、また約束を反故にしないようにするための賄賂です。マリオンが作ったパン、お好きでしょう?」
分けてあげますとイザベルは気が利くシャルルが中に入れてくれていた紙袋にレーモンの分を取り分けて手渡す。
「はい。どうぞ」
「……ありがとう」
育ち盛りの時期なのだ。たくさん食べればいい。
「受け取ったからには、交渉成立です。わたしとお兄様の仲もしっかり見届けてくださいね」
後出しするな! と言われるかと思ったが、レーモンは少し暗い顔をしただけで、素直に「わかった」と頷いてくれた。
「では、殿下。午後の授業もお互いに頑張りましょうね」
「ああ。……イザベル」
「はい」
「いや……何でもない。授業中、眠らないように気を付けたまえ」
いつもの嫌味にようやくレーモンらしいと思い、イザベルは笑みを浮かべた。
アランたちが意外にも主思いだということはよくわかったが、イザベル自身の意思を無視してくっつけようとするのは腹立たしく、ついきつい態度で拒絶してしまった。
別に喧嘩したいとは思っていないので、罪悪感のような、後味の悪さを覚えている。
『お前はかっとなって思わず言い返すことがあるが、冷静になると自分の言動を反省する性質だな』
幼い頃些細なことで兄に腹を立てて癇癪を起こし、その後自己嫌悪に陥って謝った時に兄から言われた言葉を思い出す。そう。自分は感情的なのだ……熱しやすく冷めやすい。
(でもわたしが好きなのはお兄様だし、もう結婚する予定だし、それを反故にしろってことよね? やっぱりあんなこと頼むのはおかしいわ。いくら友人で仕える主だからって……)
思い返してもやはり胸がモヤモヤ、むかむかしてくる。
イザベルはこのままじゃいけないと胸に手を当てて、ふーっと息を吐いた。
(こんな調子でお兄様に会っては、すぐに何かあったと勘付かれて、心配しているから事情を話してくれと言われて、それで話したらすごく怒って、アランとジルベール、レーモンにも何らかの手を下すはずだわ)
それはそれで面倒になる予感がする。……兄は自分のためならば容赦しないだろうから。
嫌いとはいえ、あまりにひどい目に遭わせるのは気が咎める。実際に接して、少し親しみが湧いたせいかもしれない。兄にそんなことさせるのも嫌だ。
「はぁ……」
「お嬢さん。疲れているのなら、このパンを買っていったらどうかね?」
何だかどこかで聞いた声だなと違和感を覚えたイザベルが何気なくそちらを見ると、見覚えのある丸眼鏡をかけた購買部の店主の姿が目に入る。
「ん? んん? あなた、もしかして……いや、でも」
髪型が違う。彼はこんなサラサラヘアではなかった。決定的な違いだ。しかし声はそっくり……親戚か何かだろうか。
イザベルが判断しかねていると、男性がにっこり笑った。
「あは。僕のお名前、忘れてしまいましたか?」
「……シャルルでいいのね?」
「はい」
やはりシャルルで合っていたのだ。
「あなた、こんなところで何しているの?」
「見ての通り、購買部の店主を務めております」
「……聖職者が働くとか、ありなの?」
「私は見習いなので、ギリセーフです」
本当かよ、と胡散臭い目でイザベルはシャルルの全身を眺めた。
「その髪はどうしたの」
「一応、変装といいますか。同一人物だと判明してしまうと、いろいろ支障をきたしてしまう可能性があるので」
「やっぱり働くのに問題あるんじゃない」
イザベルは呆れて、少し心配する気持ちになった。
「そんなに教会の経営って厳しいの?」
「ええ、まぁ、それもありますが、ここで働いているとたくさんの情報が得られて……迷える子羊を導くことができますから」
「つまり客引きのために働いているってことね」
「えっと、その言い方だと語弊が生まれる気が……いえ、いいのです。それよりも、あれからお変わりありませんか? お兄様とは今も仲良く?」
「ええ。すごく仲睦まじいわ」
おやおや、とシャルルは口に手を当てて乙女のように頬を染めた。ちょっと気持ち悪い。
「でも、ため息をつかれて、何か悩んでいる様子でしたが」
「そうなの。……でも、たぶん大丈夫」
イザベルらしくないと思ったのか、シャルルが驚いたのがわかる。ゲーム世界のことまで話してしまったので、今さら言わないのが不思議なのだろう。
「何でも相談に乗りますよ」
「ありがとう。でも……まだいろいろ自分一人で悩んで解決策を見つけたい気分だから」
なんとなく、レーモンの問題は慎重に対処しなければいけない気がする。
「そうでしたか。では、最初声をかけました通り、ぜひパンを買っていてください」
「これ、ひょっとしてマリオンが焼いたパン?」
「それもありますけれど、教会で出店しているのもありますから、できればそちらを購入していただると嬉しいですね」
「パンまで焼いているの? ちゃっかりしているのね。聖水とか、教会の有り難い教えを書いた本とかは売っていないの?」
「聖水はございませんが、教本の方は売っておりました。ですが教職の方から怪しいからやめろと止められてしまって……残念です」
(売っていたんだ……)
確かゲームの方でも購入できた気がする。何に使うアイテムだったかは忘れてしまったが……。
「じゃあ、せっかくだからあなたが作ったパンとマリオンのパンをいただこうかしら」
「味比べというやつですね。ドキドキします」
「ふふ。勝てる自信があるの?」
「まさか。彼女の腕に叶う者はこの世界に誰もいませんよ」
確かに美味しい味であったが、少し大げさな気がした。いや。でもゲームでのことを考えると、主人公であるマリオンほど美味しいパンを作る者はいなかった。
(確かそんなふうに評したキャラがいたはず)
これもまた誰か忘れてしまったが……。
「このメロンパン、美味しいですよね。入れておきますね」
「ありがとう。わたしもそのパン大好き」
袋いっぱいに詰め込んでもらい、ほくほくした気持ちでイザベルは腕に抱えた。
「ご購入ありがとうございます。次回もぜひ――おや?」
「どうしたの?」
シャルルの視線の先を辿ると、イザベルは「あ」と間抜けな声を出した。
向こうも目を真ん丸としてまさかこんなところで会うとは予想していなかったという様子を見せる。
(レーモン)
イザベルが微妙な顔をしたせいか、それとも他に何か別の理由があったのか、レーモンはくるりと方向転換して、走るようにして去っていく。
「あっ、ちょっと」
「逃げられちゃいましたね。イザベル様、何か怒らせるような真似したんですか」
「べ、別に何も、していない、はず……とも言えなくない?」
いや、どうなのだろう。
可愛くない態度だと自分でも思うが……でも、すでに婚約者がおり、フェリクスを愛している自分の立場では、あれ以上求められても困る。
『最近、殿下の様子が変なのです』
『あいつは幼い頃から感情を制御するよう教育されている』
「はぁ……もう、面倒」
「え? 何か言いました?」
「何も。わたし、もう行くから。じゃあ、またね」
「あっ、イザベル様」
シャルルはまだ何か話したそうであったが、イザベルはレーモンの立ち去った方向へ足早に駆けていった。
「――殿下!」
幸いにも彼は生徒会室に入る前に、広い廊下をとぼとぼ歩いていた。イザベルに気づくとぎょっとした様子で、なぜか走り出す。
「ちょっと、何で逃げるんですか!」
「きみこそ、どうして追いかけてくる!」
「あなたと話したいことがあるからですよ!」
「今まで散々僕のことを嫌って逃げていたくせにか!」
「それは――きゃっ」
イザベルはバランスを崩して、転びそうになった。――が、すんでのところで足を踏ん張り、何とか無様な姿を晒さずにすんだ。
「……大丈夫か」
レーモンにはばっちり見られてしまったが。
「もう。殿下が逃げるせいですよ!」
「僕のせいにするな。きみの運動神経のせいだろう。……いや、すまない。そうだな。僕のせいだ……」
素直に謝られて、イザベルは調子が狂う。
「悪いものでも食べたのですか?」
「食べていない」
「そうですか……アラン様やジルベール様たちも、心配していましたよ」
「……彼らに言われて、僕を追いかけてきたのか」
自嘲気味に言うレーモンの顔をイザベルは無感情で見つめた。
「ふん。ご苦労なことだな。余計な手間暇をかけさせて悪かった。アランたちには後で言っておくから、さっさと行くといいさ。きみの愛する兄上も心配して、むぐっ――」
イザベルは袋からパンを取り出すと、レーモンの口の中に突っ込んだ。ふがふがとくぐもった声で何をするんだとレーモンが文句を言う。
「殿下は、わたしのことが好きなんですか?」
レーモンが目を見開き、ごくんと食べかけのパンを呑み込んだ。
「ばっ、そんなことない!」
「そうですか。それなら、よかったです」
イザベルのあっさりした反応に一瞬レーモンは傷ついたような顔をして、すぐにムッとした表情をする。
「ただ」
「ただ?」
「……きみがフェリクスに接する姿を見ていると胸がざわつく。僕への刺々しい接し方も、腹が立つような……違和感を覚えて……」
違和感、という言い方に引っかかりを覚える。
(わたしの態度がゲームとは違うから、違和感を覚えている?)
だから気になって、無意識に突っかかってくるのだろうか。だとしたら、少し責任を感じる。
「わたし、殿下のことを誤解していたのです」
「……きみは、初めて僕を見た時、怯えていた。いきなり声をかけられたからだと思っていたが、今考えると、僕だから怯えたように見えた。何か、理由があるのか」
鋭い。
(だけど、本当のことは話せない)
誰だって将来自分が誰かを傷つけるとは知りたくないだろう。たとえ当然だという理由があるとしても心がざわつき、不快に感じる可能性がある。
でも、ここで何でもない、気のせいだと誤魔化しても、レーモンのような人間は納得してくれない。ますますイザベルとの間にある溝を深めて、不信感を募らせる気がした。
「……一年くらい前からずっと、殿下によく似た人が出てくる夢を見ていたのです」
「夢?」
「はい。わたし、その頃ずっと夢に魘されていて、今は落ち着いて大丈夫なのですが、その時は辛くて……」
「どんな夢なんだ」
「夢の中でわたしは学院に通っていました。それで、自分の思い通りにいかないことに腹を立てて、いろんな人を傷つける夢でした」
「その夢に僕も出てきたというわけか?」
レーモンは意外にも真剣に聴いてくれる。イザベルは頷いて先を続けた。
「わたしはその夢が怖くて……自分もいつかあの夢の通りになってしまうのではないかと毎日怯えていました。そんな時にあなたに出会ってしまったから、あんな態度をとってしまったのです」
「……そうか」
レーモンは腑に落ちたというように暗い表情をした。
「でも、それは殿下によく似た別の誰かです」
レーモンは困惑した表情をする。
「しかし、僕なのだろう?」
「ええ。でもあの夢のわたしは、今のわたしとあまりにもかけ離れている。あなたもです」
同じ人間であるが、イザベルには同じ人物だとは思えなかった。ゲームの……脚本のために無理矢理動かされているキャラクター。すべてを知ってしまった今、そんなふうに思えてしまう。
(わたしだけでなく、もしかしたらレーモンも本来は違う人だったのかもしれない)
大勢の女性と付き合うようなだらしない人ではなく、真面目な青年なのかも……。
「わたしは今のあなたを見ようとしていませんでした。あなたのことを警戒するあまり、失礼な態度をとってしまいました。……ごめんなさい」
頭を下げるイザベルに、レーモンは驚愕し、悲鳴を上げるように言った。
「よしてくれ! きみに頭を下げられるなんて、何か恐ろしいことが起きそうだ!」
なんて言い草、と思いつつ、イザベルは笑ってしまった。
その彼女の屈託のない自然な笑みにレーモンが息を呑む。イザベルは呆けた顔をするレーモンを茶目っ気たっぷりに見つめて、面白がるように言った。
「では、許してくれますか」
「……もとから、怒ってなどいない」
「よかった」
安堵から微笑めば、レーモンは目を逸らした。
「それではこれからは友人として、顔を見合わせた際には軽く挨拶するほどの仲になれれば幸いです」
「……わかった」
了承をもらえて、イザベルは一歩近づく。彼が何だと言うように身構えたので口元をニヤリとさせる。
「友好の証として、また約束を反故にしないようにするための賄賂です。マリオンが作ったパン、お好きでしょう?」
分けてあげますとイザベルは気が利くシャルルが中に入れてくれていた紙袋にレーモンの分を取り分けて手渡す。
「はい。どうぞ」
「……ありがとう」
育ち盛りの時期なのだ。たくさん食べればいい。
「受け取ったからには、交渉成立です。わたしとお兄様の仲もしっかり見届けてくださいね」
後出しするな! と言われるかと思ったが、レーモンは少し暗い顔をしただけで、素直に「わかった」と頷いてくれた。
「では、殿下。午後の授業もお互いに頑張りましょうね」
「ああ。……イザベル」
「はい」
「いや……何でもない。授業中、眠らないように気を付けたまえ」
いつもの嫌味にようやくレーモンらしいと思い、イザベルは笑みを浮かべた。
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