30 / 32
30、告白
しおりを挟む
イザベルがバッドエンドを迎えなければ強制力は解けない。だからイザベルはあの場でとっさに考えたのだ。レーモンに自分の髪を切らせようと。
罪を犯した女は処刑されず、修道院に行く場合もある。まだまだ人生これから、という時にその場所へ行くことは死に等しい。
そして、修道女になる場合は髪を短く切るのが決まりになっている。髪は女の命。死を意味するのではないかと考えた。
(キャラクターの髪型が途中で変わるってかなり大きい意味があるものね。それにゲームのイザベルは髪の手入れに命を燃やしていた)
数人がかりでメイドに髪を洗わせて、少しでも櫛に引っかかったりすると猛烈に怒って罵倒していた。現実のイザベルは面倒で、メイド一人に任せていたのだが……。
とにかく髪を切ることでイザベルは死んだこととなり、バッドエンドを迎えたとこの世界は理解したはずだ。もう、おかしくなることもない。
(周りの人に、たくさん心配させてしまったけれど)
「イザベル。いいか?」
「どうぞ」
イザベルは今、侯爵家の屋敷、自分の部屋で休んでいた。
別に身体はどこも悪くないのだが、兄の心が乱れに乱れまくって情緒不安定になった結果だ。
つまり、軽く監禁状態に陥っている。
(うーん……でも全然辛くない)
学院に行く前は引きこもりのような生活を送っていたので、それに戻っただけだ。
「イザベル……お前の好きな菓子を持ってきた」
「ほんと? わーい。お兄様ありがとう!」
食事やお茶の時間に出されるお菓子もイザベルの好みばかりだ。
にこにこしながらトレイを受け取り、フェリクスも一緒に食べようと誘う。
「ああ……」
(もう。またお兄様ったらそんな顔して)
「お兄様。わたしの短くなった髪を見る度に、辛気臭い顔をするのはやめてください」
兄は黙って、イザベルの手に自分の掌を重ねた。そして辛そうな顔で告白する。
「イザベル……私は本当にあの時、生きた心地がしなかった。お前は確かに無事だったが、大事に手入れしてきた髪を切られてしまったし、一歩間違えば身体を斬られていたかもしれない。お前が命を落としていたかもしれないと思うと、俺は――」
そこで兄は言葉を切り、自身が口にした恐ろしい可能性に耐え切れなくなったようにイザベルを抱き寄せた。
「お前をもう一生この屋敷から出したくない。死ぬまでずっと私のそばにおいておきたい」
兄の大きな身体は震えており、イザベルは可哀想に思った。
フェリクスはイザベルを監禁してからというものの、夜も一緒に眠るようになった。
身体を繋げることもあったが、それよりもただイザベルが生きていることを自分の目で見て生きている温もりを実感したいように見えた。
時々涙ぐんで、小さな声で「お前が無事で本当によかった」と噛みしめるように呟く表情は、まるで親が子を失いかけたような姿を思わせた。
イザベルはそんな兄の傷ついた心と深い愛情に触れる度、悪いことをしたと思い、どうにかせねばと考えていた。
「心配かけてしまって、本当にごめんなさい」
あの時はあれが最善だと思ったし、それ以外に方法が思いつかなかった。結果的に上手くいったからよかったものの、兄ごと串刺しになっていた可能性もある。
「でも、わたしは生きているわ。これからはもう少し、自分の言動に気を付けるから。髪は切られてしまったけれど、またすぐに戻るわ。それに意外と軽くて、この髪型も悪くないかもって思っているの」
イザベルはぎゅうっと兄の背中を抱きしめ返し、言い聞かせるようにゆっくりと優しい声で言った。
「だから、ね? お兄様もそんなに自分を責めないで。心を追いつめないであげて」
抱擁を緩めて、兄がじっとイザベルの顔を見てくる。
「それともお兄様は、この髪型、変だと思う? ショートはわたしに似合っていない?」
「そんなことない。可愛らしいし、お前によく似合っている」
イザベルはにっこり笑った。
「よかった! なら、もうわたしを見て悲しい顔をする必要はないわね」
「イザベル。だが」
「ね、お兄様。わたし、この素敵な髪型でお兄様と一緒に出かけて、他の方々にも見せたいわ。ふふ。きっと注目を浴びて、お兄様との仲も見せつけることができるはずよ」
動揺したように兄の瞳が揺れて、何とか妹を説得させようと眉間に皺が寄った。
イザベルはその前に素早く逃げ道を塞ぐ。
「お兄様。わたし、また学院にも行きたいわ。せっかくお友達もできて、授業も楽しいと思えたのですもの。卒業まで通いたい。お兄様が講師として壇上に立つ姿も、しっかり目に焼き付けておきたいわ。ね、お兄様、お願い」
フェリクスは目をかっと見開いて、何か反論しようとして――諦めたように、息を吐いた。
「本当に、私はお前に甘い」
いいよ、という言葉にイザベルは兄を抱きしめた。
「ありがとう! お兄様! 大好き!」
「……そう言えば何でも許されると思うなよ」
「もちろん。わかっているわ。お兄様は怒る時は怒るもの」
だからこれはフェリクス自身もそうした方がいいと思っている証だ。
監禁なんて本当はイザベルのために――幸せにならないことを、兄はよく理解しているのだ。それでもどうしても心配になってしまって、暴走してしまった。
そんな彼をイザベルは嫌いにならない。むしろ必死で自分の腕の中に閉じ込めようとする姿に胸がきゅんとして愛おしさが増した。
「お兄様、わたしを守ってくれてありがとう。大好きよ。これからも、ずっと」
イザベルが静かな声でそう言えば、フェリクスは身じろぎして、こちらを見つめた。
「ああ。私もだ。愛しているよ、イザベル」
微笑んだ兄にイザベルは自分から口づけして兄を押し倒した。彼は拒まず、イザベルを受け入れてくれた。
◇
イザベルは久しぶりに学院に登校した。突然短くなった髪型を見て友人たちはたいそう驚き、いったい何があったのだと心配する。
「実は……お兄様との結婚が近くなってくるにつれて、本当に相手がわたしでいいのか、お兄様にはもっと相応しい人がいるのではないかと考えてしまって……それで、髪を切って修道院に入ろうとしたのです」
「まぁ!」
「イザベル様、そんなに思いつめていたのですか」
あんなにラブラブな姿を見せつけておいては、彼女たちが驚くのも無理はない。
だがイザベルは憂いのある表情を浮かべて、微かに頷いた。
「ええ。……でも、修道院へ着く前にお兄様が馬に乗って追いかけてくださって、弱気になったわたしに改めて想いを伝えてくれたのです。それでわたし、やっぱりお兄様でなくては嫌だと思って……お兄様を愛することに決めたのです」
「まぁまぁ!」
周りは興奮と感動で頬を染めている。
もちろんこの話はイザベルが考えた嘘である。ただのイメチェンでは納得しがたいだろうと、兄の許可を得て、結婚前の娘が陥る不安な心をドラマチックに仕立て上げたのだ。
「それで、イザベル様はフェリクス様との愛を確かめ合って、しばらくの間休んでおられたのですね!」
「まぁ、そんな……ええ、でも、そうなのです」
恥じらうように頬を染めて俯くイザベルの姿に、彼女たちはきゃーと盛り上がった。
いや、きゃー、というより、ぎゃーと叫ばれて興奮された。
「素敵です! さすがイザベル様です!!」
「羨ましいですわ!」
「そ、そう?」
「はい! わたくしもイザベル様のような恋をしたいですわ」
「私も!」
「その髪型もとてもよく似合っています!」
「えっと、ありがとう」
彼女たちの熱狂的な反応にイザベルは少し困惑する。
だが、受け入れてもらえたのでよかった。
卒業まで改めてよろしくと伝えて、しばらく休んでいたので職員室に用があると断ってまた後で会うことを約束する。
向かう先は職員室ではなく、生徒会室だった。
入室する前にちょうどジルベールとアランが出てきたので、安堵した。自分でも少し緊張しているのかもしれない。
「イザベル様」
「その髪、どうしたんだ」
二人はイザベルの変化に愕然とした顔をする。イザベルは涼しい顔をしてさらりと答える。
「お兄様と愛の駆け引きをした上での、イメチェンよ」
まるで意味が分からないとばかりに目をぱちぱちさせる男二人に、中にレーモンがいるか尋ねる。
「ああ。いる。……なぁ、もしかしてその愛の駆け引きとやらに殿下も関係しているのか?」
アランの顔をしばし見つめ返し、イザベルはいいえと答えた。
「殿下は関係ないわ。どうしてそう思ったの?」
「あなたが学院を休んでから……いえ、休む前から様子がおかしかった。あなたは殿下の変化に気づいていましたか?」
「いいえ。まったく」
ジルベールが嘘をついていないか見極めるようにイザベルをじっと見つめてくる。逃げずにジルベールの視線を受け止めていると、やがて彼の方が先に折れた。
「わかりました。そういうことにしておきます。……ですが、殿下が気の毒です」
「ジルベール。そういうことは、俺たちが言ってはだめだ」
アランがジルベールを止めて、ジルベールは少し不満そうな顔をしたものの、その通りだと思ったのか口を噤んだ。
「わたし、中へ入ってもいいかしら?」
「ああ。今はレーモン一人だから、ゆっくり話してくれ。……俺たちは、外で待っている」
一応護衛役で、という意味だろうか。それとも単に友達として、かもしれない。
とにかく許可を得たので、イザベルは失礼しますとレーモンの返事を待たずに入室した。
「イザベル……」
「お久しぶりです、殿下。少しやつれました?」
わざと軽口を叩いて場を和ませようとしたが、レーモンは顔をくしゃりと歪ませた。
「すまなかった。僕のせいで、危ない目に遭わせてしまって」
「……何度も言いましたけれど、あれは殿下のせいではございません」
イザベルはシャルルを交えて、レーモンが陥った状況を説明した。ゲームの世界だということは混乱させるだけなので、魂が別の人格に乗っ取られかけていたと告げた。
だからレーモンのせいではない。本来の彼の意思はそこになかったのだから。
「事故みたいなものですよ」
「いや、しかし……きみの髪を……命も危うく奪いそうになった」
「直前になって、殿下は力を緩め、剣筋を変えてくれた。だからわたしは助かったのです。それで、いいんです。わたしはあなたに、これ以上罪悪感を持ってほしくありません」
「イザベル……」
レーモンの顔はまだ晴れなかった。イザベルは小さく嘆息して、自身の髪を指差した。
「この髪型、似合っていませんか?」
「いいや。似合っている」
「よかった。では、そういう顔をしてくださいね。約束です」
明るい声で命令するように言えば、ようやくレーモンもイザベルがこれ以上ぎくしゃくした雰囲気になることを望んでいないことに気づく。
「きみの心が寛大なことに深く感謝する」
「大げさです」
イザベルは本当にレーモンを恨んでいなかった。自分も意識を乗っ取られかけたので、そのことに対する恐怖はよく知っている。
「では、今日から学院に復帰しますので、よろしくお願いしますね」
失礼します、と去ろうとすれば、名前を呼ばれた。
「本当に、責任は取らなくていいんだな」
「はい。もう十分見舞いの品はいただきましたし、これ以上は申し訳ないです」
「そうか……それはそれで、残念だ」
イザベルがどう返答しようか一瞬迷った隙に、レーモンが微笑んで告げた。
「イザベル。僕は責任を取って、きみと結婚したかったんだ」
きみのことが好きだから。
「正直最初は、失礼な人間だと思った。親切に声をかけても、まるで嫌なことをされたような顔をして……他にも、僕を嫌っているような振る舞いに傷ついて、腹が立った。……でも、きみがそのことを謝ってくれて、真っ直ぐ接してくれるようになってから、きみに微笑みかけられてから、きみのことばかり考えるようになったんだ」
その台詞はゲームでマリオンに告げたものと重なる。
でも、一緒にしては失礼だろう。
「きみのことが好きだよ、イザベル」
「……ありがとうございます、殿下。でも、ごめんなさい」
イザベルが心苦しい気持ちで謝れば、レーモンは晴れやかに笑った。
「いいんだ。きみの答えはとっくにわかっている。それでも伝えたかったんだ。僕の自己満足に付き合わせてしまって悪いね」
「いいえ。そんな……」
イザベルは気にしていないと目を逸らしながら小さな声で答える。やはり告白されて振るというのは罪悪感が湧く。誠実な態度であればなおさら……。
「はは。なんだ。僕に湿っぽい雰囲気を出すなと苦言を呈しておきながら、きみがそんな顔をするのか」
「なっ、わたしはただっ」
「わかった、わかった。朝からきみと喧嘩するのはさすがの僕も遠慮したいから、もう行ってくれ。早くしないと授業に遅れてしまうぞ」
「っ、言われなくてもそうします!」
引き留めたのはそっちじゃないか。
心配して損したと怒りながらイザベルが出て行こうとするのをレーモンが少し寂しそうに笑って見送ったのだが、彼女は気づかなかった。
罪を犯した女は処刑されず、修道院に行く場合もある。まだまだ人生これから、という時にその場所へ行くことは死に等しい。
そして、修道女になる場合は髪を短く切るのが決まりになっている。髪は女の命。死を意味するのではないかと考えた。
(キャラクターの髪型が途中で変わるってかなり大きい意味があるものね。それにゲームのイザベルは髪の手入れに命を燃やしていた)
数人がかりでメイドに髪を洗わせて、少しでも櫛に引っかかったりすると猛烈に怒って罵倒していた。現実のイザベルは面倒で、メイド一人に任せていたのだが……。
とにかく髪を切ることでイザベルは死んだこととなり、バッドエンドを迎えたとこの世界は理解したはずだ。もう、おかしくなることもない。
(周りの人に、たくさん心配させてしまったけれど)
「イザベル。いいか?」
「どうぞ」
イザベルは今、侯爵家の屋敷、自分の部屋で休んでいた。
別に身体はどこも悪くないのだが、兄の心が乱れに乱れまくって情緒不安定になった結果だ。
つまり、軽く監禁状態に陥っている。
(うーん……でも全然辛くない)
学院に行く前は引きこもりのような生活を送っていたので、それに戻っただけだ。
「イザベル……お前の好きな菓子を持ってきた」
「ほんと? わーい。お兄様ありがとう!」
食事やお茶の時間に出されるお菓子もイザベルの好みばかりだ。
にこにこしながらトレイを受け取り、フェリクスも一緒に食べようと誘う。
「ああ……」
(もう。またお兄様ったらそんな顔して)
「お兄様。わたしの短くなった髪を見る度に、辛気臭い顔をするのはやめてください」
兄は黙って、イザベルの手に自分の掌を重ねた。そして辛そうな顔で告白する。
「イザベル……私は本当にあの時、生きた心地がしなかった。お前は確かに無事だったが、大事に手入れしてきた髪を切られてしまったし、一歩間違えば身体を斬られていたかもしれない。お前が命を落としていたかもしれないと思うと、俺は――」
そこで兄は言葉を切り、自身が口にした恐ろしい可能性に耐え切れなくなったようにイザベルを抱き寄せた。
「お前をもう一生この屋敷から出したくない。死ぬまでずっと私のそばにおいておきたい」
兄の大きな身体は震えており、イザベルは可哀想に思った。
フェリクスはイザベルを監禁してからというものの、夜も一緒に眠るようになった。
身体を繋げることもあったが、それよりもただイザベルが生きていることを自分の目で見て生きている温もりを実感したいように見えた。
時々涙ぐんで、小さな声で「お前が無事で本当によかった」と噛みしめるように呟く表情は、まるで親が子を失いかけたような姿を思わせた。
イザベルはそんな兄の傷ついた心と深い愛情に触れる度、悪いことをしたと思い、どうにかせねばと考えていた。
「心配かけてしまって、本当にごめんなさい」
あの時はあれが最善だと思ったし、それ以外に方法が思いつかなかった。結果的に上手くいったからよかったものの、兄ごと串刺しになっていた可能性もある。
「でも、わたしは生きているわ。これからはもう少し、自分の言動に気を付けるから。髪は切られてしまったけれど、またすぐに戻るわ。それに意外と軽くて、この髪型も悪くないかもって思っているの」
イザベルはぎゅうっと兄の背中を抱きしめ返し、言い聞かせるようにゆっくりと優しい声で言った。
「だから、ね? お兄様もそんなに自分を責めないで。心を追いつめないであげて」
抱擁を緩めて、兄がじっとイザベルの顔を見てくる。
「それともお兄様は、この髪型、変だと思う? ショートはわたしに似合っていない?」
「そんなことない。可愛らしいし、お前によく似合っている」
イザベルはにっこり笑った。
「よかった! なら、もうわたしを見て悲しい顔をする必要はないわね」
「イザベル。だが」
「ね、お兄様。わたし、この素敵な髪型でお兄様と一緒に出かけて、他の方々にも見せたいわ。ふふ。きっと注目を浴びて、お兄様との仲も見せつけることができるはずよ」
動揺したように兄の瞳が揺れて、何とか妹を説得させようと眉間に皺が寄った。
イザベルはその前に素早く逃げ道を塞ぐ。
「お兄様。わたし、また学院にも行きたいわ。せっかくお友達もできて、授業も楽しいと思えたのですもの。卒業まで通いたい。お兄様が講師として壇上に立つ姿も、しっかり目に焼き付けておきたいわ。ね、お兄様、お願い」
フェリクスは目をかっと見開いて、何か反論しようとして――諦めたように、息を吐いた。
「本当に、私はお前に甘い」
いいよ、という言葉にイザベルは兄を抱きしめた。
「ありがとう! お兄様! 大好き!」
「……そう言えば何でも許されると思うなよ」
「もちろん。わかっているわ。お兄様は怒る時は怒るもの」
だからこれはフェリクス自身もそうした方がいいと思っている証だ。
監禁なんて本当はイザベルのために――幸せにならないことを、兄はよく理解しているのだ。それでもどうしても心配になってしまって、暴走してしまった。
そんな彼をイザベルは嫌いにならない。むしろ必死で自分の腕の中に閉じ込めようとする姿に胸がきゅんとして愛おしさが増した。
「お兄様、わたしを守ってくれてありがとう。大好きよ。これからも、ずっと」
イザベルが静かな声でそう言えば、フェリクスは身じろぎして、こちらを見つめた。
「ああ。私もだ。愛しているよ、イザベル」
微笑んだ兄にイザベルは自分から口づけして兄を押し倒した。彼は拒まず、イザベルを受け入れてくれた。
◇
イザベルは久しぶりに学院に登校した。突然短くなった髪型を見て友人たちはたいそう驚き、いったい何があったのだと心配する。
「実は……お兄様との結婚が近くなってくるにつれて、本当に相手がわたしでいいのか、お兄様にはもっと相応しい人がいるのではないかと考えてしまって……それで、髪を切って修道院に入ろうとしたのです」
「まぁ!」
「イザベル様、そんなに思いつめていたのですか」
あんなにラブラブな姿を見せつけておいては、彼女たちが驚くのも無理はない。
だがイザベルは憂いのある表情を浮かべて、微かに頷いた。
「ええ。……でも、修道院へ着く前にお兄様が馬に乗って追いかけてくださって、弱気になったわたしに改めて想いを伝えてくれたのです。それでわたし、やっぱりお兄様でなくては嫌だと思って……お兄様を愛することに決めたのです」
「まぁまぁ!」
周りは興奮と感動で頬を染めている。
もちろんこの話はイザベルが考えた嘘である。ただのイメチェンでは納得しがたいだろうと、兄の許可を得て、結婚前の娘が陥る不安な心をドラマチックに仕立て上げたのだ。
「それで、イザベル様はフェリクス様との愛を確かめ合って、しばらくの間休んでおられたのですね!」
「まぁ、そんな……ええ、でも、そうなのです」
恥じらうように頬を染めて俯くイザベルの姿に、彼女たちはきゃーと盛り上がった。
いや、きゃー、というより、ぎゃーと叫ばれて興奮された。
「素敵です! さすがイザベル様です!!」
「羨ましいですわ!」
「そ、そう?」
「はい! わたくしもイザベル様のような恋をしたいですわ」
「私も!」
「その髪型もとてもよく似合っています!」
「えっと、ありがとう」
彼女たちの熱狂的な反応にイザベルは少し困惑する。
だが、受け入れてもらえたのでよかった。
卒業まで改めてよろしくと伝えて、しばらく休んでいたので職員室に用があると断ってまた後で会うことを約束する。
向かう先は職員室ではなく、生徒会室だった。
入室する前にちょうどジルベールとアランが出てきたので、安堵した。自分でも少し緊張しているのかもしれない。
「イザベル様」
「その髪、どうしたんだ」
二人はイザベルの変化に愕然とした顔をする。イザベルは涼しい顔をしてさらりと答える。
「お兄様と愛の駆け引きをした上での、イメチェンよ」
まるで意味が分からないとばかりに目をぱちぱちさせる男二人に、中にレーモンがいるか尋ねる。
「ああ。いる。……なぁ、もしかしてその愛の駆け引きとやらに殿下も関係しているのか?」
アランの顔をしばし見つめ返し、イザベルはいいえと答えた。
「殿下は関係ないわ。どうしてそう思ったの?」
「あなたが学院を休んでから……いえ、休む前から様子がおかしかった。あなたは殿下の変化に気づいていましたか?」
「いいえ。まったく」
ジルベールが嘘をついていないか見極めるようにイザベルをじっと見つめてくる。逃げずにジルベールの視線を受け止めていると、やがて彼の方が先に折れた。
「わかりました。そういうことにしておきます。……ですが、殿下が気の毒です」
「ジルベール。そういうことは、俺たちが言ってはだめだ」
アランがジルベールを止めて、ジルベールは少し不満そうな顔をしたものの、その通りだと思ったのか口を噤んだ。
「わたし、中へ入ってもいいかしら?」
「ああ。今はレーモン一人だから、ゆっくり話してくれ。……俺たちは、外で待っている」
一応護衛役で、という意味だろうか。それとも単に友達として、かもしれない。
とにかく許可を得たので、イザベルは失礼しますとレーモンの返事を待たずに入室した。
「イザベル……」
「お久しぶりです、殿下。少しやつれました?」
わざと軽口を叩いて場を和ませようとしたが、レーモンは顔をくしゃりと歪ませた。
「すまなかった。僕のせいで、危ない目に遭わせてしまって」
「……何度も言いましたけれど、あれは殿下のせいではございません」
イザベルはシャルルを交えて、レーモンが陥った状況を説明した。ゲームの世界だということは混乱させるだけなので、魂が別の人格に乗っ取られかけていたと告げた。
だからレーモンのせいではない。本来の彼の意思はそこになかったのだから。
「事故みたいなものですよ」
「いや、しかし……きみの髪を……命も危うく奪いそうになった」
「直前になって、殿下は力を緩め、剣筋を変えてくれた。だからわたしは助かったのです。それで、いいんです。わたしはあなたに、これ以上罪悪感を持ってほしくありません」
「イザベル……」
レーモンの顔はまだ晴れなかった。イザベルは小さく嘆息して、自身の髪を指差した。
「この髪型、似合っていませんか?」
「いいや。似合っている」
「よかった。では、そういう顔をしてくださいね。約束です」
明るい声で命令するように言えば、ようやくレーモンもイザベルがこれ以上ぎくしゃくした雰囲気になることを望んでいないことに気づく。
「きみの心が寛大なことに深く感謝する」
「大げさです」
イザベルは本当にレーモンを恨んでいなかった。自分も意識を乗っ取られかけたので、そのことに対する恐怖はよく知っている。
「では、今日から学院に復帰しますので、よろしくお願いしますね」
失礼します、と去ろうとすれば、名前を呼ばれた。
「本当に、責任は取らなくていいんだな」
「はい。もう十分見舞いの品はいただきましたし、これ以上は申し訳ないです」
「そうか……それはそれで、残念だ」
イザベルがどう返答しようか一瞬迷った隙に、レーモンが微笑んで告げた。
「イザベル。僕は責任を取って、きみと結婚したかったんだ」
きみのことが好きだから。
「正直最初は、失礼な人間だと思った。親切に声をかけても、まるで嫌なことをされたような顔をして……他にも、僕を嫌っているような振る舞いに傷ついて、腹が立った。……でも、きみがそのことを謝ってくれて、真っ直ぐ接してくれるようになってから、きみに微笑みかけられてから、きみのことばかり考えるようになったんだ」
その台詞はゲームでマリオンに告げたものと重なる。
でも、一緒にしては失礼だろう。
「きみのことが好きだよ、イザベル」
「……ありがとうございます、殿下。でも、ごめんなさい」
イザベルが心苦しい気持ちで謝れば、レーモンは晴れやかに笑った。
「いいんだ。きみの答えはとっくにわかっている。それでも伝えたかったんだ。僕の自己満足に付き合わせてしまって悪いね」
「いいえ。そんな……」
イザベルは気にしていないと目を逸らしながら小さな声で答える。やはり告白されて振るというのは罪悪感が湧く。誠実な態度であればなおさら……。
「はは。なんだ。僕に湿っぽい雰囲気を出すなと苦言を呈しておきながら、きみがそんな顔をするのか」
「なっ、わたしはただっ」
「わかった、わかった。朝からきみと喧嘩するのはさすがの僕も遠慮したいから、もう行ってくれ。早くしないと授業に遅れてしまうぞ」
「っ、言われなくてもそうします!」
引き留めたのはそっちじゃないか。
心配して損したと怒りながらイザベルが出て行こうとするのをレーモンが少し寂しそうに笑って見送ったのだが、彼女は気づかなかった。
256
あなたにおすすめの小説
困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。
新 星緒
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢アニエス(悪質ストーカー)に転生したと気づいたけれど、心配ないよね。だってフラグ折りまくってハピエンが定番だもの。
趣味の悪い縦ロールはやめて性格改善して、ストーカーしなければ楽勝楽勝!
……って、あれ?
楽勝ではあるけれど、なんだか思っていたのとは違うような。
想定外の逆ハーレムを解消するため、イケメンモブの大公令息リュシアンと協力関係を結んでみた。だけどリュシアンは、「惚れた」と言ったり「からかっただけ」と言ったり、意地悪ばかり。嫌なヤツ!
でも実はリュシアンは訳ありらしく……
(第18回恋愛大賞で奨励賞をいただきました。応援してくださった皆様、ありがとうございました!)
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
(本編完結)無表情の美形王子に婚約解消され、自由の身になりました! なのに、なんで、近づいてくるんですか?
水無月あん
恋愛
本編は完結してます。8/6より、番外編はじめました。よろしくお願いいたします。
私は、公爵令嬢のアリス。ピンク頭の女性を腕にぶら下げたルイス殿下に、婚約解消を告げられました。美形だけれど、無表情の婚約者が苦手だったので、婚約解消はありがたい! はれて自由の身になれて、うれしい! なのに、なぜ、近づいてくるんですか? 私に興味なかったですよね? 無表情すぎる、美形王子の本心は? こじらせ、ヤンデレ、執着っぽいものをつめた、ゆるゆるっとした設定です。お気軽に楽しんでいただければ、嬉しいです。
世話焼き幼馴染と離れるのが辛いので自分から離れることにしました
小村辰馬
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢、エリス・カーマインに転生した。
幼馴染であるアーロンの傍にに居続けると、追放エンドを迎えてしまうのに、原作では俺様だった彼の世話焼きな一面を開花させてしまい、居心地の良い彼のそばを離れるのが辛くなってしまう。
ならば彼の代わりに男友達を作ろうと画策するがーー
英雄魔術師様とのシークレットベビーが天才で隠し通すのが大変です
氷雨そら
恋愛
――この魔石の意味がわからないほど子どもじゃない。
英雄魔術師カナンが遠征する直前、フィアーナと交わした一夜で授かった愛娘シェリア。フィアーナは、シェリアがカナンの娘であることを隠し、守るために王都を離れ遠い北の地で魔石を鑑定しながら暮らしていた。けれど、シェリアが三歳を迎えた日、彼女を取り囲む全ての属性の魔石が光る。彼女は父と同じ、全属性の魔力持ちだったのだ。これは、シークレットベビーを育てながら、健気に逞しく生きてきたヒロインが、天才魔術師様と天才愛娘に翻弄されながらも溺愛される幸せいっぱいハートフルストーリー。小説家になろうにも投稿しています。
婚約破棄に応じる代わりにワンナイトした結果、婚約者の様子がおかしくなった
アマイ
恋愛
セシルには大嫌いな婚約者がいる。そして婚約者フレデリックもまたセシルを嫌い、社交界で浮名を流しては婚約破棄を迫っていた。
そんな歪な関係を続けること十年、セシルはとある事情からワンナイトを条件に婚約破棄に応じることにした。
しかし、ことに及んでからフレデリックの様子が何だかおかしい。あの……話が違うんですけど!?
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる