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2.メイベルの事情
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昼下がりの光がカーテンの隙間から差し込み、白い寝具の上に淡い金の線を落としている。
メイベルはクライゼル公爵を見上げ、どうしてもこの人に理解してもらわなければならないと思っていた。
けれど私の身に起きたことの、どこまでを話したら良いのかわからないし、この人が善人で必ずしも助けてくれるとも限らない。
もしかしたら、打ち明けすぎてこのことが世間に広く知れ渡り、後から後悔することになるかもしれないのだ。
何しろ今の私には、お礼も口止め料もお渡しできない。
お父様に打ち明けないつもりでいる以上、伯爵家の資金的援助は受けられないから、この人の善意に頼るしか、今のところ希望がない。
私は深く息を吸い、震える声で語り始めた。
「このようなお話をクライゼル公爵様にするのは心苦しいのですが、私はネミアス・オルコット子爵令息と婚約しておりまして、いずれその方と結婚するつもりでした。
けれども彼は、私の妹のダリアともいつの間にか付き合っていたようでした…。」
淡々と話そうと思っても言葉が詰まる。
喉の奥に何かが引っかかったように、声が出ない。
「…私はそのことに全く気づかず過ごしていたのですが、数日前に二人が一緒になるために、私から別れを告げてほしいと言われました。
ネミアスは子爵家で、私の方が格上だから、自分からは婚約破棄できないからと…。」
クライゼル公爵様の眉がかすかに動く。
部屋の空気が、彼の怒りを映すように張りつめた。
「でも、私は結婚するつもりでいましたし、いくら愛し合ってると言われても、私の一生がかかっているので、すぐに返事ができませんでした。
婚約破棄となると、私はこの先結婚自体を諦めるしかなくなりますし、その後の人生を考えると、答えを出すまで時間がほしいと思いました。」
私の声が、次第に細くなる。
「でも二人にとって、それが許せなかったのでしょう。
ネミアスに食事に誘われて馬車に乗りしばらく走ると、何故かダリアも途中から馬車に乗って来ました。
その後は王都から外れ、どんどん遠くに連れて行かれているのがわかりましたけれど、引き返すことも許されませんでした。
そして、この森に差し掛かると、突然馬車を停めて、私を無理矢理下ろし、崖に突き落としました。」
部屋の空気が、凍りついたように静まり返る。
「…あまりの衝撃に意識を失い、目覚めたらこちらにお世話になっていたんです。」
そこまで話すと、最後に見た二人の醜く歪んだ顔を思い出し、私はたまらず俯いた。
「酷いな。
その者達を当局に突き出すよ。」
クライゼル公爵様の声は低く、怒りの響きを帯びていた。
「待ってください。」
私は顔を上げ、必死に首を振った。
「それはおやめください。
二人がやったと証明してくれそうな人が、一人もおりません。
言い掛かりだと、返り討ちに合うのが目に見えています。
御者や侍女は二人の手の中でしょうし、あちらは二人で、私は一人。
捕まえたとしても、嫌疑不十分で釈放されたら、きっと彼らは私を再び襲います。
元々は婚約者と妹だけど、今は私を亡き者にしようとした二人が怖くて仕方がない。
だから、戦うよりも逃げたいんです。
それにもし私の言い分が通っても、婚約破棄するしかありませんし、どちらにせよ私はこの先縁談は見込めず、最悪修道院に行くしかないかもしれません。
そしてこのことが明るみに出れば、ライト伯爵家全体が醜聞にまみれ、お父様や親族に迷惑をかけてしまいます。
だからこのまま行方不明になり、民としてひっそりと生きていこうと考えております。」
「だが、君は被害者だ。」
「でも、どうにもなりません。
お願いです。
このことを秘密にしていただけませんか?
決してクライゼル公爵様に迷惑をかけるようなことはいたしませんので。」
私は深く頭を下げた。
貴族としての矜持と、裏切られた悲しみと恐怖が入り混じっていた。
「いやしかし、お父君も君を案じているだろう。」
「はい、お父様は心配してくれていると思います。
けれど、お父様にとってはきっとこの方が良いのです。
クライゼル公爵様なら、家を守る重さをわかっていただけるはずですよね?」
「だが、本当にそれが正しい選択だろうか?」
彼は拳を握りしめ、長く息を吐いた。
「いずれお礼は必ずさせていただきますので、お願いします。
ご迷惑だとは承知しておりますが、せめて動けるようになるまで、もう少しだけこちらにお世話になっても良いでしょうか?」
「もちろん、体調が回復するまでいることは構わない。
けれど、どうしても民になるのか?
君は令嬢だぞ。」
彼の声は静かだったが、どこかに怒りと哀れみが滲んでいた。
「市井で一人で生きていくなんて、そんなに世の中は甘くない。」
「わかっております。
けれど家名を汚し、修道女になることもまた、私にはつらいのです。
だったらむしろ名誉を守り、民になった方がマシだと思うのです。」
「しかし…、そんな仕打ちを受けたまま身を引くなんて、君は悔しくないのか?」
「悔しいです。
本当は二人を許せないです。
でも、こうなってしまった以上、婚約破棄するしかありませんし、私には明るい未来なんてないんです。
だったら、悔いの残らぬよう一人で生きてみたい。
だからお願いします。」
私は誠心誠意クライゼル公爵様に深く頭を下げる。
何とか彼にわかってほしい。
個人的な恨みより、恐怖やお父様に迷惑をかけたくないこの思いを。
私がここで行方不明ののちにいなくなれば、妹のダリアは悲しみに浸るフリをする。
そして、そんな彼女を慰めている内に、二人は親しくなった。
きっとそんな風に、最初からシナリオは出来上がっているのだろう。
「わかりたくないけど、わかった。
君の思いを尊重するよ。」
彼は視線を落とし、唇をきつく結んだ。
「ありがとうございます。」
彼の理解を得られると、安堵のためか体力の限界を迎え、ベッドに再び沈む。
私は愛されない臆病者。
突き落とされた時の二人の嫌悪に満ちた顔を再び見たくない。
だから、悲しいけれど逃げる方を選ぶ。
だって、森の中での出来事だったから、私が二人に突き落とされたと言ったって、味方はいない。
自作自演だと二人に言われたら、もう戦う術がない。
せめて、それを目撃した第三者がいたら良かったのに。
でも、それを恐れたから、二人は森の奥を選んだ。
私付きの侍女ですら二人に協力しているようでは、テニエ伯爵家はもう安全ではなくなった。
お父様に訴えても、私とダリアの板挟みになり、どちらが嘘をついているか、判断するのは難しいだろう。
きっとすでに根回しして実行に移しただろうから、むしろ私の方が悪者になる可能性が高い。
二人が愛し合っていると聞いた時からもっと慎重に動くべきだった。
最後は突き落とされる運命だったと、今更知っても遅いけど。
メイベルはクライゼル公爵を見上げ、どうしてもこの人に理解してもらわなければならないと思っていた。
けれど私の身に起きたことの、どこまでを話したら良いのかわからないし、この人が善人で必ずしも助けてくれるとも限らない。
もしかしたら、打ち明けすぎてこのことが世間に広く知れ渡り、後から後悔することになるかもしれないのだ。
何しろ今の私には、お礼も口止め料もお渡しできない。
お父様に打ち明けないつもりでいる以上、伯爵家の資金的援助は受けられないから、この人の善意に頼るしか、今のところ希望がない。
私は深く息を吸い、震える声で語り始めた。
「このようなお話をクライゼル公爵様にするのは心苦しいのですが、私はネミアス・オルコット子爵令息と婚約しておりまして、いずれその方と結婚するつもりでした。
けれども彼は、私の妹のダリアともいつの間にか付き合っていたようでした…。」
淡々と話そうと思っても言葉が詰まる。
喉の奥に何かが引っかかったように、声が出ない。
「…私はそのことに全く気づかず過ごしていたのですが、数日前に二人が一緒になるために、私から別れを告げてほしいと言われました。
ネミアスは子爵家で、私の方が格上だから、自分からは婚約破棄できないからと…。」
クライゼル公爵様の眉がかすかに動く。
部屋の空気が、彼の怒りを映すように張りつめた。
「でも、私は結婚するつもりでいましたし、いくら愛し合ってると言われても、私の一生がかかっているので、すぐに返事ができませんでした。
婚約破棄となると、私はこの先結婚自体を諦めるしかなくなりますし、その後の人生を考えると、答えを出すまで時間がほしいと思いました。」
私の声が、次第に細くなる。
「でも二人にとって、それが許せなかったのでしょう。
ネミアスに食事に誘われて馬車に乗りしばらく走ると、何故かダリアも途中から馬車に乗って来ました。
その後は王都から外れ、どんどん遠くに連れて行かれているのがわかりましたけれど、引き返すことも許されませんでした。
そして、この森に差し掛かると、突然馬車を停めて、私を無理矢理下ろし、崖に突き落としました。」
部屋の空気が、凍りついたように静まり返る。
「…あまりの衝撃に意識を失い、目覚めたらこちらにお世話になっていたんです。」
そこまで話すと、最後に見た二人の醜く歪んだ顔を思い出し、私はたまらず俯いた。
「酷いな。
その者達を当局に突き出すよ。」
クライゼル公爵様の声は低く、怒りの響きを帯びていた。
「待ってください。」
私は顔を上げ、必死に首を振った。
「それはおやめください。
二人がやったと証明してくれそうな人が、一人もおりません。
言い掛かりだと、返り討ちに合うのが目に見えています。
御者や侍女は二人の手の中でしょうし、あちらは二人で、私は一人。
捕まえたとしても、嫌疑不十分で釈放されたら、きっと彼らは私を再び襲います。
元々は婚約者と妹だけど、今は私を亡き者にしようとした二人が怖くて仕方がない。
だから、戦うよりも逃げたいんです。
それにもし私の言い分が通っても、婚約破棄するしかありませんし、どちらにせよ私はこの先縁談は見込めず、最悪修道院に行くしかないかもしれません。
そしてこのことが明るみに出れば、ライト伯爵家全体が醜聞にまみれ、お父様や親族に迷惑をかけてしまいます。
だからこのまま行方不明になり、民としてひっそりと生きていこうと考えております。」
「だが、君は被害者だ。」
「でも、どうにもなりません。
お願いです。
このことを秘密にしていただけませんか?
決してクライゼル公爵様に迷惑をかけるようなことはいたしませんので。」
私は深く頭を下げた。
貴族としての矜持と、裏切られた悲しみと恐怖が入り混じっていた。
「いやしかし、お父君も君を案じているだろう。」
「はい、お父様は心配してくれていると思います。
けれど、お父様にとってはきっとこの方が良いのです。
クライゼル公爵様なら、家を守る重さをわかっていただけるはずですよね?」
「だが、本当にそれが正しい選択だろうか?」
彼は拳を握りしめ、長く息を吐いた。
「いずれお礼は必ずさせていただきますので、お願いします。
ご迷惑だとは承知しておりますが、せめて動けるようになるまで、もう少しだけこちらにお世話になっても良いでしょうか?」
「もちろん、体調が回復するまでいることは構わない。
けれど、どうしても民になるのか?
君は令嬢だぞ。」
彼の声は静かだったが、どこかに怒りと哀れみが滲んでいた。
「市井で一人で生きていくなんて、そんなに世の中は甘くない。」
「わかっております。
けれど家名を汚し、修道女になることもまた、私にはつらいのです。
だったらむしろ名誉を守り、民になった方がマシだと思うのです。」
「しかし…、そんな仕打ちを受けたまま身を引くなんて、君は悔しくないのか?」
「悔しいです。
本当は二人を許せないです。
でも、こうなってしまった以上、婚約破棄するしかありませんし、私には明るい未来なんてないんです。
だったら、悔いの残らぬよう一人で生きてみたい。
だからお願いします。」
私は誠心誠意クライゼル公爵様に深く頭を下げる。
何とか彼にわかってほしい。
個人的な恨みより、恐怖やお父様に迷惑をかけたくないこの思いを。
私がここで行方不明ののちにいなくなれば、妹のダリアは悲しみに浸るフリをする。
そして、そんな彼女を慰めている内に、二人は親しくなった。
きっとそんな風に、最初からシナリオは出来上がっているのだろう。
「わかりたくないけど、わかった。
君の思いを尊重するよ。」
彼は視線を落とし、唇をきつく結んだ。
「ありがとうございます。」
彼の理解を得られると、安堵のためか体力の限界を迎え、ベッドに再び沈む。
私は愛されない臆病者。
突き落とされた時の二人の嫌悪に満ちた顔を再び見たくない。
だから、悲しいけれど逃げる方を選ぶ。
だって、森の中での出来事だったから、私が二人に突き落とされたと言ったって、味方はいない。
自作自演だと二人に言われたら、もう戦う術がない。
せめて、それを目撃した第三者がいたら良かったのに。
でも、それを恐れたから、二人は森の奥を選んだ。
私付きの侍女ですら二人に協力しているようでは、テニエ伯爵家はもう安全ではなくなった。
お父様に訴えても、私とダリアの板挟みになり、どちらが嘘をついているか、判断するのは難しいだろう。
きっとすでに根回しして実行に移しただろうから、むしろ私の方が悪者になる可能性が高い。
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