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8.気になること
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タイラーは朝からベッドの中で、執務をしていた。
腕や指を少しずつ動かして、領地の者から届いた書状に許可するか否かを印を押すことで指示を出すのだ。
こちらに来てから、父上の負担を減らすべく少しずつ領地の執務を始め、今では別邸周辺の領地の分は、僕がするようになっていた。
ここから王都の邸までは遠く、父上の目が届かなくて困っていることを、周りの者達に相談され、少しずつ始めたのがきっかけだった。
以前はロドルフに書状を見せてもらい、口頭で伝え代筆してもらっていたが、今では非常にゆっくりとなら自分で行える。
そのため、執務をする時のロドルフの負担は減らせて来ている。
しかし、僕の体勢を整えたり、車椅子への移動など彼に頼っている状態なのは変わらずで、自分の無力さが嫌になる時も多々ある。
朝、執務を始めてから、そろそろ昼頃だと思われるのに、マリアもロドルフも姿が見当たらない。
いつもなら、マリアは僕が執務している時は、近くのソファに座り、刺繍をしたり、本を読んでいることが多いのに、今日はどうしたのだろう?
ロドルフも僕の執務の準備をした後から、姿を見せない。
僕がベッドの横へ手を伸ばし、呼び鈴を鳴らすと、チャリンチャリンという高い音が邸内に響く。
以前はどうしても呼び鈴が鳴らせず、一人の時はロドルフが来るのをひたすら待つしかなかったから、これができるだけでも僕にはどれほどありがたいか。
「お呼びですか?
タイラー様。」
部屋にやって来たのは、新しく僕の護衛になったサエモンだった。
執務を始めると、意に沿わないからと暴力に訴える者もいると、父が懸念して護衛をつけた。
だから、邸の庭園に行くだけなのに、僕には護衛がいる。
「マリアとロドルフの姿がみえないんだが、二人はどうしている?」
「マリア様は買い物に、ロドルフ様はクライトン侯爵に呼ばれて、本邸に行っています。」
「そうか。」
「何かご用では?」
「背中の枕を取ってくれないか?」
「かしこまりました。」
サエモンは僕が座るために背後に置いていた枕を外し、ベッドに横たわれるようにしてくれた。
「ありがとう。」
「後、他に何かありますか?」
「いや、もう大丈夫だ。」
僕はベッドに横たわり、座っていた疲れと、腰の痛みから解放されて、ぼんやりと庭園に目を向けた。
窓から見える青い空と手入れが行き届いた庭園をぼんやりと眺める。
庭園は色とりどりの花が咲き誇り、こんな晴れた天気の日には、マリアと車椅子で散歩がしたいなぁと思う。
普段は、マリアとロドルフがいつもそばにいて、僕の執務が終わったら待っていたと言わんばかりに、誰かしら話し出す。
最近では、そんな日々を送っていた。
けれども、今日は珍しく二人ともいなくて、部屋はしんと静まり返り、退屈だ。
こんな時は、以前なら何をして過ごしていたっけ?
マリアが来る前は、ロドルフがいない時はいつも一人きりで過ごしていたし、それが日常だった。
ほとんど体は動かせず、ただぼんやりと過ごす日々。
あの頃は、カーテンさえ閉め切り、心を閉ざしていたな。
ただただ長い空虚な時間。
人生を諦め、何の目標も希望もなく、ベッドに横たわっていた。
でも、今はマリアが僕の人生に少しずつ希望を持たせてくれて今がある。
そうだ、こんな時こそ、運動だよな。
体を少しでも動かして、マリアに相応しい自分に近づく。
それが、密やかな僕の目標。
まずは、指を握る運動から始め、足は膝を立てるように、集中して頭の中に指を動かすイメージを作り、指を曲げる。
合わせて膝も曲げていく。
他人から見たら、僕の遅すぎる動きに嫌気がさすだろう。
けれど、同時に手も足も動かすのは、意識を分散させないといけないので、見た目よりずっと難しい。
皮膚はまだ少し突っ張るし、思うように力は入らないのでとてもきついから、これが今の僕の精一杯だった。
でも、諦めない。
マリアが楽しそうに笑う顔を思い浮かべれば、僕はいくらでも頑張れる。
「タイラー様、ただいま。」
マリアが部屋に入って来て、僕を見つめて微笑む。
「おかえり。
買い物に出ていたんだってね。」
「ええ、そうなの。」
部屋には夕陽が差し込み、かなりの時間が経過していたようだ。
「楽しかったかい?」
「ええ。」
「どんな物を買って来たの?」
「特に何も買わなかったわ。
色々と見てまわっただけよ。」
「そうなの?
渡しているお金だけでは足りないかい?
いくらでも必要なだけ渡すから好きな物を買うといい。」
「ううん、もらっている分だけで充分よ。
たいしてほしいものもないし。」
「なのに、こんなに遅い時間まで?
女性は店を見てまわるだけでも楽しいの?
僕にはよくわからないけれど。」
「まあ、そんなところね。」
この邸からほとんど出ることがない僕には、わからないことが多い。
本当は一緒に出かけたいと思う気持ちがあるけれど、僕のような者がついて行ったら、周りの目を引いて、マリアの負担になるのは目に見えている。
いつか一緒に行きたい。
それさえも必ず動けるようになると確信できない僕には、まだ言う資格などないのだ。
僕は心の奥に根付く、寂しい思いを悟られないように笑顔を見せた。
「タイラー様、寝る前に口をゆすぎましょう。」
部屋にロドルフが入って来た。
「あれ?
帰ってたの?」
「はい、先ほど戻りました。」
「父上に用事?」
「はい、書状を持って参りました。」
「それ、別にロドルフじゃなくても、良くないか?」
「まぁ、そうですが、別件で個人的に用がありまして。」
「そうか、ならいいんだけど。」
ロドルフは僕を起こし、背中に枕を入れて、ベッドに座らせてくれようと近づいた。
あれ?
ロドルフから今まで嗅いだことのない不思議な匂いがする。
何の匂いなんだろう?
どこか、変わった所を通ったのか?
今までロドルフからこんな匂いを感じたことはない。
だけど、匂いのことを言ったら、さすがにロドルフも傷つくか。
僕はほとんどこの邸にいるせいで、色々な匂いに慣れていない。
本邸からこの別邸に移る時に、久しぶりに外の匂いを嗅いだぐらい僕には経験が乏しい。
少年の頃、普通に動けていた時の記憶は、もうほとんどなくて、色々な匂いもきっともう忘れている。
久しぶりに庭園に出た時、外の清々しい空気の匂いやマリアと一緒に嗅いだ薔薇の一つ一つ違う香りに驚いたくらい外の世界とは疎遠だった。
部屋の中に花束が飾られていても、わざわざロドルフに持って来てもらってまで、嗅いだこともなかったから。
だから、おそらく人よりも匂いに敏感なんだと思う。
口が裂けても言えないが、マリアの傷薬の匂いには、かなり鼻をやられて、しばらく鼻は使いものにならなかった。
でも、そのことは誰にも話していない。
僕は、その時まだ、初めて感じる謎の匂いをたいして気にしていなかった。
腕や指を少しずつ動かして、領地の者から届いた書状に許可するか否かを印を押すことで指示を出すのだ。
こちらに来てから、父上の負担を減らすべく少しずつ領地の執務を始め、今では別邸周辺の領地の分は、僕がするようになっていた。
ここから王都の邸までは遠く、父上の目が届かなくて困っていることを、周りの者達に相談され、少しずつ始めたのがきっかけだった。
以前はロドルフに書状を見せてもらい、口頭で伝え代筆してもらっていたが、今では非常にゆっくりとなら自分で行える。
そのため、執務をする時のロドルフの負担は減らせて来ている。
しかし、僕の体勢を整えたり、車椅子への移動など彼に頼っている状態なのは変わらずで、自分の無力さが嫌になる時も多々ある。
朝、執務を始めてから、そろそろ昼頃だと思われるのに、マリアもロドルフも姿が見当たらない。
いつもなら、マリアは僕が執務している時は、近くのソファに座り、刺繍をしたり、本を読んでいることが多いのに、今日はどうしたのだろう?
ロドルフも僕の執務の準備をした後から、姿を見せない。
僕がベッドの横へ手を伸ばし、呼び鈴を鳴らすと、チャリンチャリンという高い音が邸内に響く。
以前はどうしても呼び鈴が鳴らせず、一人の時はロドルフが来るのをひたすら待つしかなかったから、これができるだけでも僕にはどれほどありがたいか。
「お呼びですか?
タイラー様。」
部屋にやって来たのは、新しく僕の護衛になったサエモンだった。
執務を始めると、意に沿わないからと暴力に訴える者もいると、父が懸念して護衛をつけた。
だから、邸の庭園に行くだけなのに、僕には護衛がいる。
「マリアとロドルフの姿がみえないんだが、二人はどうしている?」
「マリア様は買い物に、ロドルフ様はクライトン侯爵に呼ばれて、本邸に行っています。」
「そうか。」
「何かご用では?」
「背中の枕を取ってくれないか?」
「かしこまりました。」
サエモンは僕が座るために背後に置いていた枕を外し、ベッドに横たわれるようにしてくれた。
「ありがとう。」
「後、他に何かありますか?」
「いや、もう大丈夫だ。」
僕はベッドに横たわり、座っていた疲れと、腰の痛みから解放されて、ぼんやりと庭園に目を向けた。
窓から見える青い空と手入れが行き届いた庭園をぼんやりと眺める。
庭園は色とりどりの花が咲き誇り、こんな晴れた天気の日には、マリアと車椅子で散歩がしたいなぁと思う。
普段は、マリアとロドルフがいつもそばにいて、僕の執務が終わったら待っていたと言わんばかりに、誰かしら話し出す。
最近では、そんな日々を送っていた。
けれども、今日は珍しく二人ともいなくて、部屋はしんと静まり返り、退屈だ。
こんな時は、以前なら何をして過ごしていたっけ?
マリアが来る前は、ロドルフがいない時はいつも一人きりで過ごしていたし、それが日常だった。
ほとんど体は動かせず、ただぼんやりと過ごす日々。
あの頃は、カーテンさえ閉め切り、心を閉ざしていたな。
ただただ長い空虚な時間。
人生を諦め、何の目標も希望もなく、ベッドに横たわっていた。
でも、今はマリアが僕の人生に少しずつ希望を持たせてくれて今がある。
そうだ、こんな時こそ、運動だよな。
体を少しでも動かして、マリアに相応しい自分に近づく。
それが、密やかな僕の目標。
まずは、指を握る運動から始め、足は膝を立てるように、集中して頭の中に指を動かすイメージを作り、指を曲げる。
合わせて膝も曲げていく。
他人から見たら、僕の遅すぎる動きに嫌気がさすだろう。
けれど、同時に手も足も動かすのは、意識を分散させないといけないので、見た目よりずっと難しい。
皮膚はまだ少し突っ張るし、思うように力は入らないのでとてもきついから、これが今の僕の精一杯だった。
でも、諦めない。
マリアが楽しそうに笑う顔を思い浮かべれば、僕はいくらでも頑張れる。
「タイラー様、ただいま。」
マリアが部屋に入って来て、僕を見つめて微笑む。
「おかえり。
買い物に出ていたんだってね。」
「ええ、そうなの。」
部屋には夕陽が差し込み、かなりの時間が経過していたようだ。
「楽しかったかい?」
「ええ。」
「どんな物を買って来たの?」
「特に何も買わなかったわ。
色々と見てまわっただけよ。」
「そうなの?
渡しているお金だけでは足りないかい?
いくらでも必要なだけ渡すから好きな物を買うといい。」
「ううん、もらっている分だけで充分よ。
たいしてほしいものもないし。」
「なのに、こんなに遅い時間まで?
女性は店を見てまわるだけでも楽しいの?
僕にはよくわからないけれど。」
「まあ、そんなところね。」
この邸からほとんど出ることがない僕には、わからないことが多い。
本当は一緒に出かけたいと思う気持ちがあるけれど、僕のような者がついて行ったら、周りの目を引いて、マリアの負担になるのは目に見えている。
いつか一緒に行きたい。
それさえも必ず動けるようになると確信できない僕には、まだ言う資格などないのだ。
僕は心の奥に根付く、寂しい思いを悟られないように笑顔を見せた。
「タイラー様、寝る前に口をゆすぎましょう。」
部屋にロドルフが入って来た。
「あれ?
帰ってたの?」
「はい、先ほど戻りました。」
「父上に用事?」
「はい、書状を持って参りました。」
「それ、別にロドルフじゃなくても、良くないか?」
「まぁ、そうですが、別件で個人的に用がありまして。」
「そうか、ならいいんだけど。」
ロドルフは僕を起こし、背中に枕を入れて、ベッドに座らせてくれようと近づいた。
あれ?
ロドルフから今まで嗅いだことのない不思議な匂いがする。
何の匂いなんだろう?
どこか、変わった所を通ったのか?
今までロドルフからこんな匂いを感じたことはない。
だけど、匂いのことを言ったら、さすがにロドルフも傷つくか。
僕はほとんどこの邸にいるせいで、色々な匂いに慣れていない。
本邸からこの別邸に移る時に、久しぶりに外の匂いを嗅いだぐらい僕には経験が乏しい。
少年の頃、普通に動けていた時の記憶は、もうほとんどなくて、色々な匂いもきっともう忘れている。
久しぶりに庭園に出た時、外の清々しい空気の匂いやマリアと一緒に嗅いだ薔薇の一つ一つ違う香りに驚いたくらい外の世界とは疎遠だった。
部屋の中に花束が飾られていても、わざわざロドルフに持って来てもらってまで、嗅いだこともなかったから。
だから、おそらく人よりも匂いに敏感なんだと思う。
口が裂けても言えないが、マリアの傷薬の匂いには、かなり鼻をやられて、しばらく鼻は使いものにならなかった。
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僕は、その時まだ、初めて感じる謎の匂いをたいして気にしていなかった。
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