3 / 215
第1章
3 国王とトラス侯爵
しおりを挟む『レティシア・トラス侯爵令嬢との婚約を破棄したい』
二日前、これといった前置きもなく…フィリックスは国王に“婚約破棄”を願い出た。
国王が理由を問えば、レティシアとは関係が上手くいっておらず、他に好きな令嬢がいるという。
政略結婚なのだから、多少の不和が生じるのは極々当たり前。一時の恋愛感情に振り回され誤った判断をするとは、王子としての資質も含め…先行きが思いやられる。
ここで少々戒めておく必要がありそうだと、国王はフィリックスを一瞥した。
「父上、レティシアは妃教育を受けているのですから、後で私の側妃にして働かせればいいのです。無愛想な女ですが、少しくらいは役に立つでしょう」
それが名案だとでも言いたいのか…堂々と胸を張るフィリックスの話の内容に、国王は眉をしかめる。
王妃の他に側妃を娶ることができるのは、この王国では国王のみ。そもそも、働かせる目的で迎え入れるものでは決してない。
ルブラン王国国王と王妃の間には、二人の王子…王太子の第一王子ライアン、第三王子クリフォードがいる。
側妃の生んだ第二王子が国王になる日など…そうそうやっては来ないだろう。レティシアを側妃にする計画は、端から破綻していた。
フィリックスは、王子ならば誰でも側妃を娶ることができると誤解しており、王族として必要な知識と教養が皆無だと分かる。
低能さを自ら暴露した後も…単に気に入らないという理由だけで、レティシアを非難する発言を繰り返す。
大貴族トラス侯爵家との繋がりが王国にとってどれ程大事か、政略結婚とは何かを理解しようとせずに、顔を歪めながら話すその醜態は『王族の器』ではないと感じさせるに十分であった。
「もういい、分かった」
フィリックスは、不快感が最高潮に達した国王に追い払われるまで喋り続け…満足気に部屋を出て行く。
恋に溺れ狂ってしまった若い王子に、国王は大きく失望する。
─ フィリックスは…駄目だな ─
「誰か、トラス侯爵家へすぐに使いを出せ」
──────────
約束の時間より少し早く『トラス侯爵が到着した』との知らせを受けた国王は、執務室の隣に設けた対面室へと急いだ。
「トラス侯爵、急に呼び立ててすまないな」
「国王陛下にご挨拶申し上げます。私も…お伝えしたいお話がございました」
トラス侯爵は、青白い顔をして恭しく国王に礼をする。
前に会ったのはいつだったか?
毎月顔を合わせているはずの国王ですらそう思うくらいに、その容姿は酷くやつれて…短期間で変わり果ててしまっていた。
「侯爵、どうした?…何かあったのか…?!」
「陛下、レティシアについてご報告がございます」
トラス侯爵はゆっくり息を吐き出した後、覚悟を決めて…娘のレティシアに起こった出来事を話し出す。
♢
二週間前。
トラス侯爵家の庭で、頭から大量に血を流しているレティシアが発見された。部屋のバルコニーから落ち、頭部を地面に強く打ちつけて倒れていたのだ。
駆けつけた医師がすぐに治療を施し、レティシアは一命を取り留める。
ベッドへと運ばれたレティシアの身体には、不思議なことに…頭部以外目立った外傷は見当たらなかった。
名を呼べばわずかに反応が返ってくるものの、意識が戻らない。脈も正常、呼吸にも特別乱れは感じられず、深く眠っている状態は一日…二日と続き、一向に目覚めないレティシアを前に医師も焦りを感じ始める。
トラス侯爵は、いよいよ王宮へ正式に転落事故の報告を上げる必要が出てきたかと考えていた。
ところが…事故から三日目の朝、レティシアは突然目を覚ます。
♢
「目覚めたレティシアは、私の娘のレティシアではありませんでした」
「それは…大変な事故であったな。しかし…侯爵、娘でないとは…何を言っている?落ち着いて深呼吸をしてみろ、大丈夫か?」
半月前に侯爵家で起こった事態を大体把握した国王は、転落事故を目の当たりにしたトラス侯爵の頭が混乱して、どうにかなってしまっているのでは?と一瞬疑った。
「見た目は間違いなくレティシアなのですが、中身が…別の人物に成り代わってしまっていたのです」
「中身…成り代わる?全くわけが分からんぞ。転落して頭を打ったのならば、記憶喪失という可能性もあるだろう?すぐに王宮医師の診察を受けさせてはどうだ?」
トラス侯爵は力ない表情で、首を左右に振る。
「信じていただけなくて当然だと思います、私も最初は記憶喪失だとばかり…。しかし、今のレティシアは別人であると認めざるを得ない状況です。私たち家族は、事故以前のレティシアを喪ったという事実を…受け入れるしかありませんでした」
「…まさか本当に別人であると言うのか?…そんなことが…」
国王の目をしっかりと見て…トラス侯爵は深く頷いた。
♢
「陛下、本日は…フィリックス殿下とレティシアとの婚約について、何かご相談があると…」
「…うむ…今のレティシア嬢の話を聞けば、より話し合う必要があると思えてくるな。実は、フィリックスが婚約を破棄したいと勝手なことを言い出し、一人で騒ぎ立てている」
「婚約破棄を…そうですか」
「こちらから婚約を申し込んでおいて、今になってこのような…フィリックスにも困ったものだ」
「…いえ、私からも丁度陛下へ破談を願い出るつもりでおりました。合意の上で、婚約を解消するというのは…如何でしょうか?」
「…解消か、なるほど…」
解消ならば、破棄よりも穏便に済ませることができる。
レティシアに“傷をつけたくない”という…トラス侯爵の考えだろうと国王は思った。
「はい。今のレティシアは、妃教育どころか…17年間“レティシア”として生きてきた全ての記憶を失っているのです。正直に申し上げますが、これ以上婚約関係は続けられないと思います」
「そうか…今日王宮に来たのは、侯爵の言う…その別人になるのだな」
「仰る通りです。レティシアとして生まれ変わる前、前世の人物です」
「…前世だと?!…もう少し詳しく話せ…」
「陛下、それならばレティシアに直接お会いいただいたほうが…早いかと思います」
「…ふむ…確かに…」
気が急いていた国王は、人を使ってレティシアを呼びつける時間すら惜しい。
そこで…トラス侯爵と近くにいた護衛官たちを引き連れ、レティシアの待つ応接室へと自ら向かうことにしたのだった。
79
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由
冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。
国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。
そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。
え? どうして?
獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。
ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。
※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。
時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。
甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。
だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。
それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。
後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース…
身体から始まる恋愛模様◎
※タイトル一部変更しました。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる