前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy

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第3章

43 旅の宿屋

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「ゴードンさん、これは?」


その日の夜、レティシアの部屋にゴードンがやって来た。
部屋の扉を開けた瞬間に『どうぞ』と、紙袋を手渡され…つい受け取ってしまう。


「殿下は、湯浴みを済まされまして…」

「…はい…」

「後は、お休みになられるだけなのです」

「…はい…」

「こちらは、湿布薬です」

「…はい?」


(湿布薬?紙袋の中身は分かったけれど、何を求められているのかが全然分からない)


「殿下は、背中を痛めていらっしゃるご様子」

「背中?…えっ…もしかして、お怪我をっ?!」

「…いや、お怪我という程では…」

「どうしよう!…私、すぐに行ってきます!!湿布をありがとうございます!!!」


アシュリーの部屋は宿屋の最上階。
紙袋を胸に抱えたレティシアは、階段を駆け上がって行く。


「……なかなか素早い。殿下は、そんなヤワなお身体ではありませんが、旅の疲れに湿布が効くかもしれませんね…」


ゴードンは、レティシアの背中へと手を振った。




──────────




…コンコン、コンコン…



少し忙しないノック音の後に、控え目なレティシアの声が聞こえる。


「殿下、レティシアです」

「レティシア?こんな時間に…また何かあったのか?」

「…湿布薬をお持ちしました…」

「ん?湿布?…とにかく中に入れ」


この宿屋で最上級の部屋は、壁のない広々とした一間ひとま。ベッドや暖炉、家具も丈夫な造りでとても立派だった。


(…すごく大きい部屋…)


しかし、今のレティシアはそこに気を取られている場合ではない…アシュリーに勢いよく詰め寄る。


「殿下、背中を見せてくださいっ!」

「…ど…どうした?」

「お怪我をされたんですよね?!…馬車で私を助けた時に!」

「…ゴードンめ…余計なことを…」


アシュリーは小さく舌打ちしながら呟いて、グイグイ迫って来るレティシアの肩を優しく掴んで引き離した。


「レティシア、私は怪我などしていない」

「…でも、ゴードンさんが…」

「心配するな、魔力持ちはたとえ怪我をしても治りが早いんだ。私は背中を少しぶつけただけだから、もう痛みすらないよ?すっかり忘れていた」

「…………」

「その顔…信じてないな。では、背中を見てみる?」


レティシアは躊躇せずに頷く。



    ♢



ベッドに上ってレティシアに背中を向けたアシュリーは、スルリとガウンを腰まで落とす。

広い肩幅と固く締まった太い腕の筋肉、鍛え上げられた逞しくて美しい背中が露わになり…レティシアは思わず息を呑む。


「どうだ…傷はあるか?」


背中全体が見えるように、アシュリーは長い髪を一纏めにして身体の前へと流した。


「…えっ…と…あ、ここが少し赤くなっています…」

「…っ…傷がなければ平気だ…」


レティシアが、左側の肩甲骨の下辺りに指先で円を描きながら触れると、アシュリーは一瞬身を硬くする。
右手を伸ばしてレティシアを庇ったために、左の背中側が座席に強く当たったのだろう。


「ゴードンさんが用意してくれたので、痛みがなくても湿布しておきましょう」

「…あぁ…」




─────────
 



湿布薬を貼り終え、ガウンを着たアシュリーが振り向くと…案の定、レティシアは暗い表情をしてベッド脇に立っていた。


「そんな顔をするな」

「殿下にお仕えしているのに、お身体の心配もせずに…申し訳ありません。今日一日、ご迷惑ばかりおかけしました」

「いいか、レティシアが馬車で頭をぶつけてどこかへ飛んで消えてしまうくらいなら、私は迷うことなく自分の背中が少し赤くなるほうを選ぶ。馬車では私の配慮が足りなかった…すまない」

「いいえ、私の不注意です」

「君は、まだこの世界に慣れていない。今日のような失敗はあって当然だと思っている、焦らずゆっくり前へ進めばいい。ただし、私の側でだ…他所へは行かせない」

「…はい。明日からも殿下のお側で頑張ります…」

「何かあれば私が手を貸す、今後はもっと私を頼って欲しい」

「…殿下は…優し過ぎます…」

「私がレティシアに優しくしたいんだ、諦めてくれ」


(どうしてこんなに親身になって…私に寄り添ってくれるの?)


きっと、従者たちはアシュリーの温情ある人柄に惹かれて忠誠を誓ったに違いない。レティシアも、秘書官として役に立てるよう努力しなければと…心から思った。


「私を甘やかしては、ダメ人間になってしまいますよ」

「ハハッ!ならないと思うが…まぁ…それでもいい、君は私の“お気に入り”なんだから」

「…っ…!!」


(殿下ったら、私とルークの会話を全部聞いていたのね)



    ♢



「レティシアは、私を心配してここへ来てくれたんだろう?それなら、頼みたいことがある」

「え?」


アシュリーの明るい黄金色の瞳が、キラキラと輝きを増して何かを期待した眼差しに変わる。


「…頼みというのは…?」

「この間の…アレだよ」

「アレ?」


首を捻ったレティシアは、アシュリーが黙って頭を指差す仕草にピン!ときた。


「あっ、分かりました!…殿下、失礼いたします」

「…うん…」


艷やかな漆黒の髪を、レティシアがゆるゆると撫で始める。
アシュリーは静かに両目を閉じ、ビリッと痺れる刺激的な感覚を身体全体でじっくりと味わう。



…ナデナデ。ナデナデ。ナデナデ。ナデナデ…。



「…わっ!」


ベッドに座っていたアシュリーの身体が揺らいで、立っているレティシアの胸の下辺りに寄りかかって来た。レティシアは、咄嗟に両手で頭と背中を支える。


(殿下の香りが強くなった。癒されて…気持ちがいいのかな?)


「殿下、大丈夫ですか?ご気分は?」

「…うん…最高だ…ありがとう…」

「よかったです」




その夜、やはりアシュリーは“悪夢”を見なかった。







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