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第5章
72 ユティス公爵邸2
しおりを挟む「…そうか、聖女様と全く同じ世界から…」
「はい、殿下のお陰で出会うことができました。異世界人の私にとって、大変に心強い存在です」
「王宮で催される感謝祭で、聖女様はレティシアを妹としてお披露目なさるそうです」
「おぉ…では“祝福”をお与えになるのだな」
祝福は、聖女サオリから特別な名をいただく名誉ある儀式。本来は公の場で行われるものではないが、レティシアはパーティー会場で名を授かるだろうとの話だった。
(…それは…非常に目立つなぁ…)
眉間にシワを寄せるレティシアを見て、ユティス公爵は苦笑する。
「レティシア、これから共に暮らすのだ…私たちに何か質問はあるかい?」
「…あ、公爵閣下の髪が短いのはなぜだろうと、少し気になっておりました」
「………髪?」
「公爵夫人には、こちらに嫁いで来られたきっかけというか…公爵閣下との馴れ初めをお聞きしてみたいです!」
「ま、まぁ…どうして馴れ初めを?」
初対面の貴族であれば、互いの家門や交友関係、家業について先ずは情報を交わすべき質問の場。レティシアは、そこに何の興味も持っていないことが丸分かり。
公爵夫妻はキョトンとしていたし、アシュリーは口元を手で覆い隠すと肩を揺らし始め…確実に笑っている。
(あれ、ユティス公爵家の歴史?を聞くべきだった?!)
ここへ来る途中までの会話で、他国から嫁いで来たクロエ夫人には“魔力がない”と…レティシアは聞いていた。
政略結婚が横行する世界で、魔法が存在する国へ魔力なしの女性が嫁ぐ、そこには何かドラマがある気がして純粋に気になる。…とは、伝えられない。
「え…と、公爵夫人は剣術のような武道を嗜んでおられますよね。公爵閣下とはどこか対照的な印象を持ちまして、そんなお二人がどのように出会われたのかな?と思ったのです」
白い手袋をしていたクロエ夫人は、食事の席でそっと手袋を外していた。
レティシアは、前世の記憶で見覚えのある剣道の竹刀ダコと似たようなものをクロエ夫人の掌に発見、姿勢や所作からも凛とした佇まいを感じ取る。
「…私が剣を握ると分かったの?」
「そうではないかと…手にタコが」
「私も、ペンダコならあるんだけどねぇ」
ユティス公爵は、長年の書類仕事でできた右手中指のペンダコを擦りながら冗談を言う。
「レイとの体格差を見れば一目瞭然だろうが、武術全般が苦手でね。中でも、剣術がからっきし駄目なんだ。レティシアは剣術の経験が?」
「いえ…長物を振り回した感覚が少し残っているという程度で、単なる記憶でしかありません」
「……初耳だが?」
「初めて申し上げましたので」
アシュリーがムスッとした顔をして低く小さな声を漏らせば、レティシアはそれに対してしれっと答える。
──────────
「私は、武人一族の出なのよ。母国では、王族の護衛騎士をしていたわ」
「わぁ…格好いいですね!女性騎士、素敵です」
「…そ、そんな風に言われたのは…初めてよ」
「え?」
女性らしさを重んじる貴族たちからは『勇まし過ぎる』と、嫌味の言葉を受けてきたクロエ夫人の話を聞いて…レティシアは憤りを感じた。
「公爵夫人は、立ち姿も座っている姿勢も大変に美しいと私は思います。鍛えている方は、やはり体幹が強いですね」
「体幹を鍛えれば大剣を扱っても剣筋がブレないし、動きが無駄なくスムーズになるの……あら、いけない!若くて綺麗なお嬢さんから褒められて、私浮かれてしまったみたい…うふふ」
「クロエの楽しそうな姿を見れて、私はうれしいね」
「…あなたったら…」
(…お二人はラブラブだ…)
数多の武功を挙げ、代々“大将軍”などの名誉ある称号を得てきた一族の出身だというクロエ夫人は、ユティス公爵が訪れたとある国で…王女の護衛役を務めていた。
魔法が得意なユティス公爵は、剣術が苦手。
偶々、訓練中のクロエ夫人を見かけ、流れるように剣を扱う美しい姿に一目惚れ。猛アタックしたらしい。
「私は剣術が大好きだったけれど、どんなに上達をしても、15で騎士になった時も…両親や優秀な兄たちには見向きもされなかったわ」
18歳で王女の護衛役を任されたクロエ夫人は、任務にやりがいを感じていた20歳を過ぎたころから『剣を捨てて結婚をしろ!』と、家族から言われるようになった。
22歳になったある日、王女の結婚が決まったタイミングで…とうとう騎士を辞めることになってしまう。
「17歳で他国へ嫁いだ王女様はお優しいお方で、私を嫁ぎ先へ連れて行きたいと申し出てくださいました」
「行かなかったのですか?」
「騎士は王族の命に従う忠実な守りの剣。けれど…女性騎士は、結婚すると一度任務を解いて再契約し直す必要があるの。そこに目をつけた両親が、勝手に縁談話をまとめて結納金まで受け取っていた…結局は許されなかったわ」
「…何て横暴な…」
「何度も縁談を駄目にし続けて、言う通りにしなかった罰だったのかしら…行き遅れの私が後妻に入る先を決めてきたのよ」
「…後妻…お話を聞いただけで、腹が立ちます」
(22歳が行き遅れなら、28歳未婚の私は化石か?!)
可愛らしかったレティシアが威嚇する猛犬のようなしかめっ面をするのを見て、ユティス公爵がつい口を出す。
「酷いだろう?…クロエが後一ヶ月で騎士を辞めるという時に私が登場して、何も知らずに一目見てすぐに求婚したんだ。姫を救う王子だよ…ね、クロエ」
「私の剣術をあれほど大袈裟に褒めてくれた人は、あなただけでしたわね」
「剣を振るう貴女は、本当に綺麗だ」
愛しい妻の手に口付ける優しい夫…公爵夫妻の仲睦まじい姿に、レティシアは心があたたかくなる。
アシュリーはここまで詳しく話を聞いたことがなかったのか、叔父と叔母の恋愛話に気恥ずかしそうな顔をしていた。
アルティア王国の王族との婚姻、国同士の力関係もあり、反対する余地のなかったクロエ夫人の一族は表向きは喜ぶしかなく、後妻の話はどこかへ吹き飛んだ。
『お陰で円満に母国を出れたのよ』と…クロエ夫人は静かに話す。
武人と聞くと、男性優位でお堅いイメージがある。男女比に大きく偏りがある職業が“騎士”かもしれない。
ならば、地位が高く名誉ある称号を持つ者こそが…率先して偏見や差別なくし、女性を蔑ろにせず公平であって欲しいものだとレティシアは思った。
この国で出会った騎士といえば、カイン。
女好きである彼の軽薄さが…何だかいいものに見えてくるから不思議だ。
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