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第9章
141 父と子
しおりを挟む「ちっ…父上?!」
「レックス、不甲斐ない父を許してくれ。この通りだ」
今まで受けた深い愛情に感謝の言葉を述べ、呪いから解放された喜びをアシュリーが語っていると、神妙な面持ちをしたアヴェルが詫びながら突然頭を下げた。
「不甲斐ないなどと、そのようなことは決してございません!お顔を上げてください!!」
「幼いお前を守れずに、長い間多くの苦しみを背負わせた私の責任は重い。今まで救ってやれなかった…すまない」
広い背中を少し丸めて、か細く掠れた声でそう言うと…アヴェルは自分と似たような体格のアシュリーを抱き寄せ、長い髪をワシャワシャと撫でる。
「…父上…」
「…本当によかった…」
「私の魔力暴走の治療のために、父上が数多くの他国へ赴き治癒師を訪ね歩いてくださったことを知っております。腹心の部下であるイグニス伯爵まで私の側につけてくださったではありませんか…もう謝らないでください」
王子が三人いれば、一人を切り捨てる選択肢もあったはず。しかし、アヴェルは諦めなかった。あらゆる手を尽くし、最後に一縷の望みを抱いて異世界より神獣の花嫁を召喚する。あまりに難解で遂行が困難とされる大規模な異空間召喚術を成功させ、聖女サオリの癒しの力に救いを求めた。
心の弱い王であったなら、自身を責めるあまり国政に乱れが生じていたかもしれない。アシュリーは国と民を守り、家族を愛する父を立派だと思う。
「優しい息子に育ってくれてとてもうれしいが、そう言わず…愚かな父を許すと、一言言ってはくれないか?」
「…父上、大好きです…」
「…くぅ…っ…全く…可愛い奴めっ…」
アシュリーの髪はさらにグシャグシャと乱れる。
♢
「思えば…こうして二人きりでゆっくりと過ごしたことはなかったな?」
「はい。この間、父上や兄上たちとお酒を飲んだのも…私は初めての経験でした」
「息子たちと飲む酒は格別に美味かった。また飲もう」
『若く見える』と、愛妻ヴィヴィアンから好評の短髪に軽く指を通し、アヴェルははにかんだ笑みを零した。
書斎横にある談話室で、アンティーク調の白い猫脚が特徴のカウチソファーにゆったりと座るアヴェルは、50歳を過ぎても華のある容姿に変わりはなく、男の色気は年々増しているかのようだ。
長年従事する執事が淹れた濃いめの紅茶にミルクをたっぷりと注ぎながら、真っ白なテーブルに置かれたフレーバーティーをアシュリーに勧める。
「私に何か相談事でもあるのか?まぁ…先ずは、その紅茶を一口味わってみるといい」
こういった余裕ある言動がアヴェルの魅力であり…ゆるゆるとした空気感の中で、相手の動き一つひとつを見逃さない鋭さを隠し持つのもまた、巧みで侮れない存在だと噂される所以であった。
「はい、いただきます」
熟れた果実のような濃い香りと爽やかな甘さを紅茶から感じたアシュリーは、すぐに反応する。
「ぅん……最初、ほのかに甘いですが…後味はスッキリしていて飲みやすい。美味しいです」
「美味いだろう、どうだ?甘い恋の味がしないか?」
「…恋の味…」
片頬を上げ、試すような目つきで返事を待つアヴェルに、アシュリーは柔らかな微笑みを返す。
「そうですね…レティシアみたいな…優しい甘い香りがします」
「ははっ…味を聞いたのに、香りか?」
「えぇ、香りです。…父上、実は聞いていただきたいお話がございます」
「ほぅ…何だ?」
アシュリーが順を追って説明する『魔力香と甘い香り』の話に、アヴェルは静かに耳を傾けた。
──────────
「話の通りならば、レイとレティシア嬢は私とヴィヴィの関係性と同じだな…驚くべきことだ。一つ聞くが、彼女の香りに気付いている者は他にいるか?例えば、ダグラスやカインはどうだ?」
「…いいえ、誰からもそのような話はありません…」
質問の意図が分からないアシュリーは、訝しげな表情で首を捻る。
「…そうか…」
「父上、何か…?」
「感謝祭の日、レティシア嬢に初めて会ったクライスとアフィラムは、彼女の清楚で儚げな愛らしさに魅了されていただろう?まぁ…レイの秘書官を品定めするどころか、想像以上の美しさに私たち全員が見惚れていたのだが…」
「挨拶の時でしょうか?」
「そうだ。アフィラムがどうかは分からんが、クライスは明らかにいつもと様子が違った。あれは、レティシア嬢の甘い香りに惹き寄せられていたのではないかと思ってな」
「…兄上が…彼女の香りに…」
あの場には、レティシアの放つ甘い香りが漂っていたのかもしれない。残念ながら、アシュリーはまだそれに気付けていなかった。
運命の相手にしか分からない香りだと信じていたものを、根底から覆される。しかし、アヴェルの鋭い指摘は的を射ていた。
「父上の仰る通りかもしれません。改めて思い返しても、兄上…いえ、国王陛下らしくありませんでした」
「一種のフェロモンだ。本来はレイにしか感じられない香りが、近い血筋の者にまで届いてしまう可能性はゼロではない気がする。レティシア嬢は特殊な身体の持ち主、それが影響しているのだと思う」
「…はい…」
動揺しながらも落ち着いた受け答えをするアシュリーに満足したアヴェルは、目を細めて頷く。
「私にはヴィヴィという番がいるから他の香りは分からない。故に、確証のない話だ」
「…番は、獣人族の国で実際目にしました。性別を問わず、強く惹かれ合う相手ですね」
「うむ。レティシア嬢は、レイの運命の番と見て間違いはない。だがよく聞け、双方が番だと認識できる獣人族とは違って…それを感じるのは神獣との繋がりを持つ我々だけだ。飢えや喉の渇きに締めつけられるように、相手を猛烈に求める想いがあっても、一方的なものだということを忘れるな。…制御はできているか?」
「大丈夫です」
「お前の兄たちは弟の愛する人に興味はあるだろうが、手を出しはしない。ついでに言うならば、国王は激務、騎士団は現在違法薬物の案件で大忙しだ。余計な心配をせず、誰よりも早く彼女の心を掴む努力をしろ」
アヴェルの諭すような話し方に、アシュリーは居住まいを正す。
「父上、私の話にはまだ続きがありまして…」
「ぅん?」
「レティシアが恋人になりました」
「…馬鹿者、それを…最初に言わんか…」
「も、申し訳ありません」
♢
─ このような日が来ようとは ─
アヴェルは感慨深い気持ちになった。
アシュリーはラスティア国の大公となる際『次世代は兄姉の子供に託す』としており、成人王族へ分配される伴侶や婚約者への予算も通常の半分にまで削減した。本心こそ分からないが、対外的には結婚を諦めたという意味に捉えられる。
そこへ飛び込んで来たのが“唯一の女性”レティシアだった。
短期間で劇的な変化を遂げたアシュリーは、彼女が絡むと一喜一憂するようになる。王族としては芳しくないが、今まで欠けていた異性への感情をようやく開花させた愛息子を、アヴェルは温かい目で見守っていた。
─ 神よ、心から感謝いたします ─
──────────
突然床に跪いたかと思うと、両手を組んで祈りを捧げるアヴェルの姿に、アシュリーは戸惑う。
「……父上…?」
「レティシア嬢が恋人ということは…刻印はどうした?私の知らぬ間に済ませたのか?」
「いえ、レティシアの魂と身体の同化が先なので…今は準備が整うのを待っているところです」
「…そうか…彼女は魔力持ちではなかったな…」
「はい。今の状態では負担が大き過ぎて、危険を伴います」
アヴェルとアシュリーは、無言で見つめ合った。
「なるほど…冷静に考えてみれば、準備ができていないのはレイも同じか…」
「お察しの通りです。父上、私に閨事の御指南をいただきたく…お願いできないでしょうか?」
「さては、それが今日一番の目的だな。いいだろう…具体的にはどの辺りから知りたい?」
「……く…口付け以降でお願いします…」
「つまり、最初からだな。はははっ…何を赤くなっておる。頼ってくれて私はうれしいぞ。女性の破瓜の痛みを和らげるためには、優しく丁寧に解す必要がある。我々とは身体の構造がちがうのだから、知識は大事だ」
「……解すとは…?」
不安気な表情をするアシュリーを前に、アヴェルは愛しいヴィヴィアンに会う時間がグーッと遠退いたことを悟る。
「これは、かなり時間が掛かるな」
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