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第九話 願望-1
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シルフィエット・メストロアルは就寝前になるといつも思い出す。今は亡き一つ年下の親友との思い出を。彼女の姿、仕草、そして声も、未だ鮮明に思い出せる。
最後に逢ったのは一年半前。シルフィエットが学園を卒業して王都を発つ日が、言葉を交わした最後となった。あの時は何を話しただろうか。一年経って彼女が学園を卒業すれば直ぐにまた逢えると信じていたため、取り留めのない会話をしただけだったように思える。
それがどうしたことか。たったの四ヶ月と少し。半年も経たずに彼女が亡くなったと言うのだ。
だから彼女の訃報を最初は信じられなかった。
しかしそれが事実だと判った後は、食事も喉を通らず、このまま死んでしまっても良いとさえ思った。だが、それから既に一年、未だに生き恥を晒している。
貴族らしくあろうとした彼女。道に迷っては泣きべそをかいていた彼女。思い出すたび愛しさが込み上げてくる。いっそ掠って自分だけのものにしたいとさえ思った、誰よりも愛しい彼女。我が身が男であればきっと掠っていた。こんな風に思われていると知ったら彼女はきっと離れて行ってしまっただろう。だからこの胸の内はずっと隠していた。
だが、女の身であったとしても掠っておくべきだったのかも知れない。聞けば、彼女は命を散らす幾月か前から苦しんでいた。眉間に皺を寄せ、美しくも愛らしい筈のその顔を苦渋に歪ませていたと言う。傍に居たならそんな顔はさせなかった。傍に居たならその相手を絶対に許しはしなかった。
彼女を苦しめたのは当時学園に在籍していた現国王と王妃らしい。そして彼女の命を奪ったのも現国王だ。憎い。憎くて仕方がない。だが、不甲斐ないことに今の自分には何もできはしない。
ところがそれだけではないのだ。最近聞いた噂には心が張り裂けそうになる。彼女が呪いを振りまいていると言う。
そう、彼女の苦しみは亡くなって尚、続いている。何と言う苦艱か。何と言う悲嘆か。彼女の魂はどうしたら慰められると言うのか。
そんな詮無い後悔と煩悶に繰り返し苛まれながら、シルフィエットは更けていく夜を過ごすのだ。
「リーナ……」
ふと彼女の名前を呟いた。それは彼女の家族以外はシルフィエットだけが許された愛称だ。名前を呼ぶと少し心が温かくなった気がした。もう一度名前を呼ぶ。
「リーナ……」
すると微かに帷帳が揺れた。そちらに目をやると人影が佇んでいる。恋い焦がれた彼女の姿をして。
「リーナ!」
堪らず声を上げた。すると人影は驚いたように、すうっと夜の闇に溶けていった。
翌朝。
「シルフィ、またハイデルフトの娘のことを考えているのか? もう彼女のことは忘れなさい」
食事を終えて席を立つシルフィエットに、メストロアル侯爵もまた席を立って歩み寄りつつ言った。また眠れぬ夜を過ごしたと見える憔悴した姿の娘を見るのが辛い。ところが、どう慰めて良いか判らないために娘の神経を逆なでする言葉しか紡げなかった。
「お父様! 忘れるなんてできよう筈がありませんわ! あの子が理不尽に命を落としたのですよ?」
「反乱を起こしたのだから一族が連座させられるのは当然ではないか」
そう、処刑されても理不尽ではない、と侯爵は考えていた。
「まっ! お父様さえ手を貸して差し上げれば反乱は成功したのではありませんか?」
「私は元々反対だったのだ。だから止めようとしていた」
侯爵は心外だとばかりに顔を歪めた。
「だけど、お父様のなさっていたことはなんです? 叛乱について言いふらしていただけではありませんか。言いふらすことがどうして止めることになるのですか!? お父様はあの醜悪なボナレス伯爵にまで話されたそうではないですか!?」
ガタンと何処かで音がした。その瞬間、シルフィエットが一瞬だけ薄く笑みを浮かべる。
「ボナレス伯爵はハイデルフトから援助を受けていたのだから、きっとハイデルフトを手助けすると思ったのだ」
「これはお戯れを。ボナレス伯爵が援助の件でハイデルフト侯爵を逆恨みしていることは有名だったではありませんか。叛乱のことを知ればハイデルフト侯爵に仇を為すのは自明。これではもうお父様がハイデルフトを陥れるお積もりで言いふらしたとしか思えませんわね?」
バチーンと乾いた音が響き渡る。顔を背けたまま赤くなった頬にシルフィエットは手を当てる。
「小娘の分際で、政治に口を挟むでないわ!」
メストロアル侯爵は激高した。そんな父をシルフィエットが嘲笑う。
「都合が悪くなるとこれですか。お父様こそハイデルフト侯爵家を滅ぼした張本人ですわ!」
「判った! お前などずっとそうしているが良いわ!」
怒りに顔を赤く染めながら侯爵はその場から歩き去る。
その時またガタンと何処かで音がする。その瞬間、シルフィエットが底冷えのするような笑みを浮かべた。
この夜の食卓に言葉は無い。食器の奏でる音だけが響く。メストロアル侯爵は渋面を保ったまま黙々と食事を口に運ぶ。
だがシルフィエットはその顔にうっすらと笑みを浮かべていた。その視線の先は帷帳の一張。愛しい姿がそこに在る。だけども素知らぬ振りをする。そうしなければまた逃げていってしまいそうだったから。
「何を笑っているのだ?」
食事を終えたメストロアル侯爵が訝しげに尋ねた。
シルフィエットはその言葉によって自分が笑っていることを知り、更に笑みを深くする。傍からは狂気すら孕んで見えるだろう。
だがこれは思い出し笑いであった。朝食前にエカテリーナが現れたのだが、素知らぬ振りをしていると何やら変な顔をして見せたのだ。今まで見たことのない彼女の姿だったが、これはこれで愛らしくも滑稽なのだ。笑いを堪えるのに苦労した。そして目の端に映るエカテリーナがそれを思い出させる。
「秘密です」
「そうか」
侯爵はシルフィエットから視線を外しながら、それだけを言った。
最後に逢ったのは一年半前。シルフィエットが学園を卒業して王都を発つ日が、言葉を交わした最後となった。あの時は何を話しただろうか。一年経って彼女が学園を卒業すれば直ぐにまた逢えると信じていたため、取り留めのない会話をしただけだったように思える。
それがどうしたことか。たったの四ヶ月と少し。半年も経たずに彼女が亡くなったと言うのだ。
だから彼女の訃報を最初は信じられなかった。
しかしそれが事実だと判った後は、食事も喉を通らず、このまま死んでしまっても良いとさえ思った。だが、それから既に一年、未だに生き恥を晒している。
貴族らしくあろうとした彼女。道に迷っては泣きべそをかいていた彼女。思い出すたび愛しさが込み上げてくる。いっそ掠って自分だけのものにしたいとさえ思った、誰よりも愛しい彼女。我が身が男であればきっと掠っていた。こんな風に思われていると知ったら彼女はきっと離れて行ってしまっただろう。だからこの胸の内はずっと隠していた。
だが、女の身であったとしても掠っておくべきだったのかも知れない。聞けば、彼女は命を散らす幾月か前から苦しんでいた。眉間に皺を寄せ、美しくも愛らしい筈のその顔を苦渋に歪ませていたと言う。傍に居たならそんな顔はさせなかった。傍に居たならその相手を絶対に許しはしなかった。
彼女を苦しめたのは当時学園に在籍していた現国王と王妃らしい。そして彼女の命を奪ったのも現国王だ。憎い。憎くて仕方がない。だが、不甲斐ないことに今の自分には何もできはしない。
ところがそれだけではないのだ。最近聞いた噂には心が張り裂けそうになる。彼女が呪いを振りまいていると言う。
そう、彼女の苦しみは亡くなって尚、続いている。何と言う苦艱か。何と言う悲嘆か。彼女の魂はどうしたら慰められると言うのか。
そんな詮無い後悔と煩悶に繰り返し苛まれながら、シルフィエットは更けていく夜を過ごすのだ。
「リーナ……」
ふと彼女の名前を呟いた。それは彼女の家族以外はシルフィエットだけが許された愛称だ。名前を呼ぶと少し心が温かくなった気がした。もう一度名前を呼ぶ。
「リーナ……」
すると微かに帷帳が揺れた。そちらに目をやると人影が佇んでいる。恋い焦がれた彼女の姿をして。
「リーナ!」
堪らず声を上げた。すると人影は驚いたように、すうっと夜の闇に溶けていった。
翌朝。
「シルフィ、またハイデルフトの娘のことを考えているのか? もう彼女のことは忘れなさい」
食事を終えて席を立つシルフィエットに、メストロアル侯爵もまた席を立って歩み寄りつつ言った。また眠れぬ夜を過ごしたと見える憔悴した姿の娘を見るのが辛い。ところが、どう慰めて良いか判らないために娘の神経を逆なでする言葉しか紡げなかった。
「お父様! 忘れるなんてできよう筈がありませんわ! あの子が理不尽に命を落としたのですよ?」
「反乱を起こしたのだから一族が連座させられるのは当然ではないか」
そう、処刑されても理不尽ではない、と侯爵は考えていた。
「まっ! お父様さえ手を貸して差し上げれば反乱は成功したのではありませんか?」
「私は元々反対だったのだ。だから止めようとしていた」
侯爵は心外だとばかりに顔を歪めた。
「だけど、お父様のなさっていたことはなんです? 叛乱について言いふらしていただけではありませんか。言いふらすことがどうして止めることになるのですか!? お父様はあの醜悪なボナレス伯爵にまで話されたそうではないですか!?」
ガタンと何処かで音がした。その瞬間、シルフィエットが一瞬だけ薄く笑みを浮かべる。
「ボナレス伯爵はハイデルフトから援助を受けていたのだから、きっとハイデルフトを手助けすると思ったのだ」
「これはお戯れを。ボナレス伯爵が援助の件でハイデルフト侯爵を逆恨みしていることは有名だったではありませんか。叛乱のことを知ればハイデルフト侯爵に仇を為すのは自明。これではもうお父様がハイデルフトを陥れるお積もりで言いふらしたとしか思えませんわね?」
バチーンと乾いた音が響き渡る。顔を背けたまま赤くなった頬にシルフィエットは手を当てる。
「小娘の分際で、政治に口を挟むでないわ!」
メストロアル侯爵は激高した。そんな父をシルフィエットが嘲笑う。
「都合が悪くなるとこれですか。お父様こそハイデルフト侯爵家を滅ぼした張本人ですわ!」
「判った! お前などずっとそうしているが良いわ!」
怒りに顔を赤く染めながら侯爵はその場から歩き去る。
その時またガタンと何処かで音がする。その瞬間、シルフィエットが底冷えのするような笑みを浮かべた。
この夜の食卓に言葉は無い。食器の奏でる音だけが響く。メストロアル侯爵は渋面を保ったまま黙々と食事を口に運ぶ。
だがシルフィエットはその顔にうっすらと笑みを浮かべていた。その視線の先は帷帳の一張。愛しい姿がそこに在る。だけども素知らぬ振りをする。そうしなければまた逃げていってしまいそうだったから。
「何を笑っているのだ?」
食事を終えたメストロアル侯爵が訝しげに尋ねた。
シルフィエットはその言葉によって自分が笑っていることを知り、更に笑みを深くする。傍からは狂気すら孕んで見えるだろう。
だがこれは思い出し笑いであった。朝食前にエカテリーナが現れたのだが、素知らぬ振りをしていると何やら変な顔をして見せたのだ。今まで見たことのない彼女の姿だったが、これはこれで愛らしくも滑稽なのだ。笑いを堪えるのに苦労した。そして目の端に映るエカテリーナがそれを思い出させる。
「秘密です」
「そうか」
侯爵はシルフィエットから視線を外しながら、それだけを言った。
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