底なし沼を覗けば

wannai

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「宍谷です。阿見さんのお電話でお間違いないですか」

 金曜の午前中、指定された時間に阿見のスマホへ電話を掛けると、ワンコール鳴り終える前に通話が繋がった。俺が名乗ると、ふ、と電話の向こうで笑った気配がある。

『本当に掛けてきた』
「……用事があるって言ったろ」

 昨日、阿見がジムのトレーニングから上がる間際にわざわざ話し掛けて、今後のトレーニング内容について相談したいなどと理由をつけた。これから仕事だからという阿見の返答は予想通りで、「では明日この番号から掛けますので」と付箋に書いた俺の電話番号を渡して掛けていい時間を訊いたら、不思議そうに首を傾げていたが。

『トレーニングの内容だっけ』
「そんなん口実に決まってんだろ。お前、今日もどうせ錘の方は休んで俺の店来るつもりだったんだろ? 俺今日は店出ねぇから、ホテルに直接来い」
『……は?』
「東池袋の『nights LOVE』って店は男同士でも使えるらしいから、そこに二十二時な」
『は? 待て』

 早口に言って返事を待たず通話を切ると、即座に向こうから掛かってきた。
 俺から誘うだけで色々精神を消耗したんだから、もう何も話したくない。部屋のベッドに転がって声にならない声で呻く。俺から誘った。俺から。あいつを。金がどうとか、俺には関係ないのに。ないけど、ないからこそ、あいつとヤれなくなるのが惜しくなった。鉄鎖さえ持ち出さないでくれれば、あいつとのプレイは悪くないから。
 ごろごろ転がって後悔なのか羞恥なのか分からない感情に悩んでいる間、延々十分以上もそのままスマホが鳴り続けて、それでようやく、もしかして何か不都合があったのかと思い至って電話をとった。

「……なんだよ。都合悪いのか」
『地理わかんねーしホテルの場所も名前も忘れた』
「~~っ」

 東池袋って池袋と違うんか、と言われて、そうだった、こいつアホなんだったと頭を掻く。

「駅まではさすがに来れるよな?」
『普段使う駅なら、まあ』
「じゃあそっから一緒に行くから、なんか顔隠せる装備で来い」
『顔隠せる装備?』
「サングラスとかマスクとか、そのクソ目立つお綺麗な顔を隠してこいっての。男とラブホ入るとこなんて見られたくないだろ?」

 ああ、と応じた阿見はしかし、『だったら』と予想外のことを提案してきた。

『俺の家でやればいいだろ。割と壁厚いし、お前声ほとんど出さねぇし』

 阿見の家。彼が自分から言い出すからには広さは十分なのだろう。しかし、瞬時に脳裏に鉄鎖が過ぎって、いやいやと阿見には見えないのに首を振る。

「やだよ。絶対お前あの鎖持ち出すじゃん」
『飾ってあっけど、使うなって言うなら使わねぇって。今までだってそうしてきただろ』

 あんなもん飾るって、どれだけ気に入っているのか。はあ、と呆れて出たため息は、しかし阿見には了承に聞こえてしまったらしい。

『そっちまで迎えに行く。何時に行けばいい』
「……。来なくていい。最寄り駅どこ」
『川口。錘の近くのマンション借りてる』
「分かった。じゃあ二十二時……あー、いや、ラブホじゃねぇなら人目気になんねぇし、夜じゃなくてもいいか。何時なら都合良い?」

 ネジの足りてないアホだけれど、嘘を吐くタイプでは無い。使わないと約束するならまあいいか、と阿見の家に行くのを前提に話を進めた。

『いつでも。……あー、いや、少し片付ける。昼過ぎなら平気』

 来客に合わせて部屋を片付けようという一般的な感覚が備わっていることに、また少し驚いた。どうしても高校時代の狂犬の印象が抜けないけれど、今の彼は彼なりに社会に適応して生きているのだ。
 アレがこんなに大人しくなって、と笑顔で鉄鎖を振り回す制服姿の阿見を思い出して涙が出そうである。

『おい、聞いてんのか』
「ん、聞いてる聞いてる。じゃあ十四時頃行くわ」
『……もっと早くていいけど』
「俺もこれから飯食ったり掃除したりすんだよ。駅着いたら電話掛けっから」

 じゃな、と切ると、今度は折り返しは掛かってこなかった。
 よし、と一息ついて、さっき掛けた時のような後悔の感情が無いのに安堵した。そうだよな、あいつだって、高校卒業してからは普通に生きてきたんだろうし。
 本気で殺されるなんて思っていたこと自体、きっと俺の自意識過剰だったんだ。


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