底なし沼を覗けば

wannai

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 阿見がマトモに社会に適応していると結論付けたのは時期尚早だと思い知ったのは、彼の部屋に入ってすぐだった。
 比較的新しめのマンションで、外観はファミリー層が住んでいそうな、ありふれた造りだった。玄関ドアを開けた阿見に先に入れと後ろから押されて、入った玄関の上り框に、細い鎖の繋がった革製の首輪が置かれていて凍りついた。

「……おい、阿見」
「服、全部脱いでそれ着けて」

 俺の背後でドアを閉めた阿見はしっかり鍵を締め、それから手錠の横を指差して「脱いだのはそっちに入れとけ」とご丁寧に準備された籠を示した。

「待て、先に色々約束事とかをだな」
「脱いでからでも話せるだろ。脱がすぞ」
「ちょ、分かったから。引っ張んな」

 Tシャツを脱がされそうになり、慌てて自分で脱ぐ。人目が無いのだから恥ずかしがる必要もないのだけど、玄関で脱ぐというのはなかなかしないのでそわそわする。
 黒いTバックの下着一枚になると、阿見が太めの腰ゴムを摘んで弾いた。

「何このエロ下着」
「は? ケツ叩くんだったら布無い方がいいだろ?」

 エロ下着というより、単に実用性重視だ。股間を見られたくもないし、阿見だって見たくもないだろう。俺を叩いて泣かせるのは好きみたいだがこれまでソコに触れられたことは無いし。

「っ、何すんだ」
「なんか揉みたくなる見た目してんのが悪い」
「はあ……?」

 無かったのに、阿見に急に掴まれて驚いて二、三歩後退った。すっぽり布に包まれたまだ柔らかい肉茎と睾丸をやわやわ揉み込まれて目を白黒させる。

「隠されっと見たくなるよな」
「天邪鬼かよ」

 脱ぐか? と訊くが、少し考える間を空けた阿見は首を横に振った。
 床の首輪を拾い上げて、それの留め具を開いて俺の首に回した。首に当たる皮の端はザリザリして不愉快で、顎の骨に当たって下を向けないほどの厚みがある。コルセットのように動きを制限される感じでどうにも落ち着かない。
 首の後ろで、カチ、と錠の落とされる音がして、背後で薄く笑う阿見の吐息が頸に当たった。

「話、後じゃダメか?」
「は?」
「一回どうにかしねぇと、理性飛びそう」

 太腿に押し付けられた阿見の股間が既に臨戦態勢でドン引きするのに、彼は俺の首輪から繋がった細い鎖を軽く引いて、その先を指差した。

「この鎖、ベッドの脚に括ってあるから、そこまで行って。四つん這いね」
「……」

 ね、と俺の肩を叩く阿見の目を間近で見て、口を噤んだままその場に膝をついた。今まで見たどの時より、淀みが暗い。逆らったらどうなるのか想像するのすら怖気が走る。
 フローリングを犬のように四つ足で這って移動する俺の後ろから、阿見が黙ってついてくる。
 鎖を辿るように奥の部屋に入ると、そこは綺麗に整えられたベッドが置いてあった。セミダブルだろうか、シングルにしては大きいベッドの木製の脚に、鎖の端が括られている。
 それだけならベッドルームとして納得出来たのに、何故だかそこにはキッチンがあった。……これ、リビングダイニングキッチンだよな。普通なら居間として使う場所に、ベッド。やっぱり変だ。頭のネジが抜けてなければ、こんな配置はしない。

「ベッド、登って」

 呆気にとられる俺の背中を軽く叩いて、阿見が次の指示を出してくる。
 何故だか、阿見はプレイに入ってしばらくは、外面の時のような優しい言葉遣いになる。癖なのか、それとも話し方が彼のスイッチになっているのか。結局いつも最後の方は乱暴な素の喋りになるけれど、プレイ前で緊張したマゾの警戒を解く為にやっているとすれば、上手上手と拍手してやりたいくらいだ。

「ヒロ」

 四つん這いでベッドへよじ登ると、その姿勢の尻に阿見の手が乗った。

「そのまま。叩かせて」

 動くなということかと止まると、阿見は少し俺から離れて、ベッドの脇に置いてある戸棚を開いた。クローゼットのような背の高い開戸の中には、数十種類の鞭やパドルが綺麗に整頓されていた。一番上の段にあの鉄鎖が台座に置かれているのを見て、どれだけ大切にしてるんだよ、と口元が引き攣る。
 どれを使われるのかと落ち着かない俺の前で阿見はじっくり考える素振りで道具を吟味して、しかし取り出したのは普通のバラ鞭だった。
 戸棚の扉を開けたまま俺の背後へ戻ってきた阿見は、バラ鞭の先で俺の尻をすりすりと撫でて、それからスパン、と一度打った。

「……ん」

 革製なのか、やや重めで打たれた肌がすぐ熱くなって心地良い。ほう、と息を吐くと、また鞭先が尻を撫でてくる。

「もう少し強くしてもいい?」
「ん……平気」

 頷くと、次の一打は少し強くなった。バチ、と肌を打つ音が変わって、ビリビリ痺れる感覚に拳を握る。逃げそうになる腰を気合で止めて背中を丸めると、今度は尻ではなく背中の方を打たれて小さく声を上げてしまった。

「ぁ……ッ」

 じわ、と目尻に涙が滲んでくる。するする、と打たれたばかりの背中を鞭先が撫でていって、背筋を反らすと高く上がった尻の方を打たれた。

「っ、は」

 バチ、と打たれたところが熱く痺れて、じんじんと奥に響いてくる。ゾクゾクしたものが身体の中を巡って、強請るみたいに勝手に尻が揺れる。バチ、バチ、と続け様に二度打たれて、痛みにクラクラする額をベッドシーツに埋めた。気持ちいい。手加減してくれるこいつは、本当に気持ちいい。
 ぼろぼろ落ちる涙を流れるままにしていると、ぎし、と音がして阿見がベッドに登ってきた。

「顔見せて」

 首輪の鎖を掴んで引っ張られて、苦しい態勢で半分だけ後ろを向かされる。下を向いている所為で涙が目頭の方に流れているのを見て阿見が舌打ちして、それから仰向けになるようひっくり返された。
 指で俺の前髪を上げた阿見は露出した額の傷痕に口付けて、それから目尻に唇を付けて啜った。じゅ、じゅ、と強く吸われて、いつもの事だけれど呆れてしまう。

「……金具、痛ぇ」
「ん? ああ、ごめんね」

 涙を啜りながら太腿に股間を擦り付けられて、ズボンのファスナーの金具が当たって痛いと呟いた。美形がうっとりと夢中で自分を貪る様はそれなりに自尊心を擽るもので、邪魔したくはなかったのだけれど。
 身体を起こした阿見はそれでようやく自らも服を脱いだ。全て脱いで床に服を放り出した彼はまた俺に覆い被さってきて、耳を噛んで俺を泣かしてからそれを舐めつつ自分で陰茎を擦る。

「あとで、風呂入るから、そしたらしゃぶってね」
「……今日は二回すんの?」
「二回? ……枯れるまでするけど?」
「は……?」

 何やら不穏な言葉が聞こえた。枯れるまで? どういう意味だ?
 訝しく目線を合わせた俺に、阿見は細めた目を弧に曲げて皺の寄る眉間に口付けてきた。

「ヒロが、自分から俺に虐められに来たんだよ? 期待に応えてあげなきゃ失礼でしょ?」

 いっぱい虐めてあげるね、と囁かれて、ブンブンと首を横に振った。

「ちょ……っ、違っ」
「違う? ……まあいいや、話は後でね。だめだ、もう、この辺、熱くて爆発しそう」

 すごくない? と俺の手を取った阿見は心臓の上に押し付けてきて、早鐘を打つそれを教えてくすくすと面白そうに笑った。うわ、笑い顔、やばい。そんな無邪気に笑うな、自分の顔の良さを忘れんな。
 慌てて視線を逸らした俺に阿見は首を傾げて、俺の心臓の上に手を当てた。

「お前もじゃん。すげー早い」
「~~っ」

 その綺麗な顔の所為でな。相変わらず目が死んでる癖に、それを差し引いても美しい事に変わりない。作り物めいた完璧な顔がへにゃりと緩んで笑いかけてくるのに平常心でいられる人間がいるなら見てみたい。

「もっと泣いて」
「イッ……!」

 がぶ、と唇に噛み付かれて、開いたそこから舌を吸われてまた噛まれた。容赦なくがじがじ噛まれて、痛みに呻きながらも阿見の限界が近いなら耐えるしかない。ボロボロ溢れた涙を見つめながら阿見は俺の舌を噛み続けて、そして小さく呻いた。
 眉間に皺を寄せた阿見が身震いして、腹に熱いものが掛けられる。

「あー……、足りね」

 上半身を起こした阿見は俺の腰の上に跨り直して、そして今度はまだ平たい乳首を摘んで捻った。

「い、た」
「ああ、こっちはもっと強くしていいんだっけ」
「んんん……っ」

 摘んだ状態で先端をぐりぐり指の腹に擦り潰されて、甘い痺れが腰の方まで響いて身を捩ろうとした。

「ガッチガチな」

 俺の陰茎の上に座る阿見は血を集めて硬くなったソコをせせら笑い、睾丸の後ろの狭間に俺の肉を挟んで腰を揺らしてきた。細身ながらずっしりと重い阿見の体重で潰されて痛いのに、痛いからこそ更に血を集めてしまって、そのまま刺激を与えられたら出してしまいそうだ。

「……っ、やめ」
「男のケツで扱いて出したいかぁ?」
「ふ、ざけっ……、やめろ、って」
「いいぞ? ほら、気持ちいいんだろ? 出せよ」

 グリ、グリ、と押し潰すように肉の上で動かれて、びくびくと痙攣しながら呻く。気持ちいい。いいけれど、それだけじゃ足りない。寸止めされているような心地は最高で、はあはあと大きく開けた唇の端から垂れた涎を阿見の指が掬っていく。

「出さねーの? 俺じゃイけねぇ?」

 騎乗位みたいに腰を揺らす阿見は不満そうで、焦らしてるんじゃなく気付いていないんだと察して必死に首を振った。

「ち、が……っ、痛く、もっと、痛く……っ」

 足りない、と乳首を摘む阿見の指に上から力を込める。すっと目を細めた阿見は笑みを消して、そして爪で先端を捻り上げた。

「ひっ、……ぁ、あ」

 鋭い痛みに突き上げられるみたいに、中の熱が外に出る。びく、びく、と何度か痙攣しながら達すると、腰を浮かした阿見が自分の股間と俺の下着を撫でて低く笑った。

「すっげぇ出たな。俺のケツまでぬるぬるになったんだけど」
「っ、触んな」

 精液が滲み出す下着を上から撫でられて、イッたばかりで敏感になっている先端がこそばゆくて阿見の手を叩いた。

「──あ?」

 瞬間的に手首を掴まれて、折る気かと思うような強さで握り込まれて息を呑む。
 ぐぐ、と寄ってきた顔が瞳孔の開いた目で見つめてきて、怖気に奥歯がカタカタ鳴った。

「触んなはねぇだろ。なあ。お前、俺にヤられに来たんだろうが」
「おま……、顔、怖ぇよ」
「話聞けや。ごめんなさいだろ? 言っちゃいけねぇ事の区別くらいつくよな?」

 え、俺、そんな真面目に謝らなきゃならないほど酷いこと言ったか?
 間近の目を見返せなくて怯えるのに、阿見は前髪を掴んで無理やり目線を合わせて「ごめんなさいは?」と脅してくる。

「ご……、ごめん……」
「二度と言うな」

 次は殴り飛ばすからな、と言った阿見は、額の傷痕が目に入ったからか、またそこに口付けてきた。

「……で? なんか話するって言ってなかったっけ」

 お互い一度出して冷静になったからか、阿見が思い出したように口にする。
 この雰囲気で話せってのか。急に殺意めいたものを向けられて心臓がバクバクいっている俺を見下ろして、阿見は大して興味も無さそうに訊いてくる。

「いや、お前が借金まみれになる前にどうにかするかと思って」
「は? 借金?」
「毎回ラストまで買ってたら、金キツいだろ」
「……それで? カワイソウだからたまにはタダでヤらせてやろうって?」

 また不愉快そうに阿見の目が淀んだのを見て、「違う」と肩を竦めた。

「お前とヤんの、悪くねぇから……。店じゃなくてもいいかって」
「……」
「金要らねぇから、今まで通り毎週やらせろって言ってんの」

 逆鱗に触れないよう注意さえしていれば怖い思いをする事も少ないだろうし、金が要らないとなれば阿見にとっても悪い話じゃないはずだ。
 自分からやらせろと言うのはやや恥ずかしく、視線を逸らして言ったのだけれど、俺の上の阿見はじっと黙ったまま、返事を返してこない。

「……嫌か?」

 金で割り切れる店の方が後腐れなくていいと言うなら、これ以上俺が阿見の懐事情を心配してやる筋合いは無い。ジムの方まで来たくらいだからそんな風に思われるとは想定外だったのだけれど、押し黙る阿見の返事の遅さを考えると、あまり良い返事は返ってこなさそうだ。

「なぁ」
「……苦しい」
「は?」

 あまりにも返事が遅くて焦れて見上げたら、阿見が俺の手を持ってまた心臓の上にかざす。ドクドクと早鐘を打つのが掌越しにも伝わってきて、具合でも悪いみたいに阿見が顔を顰めていた。

「お前が……、俺がいい、みたいに言うの、苦しくなる」
「……???」

 急に何を言い出すんだ?
 眉間に皺を寄せた俺と阿見でお互い首を傾げて、とりあえず体調が悪いなら横になった方がいいだろうと判断して彼を寝そべらせた。

「心臓に持病とかあんの?」
「いや、無ぇ筈だけど」
「家族とかは?」
「無い……かな」

 たぶん、と答えた阿見が目を伏せて、頬に長い睫毛の影が落ちるのを見てその常軌を逸した綺麗さに少し引く。人間として生まれて良かったのか、こいつ。血が通っているとは思い辛いこの美しい生き物が、さっきまで俺のイチモツの上で腰を振っていたのだと思うと、何だか無性に悪いことをしたような気分になった。

「興奮し過ぎじゃね」
「だってお前が……」
「俺の所為かよ」
「だからそう言ってんだろ。……あー、つーか、そう考えたら結構前からなるわ」
「は?」
「お前とヤッてる時、大体すげー苦しいし」
「だから興奮し過ぎなんだって」
「なんで?」
「俺に聞くなよ」

 やっぱりこいつはアホだ。心臓の上を俺の手で撫でて、ふー、と阿見が息を吐く。
 皮膚の下に、硬い筋肉の感触がある。呼吸を整えていくと鼓動は段々落ち着いていき、しばらくするとかなり遅くなった。
 ちょうど視界に壁掛け時計があったので、なんとなく癖で脈拍を測る。一分間に五十二回。スポーツ選手か何かかこいつは。ジムのトレーニング中も機械計測値で九十いかない程度までしか上がっていなかった気がする。もっとキツくしても良いかもしれない。
 身体を絞りたいとか筋肉量を増やしたいだとか、目標を聞いていなかったから年齢に合わせた平均的なメニューを組んでいたけれど、そもそもこれだけ整った身体をしているんだから、物足りなかっただろう。
 あれこれ脳内で今後のメニューを組み立て直していると、そのうち阿見がすぅすぅと静かな寝息を立て始めた。

「いや寝るなよ」

 とんとん、と心臓の上に置いた手でそこを叩くのだけれど、阿見の瞼は閉じたままだ。

「おい、阿見」

 身体を起こして揺すってみるけれど、ううん、と嫌そうに唸ってから、ぐるりと俺の腰に巻きついてきた。俺の腰に顔を埋めて芋虫のように丸くなる姿に、どうしろってんだ、と溜め息を吐く。

「阿見、起きろって」

 一度出してスッキリしたからリラックスしてしまったのだろうか。気持ちは分かるが、せめて話が終わって俺を帰してから寝てほしい。背中を揺すって、阿見、阿見、と呼び続けると、数分してからやっと目を開けた。

「あ、やっと起き……」
「うるせぇ」

 伸びてきた手に顔面を鷲掴まれ、かと思ったらベッドに叩きつけられた。柔らかいスプリングの上で頭が跳ねて、その上に欠伸をする阿見が乗ってくる。
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