底なし沼を覗けば

wannai

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 阿見の言葉の意味を正確に捉えられず、「は?」と間抜けな声が出た。
 いれる?
 阿見の指が叩くのは俺の下腹で、けれど男の俺にはそこに膣なんて無い。とすれば、彼が指し示しているのは。

「ば……っ、アホ、そんなん、俺はやらねぇぞ」
「知ってるんだ」
「あ?」
「男同士でもセックス出来るの、知ってたんだね、ヒロは」

 知ってたんだね、って。そんなのは思春期のうちに耳に入ってくる猥談でなんとなく知っているだろうことで、責めるような目に見つめられる謂れは無いと思うんだが。
 困惑する俺をやけに冷めた目で睨んでくる阿見は、もしかして知らなかったんだろうか。

「いや、そんなの」
「知ってて、何で言わなかったの? 男同士でも出来るんなら、付き合ってたら当然する事じゃないの?」

 ……知らなかったらしい。
 興味が無いから言い出さないのかと思っていたが、単に無知だったのか。しかしまた間の悪い、どうして別れてから言い出すのか。

「……しねぇぞ」
「する」
「しない」
「気ぃ失わせてから犯してもいいんだよ?」

 どうやら本気で俺と行為に及ぶ気なのか、俺の上に乗る阿見は先に俺の反抗心を潰す気のようだ。ゾッとするような低い声で俺の臍の下を叩いて、阿見は俺から応じる言葉を引き出そうとする。

「俺とはしたくない?」
「……お前とは、じゃなくて。した事ねぇんだから、抵抗感あってもおかしかねぇだろ」
「一度も無いの?」
「ねぇよ」
「誰とも?」
「ねぇって言ってんだろ。あったらゲイ向けで働いてるっつーの」

 異性愛者で尚且つ処女だからこそ、ゲイ風俗に移籍しなかったのだ。そう説明すると、阿見は考えるように視線を下げて俺の腹の皮をむにむにと揉んでくる。指の先に少し摘めただけの皮をにゅうっと引っ張られて少し痛いけれど、両手は下げられない。

「俺とするのは嫌?」
「だから、」
「嫌かどうかだけ答えて」

 いつもは濁った目にカーテンを透かしてきた光が入って、珍しくつやつやと光っていた。人形のような整った顔が急に生気を得たみたいで、目を合わせたら逸らせなくなった。
 阿見とセックスするのが嫌か、って。

「……んなわけ、ねぇだろ」

 だって、好きだ。お前が好きだ。お前が俺を好きじゃなかったとしても、俺はもう好きになってしまったんだから。
 視線を剥がすだけで痛みを伴うようで、ぐっと奥歯を噛んだ。

「そっか。じゃあ、それもプレイに入れよう」
「は?」
「大丈夫だよ。少しずつ拡張しようね」

 にこ、と何でもない事のように微笑んだ阿見は、そう言って俺の下の方へ潜ってこようとしてくる。

「阿見。一回中断しよう」
「ん?」
「まず冷静に話し合いをしたい」

 前回のプレイではセーフワードで一方的にぶった切って終了させてしまったのを反省して、今回はあくまでお願いの姿勢を崩さずに阿見の了解をとることにした。

「話し合い?」
「そう。やりながらじゃなく、ちゃんと起きてお前の目を見ながら相談をしたい」

 俺の申し出に、阿見はきょとんと不思議そうな顔で首を傾げたが、もぞもぞと掛け布団ごと身体を起こしてから俺の手を掴んで引き起こしてくれた。……良かった。どうやらやはり、全く話し合いの出来ない暴君ではない。

「俺の目、見てくれるの?」
「……? いつも見てるだろ?」
「目が合ってもすぐ逸らすじゃん。俺と目が合ってるうちは、ヒロの言い分も聞いてあげる」

 はいどうぞ、と阿見の両手に頬を包むように真正面から見つめられて、みるみるうちに頬が熱くなる。
 目の前に、やたらと綺麗な阿見の顔。真っ黒の瞳を見つめると今にも引きずり込まれそうな心地がする。えっと、と掠れた声を漏らした俺をじっと見つめる阿見が、心配そうに頬を撫でてきた。

「顔赤い。また熱出てきた? やっぱり布団の中で」
「ち、違う。これは熱じゃなくて……、お前の顔が、近いから」

 恥ずかしさに目を逸らしそうになって、けれど我慢する。まだ何も話していないのだから、終わりになったら困る。
 素っ裸で、しかも股間周辺を濡らしたままの俺の身体は震えがくるほど寒い。意地で目を合わせ続ける俺に、阿見は掛け布団を俺の体にも回るように持って俺ごと抱えてきた。

「あのな、阿見。俺はお前が好きだ」

 まず、この前提が阿見に伝わっていないと話にならない。オッケー? と見つめる俺に、阿見はそれほど驚いた様子もなく瞬きで応えた。

「俺がヒロを好きじゃなくても、ヒロは俺を好きなの?」
「好き」
「……そう」

 何度か阿見はゆっくり瞬きを繰り返して、「それで?」と続きを促してきた。
 分かっていた事だけれど、本当にこいつは俺を『好きじゃない』んだな。好きだったら、俺の気持ちを知って嬉しそうにする筈だ。欠片もそんな雰囲気ではなく、むしろ当たり前みたいに受け入れられた。寂しい気もするが仕方ない。

「それでな。俺はお前を好きだから、お前とセックス出来るってのは正直嬉しい」
「うん」

 嬉しい、の言葉を聞いて、阿見が目を細めて微笑んだ。また頬が熱くなる。俺が嬉しいと思う事を、阿見も喜んでくれる。狡いなぁ、こいつ。

「けど、セックスっていうのは愛し合う人間同士が愛を確かめる行為なわけだ。つまり、二人ともが相手を好きな状態じゃないといけない」
「……」
「俺はお前を好きだけど、お前は俺を好きじゃない。だから、俺たちはセックスするべきじゃない」

 理路整然と、大真面目に。そんな決まりは無いのだけれど、阿見なら騙せるかと思って言ってみた。
 が。

「今まで誰にもそんな事言われてない。むしろ「好きじゃなくてもいいから抱いて」って言われたけど?」
「……」

 そうだった。高校時代から他校の俺でも知っているくらい阿見は女関係が凄かったんだっけ。
 一瞬怯みそうになるが、硬い表情を崩さないままに俺は首を横に振った。

「俺はそういうのは嫌なんだ。身体を繋げるのは本当に好き合った恋人だけにしたい」

 今までさんざSMプレイを繰り返して、風俗で働いたりしておいて、なんていうのは今は棚上げだ。『身体を繋げる行為』という一点において、俺は好き合った関係としかしないぞ、と主張する。他のメス共がどうだとかは関係ない。俺が俺に課したルールとして、お前とはしない。
 じっと見つめていると、阿見の手がゆっくり首へ降りてきた。するすると指に撫でられて、擽ったさに目を細める。逸らし掛けた視線を何とか合わせたままにするのに、阿見は口角を下げて唇に薄く隙間を作った。

「つまり、俺とはしないって?」

 ぐ、と指に力が込められる。軽く握るように、だけれど呼吸が出来ないわけじゃない。脈を測るように血管を押さえた阿見の親指の下で、俺の鼓動が跳ねた。

「お前とは、じゃなくて、俺を好きじゃない人とは、って事で」
「俺とはしないくせに、そのうち他の誰かとするの?」
「……っ、み、苦し」

 今度こそ、阿見の指が俺の首を強く絞めてくる。あまり抵抗する素振りを見せると逆効果なのは前回で学んだから、彼の指に手を重ねて撫でるに留めた。苦しいけれど、声が出せないほどじゃない。本気で殺そうとはしていない。

「阿見」
「ずっと俺を好きでいて」
「……? なん」
「ヒロは俺のだ。他の人を好きになるなんて許さない」

 なんだよそれ。思わず呆れて失笑を漏らすと、阿見が眉間に皺を寄せて指の力が緩んだ。

「……なら、阿見が俺のご主人様のうちは、阿見だけ好きでいる」

 それでいいか? と聞くと、阿見の指から完全に力が抜けた。じっと見つめてくる黒い目が、俺の言葉を反芻してから何度か瞬く。

「本当に?」
「あのなぁ、お前みたいな超絶美形が傍にいて、他に気持ちが向くわけないだろ?」

 本音で言えば恋に顔なんてあまり関係無いと思うのだけど、それは黙っておく。
 阿見は絞めていた俺の首を撫でて、けれどまだ納得いかないように唇を一文字に結んだままキスしてきた。

「他の誰ともしない?」
「しない」
「……俺がヒロを好きになったら、挿入れてもいい?」
「なったらな」
「分かった」

 頷いた阿見は、そのまま俺の背中に腕を回して抱き締めてくる。腹のあたりで俺の出した精液が阿見のシャツの腹を濡らした感覚があって、申し訳なさに眉尻が下がった。

「比呂斗」

 阿見が珍しく、俺の名前をちゃんと呼ぶ。覚えられたのか。嬉しい、とぎゅっと阿見の背中に腕を回すと、彼は俺の耳に唇を付けて、そして小さな声で囁いてきた。

「好きじゃないけど、俺、一生ヒロのご主人様でいるからね」
「……一生って」

 ハハ、と笑ったが、阿見は笑わない。俺の耳朶を齧った彼はまるで呪いでも掛けるみたいにもっと低い声で唸るように言葉を紡いできた。

「俺以外とは恋愛も結婚も絶対出来ないって覚悟してね。今、比呂斗が約束したんだよ。俺がご主人様のうちは、俺だけを好きでいる、って」
「だ、……だから、それは、お前が俺に飽きるまでって前提で」
「うん、そう。俺が飽きるまで、比呂斗は一生、俺のもの。俺はね、比呂斗。比呂斗の事を考えるとね、苛ついて苛ついて仕方ないんだ。比呂斗が俺の知らないところで生きてるのが本当に頭にくるんだ。ずっと俺の見えるところに居てね。ずっと、一生、俺の傍で俺にだけかわいいところを見せて。他の奴になんか絶対見せないで、俺だけだよ」

 阿見の言い方は決して高圧的ではなく、じっくりと言い含めるようだった。好きではないと言いながら、けれど彼の言い分は、まるで──。

「あのな、阿見」
「比呂斗。俺のこと、名前で呼んで」

 一つ確認しようとしたのに、慌てて体を離した俺と目を合わせた阿見はそう言って俺の唇を指で撫でてきた。細めた目に、窓の外からの光が当たってまたきらきら光る。底無し沼が束の間、湖のように澄んだものに見えて息を呑んだ。

「比呂斗、ねぇ」

 覚えてるよね? と親指に下唇をふにふにと揉まれて、求められる嬉しさと困惑に感情がかき乱されて視線を逸らして瞼を閉じた。

「……周(あまね)」

 俺が呼ぶと、阿見は嬉しそうに口付けてくる。比呂斗、比呂斗、と何度も呼びながら、俺を抱き締めて舌を入れてくる。
 それを黙って受け入れながら考えて、そして結論に至った。
 ──全部俺が悪い。
 阿見はおそらく、俺の言葉を信じ切って、そして勘違いしている。俺の言った『好きとはふわふわで幸せなもの』という出鱈目を信じて、俺への独占欲が大量に混じった昏めの恋愛感情を『好き』では無いと判断したんだろう。 
 ああ、クソ。最低だ。
 どう訂正しようか、と考えて、しかし俺の心に黒いものが湧いてきた。
 このまま『好き』を勘違いさせておけば、おそらく一生、阿見は『好き』を知らないままでいる。もし俺の他に気持ちが向いたとしても、彼はそれを『好き』だとは判断しないだろう。だって、永遠にずっと『ふわふわで幸せ』なんて恋、ありえない。
 だとしたら。
 重なった唇が弧を描くのを止められない。笑顔を作るのを堪えられない俺の唇を舐めて、阿見は一度顔を離してからふっと微笑んでまたキスを続けた。
 だとしたら、阿見が「好き」だと言ったのは、俺だけになる。
 俺は最低だ。最低だけれど、なんて幸せな気分だろう。好きな人の最初で最後になりたいと思うのは、悪いことだろうか。

「比呂斗の笑った顔、すごくかわいい」

 阿見はそう言って、俺の頬を撫でる。俺がどんな事を考えているかも知らずに。

「……周の顔はいつでも綺麗だ」

 俺が返すと、彼は目を丸くして、それからふふふと笑い出した。

「もっと見ていいよ、比呂斗」

 間近で彼をじっと見つめて、そしてようやく分かった。ガラス玉のような大きな黒目に映る、どろりと情欲に濁った目。ずっと俺は、こいつをこんな目で見ていたのか。
 底無し沼は、俺だ。
 目を合わせた阿見を引き摺り込んで、飲み込もうとしている。

「好きだよ、周」
「うん」

 阿見が、俺の言葉を聞いて我慢できないみたいに身体を撫でてくる。
 もっと。俺のことだけ考えて、俺にだけその独占欲を向けていればいい。俺の言葉に喜ぶ感情の意味は、一生知らなくていい。お前に小狡い嘘を吐く代わりに、両想いなんて望まないから。
 ただずっと、俺の隣で、底無し沼のようにお前を離さない俺の目に囚われていればいい。





end.
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