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3ー1章 故郷
五話 お客様をお招きしました。
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中央広場には、警備にあたる隊員さんたちのための、仮設営舎があります。露店のそれよりは強固で、芸戯団の大きなテントよりは貧相に見えるほどに飾り気がないここは、素朴で無骨な彼らそのもののようです。
年季の入った木の長椅子は少しだけ揺れますが、私とカーラさんはそこに収まり、ソランさんの入れてくれたお茶を受け取ります。
「落ち着けよ、とりあえず」
頷いて、温かいお茶を一口だけ含みます。だけど落ち着くどころか、時間が経てば経つほど自分のしたことがいかに子供っぽく、自分勝手なことだったんじゃないかって思えてきました。
「ごめんなさい、カーラさん。つい頭に血が上って……私が余計な事をして、ますます居づらくなったら……本当にごめんなさい!」
私はカーラさんを真っ直ぐ見ることも出来ず、とにかく頭を下げていました。
カーラさんはそんな私にあきれるでもなく、淡々と言います。
「カズハが言わなくても、たぶん私もすぐに同じ様な事を言っていたと思うわ」
「カーラさん……でも」
「あのね、カズハ。本当は色々と迷ってたの」
カーラさんがこんなに頼りなげに笑う。そんな彼女を見るのは、二コラ君が警備隊に捕まったあの晩以来です。不安で押し潰れそうで、でもしっかりしなきゃと奮い立たせて。そんなカーラさんを見ていたくなくて、励ましたあの夜。それなのに今度は私が……。
「ローウィンで、学校に通い始めたって言ったでしょう? 少し遅れちゃったけれど、ついて行けないことはないわ。ニコラほどのライバルはいないけれど、それなりに楽しいの。母さんも新しい仕事が順調だし、ここに居るよりは辛いことも忘れられる、きっと。だから……大丈夫よ」
一つ一つ、思い出すように並べる言葉は、決して嘘ではないのでしょう。でも私にはそれは、一生懸命絞り出したようにも聞こえ、情けない私を、カーラさん自身を慰めているかのようで、切なすぎます。
「そもそも、父さんが刑を終えて出て来られそうだからって、浮かれてたのよ。本当の罪滅ぼしはまだ終わってなかったのにね。ただでさえレヴィナス隊長の口添えで、失ったお金の賠償額を減らしてもらったのに、本当に図々しかったのは私たちよ……ねえ、泣かないでよカズハ。いい年して、本当に泣き虫よね」
「カーラさんこそ、なんですかその老成したような落ち着きは」
「ちょっと、なによそれ。だいたいあんたが先にビービー泣くから、タイミングを失っちゃうのよ!」
「だって、このままじゃカーラさん、諦めちゃうじゃないですか、それでいいんですか?」
カーラさんが、口元を噛みしめたまま黙ります。
「ねえカーラさん、悔しいと思ったまま去ったら、生まれ育ったこのノエリアの街から、ずっと目を背け続けることになりませんか?」
「そんな……こと」
「私は、この街が好きです。この街の人も好きです。決して完璧ではありません。間違いだって起こったし、これからいくらでも辛いことがあるかもしれません。でも、故郷を無くすのはもっと辛いから。だから、カーラさんには後悔して欲しくないし、この街の人たちにも同じです、こんな風にカーラさんたちをつま弾きにしたままでいいはずありません」
「……私、は」
カーラさんの決めることに、口出しをするなと啖呵きったのに、私は都合のいい人間です。ノエリアに愛想を尽かして出ていくのも、カーラさんの自由なのに。私はカーラさんがこの街に赦されて欲しいんです。この街にたとえ住まなくとも、私たちと繋がっていて欲しい。私のように、無くさないで欲しい。
「大丈夫だろうよ、そんなに心配しなくても」
そう言ったのは、ずっと黙って離れていた下っぱさんでした。
詰所であるここの小さな椅子をギシギシ揺らし、組んでいた足を下ろす。そしてボサボサの頭をかきむしりながら、言葉を選びつつ彼は続けます。
「俺だって、なんだかんだで受け入れられてんだ。あんたは大丈夫だよカーラ。今まで留守にしてた分、今日はちぃとばかし取り立てがあっただけだと、そう思っとけよ」
「下っぱさんと違って、カーラさんはツケ払いなんてしませんよ」
「言葉のあやだっての、つうか、下っぱはヤメロ」
もう一度頭をかきむしってから、下っぱさんがカーラさんに近づき、頭をぽんとひと撫で。そういえば、彼はカーラさんと同じくらいの年の娘さんが、故郷にいると聞きました。
「少なくとも俺やカズハは、あんた自身が赦されきれない気持ちも分かってるよ。でも無理すんな?」
「……そ、そうですよ、この人元誘拐犯だし。私だって昔、自分のせいで大切な家族に、大ケガをさせたことがあって……許すと言われても自分で自分が許せないことです」
カーラさんは驚いたみたい。
だけど何かを言おうとしたところに、声がかかりました。
「カズハ」
アルベリックさんのお迎えです。さながら補導された家族を迎えに来るよう呼び出された保護者のごとく、警備隊の詰所に入って来ました。その後ろにはなぜか、リュファスさんまで。
「カーラ!」
「母さん?」
リュファスさんを押し退けるように入って来たのは、カーラさんのお母さんでした。王都へ向かう途中にローウェンで出会って以来です。
カーラさんの頬を包むようにして、抱き締めるお母さん。何があったのか、きっと既に聞かされたのでしょう。怪我はないかと聞く姿を見ていると、胸が熱くなるのです。
しかし、カーラさんの表情は優れません。なぜならカーラさんのお母さんは、ひどく顔色が悪いのです。
「ねえ母さん、大丈夫?」
「ええ、母さんは平気よ……」
そう言いながらも、ぐらりと揺れる背中。あっと思った矢先に、落ちそうになるその肩を支えたのは、下っぱ……いえ、ソランさんでした。
「休んだ方が良さそうだ」
「すみません、大丈夫ですから」
とても大丈夫そうには見えない、カーラさんのお母さん。顔色が悪いだけでなく、目の下にクマも見えます。
迎えに来た今回の事件でビックリした、というわけではないのかもしれません。
「あ、あの! カーラさんとお母さんには、私たちの家へ来てもらったらどうでしょう!」
名案とばかりにアルベリックさんを振り向けば、頷いてもらえました。
「ソラン、悪いが付き添って行ってくれ」
「了解です」
「だめよ、迷惑がかかるわ!」
水くさい事を口にするカーラさん。だけどそれを止めたのは、カーラさんのお母さんでした。
「……カーラ、お世話になりましょう」
「母さん?」
「そうです、遠慮は無しですよ。部屋は幸いにもたくさん有りますし、ね?」
渋々同意するカーラさんを急かし、詰所を出るように促していると、アルベリックさんに腕を引かれました。そしてそっと耳打ちされます。
「親子の荷物はこちらで回収する、そのまま泊めるように。詳しい話は後でする」
それだけ言い残して去ろうとするアルベリックさんを、今度は私が引き留めます。
「ごめんなさい、アルベリックさん。また私が厄介事を……」
謝ろうとしたら、ふいに引き寄せられました。
ほんの一歩近づいただけで、視界いっぱいに広がる、アルベリックさんの私服のシャツ。腕を回された訳でもないのに、酷く安心するのです。
「大丈夫だ」
ちょうど彼の息がかかる額に、小さく降ってきたその一言。
それだけなのに、私に力を与えてくれる魔法のよう。私の胸に、勇気とやる気が沸いてきました。なんて現金なんでしょう、私ってば。
つかの間の安心だけを残し、リュファスさんを連れて去っていくアルベリックさんの後ろ姿を見送ります。
「お待たせしました、さあ行きましょう!」
振り向けば、顔を赤らめたカーラさん親子と、またしても頭をぼりぼりと掻くソランさん。
どうかしましたかと尋ねれば、ソランさんは大きなため息をついて馬鹿にしたような視線をくれます。まったくもう、何だと言うのでしょうか。
そんな皆さんをせかして、私は帰途についたのでした。
突然カーラさん親子を連れ帰った私に驚いてみせたものの、さすがはスーパーなメイドさん、マリー。すぐに客間の用意をしてくれました。彼女は気を利かせてあれやこれやと煩雑な手配をしてくれて、私は大いに助かりました。
自分がお客様として扱われたことはありましたが、その逆は初めてです。何かと粗相があるかもしれないと申し出れば、カーラさんのお母さんは微笑んで、大丈夫だと言って下さいました。
相変わらず顔色の悪いカーラさんのお母さんを、客間で休ませます。付き添いはカーラさんにお願いしたので、きっと見知らぬ家でも何とか休めることができるでしょう。その間に、私とマリーは夕食の準備です。私だけでは人数的に厳しいので、マリーが残業しくれてとても助かりました。
「じゃあ、急遽食材なんかは途中でオランド亭に寄っていくから、カズハはここで待ってるのよ? お客様を置いてきぼりにしないようにね?」
「はあーい。分かってますマリー先生」
「よろしい」
そう言って笑いながらマリーが帰った後、カーラさんたちの様子をうかがいました。お母さんは、どうやら眠られたようですので、その隙にカーラさんをお茶にお誘いします。
本日はとっておきのハーブティー。向こうの世界でいうローズティーというものに近いでしょうか。結婚式のお祝いにいただいたもので、甘い花の香りが素晴らしい逸品です。それをゆっくり蒸らしてから注ぎ、カーラさんに差し出します。
「お疲れのようでしたね、お母さん」
「ずっと、無理してたから」
「今回はいつまでいられるんでしたっけ?」
「三日後の馬車便で出発する予定なの」
「じゃあ、それまでこの家に泊まってって下さい!」
「……でもそれじゃ迷惑をかけるわ」
「迷惑じゃありません。お友達を泊めるくらい、なんてこと無いです。それに、親戚の家にいるより気楽だと思いますよ。お母さんのためにも……」
お母さんの寝ている部屋の方を見るカーラさんは、辛そうです。
ローウィンはお母さんの出身地。今はお母さんの親戚を頼って、街に住んでいるのです。つまりここでの親戚といえば、お父さんの関係。そうしたら当然親戚の家では、カーラさんのお母さんには風当たりがきついのではないかと思ったのです。いえ、そんなことない場合もあるのでしょうが……どうやらカーラさんの反応を見る限りでは、残念ながら私の予感は当たっているようでした。
「最初、母さんは私を置いて一人で来るつもりだったの。でも、母さんを一人になんてできなかった。叔父たちが父さんのせいで、街で暮らしにくいって母さんにいつも辛く当たるのを知ってたから。だけど、もうすぐ父さんも戻ってくるし、何とか親戚にだけでも、父さんを赦してもらいたいって母さんが……」
「……そうだったんですか」
どうしたら助けになるか分かりません。生半可な覚悟ではノエリアに帰って来られなかったはずです。そんなお二人のためにどうしたらいい、何をして差し上げられるのでしょうか。
冷めはじめたカップを握りしめ唸る私に、カーラさんが言います。
「ありがとう、カズハ」
「……へ?」
まだ何が出来るか考えている所でしたのに、いったい何についての言葉でしょうか。首をかしげる私に呆れ顔で、でも今度はもう少し、いつものカーラさんらしい言葉が続きました。
「カズハなら落ち人だし、それに天然だし、抜けてるし。どんなしがらみも気にせず、味方になってくれてるって分かるの。それがただ……その、嬉しかったから」
「……カーラさん。もちろん、私はいつだって友達の味方ですけれど……なんか釈然としないのはなぜでしょう。私にだって、しがらみくらいあります!」
じゃあ何だと問われても困りますけれど。
ですが私に出来ることがあれば、カーラさんを助けたいと思います。あと三日しかありません。せめてその間ずっとそばにいて助けることなら、できるはず。それが友情というものです。
そう、カーラさんがこの街を再び去るその日まで。
ローウィンに戻るその日まで……ローウィン。あ、忘れてました。
そういえば、私もローウィンに行くんでしたっけ。
いっそのこと、一緒に行ってしまおうかしら……なんてね。
年季の入った木の長椅子は少しだけ揺れますが、私とカーラさんはそこに収まり、ソランさんの入れてくれたお茶を受け取ります。
「落ち着けよ、とりあえず」
頷いて、温かいお茶を一口だけ含みます。だけど落ち着くどころか、時間が経てば経つほど自分のしたことがいかに子供っぽく、自分勝手なことだったんじゃないかって思えてきました。
「ごめんなさい、カーラさん。つい頭に血が上って……私が余計な事をして、ますます居づらくなったら……本当にごめんなさい!」
私はカーラさんを真っ直ぐ見ることも出来ず、とにかく頭を下げていました。
カーラさんはそんな私にあきれるでもなく、淡々と言います。
「カズハが言わなくても、たぶん私もすぐに同じ様な事を言っていたと思うわ」
「カーラさん……でも」
「あのね、カズハ。本当は色々と迷ってたの」
カーラさんがこんなに頼りなげに笑う。そんな彼女を見るのは、二コラ君が警備隊に捕まったあの晩以来です。不安で押し潰れそうで、でもしっかりしなきゃと奮い立たせて。そんなカーラさんを見ていたくなくて、励ましたあの夜。それなのに今度は私が……。
「ローウィンで、学校に通い始めたって言ったでしょう? 少し遅れちゃったけれど、ついて行けないことはないわ。ニコラほどのライバルはいないけれど、それなりに楽しいの。母さんも新しい仕事が順調だし、ここに居るよりは辛いことも忘れられる、きっと。だから……大丈夫よ」
一つ一つ、思い出すように並べる言葉は、決して嘘ではないのでしょう。でも私にはそれは、一生懸命絞り出したようにも聞こえ、情けない私を、カーラさん自身を慰めているかのようで、切なすぎます。
「そもそも、父さんが刑を終えて出て来られそうだからって、浮かれてたのよ。本当の罪滅ぼしはまだ終わってなかったのにね。ただでさえレヴィナス隊長の口添えで、失ったお金の賠償額を減らしてもらったのに、本当に図々しかったのは私たちよ……ねえ、泣かないでよカズハ。いい年して、本当に泣き虫よね」
「カーラさんこそ、なんですかその老成したような落ち着きは」
「ちょっと、なによそれ。だいたいあんたが先にビービー泣くから、タイミングを失っちゃうのよ!」
「だって、このままじゃカーラさん、諦めちゃうじゃないですか、それでいいんですか?」
カーラさんが、口元を噛みしめたまま黙ります。
「ねえカーラさん、悔しいと思ったまま去ったら、生まれ育ったこのノエリアの街から、ずっと目を背け続けることになりませんか?」
「そんな……こと」
「私は、この街が好きです。この街の人も好きです。決して完璧ではありません。間違いだって起こったし、これからいくらでも辛いことがあるかもしれません。でも、故郷を無くすのはもっと辛いから。だから、カーラさんには後悔して欲しくないし、この街の人たちにも同じです、こんな風にカーラさんたちをつま弾きにしたままでいいはずありません」
「……私、は」
カーラさんの決めることに、口出しをするなと啖呵きったのに、私は都合のいい人間です。ノエリアに愛想を尽かして出ていくのも、カーラさんの自由なのに。私はカーラさんがこの街に赦されて欲しいんです。この街にたとえ住まなくとも、私たちと繋がっていて欲しい。私のように、無くさないで欲しい。
「大丈夫だろうよ、そんなに心配しなくても」
そう言ったのは、ずっと黙って離れていた下っぱさんでした。
詰所であるここの小さな椅子をギシギシ揺らし、組んでいた足を下ろす。そしてボサボサの頭をかきむしりながら、言葉を選びつつ彼は続けます。
「俺だって、なんだかんだで受け入れられてんだ。あんたは大丈夫だよカーラ。今まで留守にしてた分、今日はちぃとばかし取り立てがあっただけだと、そう思っとけよ」
「下っぱさんと違って、カーラさんはツケ払いなんてしませんよ」
「言葉のあやだっての、つうか、下っぱはヤメロ」
もう一度頭をかきむしってから、下っぱさんがカーラさんに近づき、頭をぽんとひと撫で。そういえば、彼はカーラさんと同じくらいの年の娘さんが、故郷にいると聞きました。
「少なくとも俺やカズハは、あんた自身が赦されきれない気持ちも分かってるよ。でも無理すんな?」
「……そ、そうですよ、この人元誘拐犯だし。私だって昔、自分のせいで大切な家族に、大ケガをさせたことがあって……許すと言われても自分で自分が許せないことです」
カーラさんは驚いたみたい。
だけど何かを言おうとしたところに、声がかかりました。
「カズハ」
アルベリックさんのお迎えです。さながら補導された家族を迎えに来るよう呼び出された保護者のごとく、警備隊の詰所に入って来ました。その後ろにはなぜか、リュファスさんまで。
「カーラ!」
「母さん?」
リュファスさんを押し退けるように入って来たのは、カーラさんのお母さんでした。王都へ向かう途中にローウェンで出会って以来です。
カーラさんの頬を包むようにして、抱き締めるお母さん。何があったのか、きっと既に聞かされたのでしょう。怪我はないかと聞く姿を見ていると、胸が熱くなるのです。
しかし、カーラさんの表情は優れません。なぜならカーラさんのお母さんは、ひどく顔色が悪いのです。
「ねえ母さん、大丈夫?」
「ええ、母さんは平気よ……」
そう言いながらも、ぐらりと揺れる背中。あっと思った矢先に、落ちそうになるその肩を支えたのは、下っぱ……いえ、ソランさんでした。
「休んだ方が良さそうだ」
「すみません、大丈夫ですから」
とても大丈夫そうには見えない、カーラさんのお母さん。顔色が悪いだけでなく、目の下にクマも見えます。
迎えに来た今回の事件でビックリした、というわけではないのかもしれません。
「あ、あの! カーラさんとお母さんには、私たちの家へ来てもらったらどうでしょう!」
名案とばかりにアルベリックさんを振り向けば、頷いてもらえました。
「ソラン、悪いが付き添って行ってくれ」
「了解です」
「だめよ、迷惑がかかるわ!」
水くさい事を口にするカーラさん。だけどそれを止めたのは、カーラさんのお母さんでした。
「……カーラ、お世話になりましょう」
「母さん?」
「そうです、遠慮は無しですよ。部屋は幸いにもたくさん有りますし、ね?」
渋々同意するカーラさんを急かし、詰所を出るように促していると、アルベリックさんに腕を引かれました。そしてそっと耳打ちされます。
「親子の荷物はこちらで回収する、そのまま泊めるように。詳しい話は後でする」
それだけ言い残して去ろうとするアルベリックさんを、今度は私が引き留めます。
「ごめんなさい、アルベリックさん。また私が厄介事を……」
謝ろうとしたら、ふいに引き寄せられました。
ほんの一歩近づいただけで、視界いっぱいに広がる、アルベリックさんの私服のシャツ。腕を回された訳でもないのに、酷く安心するのです。
「大丈夫だ」
ちょうど彼の息がかかる額に、小さく降ってきたその一言。
それだけなのに、私に力を与えてくれる魔法のよう。私の胸に、勇気とやる気が沸いてきました。なんて現金なんでしょう、私ってば。
つかの間の安心だけを残し、リュファスさんを連れて去っていくアルベリックさんの後ろ姿を見送ります。
「お待たせしました、さあ行きましょう!」
振り向けば、顔を赤らめたカーラさん親子と、またしても頭をぼりぼりと掻くソランさん。
どうかしましたかと尋ねれば、ソランさんは大きなため息をついて馬鹿にしたような視線をくれます。まったくもう、何だと言うのでしょうか。
そんな皆さんをせかして、私は帰途についたのでした。
突然カーラさん親子を連れ帰った私に驚いてみせたものの、さすがはスーパーなメイドさん、マリー。すぐに客間の用意をしてくれました。彼女は気を利かせてあれやこれやと煩雑な手配をしてくれて、私は大いに助かりました。
自分がお客様として扱われたことはありましたが、その逆は初めてです。何かと粗相があるかもしれないと申し出れば、カーラさんのお母さんは微笑んで、大丈夫だと言って下さいました。
相変わらず顔色の悪いカーラさんのお母さんを、客間で休ませます。付き添いはカーラさんにお願いしたので、きっと見知らぬ家でも何とか休めることができるでしょう。その間に、私とマリーは夕食の準備です。私だけでは人数的に厳しいので、マリーが残業しくれてとても助かりました。
「じゃあ、急遽食材なんかは途中でオランド亭に寄っていくから、カズハはここで待ってるのよ? お客様を置いてきぼりにしないようにね?」
「はあーい。分かってますマリー先生」
「よろしい」
そう言って笑いながらマリーが帰った後、カーラさんたちの様子をうかがいました。お母さんは、どうやら眠られたようですので、その隙にカーラさんをお茶にお誘いします。
本日はとっておきのハーブティー。向こうの世界でいうローズティーというものに近いでしょうか。結婚式のお祝いにいただいたもので、甘い花の香りが素晴らしい逸品です。それをゆっくり蒸らしてから注ぎ、カーラさんに差し出します。
「お疲れのようでしたね、お母さん」
「ずっと、無理してたから」
「今回はいつまでいられるんでしたっけ?」
「三日後の馬車便で出発する予定なの」
「じゃあ、それまでこの家に泊まってって下さい!」
「……でもそれじゃ迷惑をかけるわ」
「迷惑じゃありません。お友達を泊めるくらい、なんてこと無いです。それに、親戚の家にいるより気楽だと思いますよ。お母さんのためにも……」
お母さんの寝ている部屋の方を見るカーラさんは、辛そうです。
ローウィンはお母さんの出身地。今はお母さんの親戚を頼って、街に住んでいるのです。つまりここでの親戚といえば、お父さんの関係。そうしたら当然親戚の家では、カーラさんのお母さんには風当たりがきついのではないかと思ったのです。いえ、そんなことない場合もあるのでしょうが……どうやらカーラさんの反応を見る限りでは、残念ながら私の予感は当たっているようでした。
「最初、母さんは私を置いて一人で来るつもりだったの。でも、母さんを一人になんてできなかった。叔父たちが父さんのせいで、街で暮らしにくいって母さんにいつも辛く当たるのを知ってたから。だけど、もうすぐ父さんも戻ってくるし、何とか親戚にだけでも、父さんを赦してもらいたいって母さんが……」
「……そうだったんですか」
どうしたら助けになるか分かりません。生半可な覚悟ではノエリアに帰って来られなかったはずです。そんなお二人のためにどうしたらいい、何をして差し上げられるのでしょうか。
冷めはじめたカップを握りしめ唸る私に、カーラさんが言います。
「ありがとう、カズハ」
「……へ?」
まだ何が出来るか考えている所でしたのに、いったい何についての言葉でしょうか。首をかしげる私に呆れ顔で、でも今度はもう少し、いつものカーラさんらしい言葉が続きました。
「カズハなら落ち人だし、それに天然だし、抜けてるし。どんなしがらみも気にせず、味方になってくれてるって分かるの。それがただ……その、嬉しかったから」
「……カーラさん。もちろん、私はいつだって友達の味方ですけれど……なんか釈然としないのはなぜでしょう。私にだって、しがらみくらいあります!」
じゃあ何だと問われても困りますけれど。
ですが私に出来ることがあれば、カーラさんを助けたいと思います。あと三日しかありません。せめてその間ずっとそばにいて助けることなら、できるはず。それが友情というものです。
そう、カーラさんがこの街を再び去るその日まで。
ローウィンに戻るその日まで……ローウィン。あ、忘れてました。
そういえば、私もローウィンに行くんでしたっけ。
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