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3ー1章 故郷
六話 旅立ちの決意をしました。
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カーラさんたちが我が家に泊まったその日の晩、アルベリックさんはとても遅くに帰ってきました。
本当ならばゆっくり出来たはずの休日を、私のせいで仕事に振り替えるはめになったのではないかと心配したのですが、彼はただ、微笑んでまた「大丈夫」と言っただけ。
彼がそう言うのならば、私はそれ以上何も聞くことはできません。
すぐにまた交代勤務に出かけるアルベリックさんと、暗いテラスに出ます。
隊長服に身を包み、疲れた顔すら見せてくれないアルベリックさんと、空の星を眺めます。こぼれ落ちてきそうなほどの満天の星。低く沈んでいきそうな月の光が、ほんのりと私たちの影を部屋に映していました。
「今日は、迷惑をかけてしまいました。カーラさんにも、修道院の方たち、それからアルベリックさんたち警備隊の方々に」
声をひそめてそう言うと、アルベリックさんは私のそばによりそってくれました。言葉はないけれど、大丈夫と言ってくれているようで、私は彼にすこしだけもたれかかります。
「街のみんなにも八つ当たりしてしまいました。でも私は、みんなのことが大好きで……」
「分かっている、皆は」
「……そうかな」
「ああ、全てではないが。必ず伝わる」
そうだと嬉しい。
私はこのノエリアが大好きだから、カーラさんにとっても優しい故郷であって欲しかった。だから焦ってしまったのかもしれない。
そういうことを私は、つたない言葉でアルベリックさんにたくさん話して、たくさん頷いてもらいました。ただ聞いてもらい、自分の中で整理したかったのかもしれない。
そして甘えついでに、カーラさん母娘とともに一足先にローウィンへ行きたいとお願いしてみます。
私の決意に、仕方ないなと笑う彼の笑顔が、愛おしかった。
翌朝、家事を手伝うと申し出てくれたカーラさん。
私もいっぱしの主婦ですからね、やることはたくさんあるのです。それに手紙でいつも心配してくれるカーラさんに、今度こそ家事をきちっとこなせる「立派な大人」を見せつけるいい機会じゃないですか。
もう私はいつかのように、お湯も沸かせないダメな子カズハじゃないのデース!
と、鼻息荒く最初に訪れたのは、洗濯屋です。
「たっのもーう!」
「……その素っ頓狂なかけ声は、何とかならんのか」
店の奥から出て来たドナシファンさんが、苦笑いを浮かべています。アルベリックさんの制服や大きなシーツなどは、洗濯屋さんのドナシファンさんにお願いしています。荷物とお金を渡し、細々としたものは自分で洗います。
ドナシファンさんがふと私の後ろについてきているカーラさんに、視線を向けます。それを受けてカーラさんが、ちょこんとドナシファンさんに会釈しました。
「なんだ、今日は一緒か?」
「そうなんです、うちに泊まってもらっているんですよ。それで手伝いまでさせちゃって。……あれ、ドナシファンさんってば、夕べはお祭りにでも行ったんですか? 目が赤いです、寝不足なんじゃ?」
「ああ……まあ、そんなとこだ。一晩くらい心配ねえさ」
お酒をあまり好まないドナシファンさんにしては、珍しいこともあるものです。ですが年に一度の派手なお祭りですから、そういう事もあるのでしょう。
「街で一番朝が早い仕事なんですから、あまり無理をしないようにしてくださいねドナシファンさん。じゃあ、帰りにまた寄りますね」
「ああ、用意しておく」
洗濯場にはいつものおばちゃんたちが、早くも陣取っていました。
まだ早いのに、元気に大きな声で笑っていますよ。今日の話題は何といっても……ええと、昨日のことですか。端っこ使わせてもらえれば十分だったのに、あれよあれよという間に、洗い場の真ん中に押し込まれました。大丈夫ですか、初心者カーラさん。
「珍しいじゃないの、あんたが声を荒立てるなんてさ、カズハ!」
「そうそう、いつも突拍子もない事はするけど、怒ったとこなんて見たことなかったよ」
「あんた、カーラだね? ロジーヌはどうしてる、元気かい?」
「馬鹿をお言いでないよ、元気なもんか。あんの性悪ヴァーノンのとこに一晩いたんだろう、無事で済むわけがないって」
「違いない、苦労するよロジーヌは!」
「なんだい、あんたが替わるかい?」
「おや、ロジーヌくらいの器量良しとあたしらとの交換じゃ、持参金がたんまり必要になるねぇ!」
「違いない!」
そんな風に私とカーラさんは、笑いの渦に、ごっしごし揉まれました。
人に話を振っておいて、返事は聞かず、どんどん話題が変わっていく。相変わらず、恐ろしい所ですここは。
でもついつい、一緒になって笑ってしまうんですよね。それはカーラさんも同じだったようで、最初こそ目をまん丸くしていましたが、今は手を動かしつつ相打ちを繰り返し、苦笑いまで浮かべていますよ。
「じゃあ、私たちはこれで」
「ああ、またおいでよ、カーラ!」
「もっとちゃんと食べるんだよ、胸も尻も大きいのが一番だからね!」
「あんたもだよカズハ、そんなんじゃ隊長さんが浮気しちまうよ、あははは」
大笑いで見送られながら、私とカーラさんは荷物を持って家へ戻ります。午前中の仕事はそれだけではありません。大慌てで洗濯物を干し、カーラさんのお母さんに留守を頼み、再び街へと戻ります。今日は紙の仕入れを頼んであったのです。それから買い出しを少し。目まぐるしく働いていると、面倒臭いことを考えている暇もありませんからね。
まだあるのと呆れるカーラさんを引き連れて、お店のはしごです。保存食と水入れ。軽いなめし皮のケープに、同じ素材の皮袋。それから、携帯用の干し果物。
それらをカーラさんの持ってくれていたケロちゃん印の篭に入れると、彼女は渋い表情で言いました。
「まるで、旅支度みたい」
「そうですよ?」
「……え?」
「お手紙だと行き違いになるかもしれないので、言ってませんでしたが……カーラさん!」
「な、なによ」
「実は私もローウィンに用事ができまして、近々訪れる予定になってました。ということで、ちょうどいいのでカーラさんと共に馬車便を利用して、ローウィンまでご一緒することに決めました!」
「ご一緒って……聞いてないわよ!」
「はい、今初めて言いましたから」
てっきり喜んでもらえるかと思っていたのに、カーラさんは微妙な顔をしています。
「ちょっと聞いていい?」
「はい、何でしょう」
「いつ決めたの、一緒にって」
「昨夜です」
「はあ? レヴィナス隊長……あなたの旦那様が反対するに決まってるでしょう?」
「もちろん、許可をいただきました。アルベリックさんは仕事の都合がありますから、後ほど一人でグリフォンで追い付いてもらう予定です」
カーラさんが、一拍後にため息をつきました。何かを言いたそうに口を開き、でもためらっている姿は、まるで池の鯉のようです。そんなカーラさんを放っておいて、店先に並ぶ可愛い刺繍の施された布袋に目移りしていると、後ろから声をかけられました。
「買い物か、カズハ」
「ラウールさん!」
大きな荷袋を肩に担いだ、ラウールさんでした。どうやら仕入れの帰りのようです。
「昨日はご馳走様でした、美味しかったです」
「おう、いつでも言いな。お前たちの分くらい、大した量でもないからな。お、カーラじゃないか、相変わらず細っこいな、食ってるか?」
「嫌ですね、年頃の娘さんに。それじゃ洗濯場のお婆たちと一緒ですよ」
「そうか? そりゃ不味いな」
大笑いするラウールさん。ですが、ふとその表情に違和感を覚えます。
「ラウールさんも、ドナシファンさんのように夜更かしですか? 目の下にクマがありますよ」
「お、そうか? まあ、俺も年だからな」
そう言いながら、担いだ荷物を持ち直し、足取り軽く行ってしまいました。
気を取り直し、カーラさんを連れて次に訪れたのは、紙屋のお爺ちゃんの店。ここが最後ですが、店先にどうやら先客がいるようです。
「リュファスさん、こんな所でどうしたんですか?」
「こんな所とは、酷い扱いじゃないか」
「お爺ちゃん、お願いしていた紙は出来てるかな」
「おお、出来とる。待っとれ」
前掛けを付け直して、お爺ちゃんが店の奥に入っていくと、リュファスさんがカーラさんの持つ篭をひょいと取り上げました。
「準備は順調かい、カズハちゃん?」
「もう聞いてるんですか」
「当然だろう、隊長の予定を管理してるの誰だと思ってるの。それより……」
カーラさんにいつもの色男っぷりを発揮した微笑みを向ける、リュファスさん。
何だかいつもよりも凄味がありますが、どうしましたか。おくれ毛がなんとも、哀愁を帯びてますね。免疫のないカーラさんが、火がついたように頬を染めながら、のけ反ってます。
どうやら夜勤明けですね、悪気がないとはいえ未成年に秋波向けてどうするんですか、この万年色男。
「久しぶりだね、カーラ。昨日は災難だったね、お母さんの具合はどうだい?」
「おかげ様で……まだ休ませてもらっていますが、もう大丈夫そうです」
「そう、良かった。ところでカズハちゃん、これじゃまだ足りないよ」
「え、何が足りませんか?」
どうやら、馬車の旅は色々と大変そうです。
なるべく荷物にならないようにしたいけれど、絶対必需品だとリュファスさんがお勧めしてくれたのは、厚めの座布団。そしてついでに、腫れたお尻に優しい軟膏の存在を教授していただき、私たちはその場を後にしました。お爺ちゃんも何だかお疲れのようでしたし、頼んでおいた紙を受け取っただけで、お茶のお誘いはお断りしておきました。
帰り道は、市場を通ります。お祭りでお休みしている店もちらほらありますが、概ね賑わっていて嬉しくなります。中には仕入れが出来なかったのか、売れすぎたのか。店先の商品が少ないところまであります。その中でも、ぽつんと寂しげな店が。
「あれ、エルザさんってば、今日はお休みって言ってなかったのにな……」
急に旅の予定を変更することになったので、エルザさんには言っておきたかったのに。
私のそんな呟きを聞きつけたのは、向かいにある「アルマの肉店」店主、セザールさんでした。
「エルザんとこは、夕方から開くってよ。一人で切り盛りしてっからよ、仕方ないだろうさ」
「夕方から? エルザさんに何かあったんですか?」
「何かってお前そりゃ……あ」
セザールさんが、しまったといった風に口に手を当てました。何か、隠してますね。そういえば、皆さん揃って、何だかおかしかったような気がします。
「セザールさん?」
「あ、いや。俺は知らん、何でもないからな!」
でっぷりとしたお腹をゆらしながら、慌てて店に戻っていく猪豚店主。逃げられまいと、白い袖を掴んで引っ張ります。
「大人の事情だ、詮索しないでくれよ。エルザには後で言っといてやるから、じゃあまたなカズハ!」
「あ、ちょっと! 待って下さいよ、私だって立派な大人です!」
さすがの体格差に成すすべもなく振りほどかれ、拍子に滑って見事に転びました。その隙に、まんまと逃げられました。いったい何なんですか。
砂埃を払っていると、カーラさんが呆れた様子でそれを手伝って下さいました。
「ねえ、これが『立派な大人』なあんたの日常なの?」
……むう、手痛いお言葉です。
「本気で馬車で旅をする気なのね」
買い物に付き合わされ、午後にはにがお絵屋の店番までさせられたカーラさんが、ぽつりと言いました。
私はというと、早めに留守にすることになったため、既に受けている注文の絵の制作を急いでいたところです。筆を離すことは出来ないのですが、口は何とでもなります。
「もちろんですよ。皆さん本来はそうやって、苦労して移動なさってるんですから」
「でも、グリフォンなら危険がないのに。よくレヴィナス隊長が許したわね」
今回はグリフォンの旅ではなく、駅馬車の旅、イン、ジルベルドです。
それは私の好奇心をくすぐる、ちょっといい案。馬車から眺める旅は、きっと良い題材がほいほい転がっているに違いありません。ゆっくりカーラさんとお話しながら、スケッチブック片手に行く、ゆかいな馬車の旅。
予定よりも早めに出ることになりますが、計算だとちょうど良い日程で、サミュエルさんとの約束の日までにローウェンに着くじゃないですか。うふふふふ。
「カズハは知らないからそんな事が言えるのよ。グリフォンが使える立場の人が馬車の旅だなんて、聞いたこともないわ」
「……そうですね」
憤慨するように言うカーラさん。その理由は私も知っています。
この世界の人たちにとって、どんなに魔獣が脅威なのか。知識で知っていても、私はその脅威に晒されたことはまだない。
でもグリフォンでの旅は、ほんの一握りの人たちしか利用できません。だからこそ、乗せられているだけでは見えない世界が、あるんじゃないかって思ったんです。
「死んだら元も子もないわよ」
「でも、皆さんだって簡単に死ぬつもりで、旅をしているわけじゃないですよね」
「それは、そうだけど。万が一運が悪ければ……」
「ディディエさんたち芸戯団の皆さんは、常に旅を続けてます。商人の方々も。警備隊の皆さんが毎日頑張って街道を守ってくれてます。私の知らない多くの方が、この世界の道理で生きてます。偶然にも落ちてきた、同郷の女性も」
ノエリアだけじゃない。この世界を見て、描いて、知りたい。
まだ会ったことのない女性。彼女がここでどう過ごしてきたのか分からないけれど、胸張ってここで生きてるって、伝えられるといいな。
私はそう願っています。
本当ならばゆっくり出来たはずの休日を、私のせいで仕事に振り替えるはめになったのではないかと心配したのですが、彼はただ、微笑んでまた「大丈夫」と言っただけ。
彼がそう言うのならば、私はそれ以上何も聞くことはできません。
すぐにまた交代勤務に出かけるアルベリックさんと、暗いテラスに出ます。
隊長服に身を包み、疲れた顔すら見せてくれないアルベリックさんと、空の星を眺めます。こぼれ落ちてきそうなほどの満天の星。低く沈んでいきそうな月の光が、ほんのりと私たちの影を部屋に映していました。
「今日は、迷惑をかけてしまいました。カーラさんにも、修道院の方たち、それからアルベリックさんたち警備隊の方々に」
声をひそめてそう言うと、アルベリックさんは私のそばによりそってくれました。言葉はないけれど、大丈夫と言ってくれているようで、私は彼にすこしだけもたれかかります。
「街のみんなにも八つ当たりしてしまいました。でも私は、みんなのことが大好きで……」
「分かっている、皆は」
「……そうかな」
「ああ、全てではないが。必ず伝わる」
そうだと嬉しい。
私はこのノエリアが大好きだから、カーラさんにとっても優しい故郷であって欲しかった。だから焦ってしまったのかもしれない。
そういうことを私は、つたない言葉でアルベリックさんにたくさん話して、たくさん頷いてもらいました。ただ聞いてもらい、自分の中で整理したかったのかもしれない。
そして甘えついでに、カーラさん母娘とともに一足先にローウィンへ行きたいとお願いしてみます。
私の決意に、仕方ないなと笑う彼の笑顔が、愛おしかった。
翌朝、家事を手伝うと申し出てくれたカーラさん。
私もいっぱしの主婦ですからね、やることはたくさんあるのです。それに手紙でいつも心配してくれるカーラさんに、今度こそ家事をきちっとこなせる「立派な大人」を見せつけるいい機会じゃないですか。
もう私はいつかのように、お湯も沸かせないダメな子カズハじゃないのデース!
と、鼻息荒く最初に訪れたのは、洗濯屋です。
「たっのもーう!」
「……その素っ頓狂なかけ声は、何とかならんのか」
店の奥から出て来たドナシファンさんが、苦笑いを浮かべています。アルベリックさんの制服や大きなシーツなどは、洗濯屋さんのドナシファンさんにお願いしています。荷物とお金を渡し、細々としたものは自分で洗います。
ドナシファンさんがふと私の後ろについてきているカーラさんに、視線を向けます。それを受けてカーラさんが、ちょこんとドナシファンさんに会釈しました。
「なんだ、今日は一緒か?」
「そうなんです、うちに泊まってもらっているんですよ。それで手伝いまでさせちゃって。……あれ、ドナシファンさんってば、夕べはお祭りにでも行ったんですか? 目が赤いです、寝不足なんじゃ?」
「ああ……まあ、そんなとこだ。一晩くらい心配ねえさ」
お酒をあまり好まないドナシファンさんにしては、珍しいこともあるものです。ですが年に一度の派手なお祭りですから、そういう事もあるのでしょう。
「街で一番朝が早い仕事なんですから、あまり無理をしないようにしてくださいねドナシファンさん。じゃあ、帰りにまた寄りますね」
「ああ、用意しておく」
洗濯場にはいつものおばちゃんたちが、早くも陣取っていました。
まだ早いのに、元気に大きな声で笑っていますよ。今日の話題は何といっても……ええと、昨日のことですか。端っこ使わせてもらえれば十分だったのに、あれよあれよという間に、洗い場の真ん中に押し込まれました。大丈夫ですか、初心者カーラさん。
「珍しいじゃないの、あんたが声を荒立てるなんてさ、カズハ!」
「そうそう、いつも突拍子もない事はするけど、怒ったとこなんて見たことなかったよ」
「あんた、カーラだね? ロジーヌはどうしてる、元気かい?」
「馬鹿をお言いでないよ、元気なもんか。あんの性悪ヴァーノンのとこに一晩いたんだろう、無事で済むわけがないって」
「違いない、苦労するよロジーヌは!」
「なんだい、あんたが替わるかい?」
「おや、ロジーヌくらいの器量良しとあたしらとの交換じゃ、持参金がたんまり必要になるねぇ!」
「違いない!」
そんな風に私とカーラさんは、笑いの渦に、ごっしごし揉まれました。
人に話を振っておいて、返事は聞かず、どんどん話題が変わっていく。相変わらず、恐ろしい所ですここは。
でもついつい、一緒になって笑ってしまうんですよね。それはカーラさんも同じだったようで、最初こそ目をまん丸くしていましたが、今は手を動かしつつ相打ちを繰り返し、苦笑いまで浮かべていますよ。
「じゃあ、私たちはこれで」
「ああ、またおいでよ、カーラ!」
「もっとちゃんと食べるんだよ、胸も尻も大きいのが一番だからね!」
「あんたもだよカズハ、そんなんじゃ隊長さんが浮気しちまうよ、あははは」
大笑いで見送られながら、私とカーラさんは荷物を持って家へ戻ります。午前中の仕事はそれだけではありません。大慌てで洗濯物を干し、カーラさんのお母さんに留守を頼み、再び街へと戻ります。今日は紙の仕入れを頼んであったのです。それから買い出しを少し。目まぐるしく働いていると、面倒臭いことを考えている暇もありませんからね。
まだあるのと呆れるカーラさんを引き連れて、お店のはしごです。保存食と水入れ。軽いなめし皮のケープに、同じ素材の皮袋。それから、携帯用の干し果物。
それらをカーラさんの持ってくれていたケロちゃん印の篭に入れると、彼女は渋い表情で言いました。
「まるで、旅支度みたい」
「そうですよ?」
「……え?」
「お手紙だと行き違いになるかもしれないので、言ってませんでしたが……カーラさん!」
「な、なによ」
「実は私もローウィンに用事ができまして、近々訪れる予定になってました。ということで、ちょうどいいのでカーラさんと共に馬車便を利用して、ローウィンまでご一緒することに決めました!」
「ご一緒って……聞いてないわよ!」
「はい、今初めて言いましたから」
てっきり喜んでもらえるかと思っていたのに、カーラさんは微妙な顔をしています。
「ちょっと聞いていい?」
「はい、何でしょう」
「いつ決めたの、一緒にって」
「昨夜です」
「はあ? レヴィナス隊長……あなたの旦那様が反対するに決まってるでしょう?」
「もちろん、許可をいただきました。アルベリックさんは仕事の都合がありますから、後ほど一人でグリフォンで追い付いてもらう予定です」
カーラさんが、一拍後にため息をつきました。何かを言いたそうに口を開き、でもためらっている姿は、まるで池の鯉のようです。そんなカーラさんを放っておいて、店先に並ぶ可愛い刺繍の施された布袋に目移りしていると、後ろから声をかけられました。
「買い物か、カズハ」
「ラウールさん!」
大きな荷袋を肩に担いだ、ラウールさんでした。どうやら仕入れの帰りのようです。
「昨日はご馳走様でした、美味しかったです」
「おう、いつでも言いな。お前たちの分くらい、大した量でもないからな。お、カーラじゃないか、相変わらず細っこいな、食ってるか?」
「嫌ですね、年頃の娘さんに。それじゃ洗濯場のお婆たちと一緒ですよ」
「そうか? そりゃ不味いな」
大笑いするラウールさん。ですが、ふとその表情に違和感を覚えます。
「ラウールさんも、ドナシファンさんのように夜更かしですか? 目の下にクマがありますよ」
「お、そうか? まあ、俺も年だからな」
そう言いながら、担いだ荷物を持ち直し、足取り軽く行ってしまいました。
気を取り直し、カーラさんを連れて次に訪れたのは、紙屋のお爺ちゃんの店。ここが最後ですが、店先にどうやら先客がいるようです。
「リュファスさん、こんな所でどうしたんですか?」
「こんな所とは、酷い扱いじゃないか」
「お爺ちゃん、お願いしていた紙は出来てるかな」
「おお、出来とる。待っとれ」
前掛けを付け直して、お爺ちゃんが店の奥に入っていくと、リュファスさんがカーラさんの持つ篭をひょいと取り上げました。
「準備は順調かい、カズハちゃん?」
「もう聞いてるんですか」
「当然だろう、隊長の予定を管理してるの誰だと思ってるの。それより……」
カーラさんにいつもの色男っぷりを発揮した微笑みを向ける、リュファスさん。
何だかいつもよりも凄味がありますが、どうしましたか。おくれ毛がなんとも、哀愁を帯びてますね。免疫のないカーラさんが、火がついたように頬を染めながら、のけ反ってます。
どうやら夜勤明けですね、悪気がないとはいえ未成年に秋波向けてどうするんですか、この万年色男。
「久しぶりだね、カーラ。昨日は災難だったね、お母さんの具合はどうだい?」
「おかげ様で……まだ休ませてもらっていますが、もう大丈夫そうです」
「そう、良かった。ところでカズハちゃん、これじゃまだ足りないよ」
「え、何が足りませんか?」
どうやら、馬車の旅は色々と大変そうです。
なるべく荷物にならないようにしたいけれど、絶対必需品だとリュファスさんがお勧めしてくれたのは、厚めの座布団。そしてついでに、腫れたお尻に優しい軟膏の存在を教授していただき、私たちはその場を後にしました。お爺ちゃんも何だかお疲れのようでしたし、頼んでおいた紙を受け取っただけで、お茶のお誘いはお断りしておきました。
帰り道は、市場を通ります。お祭りでお休みしている店もちらほらありますが、概ね賑わっていて嬉しくなります。中には仕入れが出来なかったのか、売れすぎたのか。店先の商品が少ないところまであります。その中でも、ぽつんと寂しげな店が。
「あれ、エルザさんってば、今日はお休みって言ってなかったのにな……」
急に旅の予定を変更することになったので、エルザさんには言っておきたかったのに。
私のそんな呟きを聞きつけたのは、向かいにある「アルマの肉店」店主、セザールさんでした。
「エルザんとこは、夕方から開くってよ。一人で切り盛りしてっからよ、仕方ないだろうさ」
「夕方から? エルザさんに何かあったんですか?」
「何かってお前そりゃ……あ」
セザールさんが、しまったといった風に口に手を当てました。何か、隠してますね。そういえば、皆さん揃って、何だかおかしかったような気がします。
「セザールさん?」
「あ、いや。俺は知らん、何でもないからな!」
でっぷりとしたお腹をゆらしながら、慌てて店に戻っていく猪豚店主。逃げられまいと、白い袖を掴んで引っ張ります。
「大人の事情だ、詮索しないでくれよ。エルザには後で言っといてやるから、じゃあまたなカズハ!」
「あ、ちょっと! 待って下さいよ、私だって立派な大人です!」
さすがの体格差に成すすべもなく振りほどかれ、拍子に滑って見事に転びました。その隙に、まんまと逃げられました。いったい何なんですか。
砂埃を払っていると、カーラさんが呆れた様子でそれを手伝って下さいました。
「ねえ、これが『立派な大人』なあんたの日常なの?」
……むう、手痛いお言葉です。
「本気で馬車で旅をする気なのね」
買い物に付き合わされ、午後にはにがお絵屋の店番までさせられたカーラさんが、ぽつりと言いました。
私はというと、早めに留守にすることになったため、既に受けている注文の絵の制作を急いでいたところです。筆を離すことは出来ないのですが、口は何とでもなります。
「もちろんですよ。皆さん本来はそうやって、苦労して移動なさってるんですから」
「でも、グリフォンなら危険がないのに。よくレヴィナス隊長が許したわね」
今回はグリフォンの旅ではなく、駅馬車の旅、イン、ジルベルドです。
それは私の好奇心をくすぐる、ちょっといい案。馬車から眺める旅は、きっと良い題材がほいほい転がっているに違いありません。ゆっくりカーラさんとお話しながら、スケッチブック片手に行く、ゆかいな馬車の旅。
予定よりも早めに出ることになりますが、計算だとちょうど良い日程で、サミュエルさんとの約束の日までにローウェンに着くじゃないですか。うふふふふ。
「カズハは知らないからそんな事が言えるのよ。グリフォンが使える立場の人が馬車の旅だなんて、聞いたこともないわ」
「……そうですね」
憤慨するように言うカーラさん。その理由は私も知っています。
この世界の人たちにとって、どんなに魔獣が脅威なのか。知識で知っていても、私はその脅威に晒されたことはまだない。
でもグリフォンでの旅は、ほんの一握りの人たちしか利用できません。だからこそ、乗せられているだけでは見えない世界が、あるんじゃないかって思ったんです。
「死んだら元も子もないわよ」
「でも、皆さんだって簡単に死ぬつもりで、旅をしているわけじゃないですよね」
「それは、そうだけど。万が一運が悪ければ……」
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私はそう願っています。
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