93 / 93
番外小話 3
ノエリアの変わらぬ日々
しおりを挟む
王立辺境警備隊本部の一室をお借りして、私たちは改めて近況を報告しあいました。
これまでの旅のなかで、互いを理解してきたのでしょう。結依さんだけでなく、二人を取り巻く雰囲気までが、以前とはかなり違っています。
まずは事務的に、経過報告をするソランさん。
馬車での旅路は順調で、以前のように魔獣の気配など、微塵も感じられなかったのだそう。
うん、そうだろうと思います。
結衣さんを連れていれば、旅は安全に違いありません。だって結衣さんの加護は、彼女を望む目的地に運ぶものですから。
「それにしたって隊長、根回し早すぎです。一旦はノエリアに戻らされるとばかり……」
真っ先に頭を抱えるようにしてそう吐き出したのは、ソランさんです。
セレスフィアへの配置変えについて希望したのは本人なのですが、まさか帰ってくるなり辞令が出て、しかもセレスフィアにトンボ帰りとは思ってもみなかったのですって。
「まずかったか?」
「……いえ、そういうわけではないんですが」
「家族のこと、心配ですよね?」
私の問いに、言葉を詰まらせるソランさん。
でも分からなくはないのです、離れて暮らしている娘さんのこととか、気にならないはずはありませんから。
ただでさえ単身赴任でのローウィン、それからノエリア勤務。一度も故郷に戻ることなく、今度はもっと離れた街セレスフィアです。
しかし彼の憂慮はそこではありませんでした。
「あー……いや、それは大丈夫だけど。その、ユイの邪魔になるんじゃないかと思って」
「……私の?」
「セレスフィアに戻るっていっても、顔見知りがいた方がいいだろうとは思うが、俺がユイにとってその……安心できるような対象かどうか、聞くに聞けずだったろう? だから、迷惑じゃないか?」
そんなソランさんの言葉を受けて、私とアルベリックさんも結衣さんに自然と視線を向けます。
すると彼女の驚いたような顔が、徐々に赤くなっていきました。
「わ、私は……」
結衣さんは、私やアルベリックさんをチラチラと見てはみては、うつむきます。
「そんなこと、ない……セレスフィアでの生活は楽しみでもあるけれど、すごく心細いのもあるから……だから邪魔だなんて」
「本当か?」
「何度も言わせないでよ、恥ずかしい!」
ソランさんから、少しだけ視線をはずしたまま、真っ赤になって怒る結衣さん。
彼女の凍った心は、少しずつだけれど溶けはじめているのでしょう。
根気強く彼女を促したのは、ソランさん。でもそれ以上に、結衣さんだって頑張ったに違いありません。
そんな二人のやり取りを見ていると、私とアルベリックさんにできることは、もうあまり無いのかもしれないと思うのです。
同じことを感じているのか、アルベリックさんも微笑みながら見守っています。
「でもそうよ、カズハさんが言う通り、家族のことは……?」
「ああ、気にしなくてもいい。実は娘がローウィンに来たのは、自分は街を離れたくないって文句を言うためだったんだ。どうせならノエリアで暮らさせてやろうかと思って手紙を送ったんだ、そしたら好きな野郎がいるからお断りだと……聞いてねえっての。まだ早いし、なに考えてんだって言ったら、ろくでもない親父より家のことを手伝ってくれて、おふくろも公認してるってんだぞ、信じられるか?」
話していくうちに思い出したのか、語尾が荒くなるソランさん。しっかり者の娘さんとは聞いていましたが、そんなやりとりをしていたとは。
悪いとは思うのですが、我慢できずに噴き出してしまいました。
「笑うなよ」
「あはは、すみません。でも父親って娘は成長しないと思い込んでいるって、お母さんが言ってました」
まさに、その通りなんだなと納得してしまいました。
「……覚えてろよ、おまえもそのうち味わうからな! 娘なんぞ心労ばかりだ」
ソランさんが私にそう言いながら、アルベリックさんにも視線を向けます。
確かに、そうかもしれませんね。
いつか私も、ソランさんと同じことを思う日がくるかもしれません。
「でも、どんな理由があっても、連絡だけはきちんとしてあげて。きっと心配してるから」
結衣さんの意見に、私も賛成です。
私たちのように、もう二度と会えないわけでもないし、手紙だって出しさえすれば届くのですから。
ソランさんは一転して真剣な面持ちで、私たちに必ずそうすると約束してくれました。
それから、私とアルベリックさんが明日の朝、ノエリアに向けて旅立つことを告げ、再びお別れです。
互いに新しい人生の門出を祝って。
ソランさんと結衣さんはしばらく王都に滞在した後、手続きを終えたらセレスフィアに引き返す旅。私とアルベリックさんは、ノエリアへ。
「短い再会でしたが、二人の仲が穏やかで自然なものになっていて、安心しました」
改めてそう切り出したのは、既に王都を発ってローウィンを間近にした休憩所でのことです。
いつも通りハデュロイの背に身を任せ、私たちは空の旅の真っ最中。
「ああ、そうだな」
「世間ではケンカップルなどという言葉もあるくらいですし、案外上手くいくのではないかと思っていたんですよね」
「……ケンカップル?」
「それはですねえ、喧嘩するほど仲の良い夫婦や恋人同士のことですよ。うちの両親なんかは恥ずかしいほどラブラブなんですが、反対にしょっちゅう口喧嘩してても離れられない人たちのことだそうです。ああ、アルマさんたち夫婦がいい例です」
あまりアルベリックさんには必要なさそうな知識を説明しながら、ますます疑問を深めている彼を眺めます。
ソランさんたちと別れた翌朝、レヴィナス家の方々に見送られ、私たちは予定通りに王都を出発しました。
可愛い甥っ子たちとは、格別に別れ難かったのですが、彼らのスケッチをたくさん持ち帰ることで、自らを慰めることにしました。すぐに大きくなってしまうでしょうけれど、帰ったら額縁に飾ります。
それとニコラ君からは、カーラさんへの手紙を預かってきました。何が書いてあるのかとっても気になるのですが、それはほら、受け取ったカーラさんの反応で推察するつもりです。それも楽しそうでしょう?
それを聞いてアルベリックさんは、ちょっと難しい顔で「ほどほどにな」ですって。
アルベリックさんがいれてくれた温かいお茶を飲みながら、これまでのことを振り返っていたところです。
いつも通りゴタゴタのうえに、とんだ寄り道な夏休暇。秋が終わる前に帰れることになって、本当に良かった。
「そういえば、ソランさんはノエリアに私物がそのままですけど、困らないんですか?」
「ああ、リュファスに連絡してある。まとめてセレスフィアに送らせることになった」
「そんな簡単に……いくら宿舎住まいとはいえ、荷物もろくにないなんて」
「いずれ移動になるかもしれないとは、考えていたんだろう。そもそも懲罰だからな」
「そうでした、すっかり忘れて……ました」
あれだけの誘拐騒ぎで、忘れてた何もないだろうと。アルベリックさんの目がそう言ってます、絶対に気のせいじゃないです。
「そ、そういえば、リュファスさん元気でしょうか」
「連絡は定期的にしている、特になにも報告は受けていないから、元気だろう」
「……怒ってるかなあ、予定変更でセレスフィアまで行ったこと。でも不可抗力ですし、うーん」
唸りながら、カップを両手で抱えて暖をとっていると、アルベリックさんが鞄から毛布を出してくれました。
「一緒に叱られてやる」
「一緒にですか? あ、アルベリックさんも何か心当たりがあるとか?」
「いや、そういうわけではないが……」
「言っておきますけど、私にもありませんよ、叱られるネタなんて……むしろ誉めてもらいたいくらいです」
うん、不安なことがいっぱいあったけれど、こうして無事に帰れるんですから。
だけどリュファスさんってば、なにを言い出されるか分かったもんじゃありません。ちょっと私に厳しすぎると思いませんか、まるでお姑さんです。
戦々恐々とする私を慰めるように、アルベリックさんが言います。
「少なくとも、愚痴は聞くはめになるだろうな、少々長い休暇になった」
確かに、予定を大幅にオーバーしましたから、嫌みの一つ二つは覚悟が必要かもしれません。
それに……心配もかけたと思います。
リュファスさんのサラサラヘアーが減らないうちに、アルベリックさんを連れて帰らないと。
肩にかけてくれる上掛けを奪い取り、それをアルベリックさんの上にかけて私はその横に潜り込みます。
「どうせなら暖を取るのも一緒にしましょう、効率がいいです」
「それではカズハが、はみ出る」
二人ではさすがに小さかったようで、右肩がはみ出ていました。でもくっついている反対側がぽかぽかなので、気にならないのです。
それなのにアルベリックさんは、よりたくさんの布を私の方に寄せて被せました。
いつもなら負けじと譲り合いを始めるところですが、休憩小屋の外から聞こえる物音に、手を止めることに。
ここは山の上にある、警備隊管轄の休憩所です。きっと任務で移動中の警備隊兵さんたちが来たのでしょう、アルベリックさんが立ち上がり窓を確認しています。
「緊急ではなさそうだ」
そう告げるアルベリックさんの言葉と同時に、数人の黒い制服を着た男性たちが入ってきました。
警備隊ではなく王国軍兵士たちでした。口々に「寒い」と言いながら入ったところで、私とアルベリックさんの存在にようやく気づいたようです。
鳩が豆鉄砲くらったような顔で固まっていますよ。
「どうぞ、暖まってください」
私が囲炉裏で手招きすると、はっとしたようにアルベリックさんと私を見比べて「失礼しました」と出ていこうとするじゃありませんか。
待って待って、同じ空の旅、寒さは身に染みるのです。
え、そういう問題じゃない?
ああアルベリックさんを気にしていたようです。うん、黙ってると迫力ありますからね。
それも違うんですか?
じゃあ何だっていうんですかと、出発の準備をしにアルベリックさんが席を外した隙に尋ねてみました。
無言で囲炉裏の前に座った方々は、どうやらローウィンの王国軍兵だったようです。ローウィンが近いですからね、不思議ではありません。それも私が拐われたときに、仕方なくとはいえマナドゥ中佐に従っていたとか……
あの時の鬼神のごときアルベリックさんに対峙した瞬間、死ぬかと思ったそうです。
それはもう、ご愁傷さまとしか言いようがありません。
「アルベリックさんは気づいていたんですか、彼らがローウィン駐在の王国軍兵士だってことを」
ハデュロイの背に乗り、風をつかんで安定してから尋ねます。
「制服には所属部隊の紋章をつけることになっている」
「……そうでしたっけ?」
彼らがアルベリックさんのいないところで、一年前のことをしきりに謝ってきたことを伝えます。
よくないことだと分かってはいたけれど、逆らえなかったこと。無体なことをしてしまった、心から後悔していると、揃って頭を下げてくれたことを。
「全然、気にしてなかったんですけど、ちゃんと受け取った方が彼らにもいいのかなって。だから……」
私は彼らに許すと、告げました。
既に私がなんとも思ってないことは、彼らにとっては重要ではないのかもしれない、そう感じたのです。
起きてしまったことは良くないことだったけれど、関わったすべての人が罪を受けました。それは主犯であった中佐と、彼らの後ろ楯となってきたセレスフィアまで及んだのです。今回のセレスフィア反乱は、先代伯爵時代から続いた歪みで……。
仕方なくとはいえ、旧態依然の権力に拘る配下を、力で押さえつけるしかなかったカロンさん自身に、その歪みが反ったとも言えるかもしれません。
「私は事件の唯一の被害者なのではなく、たくさんのなかの歯車のひとつ……当事者の一人にすぎないのです。だから出来ることも多くありません」
だけどアルベリックさんがいてくれて、レヴィナス家の人々、それから陛下やサミュエルさんたちが手を貸してくれるから、なんとかなってるのです。加護の力は無くても、彼らなら同じ結果を引き寄せていくはずです。
私の加護はもう、徐々に失われていくでしょう。でもわたしもまた、アルベリックさんと力を合わせて、歯車となって生きていくのです。特別な力なんてなくとも。
でも今は、それがとても誇らしい。
ああ、大人なわたし……また旅を経て一回り成長できたようです。
「歯車? きみはそんな出来たものじゃなくて、嵐の目だろう、加護なんて関係なくね。隊長と彼の一族にどれだけ甘やかされて帰ってきたのかな、カズハちゃん?」
自画自賛の陶酔が覚めきらぬ数日後、無事にノエリアに帰り着いた私の背筋を凍らせるのは、変わらぬ美貌のリュファスさん。忙しくて死にそうだったと言うわりに、お肌も髪も艶々ですね。少なからず国中を旅してきましたが、リュファスさんの美貌は辺境では宝の持ち腐れです。いえ、都会ならどう腐らないのかも分かりませんが……
正反対に帰還早々、仕事に追われるアルベリックさんは休憩もままならない状態です。
だからというわけではないですが、休息を取っていたリュファスさんを捕まえて、長い旅の武勇伝を聞かせていたのです。実はセリアさんにせっつかれて、たまっている冬支度のあれこれから、逃げてきただけだというのは内緒です。
警備隊鍛練場の片木陰での読書を邪魔されたわりに、珍しく私の話に耳を傾けてくれていたリュファスさん。だからつい、調子にのってしまったといいますか……
「やだなあリュファスさん、歯車はものの例えですってば」
「いや、この際だからはっきり自覚した方がいいと思うよ。隊長も黄金のグリフォンを戴いたわけだし、今後もきみは動くたびに隊長や僕たちを巻き込んでいくんだ、保証するよ」
「ひどい、それじゃ私がいない方が平和みたいじゃないですか」
その言葉に、リュファスさんがきょとんとしています。
「……だから僕はいつも、きみはバカだって言ってるんだよ」
呆れたようにそう言うと、リュファスさんは再びしおりを入れたページを開きます。
バカは否定しませんけど、ちょっと釈然としません。
ふとリュファスさんは本に落としていた視線を上げます。そして離れた宿舎の方を見て、小さく笑いながら。
「いいんじゃない? 嵐の中心は無風なんだから。カズハちゃんが離れなければ、隊長は平和で穏やかでいてくれる。少なくとも、僕はそれで満足だよ」
なんだか良いこと言ったみたいな顔ですよ。
「でもそれって、やっぱり迷惑ってことじゃないですか。アルベリックさんは平和でもそれ以外は? どうでもいいんですか?」
「いいんじゃない? 手の届く範囲で」
素っ気なくそう言うリュファスさんは、いつも通りの涼しい顔。
ページをめくる手は、その優美な顔立ちに似合わず、筋張っていて大きい。
「荒事は、隊長がなんとかするでしょ」
「僕が、じゃないところがリュファスさんらしいです」
「隊長の尻拭いくらいはするけど、きみのはごめんだね」
そう言いながらも、アルベリックさんのついでに面倒を見てくれるリュファスさん。私が落ちて来たときから、ずっと守っていてくれたのは、二人なのです。
アルベリックさんとリュファスさん。この二人の「手の届く範囲」がどんなに広いのでしょう。
「ほら、いいかげん帰ったらどう? マリーに雷を落とされるよ」
ギクリとする私に、リュファスさんはニヤリ。
「バレてました?」
「田舎の情報網を舐めてる?」
「……いいえ、とんでもない」
そうです、しっかり者のマリーに指導を受けながらの冬支度。これから一緒に塩漬け肉を仕込む予定なのですが、それまでに繕いものを宿題に出されたのです。ちゃんとやろうと思ったんですよ、でもこたつを出したら眠気に勝てず……
「ほら、噂をすれば」
「ぎゃ、マリー!」
遠くからマリーがこちらに向かって歩いてくるのが分かります。
ああ、いつもより大股で顎を引いています。あれはお怒りのマリーに違いありません。
「わー、大変。私、先回りして戻ります。ちょっとの間でいいですから、時間稼ぎしてくださいリュファスさん」
「は? なんで僕が」
鍛練場の柵を乗り越え、広場を突っ切って帰ることにします。
華麗に柵から飛び降りて、リュファスさんを振り返るのですが、彼の表情は思った通り。
彼らしくなく狼狽していて、でもマリーに向ける目は……
「じゃ、よろしくです。くれぐれも、マリーを苛めすぎないでくださいね! そんなことしたらコリーヌ婦人に言いつけますから」
「ちょっと、まて、どういう意味だよ……カズハちゃん?」
ダッシュしながら慌てふためくリュファスさんを振り返り、私は満足です。
次第に近づいてくるマリーを見て立ち上がり、土と枯れ葉を払うリュファスさん。
いいですか、リュファスさんが言った通りですよ。田舎の噂話を舐めたらダメなんです。
浮き名を流してきた色男の年貢の納め時は、ぜひとも物陰から眺めたいところですが、グリフォンに蹴られたくないので今日は退散です。
実際、マリーに問い詰められる原因があるのは、本当ですしね。
「世話が焼けますよ、リュファスさん」
任務完了とばかりにスキップしながら戻ったのは、オランド亭。そこでセリアさんの特製パイを受け取り、市場でおばちゃんたちに経過報告です。
しっかり者だけど堅物すぎてなかなか良い相手が現れなかったマリーと、正反対に女性に秋波を送られっぱなしのリュファスさん。二人の仲を後押しするのは、逆らってはいけない町のおばちゃんたちからの指示があったからです。
しかしあくまでも、リュファスさんのためではありませんので、悪しからず。
いつの間にか意識しあう二人を、鉢合わせさせたのは強引だったけれど、マリーがリュファスさんを嫌がったら、全力で阻止する用意はあるそうです。おばちゃんは強し。
頑張れ、リュファスさん。
鼻唄を歌いながら自宅に帰りつき、ノブに手をかけたところで、鍵が開いていることに気づきます。
「……アルベリックさん?」
そろりとリビングに顔を出せば、壁際の椅子に座るアルベリックさんがいました。両腕を組み、ほんの少し壁に頭をもたれて、動きません。どうやら、寝ているようです。
少しの休憩に、戻って来たんでしょうか。
ちょうど窓からの日差しが、彼に降り注いでいました。
瞼を閉じるきっかけは、冷たくなった秋風とは対照的な、窓からのぽかぽか陽気だったに違いありません。
ですが直接の日差しは、さすがに眩しいのでしょうか。少しだけ寄った眉間が疲れからくるものだったとしても、そのまま放ってはおけませんでした。
レースのカーテンを引こうと、手を伸ばしたとき。
腕を、大きな手に取られました。
「……起こしてしまいましたか?」
「いい、寝るつもりはなかったんだが、つい」
眠気を覚ますかのように軽く頭を振るアルベリックさんは、やっぱりあの青い目の大型犬のようだと思いました。
ついつい微笑めば、不思議そうに見上げるアルベリックさん。
平和で、穏やかな碧。
「少しでも休んだ方が……」
「すぐ戻る」
「じゃあ、お腹空いてませんか、パイをもらってきたんです」
「いい、今はなにも。こうしているだけで」
しばらく家に戻れない日に、こうして時間を作ってくれるのは、相変わらすです。きっとこれからも、そんなアルベリックさんの優しさは変わらないと思います。
「じゃあ、私も少しだけ」
「そうだな」
腕を引かれて隣に収まり、二人そろって日向ぼっこです。
自然と口をつくのは、今日の出来事。辺境での暮らしは同じことの繰り返し。毎日は変わらないはずなのに、楽しいことはひっきりなしに起こって……私の報告もまた相変わらずなのです。
アルベリックさんは黙って聞いているだけだけど、大丈夫。
ほんの僅かな彼の表情の変化を、見逃すことはありません。
だって私はにがお絵屋です。
これまでも、そしてこれからも、ずっと。
これまでの旅のなかで、互いを理解してきたのでしょう。結依さんだけでなく、二人を取り巻く雰囲気までが、以前とはかなり違っています。
まずは事務的に、経過報告をするソランさん。
馬車での旅路は順調で、以前のように魔獣の気配など、微塵も感じられなかったのだそう。
うん、そうだろうと思います。
結衣さんを連れていれば、旅は安全に違いありません。だって結衣さんの加護は、彼女を望む目的地に運ぶものですから。
「それにしたって隊長、根回し早すぎです。一旦はノエリアに戻らされるとばかり……」
真っ先に頭を抱えるようにしてそう吐き出したのは、ソランさんです。
セレスフィアへの配置変えについて希望したのは本人なのですが、まさか帰ってくるなり辞令が出て、しかもセレスフィアにトンボ帰りとは思ってもみなかったのですって。
「まずかったか?」
「……いえ、そういうわけではないんですが」
「家族のこと、心配ですよね?」
私の問いに、言葉を詰まらせるソランさん。
でも分からなくはないのです、離れて暮らしている娘さんのこととか、気にならないはずはありませんから。
ただでさえ単身赴任でのローウィン、それからノエリア勤務。一度も故郷に戻ることなく、今度はもっと離れた街セレスフィアです。
しかし彼の憂慮はそこではありませんでした。
「あー……いや、それは大丈夫だけど。その、ユイの邪魔になるんじゃないかと思って」
「……私の?」
「セレスフィアに戻るっていっても、顔見知りがいた方がいいだろうとは思うが、俺がユイにとってその……安心できるような対象かどうか、聞くに聞けずだったろう? だから、迷惑じゃないか?」
そんなソランさんの言葉を受けて、私とアルベリックさんも結衣さんに自然と視線を向けます。
すると彼女の驚いたような顔が、徐々に赤くなっていきました。
「わ、私は……」
結衣さんは、私やアルベリックさんをチラチラと見てはみては、うつむきます。
「そんなこと、ない……セレスフィアでの生活は楽しみでもあるけれど、すごく心細いのもあるから……だから邪魔だなんて」
「本当か?」
「何度も言わせないでよ、恥ずかしい!」
ソランさんから、少しだけ視線をはずしたまま、真っ赤になって怒る結衣さん。
彼女の凍った心は、少しずつだけれど溶けはじめているのでしょう。
根気強く彼女を促したのは、ソランさん。でもそれ以上に、結衣さんだって頑張ったに違いありません。
そんな二人のやり取りを見ていると、私とアルベリックさんにできることは、もうあまり無いのかもしれないと思うのです。
同じことを感じているのか、アルベリックさんも微笑みながら見守っています。
「でもそうよ、カズハさんが言う通り、家族のことは……?」
「ああ、気にしなくてもいい。実は娘がローウィンに来たのは、自分は街を離れたくないって文句を言うためだったんだ。どうせならノエリアで暮らさせてやろうかと思って手紙を送ったんだ、そしたら好きな野郎がいるからお断りだと……聞いてねえっての。まだ早いし、なに考えてんだって言ったら、ろくでもない親父より家のことを手伝ってくれて、おふくろも公認してるってんだぞ、信じられるか?」
話していくうちに思い出したのか、語尾が荒くなるソランさん。しっかり者の娘さんとは聞いていましたが、そんなやりとりをしていたとは。
悪いとは思うのですが、我慢できずに噴き出してしまいました。
「笑うなよ」
「あはは、すみません。でも父親って娘は成長しないと思い込んでいるって、お母さんが言ってました」
まさに、その通りなんだなと納得してしまいました。
「……覚えてろよ、おまえもそのうち味わうからな! 娘なんぞ心労ばかりだ」
ソランさんが私にそう言いながら、アルベリックさんにも視線を向けます。
確かに、そうかもしれませんね。
いつか私も、ソランさんと同じことを思う日がくるかもしれません。
「でも、どんな理由があっても、連絡だけはきちんとしてあげて。きっと心配してるから」
結衣さんの意見に、私も賛成です。
私たちのように、もう二度と会えないわけでもないし、手紙だって出しさえすれば届くのですから。
ソランさんは一転して真剣な面持ちで、私たちに必ずそうすると約束してくれました。
それから、私とアルベリックさんが明日の朝、ノエリアに向けて旅立つことを告げ、再びお別れです。
互いに新しい人生の門出を祝って。
ソランさんと結衣さんはしばらく王都に滞在した後、手続きを終えたらセレスフィアに引き返す旅。私とアルベリックさんは、ノエリアへ。
「短い再会でしたが、二人の仲が穏やかで自然なものになっていて、安心しました」
改めてそう切り出したのは、既に王都を発ってローウィンを間近にした休憩所でのことです。
いつも通りハデュロイの背に身を任せ、私たちは空の旅の真っ最中。
「ああ、そうだな」
「世間ではケンカップルなどという言葉もあるくらいですし、案外上手くいくのではないかと思っていたんですよね」
「……ケンカップル?」
「それはですねえ、喧嘩するほど仲の良い夫婦や恋人同士のことですよ。うちの両親なんかは恥ずかしいほどラブラブなんですが、反対にしょっちゅう口喧嘩してても離れられない人たちのことだそうです。ああ、アルマさんたち夫婦がいい例です」
あまりアルベリックさんには必要なさそうな知識を説明しながら、ますます疑問を深めている彼を眺めます。
ソランさんたちと別れた翌朝、レヴィナス家の方々に見送られ、私たちは予定通りに王都を出発しました。
可愛い甥っ子たちとは、格別に別れ難かったのですが、彼らのスケッチをたくさん持ち帰ることで、自らを慰めることにしました。すぐに大きくなってしまうでしょうけれど、帰ったら額縁に飾ります。
それとニコラ君からは、カーラさんへの手紙を預かってきました。何が書いてあるのかとっても気になるのですが、それはほら、受け取ったカーラさんの反応で推察するつもりです。それも楽しそうでしょう?
それを聞いてアルベリックさんは、ちょっと難しい顔で「ほどほどにな」ですって。
アルベリックさんがいれてくれた温かいお茶を飲みながら、これまでのことを振り返っていたところです。
いつも通りゴタゴタのうえに、とんだ寄り道な夏休暇。秋が終わる前に帰れることになって、本当に良かった。
「そういえば、ソランさんはノエリアに私物がそのままですけど、困らないんですか?」
「ああ、リュファスに連絡してある。まとめてセレスフィアに送らせることになった」
「そんな簡単に……いくら宿舎住まいとはいえ、荷物もろくにないなんて」
「いずれ移動になるかもしれないとは、考えていたんだろう。そもそも懲罰だからな」
「そうでした、すっかり忘れて……ました」
あれだけの誘拐騒ぎで、忘れてた何もないだろうと。アルベリックさんの目がそう言ってます、絶対に気のせいじゃないです。
「そ、そういえば、リュファスさん元気でしょうか」
「連絡は定期的にしている、特になにも報告は受けていないから、元気だろう」
「……怒ってるかなあ、予定変更でセレスフィアまで行ったこと。でも不可抗力ですし、うーん」
唸りながら、カップを両手で抱えて暖をとっていると、アルベリックさんが鞄から毛布を出してくれました。
「一緒に叱られてやる」
「一緒にですか? あ、アルベリックさんも何か心当たりがあるとか?」
「いや、そういうわけではないが……」
「言っておきますけど、私にもありませんよ、叱られるネタなんて……むしろ誉めてもらいたいくらいです」
うん、不安なことがいっぱいあったけれど、こうして無事に帰れるんですから。
だけどリュファスさんってば、なにを言い出されるか分かったもんじゃありません。ちょっと私に厳しすぎると思いませんか、まるでお姑さんです。
戦々恐々とする私を慰めるように、アルベリックさんが言います。
「少なくとも、愚痴は聞くはめになるだろうな、少々長い休暇になった」
確かに、予定を大幅にオーバーしましたから、嫌みの一つ二つは覚悟が必要かもしれません。
それに……心配もかけたと思います。
リュファスさんのサラサラヘアーが減らないうちに、アルベリックさんを連れて帰らないと。
肩にかけてくれる上掛けを奪い取り、それをアルベリックさんの上にかけて私はその横に潜り込みます。
「どうせなら暖を取るのも一緒にしましょう、効率がいいです」
「それではカズハが、はみ出る」
二人ではさすがに小さかったようで、右肩がはみ出ていました。でもくっついている反対側がぽかぽかなので、気にならないのです。
それなのにアルベリックさんは、よりたくさんの布を私の方に寄せて被せました。
いつもなら負けじと譲り合いを始めるところですが、休憩小屋の外から聞こえる物音に、手を止めることに。
ここは山の上にある、警備隊管轄の休憩所です。きっと任務で移動中の警備隊兵さんたちが来たのでしょう、アルベリックさんが立ち上がり窓を確認しています。
「緊急ではなさそうだ」
そう告げるアルベリックさんの言葉と同時に、数人の黒い制服を着た男性たちが入ってきました。
警備隊ではなく王国軍兵士たちでした。口々に「寒い」と言いながら入ったところで、私とアルベリックさんの存在にようやく気づいたようです。
鳩が豆鉄砲くらったような顔で固まっていますよ。
「どうぞ、暖まってください」
私が囲炉裏で手招きすると、はっとしたようにアルベリックさんと私を見比べて「失礼しました」と出ていこうとするじゃありませんか。
待って待って、同じ空の旅、寒さは身に染みるのです。
え、そういう問題じゃない?
ああアルベリックさんを気にしていたようです。うん、黙ってると迫力ありますからね。
それも違うんですか?
じゃあ何だっていうんですかと、出発の準備をしにアルベリックさんが席を外した隙に尋ねてみました。
無言で囲炉裏の前に座った方々は、どうやらローウィンの王国軍兵だったようです。ローウィンが近いですからね、不思議ではありません。それも私が拐われたときに、仕方なくとはいえマナドゥ中佐に従っていたとか……
あの時の鬼神のごときアルベリックさんに対峙した瞬間、死ぬかと思ったそうです。
それはもう、ご愁傷さまとしか言いようがありません。
「アルベリックさんは気づいていたんですか、彼らがローウィン駐在の王国軍兵士だってことを」
ハデュロイの背に乗り、風をつかんで安定してから尋ねます。
「制服には所属部隊の紋章をつけることになっている」
「……そうでしたっけ?」
彼らがアルベリックさんのいないところで、一年前のことをしきりに謝ってきたことを伝えます。
よくないことだと分かってはいたけれど、逆らえなかったこと。無体なことをしてしまった、心から後悔していると、揃って頭を下げてくれたことを。
「全然、気にしてなかったんですけど、ちゃんと受け取った方が彼らにもいいのかなって。だから……」
私は彼らに許すと、告げました。
既に私がなんとも思ってないことは、彼らにとっては重要ではないのかもしれない、そう感じたのです。
起きてしまったことは良くないことだったけれど、関わったすべての人が罪を受けました。それは主犯であった中佐と、彼らの後ろ楯となってきたセレスフィアまで及んだのです。今回のセレスフィア反乱は、先代伯爵時代から続いた歪みで……。
仕方なくとはいえ、旧態依然の権力に拘る配下を、力で押さえつけるしかなかったカロンさん自身に、その歪みが反ったとも言えるかもしれません。
「私は事件の唯一の被害者なのではなく、たくさんのなかの歯車のひとつ……当事者の一人にすぎないのです。だから出来ることも多くありません」
だけどアルベリックさんがいてくれて、レヴィナス家の人々、それから陛下やサミュエルさんたちが手を貸してくれるから、なんとかなってるのです。加護の力は無くても、彼らなら同じ結果を引き寄せていくはずです。
私の加護はもう、徐々に失われていくでしょう。でもわたしもまた、アルベリックさんと力を合わせて、歯車となって生きていくのです。特別な力なんてなくとも。
でも今は、それがとても誇らしい。
ああ、大人なわたし……また旅を経て一回り成長できたようです。
「歯車? きみはそんな出来たものじゃなくて、嵐の目だろう、加護なんて関係なくね。隊長と彼の一族にどれだけ甘やかされて帰ってきたのかな、カズハちゃん?」
自画自賛の陶酔が覚めきらぬ数日後、無事にノエリアに帰り着いた私の背筋を凍らせるのは、変わらぬ美貌のリュファスさん。忙しくて死にそうだったと言うわりに、お肌も髪も艶々ですね。少なからず国中を旅してきましたが、リュファスさんの美貌は辺境では宝の持ち腐れです。いえ、都会ならどう腐らないのかも分かりませんが……
正反対に帰還早々、仕事に追われるアルベリックさんは休憩もままならない状態です。
だからというわけではないですが、休息を取っていたリュファスさんを捕まえて、長い旅の武勇伝を聞かせていたのです。実はセリアさんにせっつかれて、たまっている冬支度のあれこれから、逃げてきただけだというのは内緒です。
警備隊鍛練場の片木陰での読書を邪魔されたわりに、珍しく私の話に耳を傾けてくれていたリュファスさん。だからつい、調子にのってしまったといいますか……
「やだなあリュファスさん、歯車はものの例えですってば」
「いや、この際だからはっきり自覚した方がいいと思うよ。隊長も黄金のグリフォンを戴いたわけだし、今後もきみは動くたびに隊長や僕たちを巻き込んでいくんだ、保証するよ」
「ひどい、それじゃ私がいない方が平和みたいじゃないですか」
その言葉に、リュファスさんがきょとんとしています。
「……だから僕はいつも、きみはバカだって言ってるんだよ」
呆れたようにそう言うと、リュファスさんは再びしおりを入れたページを開きます。
バカは否定しませんけど、ちょっと釈然としません。
ふとリュファスさんは本に落としていた視線を上げます。そして離れた宿舎の方を見て、小さく笑いながら。
「いいんじゃない? 嵐の中心は無風なんだから。カズハちゃんが離れなければ、隊長は平和で穏やかでいてくれる。少なくとも、僕はそれで満足だよ」
なんだか良いこと言ったみたいな顔ですよ。
「でもそれって、やっぱり迷惑ってことじゃないですか。アルベリックさんは平和でもそれ以外は? どうでもいいんですか?」
「いいんじゃない? 手の届く範囲で」
素っ気なくそう言うリュファスさんは、いつも通りの涼しい顔。
ページをめくる手は、その優美な顔立ちに似合わず、筋張っていて大きい。
「荒事は、隊長がなんとかするでしょ」
「僕が、じゃないところがリュファスさんらしいです」
「隊長の尻拭いくらいはするけど、きみのはごめんだね」
そう言いながらも、アルベリックさんのついでに面倒を見てくれるリュファスさん。私が落ちて来たときから、ずっと守っていてくれたのは、二人なのです。
アルベリックさんとリュファスさん。この二人の「手の届く範囲」がどんなに広いのでしょう。
「ほら、いいかげん帰ったらどう? マリーに雷を落とされるよ」
ギクリとする私に、リュファスさんはニヤリ。
「バレてました?」
「田舎の情報網を舐めてる?」
「……いいえ、とんでもない」
そうです、しっかり者のマリーに指導を受けながらの冬支度。これから一緒に塩漬け肉を仕込む予定なのですが、それまでに繕いものを宿題に出されたのです。ちゃんとやろうと思ったんですよ、でもこたつを出したら眠気に勝てず……
「ほら、噂をすれば」
「ぎゃ、マリー!」
遠くからマリーがこちらに向かって歩いてくるのが分かります。
ああ、いつもより大股で顎を引いています。あれはお怒りのマリーに違いありません。
「わー、大変。私、先回りして戻ります。ちょっとの間でいいですから、時間稼ぎしてくださいリュファスさん」
「は? なんで僕が」
鍛練場の柵を乗り越え、広場を突っ切って帰ることにします。
華麗に柵から飛び降りて、リュファスさんを振り返るのですが、彼の表情は思った通り。
彼らしくなく狼狽していて、でもマリーに向ける目は……
「じゃ、よろしくです。くれぐれも、マリーを苛めすぎないでくださいね! そんなことしたらコリーヌ婦人に言いつけますから」
「ちょっと、まて、どういう意味だよ……カズハちゃん?」
ダッシュしながら慌てふためくリュファスさんを振り返り、私は満足です。
次第に近づいてくるマリーを見て立ち上がり、土と枯れ葉を払うリュファスさん。
いいですか、リュファスさんが言った通りですよ。田舎の噂話を舐めたらダメなんです。
浮き名を流してきた色男の年貢の納め時は、ぜひとも物陰から眺めたいところですが、グリフォンに蹴られたくないので今日は退散です。
実際、マリーに問い詰められる原因があるのは、本当ですしね。
「世話が焼けますよ、リュファスさん」
任務完了とばかりにスキップしながら戻ったのは、オランド亭。そこでセリアさんの特製パイを受け取り、市場でおばちゃんたちに経過報告です。
しっかり者だけど堅物すぎてなかなか良い相手が現れなかったマリーと、正反対に女性に秋波を送られっぱなしのリュファスさん。二人の仲を後押しするのは、逆らってはいけない町のおばちゃんたちからの指示があったからです。
しかしあくまでも、リュファスさんのためではありませんので、悪しからず。
いつの間にか意識しあう二人を、鉢合わせさせたのは強引だったけれど、マリーがリュファスさんを嫌がったら、全力で阻止する用意はあるそうです。おばちゃんは強し。
頑張れ、リュファスさん。
鼻唄を歌いながら自宅に帰りつき、ノブに手をかけたところで、鍵が開いていることに気づきます。
「……アルベリックさん?」
そろりとリビングに顔を出せば、壁際の椅子に座るアルベリックさんがいました。両腕を組み、ほんの少し壁に頭をもたれて、動きません。どうやら、寝ているようです。
少しの休憩に、戻って来たんでしょうか。
ちょうど窓からの日差しが、彼に降り注いでいました。
瞼を閉じるきっかけは、冷たくなった秋風とは対照的な、窓からのぽかぽか陽気だったに違いありません。
ですが直接の日差しは、さすがに眩しいのでしょうか。少しだけ寄った眉間が疲れからくるものだったとしても、そのまま放ってはおけませんでした。
レースのカーテンを引こうと、手を伸ばしたとき。
腕を、大きな手に取られました。
「……起こしてしまいましたか?」
「いい、寝るつもりはなかったんだが、つい」
眠気を覚ますかのように軽く頭を振るアルベリックさんは、やっぱりあの青い目の大型犬のようだと思いました。
ついつい微笑めば、不思議そうに見上げるアルベリックさん。
平和で、穏やかな碧。
「少しでも休んだ方が……」
「すぐ戻る」
「じゃあ、お腹空いてませんか、パイをもらってきたんです」
「いい、今はなにも。こうしているだけで」
しばらく家に戻れない日に、こうして時間を作ってくれるのは、相変わらすです。きっとこれからも、そんなアルベリックさんの優しさは変わらないと思います。
「じゃあ、私も少しだけ」
「そうだな」
腕を引かれて隣に収まり、二人そろって日向ぼっこです。
自然と口をつくのは、今日の出来事。辺境での暮らしは同じことの繰り返し。毎日は変わらないはずなのに、楽しいことはひっきりなしに起こって……私の報告もまた相変わらずなのです。
アルベリックさんは黙って聞いているだけだけど、大丈夫。
ほんの僅かな彼の表情の変化を、見逃すことはありません。
だって私はにがお絵屋です。
これまでも、そしてこれからも、ずっと。
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
完結おめでとうございます!
脳内でカラフルな絵が場面場面で浮かぶような、そんな物語でした。天然で元気キャラのカズハちゃん、物静かだけど勇猛なアルベリックさん。みんな大好きです。
「落ち人たち~」は登場人物がそれぞれ悩み、苦しみ、それでもなんとかしようとあがく様子をハラハラしながら見守っていました。けれどやっぱりぶれないアルベリックさんはすごい。いや、内心いろいろ葛藤はあったのかもしれませんが、いちばんぶれなかったなあと。
カズハちゃんが家族と再会するシーンは涙涙でした。でも、ちゃんと挨拶できてよかった。
ずっと応援していた作品が終わってしまうのはいつでも寂しいものですが、読み終わった後に胸の奥が暖かくなるようなラストでした。ユイさんのこと、ソランさんのこと、カロンさんのこれからともちろんすべてが解決ではないのかもしれないですが、きっとこれからみんな不器用ながらも手を取り合って前進していくんだろうなと思えました。
素敵な読書タイムをありがとうございました!お疲れ様!
お読みいただきありがとうございます。
色々と悩み苦しみを描くのは難しかったです。時間をかけたせいで、ついでに私もぶれつつ、読みにくい部分もあったかと思います。最後まで応援していただけて、本当に感謝です。
未来を予感してもらえたのが、書き手冥利に尽きます。あまり多くを語らないでそれぞれな人生の選択を予感してもらえれば、いいなぁと。
至らぬところも多々ありましたが、和葉の成長を楽しんでいただけたのでしたら、光栄です。
おっしゃる通り、アルベリックさんはぶれませんでしたね、そうなんです。ぶれる彼を想像できなくて、離ればなれにしてしまいましたくらいです。そうしないとお話が一瞬で終わってしまいますので……
彼がぶれるとき、それはきっと娘を嫁にやるとかそんな時くらいでしょう。そんな片鱗もいつかは書けたらなと、今は漠然と思ってます。
丁寧な感想を、ありがとうございました!