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第5章 黒い嵐
第2話 月光の女神
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シェンナは兄のデキウスと共に裏通りの道を歩く。
マルシャスの事は諦めていた。
この辺りは先程まで巡回していた地域よりも治安が良い。
シェンナは先程の事を思い出す。
巡回していたのは宿屋等が立ち並ぶ地区である。
このアリアディア共和国は大陸の東西を結ぶ交通の要衝であるため外からの旅人が多い。
しかし、今は特に外国人が多い。
理由は光の勇者様が原因である。彼を一目見ようと近隣諸国から人々がアリアディア共和国に来ているのだ。
そして、そんな外国人を狙った盗賊等も出る。
そのために法の騎士である兄は巡回していたのだ。
水路沿いの道は灯りが少ないが今日は月が出ているので明るく照明の魔法を使わなくても周囲を見る事ができる。
シェンナは横のデキウスを見る。
デキウスは鎖帷子の上に法衣を着て、腰には法の守護者に与えられる法のメイスを携えている。
「兄さん。その格好似合っているよ。真面目な兄さんにぴったりだね。いかにもオーディス様の騎士って感じでさ」
シェンナは兄の格好を見て言う。
法の騎士となったデキウスに会うのは初めてであった。
すでにデキウスは法の騎士になって、かなりの時間が経過していた。
その間忙しくて妹に会う機会がなかったのである。
シェンナと兄のデキウスはテセシアのイシュティア様の神殿で育った。
2人の母は有名な踊り子であると同時にイシュティア様の巫女だったイシュパシアである。
そのイシュパシアはオーディスの騎士である父ナキウス・ペリクレトスと出会い恋に落ちた。
しかし、自由な愛を主張し結婚を否定するイシュティアの巫女とでは正式な婚姻ができず。2人は別れる事になった。
だけど、兄は優秀で父の正妻が子供を産まないまま死んでしまい。
兄は後継ぎとして父に引き取られた。
それから、シェンナは兄と会う事は少なくなったが、時々、デキウスはシェンナの様子を見に神殿に来る事もあった。
「はは、まだ修業中の身だけどな……。それよりもお前の方はどうなんだ? 何か危ない事をしているのじゃないか?」
「そんな危ない事なんかしてないわよ」
シェンナはさらりと嘘を吐く。
オーディスの信徒と違いイシュティアの信徒は嘘を吐く事は禁じられていない。
だから、血を分けた兄であっても平然と嘘を吐く。心配をさせないために。
「本当かい? まさか体を売るなんて事は……」
「してないわよ。兄さんも知ってるでしょ。私が劇団に入っている事も。それからね、今度私主役をさせてもらえる事になったのよ」
シェンナは兄の前でくるりと回る。
イシュティア様の神殿で育てられた子供は大きくなると神殿から離れて生活しなければならない。
女の子のほとんどは娼婦になるが、シェンナはその道を選ばなかった。
イシュティア神殿は娼婦になる事を強制したりはしない。
代わりに選んだのは役者の道だ。
イシュティアは踊りや役者等の芸人の神でもある。だから、イシュティアの信徒であるシェンナが役者の道を選んでも良いはずであった。
もっとも娼婦と違い、役者のみで食べていくのは難しい。
ただ、シェンナは踊りの才能をミダスに認められて劇団「ロバの耳」に入団する事ができた。
そして、シェンナは今度、アリアディア共和国にある大劇場で主役を任された。これはかなりの大抜擢であった。
本来なら新米のシェンナには任されたりはしない。
そのため他の女性団員から陰口を叩かれる事もあった。
(姐さん達には悪いけど、私は主役をやりたい)
陰口を叩かれているのはわかっているが、それでもシェンナは主役をやりたいと思う。
そして、兄に見に来て欲しかった。
「ああ知っているよ。確かアルフェリアだったね。必ず見に行くよ」
今度行われる劇はアルフェリア。
魔女に攫われた恋人を助けに行く勇敢なお姫様の話しである。
ただ、勇者の饗宴のために少しだけ開演が延期されているが気がかかりであった。
「ええ、きっとよ。絶対に見に来てね兄さん」
「ああ、わかったよシェンナ。だけど、そろそろ前に話した事の返事を聞かせてもらえないか?」
「またその話なの? 私は改宗なんかしないよ。私はイシュティア様が大好きだもの。別に結婚できなくても困らないよ」
シェンナは首を振る。
兄であるデキウスはシェンナを引き取り、結婚の女神フェリアの信徒にしたいのである。
だけど、シェンナはそのつもりはない。
シェンナも母と同じくイシュティアの信徒である事に誇りを持っている。
だから結婚できなくても構わない。
正式な結婚をしなくても事実婚をすれば良いとさえ思っているのだ。
「しかし、やっぱりそのな……。一生結婚できないというのもな……」
「もうそんな事を言って。兄さんこそ結婚はしないの?色々と縁談があるって聞いているよ」
シェンナはデキウスに言う。
妹から見てもデキウスの容姿は良い。
さすがに光の勇者には劣るが、それでも結婚したいという近隣諸国のお姫様は多い。
だけど、デキウスはその全てを断っていた。
「それは、いや……。私はまだ修行中の身だからな。まだ結婚は考えられない」
シェンナはその言葉を聞いてため息を吐く。
デキウスが無理をしている事がわかるからだ。
法と契約の神オーディスは結婚と出産の女神フェリアの夫だ。
そのため正式な婚姻によらずに生まれた子は、歓迎されない。
デキウスはその出自の事で周りから色々と言われている事をシェンナは知っている。
だからこそ、デキウスは誰よりもオーディス信徒として振る舞っているのだ。
シェンナに改宗をするように言うのはそのためでもある。
もっとも、奥手で真面目な兄の事だから、女性と付き合う事にためらいがあるのかもしれないとも思う。
シェンナはそんな兄が恋に落ちる所を見てみたくなる。
それは意地悪な考えであった。
やがて、2人は水路沿いの道へと入る。
その道を歩いている時だった、前方に人がいるのが見える。
2人の男女である。
一時恋人同士かと思ったが着ている服装から見てどこかの令嬢と従者の男性といった所だろう。
「外国の人かな? こんな所で何をしているのだろう?この辺りは治安が良い方だけど、それでも夜に出歩くのは危ないのに」
シェンナは自身の事は棚に上げて呆れた声を出す。
この水路沿いの道は広いが人通りが少なく昼間はともかく夜にこのあたりを歩くのは危険だ。
おそらく彼女はこの先にある高級住宅街の知り合いを訪ねて来たどこかの国の令嬢だろう。
雰囲気もそんな感じである
そして、今はお姫様が出歩くような時間ではなかった。
「注意をした方が良いかもしれないな……。シェンナはここで待っていてくれないか?」
「わかったわ。兄さん」
デキウスはシェンナを残して2人に近づく。
2人は道の水路の側に立って月を見上げている。
「そこの者。ちょっと良いか?」
デキウスは2人に近づき声を掛ける。
声を掛けると女性がデキウスとシェンナの方を見る。
「えっ……?」
おもわずシェンナは声を出す。
その女性はあまりにも美しかった。
月が明るいためその顔ははっきりと見る事が出来る。
整った顔立ちに白磁のように白い肌。
薄紅色の唇。
瞳は星のように美しい。
そして何より目を引くのはその髪だ。
白銀の髪が月明かりを反射して幻想的に輝いている。
もはや目を離す事が出来なかった。
「何だお前は……」
「待って」
女性が何か言おうとするのを側にいた従者らしき男が遮る。
「あの……何でしょうか?」
従者らしき男が尋ねてくる。
しかし、デキウスは女性から目が離せない。
「えっ……あの……」
デキウスは声を出そうとしているが、うまく言葉が出せない。
シェンナは無理もないと思う。
あれ程美しい女性は初めてであった、誰もが驚きで声が出せなくなるだろう。
「あの……騎士様とお見受けしますが、我々は光の勇者様を見に来ただけです。怪しい者ではございません」
従者らしき男が話しかけるがデキウスは相変わらず声を出せない。
シェンナも女性から目が外せなかった。
女性は訝しげな目でデキウスを見ている。
その表情から不機嫌である事はわかる。
「兄さん!!」
シェンナは大声を出す。
そこで、デキウスは我に返る。
「えっ……と」
「ほらちゃんと言わなきゃ!!」
「あっ……あのっ! 夜は危険ですので! あまり出歩かないようにお願いしますっ!!」
デキウスの声が裏返る。
そんなデキウスに対して女性は冷たい瞳を向けている。
「そうですか……。わざわざありがとうございます。それでは我々はこれで」
従者の男性はそう言うと白銀の髪の女性と共に去って行く。
「すごい美人だったね兄さん。思わず見惚れちゃったよ……」
2人が去るとシェンナは近づき後ろから兄に声を掛ける。
だけどデキウスは何の反応もしない。
「ちょっと兄さん?」
シェンナは声を掛けるが2人が去った方向をじっと見たままだ。
「女神様……。あれは月光の女神様だ……」
デキウスは呟く。
その顔がうっとりとしている。
シェンナは兄が恋に落ちる瞬間を見てしまったのだった。
◆
「お帰りなさいませ。旦那様にクーナ様」
クロキとクーナはトルマルキスの別宅に戻るとリジェナが出迎えてくれる。
先程までクロキ達は一緒に夜の街を散歩していた。
寝るにはまだ早い。そう思い折角だから夜の街を見に行ったのだ。
「うむ、出迎えご苦労だぞリジェナ」
クーナは胸を張って言う。
その様子は完全に女主人だ。
「出迎えご苦労様リジェナ」
クロキもリジェナを労う。
「ふふ、どういたしまして旦那様。夜の散歩はいかがでしたか?」
「中々良かったよリジェナ。他の国に比べてアリアディアは見る物が多いね」
アリアディア共和国は今まで見た人間の国で最大である。
他の小さな国では夜になると真っ暗になるがアリアディア共和国では夜でも明るい所があり、娯楽も多い。
しかし、中にはかなり卑猥な物もあるのでクーナと一緒に行く事は難しかった。
クロキが調べた所によるとこの世界の宿屋は食堂も兼ねている。
宿屋の主人は酒神ネクトルの信徒で有る事が多く、宿屋の店先にはネクトルの聖印が下げられている。
1階の食堂では宿泊客達が飲み食いして賭博をする。
そして、娼婦でもある女性従業員を誘い2階で一緒に寝たりするのだ。
この世界でも男の娯楽は飲む・打つ・買うである。
ただし、女神フェリア信仰が強い国なので大っぴらには出来ない。
しかし、人の欲望を抑える事はできない。
こういった賭博や売春は半ば公然に行われている、。
そんな場所にクーナを連れて入るわけにはいかないので結局散歩しただけになってしまったのだった。
(まあ、今夜は月が綺麗だったので、それはそれで良かったのだけどね)
クロキはクーナと歩いた時の事を思い出す。
月光に照らされたクーナは幻想的でとても綺麗だった。
クロキはクーナが前よりも綺麗になったような気がしていた。
時々クーナから目が離せない時があるのである。
もっとも、その当のクーナ本人は何も自覚をしていない。
月を見上げている時に声を掛けて来た巡回中の騎士らしき男性もクーナに見惚れていた事をクロキは思い出す。
巡回の騎士はクロキと話をしていたのに一度もクロキの方を見なかった。
もっとも、見つめられていたクーナは騎士の事を既に忘れているようだあった。
あの騎士は気付かなかったようだけどクーナは魔法で彼を殺そうとしていた。
クロキが止めなければ死んでいただろう。
「ところでリジェナ。用意は出来ているのか?」
クーナは突然リジェナに尋ねる。
「はいクーナ様。お風呂の用意はできています」
「そうか、それではクロキ。一緒に入るぞ」
そう言ってクーナが引っ張る。
「いや……それはまずいだろ。リジェナもいるし」
クロキは首を振る。
そんな事をしたら大変な事になる。主に下半身的な意味で。
「それならば大丈夫だぞクロキ。リジェナよ、今日は気分が良いから一緒に入る事を許してやる。これなら問題はないだろう」
クーナがふふんと笑いながら言う。
クーナは名案だと思っているみたいだけど、クロキからすればそれはさらに問題である。
嫌がるのではないかと思い、クロキはリジェナを見る。
「本当ですか! ありがとうございますクーナ様! それでは私もご一緒させていただきますぅ!!」
しかし、予想に反してリジェナは嬉しそうだ。
そして、リジェナまでもクロキをお風呂へと引っ張る。
クロキはなぜか抵抗できないのだった。
◆
小悪党のマルシャスは暗い地下の道を歩く。
(何度来ても良い気分がしないな)
通路は薄暗く、気味の悪い雰囲気だ。
マルシャスはできればこんな道を歩きたくなかったのである。
しばらく歩くと開けた場所へと来る。
そこには複数の黒い服を着た複数の女性達がいる。
女性達のいる部屋の奥には山羊の頭を持つサテュロスの像が見える。
この場所は祭壇であり、女性達は先程まで祈りを捧げていたのだ。
「来たかいマルシャス」
女性の1人がマルシャスを見る。
20代半ばの美しい女だ。
しかし、マルシャスはこの女性が見た目通りの姿ではない事を知っている。
「へへへ、アイノエ姐さん。いきなりこんな所に呼び出して何か用ですかい? こちらもいろいろとやる事がありやして。何しろ明日はあの勇者様の前で演奏しなきゃならねえんですから」
マルシャスは卑屈な笑みを浮かべて女性ことアイノエに言う。
「話はその事だよ。マルシャス。お前は明日あのいけ好かない小娘と一緒に勇者の前で演奏するのだよね? 私は呼ばれなかったのにさ」
アイノエは悔しそうに言う。
いけ好かない小娘と言うのはシェンナの事だ。
マルシャスはシェンナを思い浮かべる。
足を舐めまわしたくなる美しい娘だ。
アイノエはそんなシェンナを嫌っている。
アイノエは劇団「ロバの耳」で一番の花形女優だ。
しかし、今はシェンナに今にも追い抜かれそうであった。
そして、今度の演劇の主役をシェンナに奪われた。
アイノエはその事が面白くなく思っている。
さらに言えば明日の勇者様の接待で呼ばれたのがシェンナだけなのが気に喰わない様子であった。
一応マルシャスも呼ばれているが、ただのオマケである。
マルシャスは明日サテュロスの格好をして笛を吹きながら踊る事になっている。つまり道化である。
中心で踊るシェンナとは比べようもない。
「そんな事を言っても仕方がないっしょ。それが仕事なんですからね」
マルシャスは両手を上げて首を振る。
「ふん、まあ良いさ。マルシャスこれを受け取りな」
そう言うとアイノエはマルシャスに何かを持ってくる。
「これは笛ですかい?」
マルシャスは渡された物を見て言う。
「そうだよ。その笛を吹くとね、魔物が現れてそれを操る事ができる。それであの小娘を殺して欲しいのさ」
「シェンナを殺すのですかい……?」
とんでもない事を言われてマルシャスは狼狽する。
まさかアイノエがそこまでシェンナを憎んでいるとは思わなかったのだ。
「そうさ、あの小娘を殺すのさ……。饗宴に来ている客を狙っていると見せかけてね。私達が犯人だとばれないようにうまくやりな」
そう言うアイノエの顔はうっとりしていた。
(狂っている)
マルシャスの背筋に冷たい汗が流れる。
周囲の女性達もくすくすと笑っている。
ここにいるのは全員魔女なのである。
全員が黒いサテュロスと交わり霊感を得た者達だ。
そして、マルシャスは犠牲の羊であった。
マルシャスは渡された笛を見る。
そこには黒山羊の頭の紋章が描かれていた。
マルシャスの事は諦めていた。
この辺りは先程まで巡回していた地域よりも治安が良い。
シェンナは先程の事を思い出す。
巡回していたのは宿屋等が立ち並ぶ地区である。
このアリアディア共和国は大陸の東西を結ぶ交通の要衝であるため外からの旅人が多い。
しかし、今は特に外国人が多い。
理由は光の勇者様が原因である。彼を一目見ようと近隣諸国から人々がアリアディア共和国に来ているのだ。
そして、そんな外国人を狙った盗賊等も出る。
そのために法の騎士である兄は巡回していたのだ。
水路沿いの道は灯りが少ないが今日は月が出ているので明るく照明の魔法を使わなくても周囲を見る事ができる。
シェンナは横のデキウスを見る。
デキウスは鎖帷子の上に法衣を着て、腰には法の守護者に与えられる法のメイスを携えている。
「兄さん。その格好似合っているよ。真面目な兄さんにぴったりだね。いかにもオーディス様の騎士って感じでさ」
シェンナは兄の格好を見て言う。
法の騎士となったデキウスに会うのは初めてであった。
すでにデキウスは法の騎士になって、かなりの時間が経過していた。
その間忙しくて妹に会う機会がなかったのである。
シェンナと兄のデキウスはテセシアのイシュティア様の神殿で育った。
2人の母は有名な踊り子であると同時にイシュティア様の巫女だったイシュパシアである。
そのイシュパシアはオーディスの騎士である父ナキウス・ペリクレトスと出会い恋に落ちた。
しかし、自由な愛を主張し結婚を否定するイシュティアの巫女とでは正式な婚姻ができず。2人は別れる事になった。
だけど、兄は優秀で父の正妻が子供を産まないまま死んでしまい。
兄は後継ぎとして父に引き取られた。
それから、シェンナは兄と会う事は少なくなったが、時々、デキウスはシェンナの様子を見に神殿に来る事もあった。
「はは、まだ修業中の身だけどな……。それよりもお前の方はどうなんだ? 何か危ない事をしているのじゃないか?」
「そんな危ない事なんかしてないわよ」
シェンナはさらりと嘘を吐く。
オーディスの信徒と違いイシュティアの信徒は嘘を吐く事は禁じられていない。
だから、血を分けた兄であっても平然と嘘を吐く。心配をさせないために。
「本当かい? まさか体を売るなんて事は……」
「してないわよ。兄さんも知ってるでしょ。私が劇団に入っている事も。それからね、今度私主役をさせてもらえる事になったのよ」
シェンナは兄の前でくるりと回る。
イシュティア様の神殿で育てられた子供は大きくなると神殿から離れて生活しなければならない。
女の子のほとんどは娼婦になるが、シェンナはその道を選ばなかった。
イシュティア神殿は娼婦になる事を強制したりはしない。
代わりに選んだのは役者の道だ。
イシュティアは踊りや役者等の芸人の神でもある。だから、イシュティアの信徒であるシェンナが役者の道を選んでも良いはずであった。
もっとも娼婦と違い、役者のみで食べていくのは難しい。
ただ、シェンナは踊りの才能をミダスに認められて劇団「ロバの耳」に入団する事ができた。
そして、シェンナは今度、アリアディア共和国にある大劇場で主役を任された。これはかなりの大抜擢であった。
本来なら新米のシェンナには任されたりはしない。
そのため他の女性団員から陰口を叩かれる事もあった。
(姐さん達には悪いけど、私は主役をやりたい)
陰口を叩かれているのはわかっているが、それでもシェンナは主役をやりたいと思う。
そして、兄に見に来て欲しかった。
「ああ知っているよ。確かアルフェリアだったね。必ず見に行くよ」
今度行われる劇はアルフェリア。
魔女に攫われた恋人を助けに行く勇敢なお姫様の話しである。
ただ、勇者の饗宴のために少しだけ開演が延期されているが気がかかりであった。
「ええ、きっとよ。絶対に見に来てね兄さん」
「ああ、わかったよシェンナ。だけど、そろそろ前に話した事の返事を聞かせてもらえないか?」
「またその話なの? 私は改宗なんかしないよ。私はイシュティア様が大好きだもの。別に結婚できなくても困らないよ」
シェンナは首を振る。
兄であるデキウスはシェンナを引き取り、結婚の女神フェリアの信徒にしたいのである。
だけど、シェンナはそのつもりはない。
シェンナも母と同じくイシュティアの信徒である事に誇りを持っている。
だから結婚できなくても構わない。
正式な結婚をしなくても事実婚をすれば良いとさえ思っているのだ。
「しかし、やっぱりそのな……。一生結婚できないというのもな……」
「もうそんな事を言って。兄さんこそ結婚はしないの?色々と縁談があるって聞いているよ」
シェンナはデキウスに言う。
妹から見てもデキウスの容姿は良い。
さすがに光の勇者には劣るが、それでも結婚したいという近隣諸国のお姫様は多い。
だけど、デキウスはその全てを断っていた。
「それは、いや……。私はまだ修行中の身だからな。まだ結婚は考えられない」
シェンナはその言葉を聞いてため息を吐く。
デキウスが無理をしている事がわかるからだ。
法と契約の神オーディスは結婚と出産の女神フェリアの夫だ。
そのため正式な婚姻によらずに生まれた子は、歓迎されない。
デキウスはその出自の事で周りから色々と言われている事をシェンナは知っている。
だからこそ、デキウスは誰よりもオーディス信徒として振る舞っているのだ。
シェンナに改宗をするように言うのはそのためでもある。
もっとも、奥手で真面目な兄の事だから、女性と付き合う事にためらいがあるのかもしれないとも思う。
シェンナはそんな兄が恋に落ちる所を見てみたくなる。
それは意地悪な考えであった。
やがて、2人は水路沿いの道へと入る。
その道を歩いている時だった、前方に人がいるのが見える。
2人の男女である。
一時恋人同士かと思ったが着ている服装から見てどこかの令嬢と従者の男性といった所だろう。
「外国の人かな? こんな所で何をしているのだろう?この辺りは治安が良い方だけど、それでも夜に出歩くのは危ないのに」
シェンナは自身の事は棚に上げて呆れた声を出す。
この水路沿いの道は広いが人通りが少なく昼間はともかく夜にこのあたりを歩くのは危険だ。
おそらく彼女はこの先にある高級住宅街の知り合いを訪ねて来たどこかの国の令嬢だろう。
雰囲気もそんな感じである
そして、今はお姫様が出歩くような時間ではなかった。
「注意をした方が良いかもしれないな……。シェンナはここで待っていてくれないか?」
「わかったわ。兄さん」
デキウスはシェンナを残して2人に近づく。
2人は道の水路の側に立って月を見上げている。
「そこの者。ちょっと良いか?」
デキウスは2人に近づき声を掛ける。
声を掛けると女性がデキウスとシェンナの方を見る。
「えっ……?」
おもわずシェンナは声を出す。
その女性はあまりにも美しかった。
月が明るいためその顔ははっきりと見る事が出来る。
整った顔立ちに白磁のように白い肌。
薄紅色の唇。
瞳は星のように美しい。
そして何より目を引くのはその髪だ。
白銀の髪が月明かりを反射して幻想的に輝いている。
もはや目を離す事が出来なかった。
「何だお前は……」
「待って」
女性が何か言おうとするのを側にいた従者らしき男が遮る。
「あの……何でしょうか?」
従者らしき男が尋ねてくる。
しかし、デキウスは女性から目が離せない。
「えっ……あの……」
デキウスは声を出そうとしているが、うまく言葉が出せない。
シェンナは無理もないと思う。
あれ程美しい女性は初めてであった、誰もが驚きで声が出せなくなるだろう。
「あの……騎士様とお見受けしますが、我々は光の勇者様を見に来ただけです。怪しい者ではございません」
従者らしき男が話しかけるがデキウスは相変わらず声を出せない。
シェンナも女性から目が外せなかった。
女性は訝しげな目でデキウスを見ている。
その表情から不機嫌である事はわかる。
「兄さん!!」
シェンナは大声を出す。
そこで、デキウスは我に返る。
「えっ……と」
「ほらちゃんと言わなきゃ!!」
「あっ……あのっ! 夜は危険ですので! あまり出歩かないようにお願いしますっ!!」
デキウスの声が裏返る。
そんなデキウスに対して女性は冷たい瞳を向けている。
「そうですか……。わざわざありがとうございます。それでは我々はこれで」
従者の男性はそう言うと白銀の髪の女性と共に去って行く。
「すごい美人だったね兄さん。思わず見惚れちゃったよ……」
2人が去るとシェンナは近づき後ろから兄に声を掛ける。
だけどデキウスは何の反応もしない。
「ちょっと兄さん?」
シェンナは声を掛けるが2人が去った方向をじっと見たままだ。
「女神様……。あれは月光の女神様だ……」
デキウスは呟く。
その顔がうっとりとしている。
シェンナは兄が恋に落ちる瞬間を見てしまったのだった。
◆
「お帰りなさいませ。旦那様にクーナ様」
クロキとクーナはトルマルキスの別宅に戻るとリジェナが出迎えてくれる。
先程までクロキ達は一緒に夜の街を散歩していた。
寝るにはまだ早い。そう思い折角だから夜の街を見に行ったのだ。
「うむ、出迎えご苦労だぞリジェナ」
クーナは胸を張って言う。
その様子は完全に女主人だ。
「出迎えご苦労様リジェナ」
クロキもリジェナを労う。
「ふふ、どういたしまして旦那様。夜の散歩はいかがでしたか?」
「中々良かったよリジェナ。他の国に比べてアリアディアは見る物が多いね」
アリアディア共和国は今まで見た人間の国で最大である。
他の小さな国では夜になると真っ暗になるがアリアディア共和国では夜でも明るい所があり、娯楽も多い。
しかし、中にはかなり卑猥な物もあるのでクーナと一緒に行く事は難しかった。
クロキが調べた所によるとこの世界の宿屋は食堂も兼ねている。
宿屋の主人は酒神ネクトルの信徒で有る事が多く、宿屋の店先にはネクトルの聖印が下げられている。
1階の食堂では宿泊客達が飲み食いして賭博をする。
そして、娼婦でもある女性従業員を誘い2階で一緒に寝たりするのだ。
この世界でも男の娯楽は飲む・打つ・買うである。
ただし、女神フェリア信仰が強い国なので大っぴらには出来ない。
しかし、人の欲望を抑える事はできない。
こういった賭博や売春は半ば公然に行われている、。
そんな場所にクーナを連れて入るわけにはいかないので結局散歩しただけになってしまったのだった。
(まあ、今夜は月が綺麗だったので、それはそれで良かったのだけどね)
クロキはクーナと歩いた時の事を思い出す。
月光に照らされたクーナは幻想的でとても綺麗だった。
クロキはクーナが前よりも綺麗になったような気がしていた。
時々クーナから目が離せない時があるのである。
もっとも、その当のクーナ本人は何も自覚をしていない。
月を見上げている時に声を掛けて来た巡回中の騎士らしき男性もクーナに見惚れていた事をクロキは思い出す。
巡回の騎士はクロキと話をしていたのに一度もクロキの方を見なかった。
もっとも、見つめられていたクーナは騎士の事を既に忘れているようだあった。
あの騎士は気付かなかったようだけどクーナは魔法で彼を殺そうとしていた。
クロキが止めなければ死んでいただろう。
「ところでリジェナ。用意は出来ているのか?」
クーナは突然リジェナに尋ねる。
「はいクーナ様。お風呂の用意はできています」
「そうか、それではクロキ。一緒に入るぞ」
そう言ってクーナが引っ張る。
「いや……それはまずいだろ。リジェナもいるし」
クロキは首を振る。
そんな事をしたら大変な事になる。主に下半身的な意味で。
「それならば大丈夫だぞクロキ。リジェナよ、今日は気分が良いから一緒に入る事を許してやる。これなら問題はないだろう」
クーナがふふんと笑いながら言う。
クーナは名案だと思っているみたいだけど、クロキからすればそれはさらに問題である。
嫌がるのではないかと思い、クロキはリジェナを見る。
「本当ですか! ありがとうございますクーナ様! それでは私もご一緒させていただきますぅ!!」
しかし、予想に反してリジェナは嬉しそうだ。
そして、リジェナまでもクロキをお風呂へと引っ張る。
クロキはなぜか抵抗できないのだった。
◆
小悪党のマルシャスは暗い地下の道を歩く。
(何度来ても良い気分がしないな)
通路は薄暗く、気味の悪い雰囲気だ。
マルシャスはできればこんな道を歩きたくなかったのである。
しばらく歩くと開けた場所へと来る。
そこには複数の黒い服を着た複数の女性達がいる。
女性達のいる部屋の奥には山羊の頭を持つサテュロスの像が見える。
この場所は祭壇であり、女性達は先程まで祈りを捧げていたのだ。
「来たかいマルシャス」
女性の1人がマルシャスを見る。
20代半ばの美しい女だ。
しかし、マルシャスはこの女性が見た目通りの姿ではない事を知っている。
「へへへ、アイノエ姐さん。いきなりこんな所に呼び出して何か用ですかい? こちらもいろいろとやる事がありやして。何しろ明日はあの勇者様の前で演奏しなきゃならねえんですから」
マルシャスは卑屈な笑みを浮かべて女性ことアイノエに言う。
「話はその事だよ。マルシャス。お前は明日あのいけ好かない小娘と一緒に勇者の前で演奏するのだよね? 私は呼ばれなかったのにさ」
アイノエは悔しそうに言う。
いけ好かない小娘と言うのはシェンナの事だ。
マルシャスはシェンナを思い浮かべる。
足を舐めまわしたくなる美しい娘だ。
アイノエはそんなシェンナを嫌っている。
アイノエは劇団「ロバの耳」で一番の花形女優だ。
しかし、今はシェンナに今にも追い抜かれそうであった。
そして、今度の演劇の主役をシェンナに奪われた。
アイノエはその事が面白くなく思っている。
さらに言えば明日の勇者様の接待で呼ばれたのがシェンナだけなのが気に喰わない様子であった。
一応マルシャスも呼ばれているが、ただのオマケである。
マルシャスは明日サテュロスの格好をして笛を吹きながら踊る事になっている。つまり道化である。
中心で踊るシェンナとは比べようもない。
「そんな事を言っても仕方がないっしょ。それが仕事なんですからね」
マルシャスは両手を上げて首を振る。
「ふん、まあ良いさ。マルシャスこれを受け取りな」
そう言うとアイノエはマルシャスに何かを持ってくる。
「これは笛ですかい?」
マルシャスは渡された物を見て言う。
「そうだよ。その笛を吹くとね、魔物が現れてそれを操る事ができる。それであの小娘を殺して欲しいのさ」
「シェンナを殺すのですかい……?」
とんでもない事を言われてマルシャスは狼狽する。
まさかアイノエがそこまでシェンナを憎んでいるとは思わなかったのだ。
「そうさ、あの小娘を殺すのさ……。饗宴に来ている客を狙っていると見せかけてね。私達が犯人だとばれないようにうまくやりな」
そう言うアイノエの顔はうっとりしていた。
(狂っている)
マルシャスの背筋に冷たい汗が流れる。
周囲の女性達もくすくすと笑っている。
ここにいるのは全員魔女なのである。
全員が黒いサテュロスと交わり霊感を得た者達だ。
そして、マルシャスは犠牲の羊であった。
マルシャスは渡された笛を見る。
そこには黒山羊の頭の紋章が描かれていた。
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