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2. 初めてのハサミ
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その日は、少しだけ特別な朝だった。
春の終わり、ちょっと肌寒い風が吹いていたけれど、空は気持ちいいほど晴れていた。学校はお休み。商店街はまだ開き始めたばかりで、通りにはパン屋さんの焼きたての香りがふわっと漂っていた。
「海斗、おはよう。ちょっと手、貸してくれる?」
ママの声が聞こえた。エプロン姿で、いつものように鏡の前に立っている。今日は予約が少なくて、午前中はお店の掃除とウィッグの整理をする予定らしい。
「うん!」
僕はすぐに駆け寄った。こうして美容室の中で何かを任されるのが、何よりうれしかった。
その日、ママが僕に用意してくれていたのは、使い古した練習用のウィッグと、本物のハサミ。
「え、これ……本物の?」
「そうよ。でも刃先は少し丸くしてあるから、安全。今日はね、海斗にちょっとだけ、本気の“初めて”をしてもらおうと思って」
僕の心臓がドクン、と音を立てた。ハサミは手に持つと少し重くて、緊張で汗がにじんだ。
ウィッグは肩くらいまでのストレートヘア。少しボサボサだけど、きちんととかせばつやつやになる。僕はコームで整えながら、頭の中でイメージをふくらませた。
「今日は、“ボブカット”にしてみて。シンプルだけど、美容師としての基本がつまってるのよ」
ママが優しく言った。
「かたちを整える、左右をそろえる、ハサミをまっすぐ動かす。どれも簡単そうに見えて、実はすごくむずかしいの」
僕は、うなずいた。
コームで髪をすくい、親指と薬指でハサミを持つ。おそるおそる、一本の毛をはさむ。
シャキン。
軽い音がして、毛がふわりと落ちた。
「……わあ」
ほんの少し切っただけなのに、ものすごく大きなことをしたような気持ちになった。手のひらが熱くて、胸がドキドキしている。
切るたびに、形が変わっていく。髪が新しい“スタイル”になっていく。
こんなにも、自分の手で何かが変わっていく感覚は初めてだった。
「すごくいいわ、海斗。しっかり指を使えてるし、丁寧よ」
ママが後ろから、そっと見守ってくれているのがわかった。僕は夢中でハサミを動かした。
だけど——
「……あ」
その瞬間、手がすべって、左側の髪を少しだけ、切りすぎてしまった。
見た目ではほんの数ミリ。でも鏡で見れば、左右のバランスが明らかに崩れている。
僕は青ざめて、ハサミを止めた。
「ご、ごめん……」
手が震えて、目が潤んできた。初めての本気のカットだったのに、僕は失敗してしまった。
ママは何も言わず、しばらく鏡を見ていた。
そして、静かに言った。
「ねえ海斗。“完璧に切ること”が美容師の仕事じゃないのよ」
「……え?」
「もちろん、失敗しないように努力する。でもね、それより大事なのは、“その人がどんな風になりたいか”をちゃんと考えること。失敗しても、その人の気持ちを大切にして、最後まで責任をもって向き合うこと」
ママの言葉が、僕の胸に響いた。
僕はもう一度、ウィッグを見た。
そして、ほんの少しバランスを調整して、切りすぎた部分を生かすように全体のラインを整えた。
もう一度、シャキン。
今度は、迷わなかった。
切り終わったとき、ママが拍手をしてくれた。
「すごいわ、海斗。初めてとは思えない」
その言葉が、今まで聞いたどんな褒め言葉よりもうれしかった。
僕は、この瞬間、また一歩、美容師に近づいた気がした。
春の終わり、ちょっと肌寒い風が吹いていたけれど、空は気持ちいいほど晴れていた。学校はお休み。商店街はまだ開き始めたばかりで、通りにはパン屋さんの焼きたての香りがふわっと漂っていた。
「海斗、おはよう。ちょっと手、貸してくれる?」
ママの声が聞こえた。エプロン姿で、いつものように鏡の前に立っている。今日は予約が少なくて、午前中はお店の掃除とウィッグの整理をする予定らしい。
「うん!」
僕はすぐに駆け寄った。こうして美容室の中で何かを任されるのが、何よりうれしかった。
その日、ママが僕に用意してくれていたのは、使い古した練習用のウィッグと、本物のハサミ。
「え、これ……本物の?」
「そうよ。でも刃先は少し丸くしてあるから、安全。今日はね、海斗にちょっとだけ、本気の“初めて”をしてもらおうと思って」
僕の心臓がドクン、と音を立てた。ハサミは手に持つと少し重くて、緊張で汗がにじんだ。
ウィッグは肩くらいまでのストレートヘア。少しボサボサだけど、きちんととかせばつやつやになる。僕はコームで整えながら、頭の中でイメージをふくらませた。
「今日は、“ボブカット”にしてみて。シンプルだけど、美容師としての基本がつまってるのよ」
ママが優しく言った。
「かたちを整える、左右をそろえる、ハサミをまっすぐ動かす。どれも簡単そうに見えて、実はすごくむずかしいの」
僕は、うなずいた。
コームで髪をすくい、親指と薬指でハサミを持つ。おそるおそる、一本の毛をはさむ。
シャキン。
軽い音がして、毛がふわりと落ちた。
「……わあ」
ほんの少し切っただけなのに、ものすごく大きなことをしたような気持ちになった。手のひらが熱くて、胸がドキドキしている。
切るたびに、形が変わっていく。髪が新しい“スタイル”になっていく。
こんなにも、自分の手で何かが変わっていく感覚は初めてだった。
「すごくいいわ、海斗。しっかり指を使えてるし、丁寧よ」
ママが後ろから、そっと見守ってくれているのがわかった。僕は夢中でハサミを動かした。
だけど——
「……あ」
その瞬間、手がすべって、左側の髪を少しだけ、切りすぎてしまった。
見た目ではほんの数ミリ。でも鏡で見れば、左右のバランスが明らかに崩れている。
僕は青ざめて、ハサミを止めた。
「ご、ごめん……」
手が震えて、目が潤んできた。初めての本気のカットだったのに、僕は失敗してしまった。
ママは何も言わず、しばらく鏡を見ていた。
そして、静かに言った。
「ねえ海斗。“完璧に切ること”が美容師の仕事じゃないのよ」
「……え?」
「もちろん、失敗しないように努力する。でもね、それより大事なのは、“その人がどんな風になりたいか”をちゃんと考えること。失敗しても、その人の気持ちを大切にして、最後まで責任をもって向き合うこと」
ママの言葉が、僕の胸に響いた。
僕はもう一度、ウィッグを見た。
そして、ほんの少しバランスを調整して、切りすぎた部分を生かすように全体のラインを整えた。
もう一度、シャキン。
今度は、迷わなかった。
切り終わったとき、ママが拍手をしてくれた。
「すごいわ、海斗。初めてとは思えない」
その言葉が、今まで聞いたどんな褒め言葉よりもうれしかった。
僕は、この瞬間、また一歩、美容師に近づいた気がした。
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