女性執事は公爵に一夜の思い出を希う

石里 唯

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結婚式編

結婚式編6

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◇◇
 フォンド公爵家の主人の寝室には、大きな窓が一つある。その窓から僅かに漏れる朝の陽ざしで、リチャードは朝の訪れを知った。
 ほんの3か月前までなら、リチャードはあえて瞳を閉じたままで、彼の愛しい執事が、はきはきとした、けれども優しさのある声で起床を促しに来るのを待つのだが、残念ながら彼の執事は今は彼の下にいない。  
 彼は目覚めのままに瞳を開け、1日の始まりを迎えた。
 この3か月、一人での1日の始まりに微かに眉を下げることが彼の日課だったが、今朝のリチャードの顔には微笑が浮かんでいた。
 
――アマリー。ようやく今日が来た。君はもう起きているかい?

 愛しさを込めて胸の内で問いかけると、今日の大切な勝負に勝つために、リチャードは寝台から身を起こした。


◇◇
 その日、アマリーはゆっくりと目を覚ました。
 ゆっくりとではあったけれど、寝覚めはよい。朝の空気のように清々しい心地がしていた。
 いつもなら、母を思いながら淡いクリーム色の部屋を眺めることが、彼女の一日の始まりだったが、今日は違った。
 アマリーは、枕元に目を向けた。昨夜、離しがたく枕元に忍ばせていたカードはまだそこにあった。
 昨日、リチャードから届けられたカードには、一文だけが記されていた。

『明日、君の答えを聞かせておくれ』

 アマリーは微笑みを浮かべながら、流麗な文字を指でなぞった。

――リチャード様。私の答えをぜひ聞いてください。

 あの日返せなかった返事を早く伝えたいと、アマリーはカードをそっと置き直し、朝の身支度を始めた。


◇◇
 朝食の為に食堂に向かいながら、アマリーは内心で首を傾げていた。
 屋敷の皆の様子が明るい。浮き立つような明るさがあるのだ。
 始め、アマリーは、朝の支度を手伝ってくれたエマとジュリアが明るく見えるのは、アマリー自身が今日リチャードに返事を伝えられると浮き立っているためだと思っていた。
 けれども、その後、すれ違い挨拶をしてくれる屋敷の皆の顔も、明るいものであることに気が付き、首を傾げた。
 屋敷全体が何かを楽しみにしている気配があるのだ。そして不思議なことにアマリーがその中に入れないことに疎外感を感じさせるものではなかった。むしろアマリーに対して温かな気持ちを向けられている気さえする。
 
――そう、この雰囲気は確か…、

 既視感を覚えたアマリーは記憶を探り、思い出した。
 フォンド家でアマリーの誕生日を祝う会が用意されているときの雰囲気と似ているのだ。

――でも私の誕生日は今日ではないし…、お祖父様の誕生日でもない…、

 アマリーが次々に記念日を考えている内にたどり着いた食堂で、既に席に着いていたハーベイと、傍に控えているフレッドに出迎えられた。

――まぁ……。

 二人の顔を見た瞬間、アマリーは言葉を失って目を瞠った。
 何かアマリーの為の用意があるのだと確信して驚いたのではない。二人にこのような表情ができるとは思いもよらなかったのだ。

 フレッドは笑顔が標準であるが、彼が今浮かべている笑顔は今までに見たことのないものだった。相手を包み込むための笑顔ではなく、フレッド自身の喜びが零れ出るような笑顔だった。
 席に着いたままアマリーを見たハーベイの表情も、見たことのないものだった。ハーベイの目元と口元は、はっきりと緩んでいた。笑顔に近いと表現してもいい。その緩みぶりは、注意してみなくとも、ハーベイと初対面の人間でも分かるほどだった。

「お祖父様」
 
 この一月ですっかり慣れた呼びかけに、ハーベイの目元はさらに緩んだ。アマリーは思わず微笑んでしまいながら、訊ねていた。
 
「今日は、何か良いことがあるのですか?」

 ハーベイの淡い緑の瞳に僅かな茶目っ気が過った。

「私も歳だ」
 
 その言葉を耳にして、アマリーの瞳にも茶目っ気が浮かんだ。
 ハーベイが母へのウェディングドレスを見せてくれた翌日から、ハーベイはこの言葉を口にするようになった。
 ハーベイはこの言葉の後、咳払いをして、『いずれアマリーから生まれる『孫』との予行演習がしたい』とアマリーとしたかったことを切り出すのだ。
 もう十分にお互いの距離は縮まったと思えるのに、まだ直接には願いを告げられないハーベイにアマリーは微笑ましさを感じながら、この一か月の間、様々な『予行演習』に付き合っていた。
 ハーベイの領地巡りを始めとして、事業の取引先への挨拶回り、そして二人で観劇にも出かけた。どの場所でもハーベイは厳めしい顔をほんの僅かに綻ばして、知己にアマリーを『私の養女となった、ヴァイオリンの才能を持つ私の孫』と紹介してくれるのだ。
 僅かに崩れた厳めしい顔のまま、アマリーのヴァイオリンについて得々と語るハーベイに、アマリーは、いささか、いや、かなり恥ずかしくも、くすぐったい思いもしたが、ハーベイの自分への愛情を確かに感じられる日々だった。

――今日は何の『予行演習』かしら。

 アマリーは少し胸を弾ませ、ハーベイの言葉を待った。
 いつもどおり、ハーベイがアマリーから視線を逸らして咳払いをする。アマリーはこっそりと口元を引き締めて微笑みを抑え込んだ。
 ハーベイは楽しさを声に滲ませて言葉を放った。

「今日は、『孫の結婚式に出る』予行演習をしたい」
「……え…?」

 結婚式?今日?

 アマリーは傍目にも分かりやすく激しく混乱した。
 今日は、リチャードに、隣に立つ覚悟ができたことを伝える予定であるけれど、今日の自分とリチャードとの状態はどう見積もっても「婚約」にたどり着くのが精いっぱいだ。それに結婚式ともなると準備が必要だ。

――ウェディングドレスを試着するという意味なのかしら…。

 しかし、アマリーの体型に合わせるように、『レベッカ』ことクララに仕立て直してもらった際に、試着をしてハーベイに見せている。ハーベイは黙したまま何度も頷いてその仕立て直しの出来栄えに了承したのだ。
 困惑から抜け出せないアマリーに、ハーベイは祖父としての望みを紡ぎ続ける。

「私が元気なうちに、孫の花嫁姿を見たいのだ」

 アマリーは、ハッと目の前のハーベイを見つめた。
 淡い緑の瞳は悪戯めいた輝きしか見えなかったが、その願いはアマリーの困惑をかき消すものがあった。
 ほんの僅かに時間が遅かったために、ハーベイは母レイチェルの花嫁姿を見ることはできなかったのだ。
 ハーベイの意図が分からずとも、この祖父の願いだけは何としても叶えて見せたかった。
 アマリーは微笑みを浮かべた。

「お祖父様。あの素敵なドレスを着た私を、どうぞもう一度ご覧になって下さい」

 孫の心のこもった返事にハーベイの目元はさらに少し緩んだ。


◇◇
 エマとジュリアによって、肌を手入れされ、用意されたドレスに袖を通す。
 いつもと違い花びらで覆いつくされた浴槽、飾りを編み込みながら複雑に結われていく髪、思いの込められた至高のドレスの衣擦れの音――、ドレスを着るまでの一つ一つのことが、アマリーを日常から離していく。
 お化粧を施され、イヤリングを着けられ、全ての支度が整ったときには、アマリーの背筋はすっと伸びた。気負うこともなく、凪いだ湖面のように穏やかに、大切な人とのこれからを胸に思う。

――リチャード様。私はあなたの隣に立ちます。
 
 美しく装い、瞳には静かな覚悟をみせて、すっかり花嫁となったアマリーを見つめ、エマは涙ぐむ。それでも目を瞬かせて仕事に戻り、アマリーを先導し、アマリーをうっとりと眺めていたジュリアもトレーンを持ち上げて付き従い、3人はハーベイの待つ玄関へ向かった。
 扉は既に開けられ、馬車も用意されている。
 それだけでなく、屋敷の皆が総出で列をなして待ち構えていた。皆、いつものお仕着せではなく、新調された礼装を模したお仕着せに着替え、祝意を示している。
 その中央に、アマリーのドレスより僅かに色の濃いクリーム色の礼装に身を包んだハーベイが歳を感じさせない美しい姿勢で佇んでいた。
 美術、音楽に造詣の深いハーベイは、美しい礼装を見事に着こなしていた。
 アマリーは素直に賛辞が受け取られないことは分かっていても、ハーベイの姿を褒めずにはいられなかった。

「お祖父様、とても素敵です」

 アマリーの賛辞は、予想とは違って、ハーベイに届いたかどうかもわからなかった。
 ハーベイはアマリーの言葉に反応を見せなかった。
 ゆっくりと時間をかけてアマリーの姿に視線を走らせていた。そして、孫の花嫁姿を記憶に押し込めるかのように瞳を閉じた。

「綺麗だ。レイチェルに見せたかった」

 掠れた声で絞り出された真っすぐな言葉に、アマリーは息を呑んだ。
 瞳を閉じたまま黙したハーベイを見つめている内に、祖父からかけられた言葉がじわりとアマリーの胸を熱くした。

 ハーベイの言葉が胸に沁みたのはアマリーだけではなかった。
 屋敷の主人が長年抱えていた思いを慮り、アマリーの隣に控えていたエマはとうとう涙を拭い、つられたように年かさの者は目元を拭ったり、俯いたりして、込み上げるものを何とか抑えようとする。
 
 屋敷の主人に誰よりも傍で仕え、見守ってきたフレッドは、在りし日に贈ることができなくなったドレスの前で立ち尽くしていた主人の姿を思い出し、穏やかな執事の顔の下で幸せに酔いしれていたが――、
 感涙する皆の様子を見て、素直になれない主人が、あえて厳めしい顔を取り出し始めたのを見逃すことはなかった。
 彼は、執事の見本のような美しい所作で馬車の扉を開けて声をかけたのだった。

「旦那様、アマリーお嬢様。そろそろ出発いたしましょう」


◇◇
 一体、馬車はどこへ行くのか、どこまでこの『予行演習』が続くのか、教えてもらえないままに馬車に乗ったアマリーは、見送りに立ってくれている皆の姿が次第に小さくなるのを見つめて、ふと、いつか嫁いでしまえば皆と会えることは無くなるのだと気づき、惜別の思いに駆られた。
 皆は、突然現れたアマリーを主人の孫として、温かく迎えてくれた。その温かさは、アマリーにとってハーベイの屋敷は第2の家になったともいえるものだった。
 3か月前、経緯も分からずこの屋敷に着いたとき、このような思いを抱くとは想像すらできなかった。

 皆の姿も、屋敷すらも見えなくなるまで、感慨深く見つめていたアマリーは、ようやく窓から視線を外し、ハーベイに向き直った。

 ハーベイは目元を緩ませたままだ。付き添いの為にアマリーの隣に座るエマも笑顔を見せてくれていることは、そちらに顔を向けずとも感じ取れる。
 アマリーの胸は疼いた。

 自分を受け入れ、包み込んでくれた屋敷。そして、血のつながった祖父。

――私の大切な場所だわ。それでも――、

 アマリーはしっかりと淡い緑の瞳を見つめた。

「お祖父様。この『予行演習』が終わりましたら、このドレスのままリチャード様に想いを告げに行きます」

 アマリーの場所は、リチャードの隣なのだ。

 ハーベイは孫の言葉に僅かに目を瞠った後、目を細めた。

「情熱的だな。さすがレイチェルの娘だ」

 駆け落ちを選んだ母を持ち出され、アマリーは微笑んだ。ハーベイはその微笑に苦笑を返すと、窓の外に目を遣った。

「私がレイチェルの結婚を認めなかったのは、コナーの経済力を心配してのことと思ってきたが――」

 ハーベイはアマリーに視線を戻した。ハーベイの神妙な表情にアマリーは目を瞬かせた。

「今日、初めて分かったが、娘を嫁に出すということは、それだけで反対したくなるものなのだな」

「「まぁ」」

 アマリーとエマの言葉が重なる中、ハーベイは「今から反対してもよいのではないか?」と呟きを落とす。アマリーとエマは顔を見合わせ、抑えた笑みを交わし合った。

 本心が僅かに混じった呟きを零し終えたハーベイは、二人の笑顔が収まるのを待ってから、口を開いた。

「アマリー。お前はモートン家の後継者だ。正当な後継者だ」

 唐突ではあっても、切り出された話の内容に、アマリーは居住まいを正した。
 養女となった自分は、いずれ、――どれほどその時が来なければよいと願っても、その責務を負う立場だ。
 フォンド公爵家へ嫁いだとしても、それは変わらない。
 アマリーは、後継者としての心構えを説かれるのかと思っていたが、ハーベイから紡がれたものは違っていた。

「私はレイチェルへの罪悪感から、そして既にお前を手元に置いていた公爵家への引け目から、お前を養女に迎えるまで、ここまで時間がかかってしまった」

 アマリーは「いいえ」と首を振った。母は駆け落ちしたのだ。そもそも、ハーベイにその義務はない。そして、何より、今ではどれほどハーベイが苦しんでいたか知っている。
 淡い緑の瞳は、孫の心遣いを見通しながら、それでも過去を見つめることから逃げることはなかった。

「私がお前を早くに引き取る勇気を出せていれば、お前のこれからの苦労はなかったはずだ」

 幼いころから貴族として育てられていれば、確かに求婚に臆することも、公爵夫人としての苦労もなくなったかもしれない。
 けれども――、
 アマリーは向かいに座る祖父に、微笑んだ。

「お祖父様。幼いころから引き取って下さっていれば、私はリチャード様と出会えませんでした」

 一瞬の沈黙の後、ぽつりとハーベイは呟いた。
「そうか。確かにな」

 孫の返しに、ハーベイは、くつくつと笑いを零した。
 アマリーは目を瞠った。
 祖父の笑顔を見ることすらまれなことなのに、その祖父が、今、目の前で声をたてて笑っている。祖父が一段と心を許してくれたことを感じて、嬉しさに自分の身体がふわりと軽くなった気さえした。
 ハーベイはしばらく笑い続けていたが、やがて笑いを収め、淡い緑の瞳に穏やかさを湛えてアマリーを映した。

「お前に出会いがあったとしても、決断ができなかった私の過去は変わらない」

 アマリーの抗議は、慈愛に満ちた眼差しに阻まれた。

「お前の苦労は私が背負うべきものだ。たとえそうでないというのだとしても、苦しさが重くなった時には、疲れた時には、いつでも戻って来なさい」

 アマリーの瞳から涙が零れた。
 この3か月、自分に向けられた祖父の愛情を知った。アマリーも祖父への親愛を抱いていた。
 それでも、リチャードの隣に立つことを決めた時、嫁いで屋敷を出ていけばもう祖父との繋がりは次第に薄れ、自分の温かな居場所は屋敷からなくなるのだろうと思っていた。
 けれども――、
 そうではないと、いつでもアマリーの場所はあると、祖父は言ってくれたのだ。
 祖父の深い愛情を受け取ったアマリーの涙は止まらなかった。

「まぁ、旦那様。アマリーお嬢様のお化粧が崩れてしまいますよ」

 エマは自分の涙はそのままに、慌ててアマリーの涙をそっと拭う。
 ハーベイの淡い緑の瞳に、茶目っ気が戻った。

「ふむ、では、引き返そうか」

 ハーベイの言葉に、返事を待つリチャードを思い浮かべたアマリーは頷こうとしたが、隣に座るエマは「まぁ!旦那様!」と抗議の声を上げた。
 ハーベイは肩を竦めて澄ました顔を見せた。

「ふむ、だめか。では『予行演習』の仕上げを早く取り掛かろう」

 その言葉を待ち構えていたように、馬車が停まった。


◇◇
 エマに素早くお化粧を直され、差し出されたハーベイの手に手を添え、馬車から降り立ったアマリーはしばし呆然とした。
 そこは教会の入り口だった。

――『予行演習』…なのよね…?

 あまりの徹底ぶりに、じわりと沸き上がりつつある予感めいたものを感じて、鼓動が高まりながらも、ハーベイと共に扉の前に立つと、内側から両扉がゆっくりと開いた。
 
 中へ足を踏み入れ、扉を開けてもらったことへ礼を言おうとしたアマリーは、言葉を失った。
 扉を開けてくれたのは、フレッドと、――フォンド公爵家の家令のジェイムスだった。
 ジェイムスの脇には、ヴァイオリンを持ったオスカーもいた。
 それだけではない。
 教会の席は着飾った招待客で埋まっている。
 そして――、
 淡いクリーム色の布が敷かれた祭壇へと続く真っすぐな通路の先には、同じ淡いクリーム色の礼装に身を包んだ人影が見えた。
 その人影は、気品を感じさせる、美しい立ち姿している。

 アマリーの鼓動がトクリと跳ねた。
 遠くで顔は分からなくても、その人影を見間違えることはない。
 アマリーの何より大切な人。

――リチャード様。

 愛しい人の名前を胸の内で呟くだけで熱い歓喜が胸を満たしたアマリーだったが、こちらを見つめる多くの参列者の視線で我に返った。
 さっと視線を巡らしただけでも、社交界で名だたる面々が参列している。
 瞬時に、執事で培った微笑みを浮かび上がらせたアマリーだったが、祖父の腕に添えていた手には思わず力がこもる。
 強張るアマリーに小さく声がかけられた。

「『予行演習』だ。完璧を目指す必要はない。――もちろん、今から屋敷に戻ってもいいぞ?」

 ハーベイの声音は、悪戯が成功した楽しさと茶目っ気が表れていたけれども、はっきりと孫への心遣いも込められていた。ふわりと、アマリーの身体の強張りは解けた。
 孫の緊張が解れたことを感じ取ったハーベイは、もう一度、声をかけた。

「さぁ、行こうか」

 記憶に刻み込むように時間をかけて、花嫁と祖父は歩く。
 二人が歩き始めると同時に、ヴァイオリンの音が響き始めた。アマリーの耳はオスカーがあえて父コナーの弾き方を真似ていることを聴き取る。
――愛弟子が、彼女の父の存在を感じられるようにと。

 アマリーはヴァイオリンの音に託された思いを受け取り、目を伏せた。
 母のドレスと父の弟子のヴァイオリンの音――、十分に両親を感じることができた。
 胸に満ちる幸せに押し出されるように、瞳を開け、隣の祖父に母の分まで幸せを込めて微笑んだ。
 ハーベイはアマリーの微笑みに目を細め、僅かに頷く。
 
 居並ぶ招待客に臆することもなく、祖父への親愛と信頼を込めて微笑むアマリーの姿に、招待客の目は奪われていた。

 ここ一月の間でこのウェディングドレスの由来は社交界を駆け巡っていた。
 昔、勘当した娘に贈るはずだったそのドレスは、想像を超える美の輝きを放っていた。
 流行の色とは違う、淡いクリーム色のドレスは、優しさと清楚さを感じさせ、花嫁に相応しい色と思わされた。
 誰が見ても上質と分かる絹の輝きは雅やかで、美しくも斬新さを忘れないデザインは、これぞ『ハザリー』と溜息を吐かせるほどの華やかさを見せる。

 まだ伴侶のいない者は、将来の自分や伴侶を夢見て羨望の眼差しを向け、
 子を持つ者は、勘当した娘にこれほどのドレスを用意していたハーベイの親心を思い、目頭を熱くし、
 
 この至高のドレスを、気圧されることなく着こなし、美と幸せを纏う新婦の姿に、公爵夫人としての品位を覚え、感嘆の息を零す。
 
 そのような参列者の視線を浴びながら、誇らしげな隣の祖父にしっかりと導かれ、一歩、一歩、歩いていたアマリーは、徐々に自分を待ち受ける人に近づくにつれ、自分の全てに喜びが満ちていくのを感じた。こちらを見つめるリチャードの顔が輝いていくのが見えたのだ。
 とうとうリチャードの一歩前で、ハーベイはゆっくり立ち止まった。
 リチャードの笑顔に目を奪われていたアマリーは、祖父の囁きに意識を引き戻された。

「アマリー。ありがとう。幸せな思い出ができた」

 アマリーは祖父を見上げた。母を思い起こさせる淡い緑の瞳の眼差しは柔らかなものだった。アマリーの胸は一杯になり、目頭は熱くなった。

「お祖父様…、私も、今日まで幸せな思い出をたくさん頂きました…」

 何とか涙を堪えて、言葉を絞り出したアマリーを見て、ハーベイは瞳を潤ませたが、微笑みが崩れることはなかった。

「さぁ、お前の人生の伴侶が待っている。お行きなさい」

 優しい囁きに押し出されるように、アマリーは待ち構えていたリチャードの腕に手を添えた。リチャードの顔はそれだけのことで一段と綻ぶ。
 アマリーに蕩けるような眼差しを向け、小さく、熱く、「綺麗だ」と囁きを落とした後、

「アマリー。僕を幸せにしてくれるかい?」

 あの日、答えられなかった問いを優しく投げかけられた。
 まさか、このような場で答えるとは想像もしていなかったと、アマリーは思わず微笑みながら、濃い青の瞳をしっかりと見つめた。

「お任せください。私の全てであなたを幸せにして差し上げます」

 その瞬間――、

 リチャードは輝くような眩しい笑みを見せた。
 これまで共に過ごした長い年月の中で、最も輝いたリチャードの笑顔だった。
 幸せが溢れ出たような彼の笑顔に、アマリーの胸は眩しいほどの歓喜に満たされ、そして確信した。

――きっと私はこの笑顔を生涯忘れない。

 これから彼と歩む人生で、辛く、俯いてしまいそうになったとき、この笑顔を思い出してアマリーは前を向けるはずだ。リチャードにこの笑顔をもたらしたのは自分の決断なのだと。

 まるでアマリーの思いを読んだかのように、リチャードは囁いた。

「僕は、今、世界で一番幸せな人間だ」
「その言葉が聞けた私こそ、幸せです」
 
 アマリーが微笑むと、リチャードは微笑みを閉じ込めるように、アマリーの頬に手を添えた。アマリーだけを映す濃い青の瞳に、アマリーの全てが囚われる。

「アマリー。僕にも任せておくれ。僕も僕の全てをかけて君と幸せになる」

 真摯な思いを宿した濃い青の瞳は、やがて、甘く艶めいたものへと色を変えた。
 誘われるように瞳を閉じたアマリーの唇に、甘い吐息がかかったとき――、

「コホン」

 軽い咳払いにアマリーは目を見開いた。
 数々の人生の門出を祝福してきた司祭が、祭壇で穏やかな笑みで皺を深くしていた。

「できましたら、その先は神の前で誓いを立ててから、お願いします」

 続けて小さな声で、「まぁ、誓いはもう立てられたようですがね」と柔らかく揶揄われる。
 アマリーとリチャードは顔を見合わせ、微笑み合った。

「アマリー。行こうか」
「はい。行きましょう」

 これからの時間を共に歩むことを決めた二人は、ゆっくりと祭壇へ向かったのだった。
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