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最終章 狂酔編
第279話 悪夢‐その③の3
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グロ表現、鬱展開に耐性のない方は第286話から続きを読むことを推奨します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
囚人の体が死に、俺の魂は自分の体へと戻った。
その瞬間、俺は荒々しく呼吸をして酸素を取りこんだ。まるで滝壺から抜け出してやっと水面に顔を出せたみたいに。
同時に、全身が氷漬けになったような寒気がして、両腕で体をさする。いや、さすろうとしたが、体が動かなかった。
「うぐっ!」
繰り返す呼吸とともに襲いくる激痛。俺の腹にはナイフが突き立っていた。しかも両手を頭上で縛られ吊るされている。
「ふふ。驚いた? ちょっとしたサプライズよ」
ふざけたことを言いやがる。
だが、もう喋る元気はなかった。アイアンメイデンにファラリスの雄牛を連続で食らっているのだ。
いや、それだけじゃない。その前には二つの悪夢を見ている。
トラックに引きずり倒されて老婆にめった刺しにされたことと、エイリアンに卵を産みつけられて腹が弾けて虫に食い荒らされたことも、すべて記憶と感覚が鮮明に残っている。
この後、俺は殺されるのだろう。
まだ俺の魔法は無能力と入れ替えられたままのようで、空気の魔法を使うことができない。
俺にはもう成すすべがない。
「ねえねえ、ゲス・エスト君。君さぁ、これから単に殺されると思っているかもしれないけれど、処刑はまだ終わっていないのよ」
「なんだと?」
思わず声が出た。そのせいで余計に腹が痛い。
さっき囚人は最後だと言ったはずだ。あれは嘘だったのか? こうして俺の精神にストレスを与えるための嘘だったということか?
「死刑囚はさっきので最後だけれど、処刑が最後とは言っていないわ。死刑囚以外にもいるでしょう? 処刑されるべき最たる重罪人が。そう、あなた自身よ、ゲス・エスト!」
これまで下衆と呼ばれてはきたが、ザメインに投獄されるような外道よりも悪いことをした覚えはない。……少なくとも俺はそう思っている。
だが俺にはもうそんな無意味な訴えを発する元気はなかった。
ティーチェがパチンと指を鳴らすと、俺もティーチェも一瞬で校庭へと瞬間移動した。能力で座標を入れ替えたのだろう。
校庭のど真ん中には、俺を処刑するための道具らしきものがずらりと並べてある。
その中で最初に目についたのは、背の高い金属製の十字架だった。
その下にはさっきの刑でも見た薪が重ねてあり、簡易机の上には統一感のない容器が並べられている。それは褐色のビンであったり、蓋のされた陶器の壷であったり、金属製の箱であった。
「ファラリスの雄牛なんて優しいものよ。七つの責め苦によるフルコースを堪能なさい」
再びティーチェがパチンと指を鳴らす。たったそれだけで、すでに俺は十字架に磔にされていた。両の手のひらに太い杭が打ち込まれており、十字架に磔にされている。
手首、脇、首、胴、足首をロープで十字架に縛られているが、腕をいっぱいに伸ばした状態で杭を打たれているため、自重による痛みといったらもう言い表せない。
そして足元の薪に火が入れられる。炎が俺を包むわけではなく、弱火でじっくりと足を炙られた。
磔にしても火あぶりにしても致死からはほど遠く、しかし苦痛はとてつもない。
足は先端から少しずつ炭化していき、崩れ落ちて短くなっていく。
「やあやあやあ、ゲス・エスト。俺ちゃんのこと、覚えているかぁ?」
ああ、覚えているとも。
だらしのない姿勢に浮ついた口調の男。ローグ学園の生徒の毒使い。リーズをさらおうとして俺がボコボコにした奴だ。さぞかし俺を恨んでいるだろう。
「いまおまえと魔法を交換されているのは、実はオレっちなんだぜぇ。おまえに新鮮な空気をくれてやれって言われてんだぁ。本当はなぁ、あのときやられたみたいにボッコボコのボコの助にしてやりてぇんだけどよぉ」
どうりで風の動きが恣意的だと思った。俺はできることなら一酸化中毒による中毒死をしたいと思っていたが、それを妨げていたのはこいつだったようだ。
毒使いは俺を見上げ、ニヤニヤしながら右に左にと歩きまわる。
炭化は膝まで進んでいた。だがこいつが空気の操作型魔法で俺に新鮮な酸素を吸入させつづけているせいで、磔による呼吸困難にもならないし、火あぶりによる一酸化中毒にもならない。
「熱い……痛い……」
足もそうだが、腕や背中も熱い。十字架が金属製のせいで熱をよく伝えるのだ。エアの死の哀しみが完全に吹き飛ぶほどの苦痛が俺を責めつづける。
いま願うのは、この苦痛からの解放、ただそれだけだ。少しでもいいから早く死にたい。いまばかりは死へ抗う人体の生命力が恨めしい。
「おっ、死にそうかぁ? 俺ちゃん優しいからよぉ、回復させてやるぜぇ。空気の概念化魔法でよぉ。リフレッーシュッ! つってなぁ」
こいつ、概念化魔法まで使えるのか。いくら能力を入れ替えたといっても、概念化魔法は馬鹿に使える代物ではない。何がなんでも俺に苦痛を与えつづけるという強い意思が感じられる。
「ふふふ。顔に出ているわよ、考えていること。この状況でまだ他人を見下せるなんて、さすがは下衆君ね。じゃあ次のステップに行きましょうか」
次のステップだと?
まあ、フルコースと言っておきながら磔と火あぶりの刑で終わるわけはないか。それに、机の上に並んだビンや箱がまだ控えている。
いまの俺にとっては両手の杭と足の炭化と背中の熱がまだまだ続くという事実が何よりもの絶望だが、このビンたちが解放されたら、いまの俺には想像もつかない、さらなる苦痛が待っているのだろう。
ティーチェは俺の正面にある簡易机の前に立ち、三つの容器を見渡してから不愉快な笑みで俺を見上げた。
そして白衣を風になびかせながら言う。
「次はこの三つのどれかを使うわ。ゲス・エスト、この三つの中から一つ選んでいいわよ」
机の上にあるのは、褐色のビン、蓋つきの陶器の壷、金属製の箱だ。七つの責め苦と言っていたから、この三つは全部使うつもりだろう。
だが次に使うものを選べるのであれば、これは重要な選択だ。なにしろ、これは処刑であり最後には俺を殺すのだから、この中に殺傷力の高いものがあれば、それを選ぶことで地獄の苦痛から解放されるかもしれない。
しかし、いまの俺は冷静に頭を働かせられる状態にはない。
褐色のビンは見るからに何かの薬品だが、壷と箱は中身が見えないので何が入っているのか想像もつかない。
だから直感的に選ぶ。少なくとも選択を放棄するよりマシなはずだ。
「箱にする。金属の箱だ」
ティーチェはゆっくり歩き、箱の前で立ち止まった。
「ふふふ。いい選択ね」
そう言いつつも、ティーチェは箱には触れず、陶器の壷のところへ移動してそれを手に取った。両手ですくうように壷を持ち、簡易机から離れる。
「おい、それ違うぞ!」
違わないわ、とでも言うようにティーチェは首を横に振った。
そして口の端を吊り上げて俺を見上げる。
「選んでいいとは言ったけれど、それを使うとは言っていないわ。どれを使うかは私が決める。つまり、あなたには選ぶっていう行為をさせてあげただけってこと。あなたがどれを選んでも、次に使うのはこれに決まっていたのよ」
いまは肉体的苦痛に完全に精神を支配されているので、そこで立腹することもなかった。少しでも早く死にたいと、ひたすらそれを念じていた。
壷の中に何が入っているのかと思っていたら、ティーチェは壷を頭上高くへと掲げた。そして、それを強く地面に叩きつけた。
壷はパリーンッと割れ、中からは何か透明な粘性液体が飛び出した。まるでスライムだが、その動きには見覚えがあった。
「おまえ、まさかメターモか!?」
メターモはドクター・シータに食われたはず。もう存在しないはずなのだ。
メターモからの返事はない。無言でうごめき、そして俺の方へウネウネと近づいてくる。
そうか、同種のイーターがいたっておかしくはない。こいつはメターモではない。
「こいつの名前はメタモルスライムって言うの。ああ、ネームドイーターとしての名前ではなく、イーターの種族名だから勘違いしないでね」
「くっそどうでもいい! ああ、痛い……熱い……痛い!」
いまなお俺を苛む苦痛の隙間で、俺の意識はメタモルスライムから目が離せなかった。
いったい何をしてくるのだ。液体の体を活かすのなら、おそらく呼吸を責めてくるはず。
果たして、その予想は半分当たっていた。
メタモルスライムは人型に変形し、そして人に変身した。
その姿には見覚えがある。マンマ・ママ。リオン帝国、農業・畜産区域の五護臣であり、相手が何かを選択する場合にその選択権を奪ってしまう魔術師だ。
もちろん、メタモルスライムがマンマに変身したからといってその能力を使えるようになるわけではないし、仮に使えたとしても一方的になぶられる俺に使っても意味がない。
その変身の意味は、人の動きができるようになることと、俺が倒した相手になることで俺のプライドを傷つけるためだろう。
奴が最初にやってきたことは、左腕を液状に戻して俺の顔前まで伸ばし、水の球体で俺の頭部をすっぽり覆うことだった。
もちろん、俺は息ができずに苦しむ。大量に水を飲んでしまう。
しかしスライムとして体内で暴れることはしない。俺が死ぬ前に口を解放して呼吸をさせるのだ。
俺は肺にも水が入って咳き込み、それが落ち着くころにまた頭部を水で覆う。それを繰り返す。
水攻めも地獄だった。だが、なんとメタモルスライムの行動はそれだけではなかった。
三度目に口が水から解放されて激しく空気を吸ったとき、俺の胸部に鋭い痛みが走った。まるでつま先から脳天まで電流が走りぬけたかのような衝撃を受けた。
「ふふふ。気づいた? 壷一つからの責め苦は一つとは限らないのよ」
そう、水攻めが半分当たっていたというのは、単純に俺に与えられる苦しみが予想の半分だったということだ。
マンマの姿をしたイーターは、右手に自身の体を変身させて作った鞭を持っていて、俺が水から解放されて大きく呼吸する瞬間に合わせ、激しい一鞭を入れてくるのだ。
痛みが来ると分かっていたら、普通はその瞬間に息を止めて耐えようとする。だがこいつはそれをさせてくれない。鞭が最大効率で痛覚に働きかけてくる。
「ぐはぁっ、ごほっ、がはっ」
何度かそれが続いた後、ティーチェがようやく動きだす。次に彼女が手に取ったのは、褐色のビンだ。
存分に俺の恐怖を煽るためか、マンマの責めが一時的に止まった。
「これ、何だと思う? 正解したらこれは無しにしてあげてもいいわ」
その言い方だとおそらく当てても無しにはならない。これもさっきみたいな精神攻撃の類だろう。分かっていればこの精神ダメージだけは無効だ。
「それは試薬瓶だろう? 塩酸か? いや、硫酸か?」
「これね、瓶は瓶でもガラスじゃないのよ」
ティーチェはそう言って、プラスチックのボウル上で褐色瓶を傾け、中身をボウルに移し替えはじめた。
見た目には水のような透明な液体。色的に塩酸ではなさそうだ。臭いは分からない。自分の肉体が焼ける臭いが強いから分からないのだ。
だったら、やはり硫酸か? だが硫酸ならガラス瓶で保管するはずだが……。
「触れれば塩酸は炎症を起こし、硫酸は火傷を負う。どちらも劇薬よね。でもこれはね、どちらでもないのよ。フッ酸って知ってる? フッ酸はね、細胞内に浸透して骨を溶かすのよ。内側から破壊されるってわけ。痛みはほかの酸の比じゃないわ」
「そんな危険な代物を素手で扱うなんて正気じゃないな」
俺が蚊の鳴くような消えかけの声でそう言うと、ティーチェはハッとした表情を浮かべた。
しかしそれは自分の身の危険に気づいたからではない。憐憫と愉悦を含んだ、えもいわれぬ顔で俺を見上げてくる。
「まさかとは思うけれど、これが現実だとは思っていないわよね? ここはあなたの夢の中なのよ。覚めても覚めても新たな夢が訪れ、そして新鮮な地獄を味わうの。いわば悪夢の牢獄。だからね、痛いのも辛いのも苦しいのもあなただけなの」
そう言ってティーチェはフッ酸の入ったボウルに手を突っ込んで見せた。彼女は平気そうな顔どころか、愉悦の笑みをたたえている。
そして、大胆にボウルの中身を前方にいるメタモルスライムへとぶちまけた。
マンマの姿が一瞬崩れたが、スライムはウネウネと上下左右に大きく形を動かした後、再びマンマの姿になった。
「くそっ、そこまでやるか!」
マンマの左腕がさっきのように俺へと伸びてくる。
しかしさっきまでと違うのは、水の塊が俺の頭部だけを覆う大きさではなく、俺の全身を覆う大きさに肥大化しているということ。
そしてついに、フッ酸が俺の全身を包み込む。
「んんんんんんんっ!! んんんんんんんんんんんんんっ!!」
表現のしようがない。いや、表現が思いつかないのではなく、あまりにも苦痛が大きすぎていっさいの思考が許されない。
じきにスライムは俺の体から身を引いたが、体内に浸透したフッ酸は残ったままだ。
死にたい、と思うことすらできなくなっていた。
「ああ、あああ、ヤバイわね。まだ残っているのに事切れそう。まだ三つやりたかったのに、これで仕上げるしかないわね」
ティーチェが金属の箱を掴み、俺へと投げつけた。
箱の蓋が外れると、中から黒い何かがブワッと散った。
それは蟻だ。蟻たちはいっせいに俺の全身にまとわりつき、そしていっせいに俺を刺す。
「聞こえているかしら? まだ意識は残っている? それはね、サシハリアリよ。刺されたときの痛みはあらゆる蜂や蟻の中で最大らしいわ。その蟻に刺されれば震えが止まらなくなり、のたうち回って痙攣し、その後は……。ああ、これは強い人の場合だから関係ないわね。普通の人なら痛みのあまり数秒で卒倒するか錯乱するから、いまのあなたならショック死間違いなしだったわ。死ぬ瞬間に最大の苦痛を花火のようにパッと弾けさせて散る。素敵でしょう?」
グロ表現、鬱展開に耐性のない方は第286話から続きを読むことを推奨します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
囚人の体が死に、俺の魂は自分の体へと戻った。
その瞬間、俺は荒々しく呼吸をして酸素を取りこんだ。まるで滝壺から抜け出してやっと水面に顔を出せたみたいに。
同時に、全身が氷漬けになったような寒気がして、両腕で体をさする。いや、さすろうとしたが、体が動かなかった。
「うぐっ!」
繰り返す呼吸とともに襲いくる激痛。俺の腹にはナイフが突き立っていた。しかも両手を頭上で縛られ吊るされている。
「ふふ。驚いた? ちょっとしたサプライズよ」
ふざけたことを言いやがる。
だが、もう喋る元気はなかった。アイアンメイデンにファラリスの雄牛を連続で食らっているのだ。
いや、それだけじゃない。その前には二つの悪夢を見ている。
トラックに引きずり倒されて老婆にめった刺しにされたことと、エイリアンに卵を産みつけられて腹が弾けて虫に食い荒らされたことも、すべて記憶と感覚が鮮明に残っている。
この後、俺は殺されるのだろう。
まだ俺の魔法は無能力と入れ替えられたままのようで、空気の魔法を使うことができない。
俺にはもう成すすべがない。
「ねえねえ、ゲス・エスト君。君さぁ、これから単に殺されると思っているかもしれないけれど、処刑はまだ終わっていないのよ」
「なんだと?」
思わず声が出た。そのせいで余計に腹が痛い。
さっき囚人は最後だと言ったはずだ。あれは嘘だったのか? こうして俺の精神にストレスを与えるための嘘だったということか?
「死刑囚はさっきので最後だけれど、処刑が最後とは言っていないわ。死刑囚以外にもいるでしょう? 処刑されるべき最たる重罪人が。そう、あなた自身よ、ゲス・エスト!」
これまで下衆と呼ばれてはきたが、ザメインに投獄されるような外道よりも悪いことをした覚えはない。……少なくとも俺はそう思っている。
だが俺にはもうそんな無意味な訴えを発する元気はなかった。
ティーチェがパチンと指を鳴らすと、俺もティーチェも一瞬で校庭へと瞬間移動した。能力で座標を入れ替えたのだろう。
校庭のど真ん中には、俺を処刑するための道具らしきものがずらりと並べてある。
その中で最初に目についたのは、背の高い金属製の十字架だった。
その下にはさっきの刑でも見た薪が重ねてあり、簡易机の上には統一感のない容器が並べられている。それは褐色のビンであったり、蓋のされた陶器の壷であったり、金属製の箱であった。
「ファラリスの雄牛なんて優しいものよ。七つの責め苦によるフルコースを堪能なさい」
再びティーチェがパチンと指を鳴らす。たったそれだけで、すでに俺は十字架に磔にされていた。両の手のひらに太い杭が打ち込まれており、十字架に磔にされている。
手首、脇、首、胴、足首をロープで十字架に縛られているが、腕をいっぱいに伸ばした状態で杭を打たれているため、自重による痛みといったらもう言い表せない。
そして足元の薪に火が入れられる。炎が俺を包むわけではなく、弱火でじっくりと足を炙られた。
磔にしても火あぶりにしても致死からはほど遠く、しかし苦痛はとてつもない。
足は先端から少しずつ炭化していき、崩れ落ちて短くなっていく。
「やあやあやあ、ゲス・エスト。俺ちゃんのこと、覚えているかぁ?」
ああ、覚えているとも。
だらしのない姿勢に浮ついた口調の男。ローグ学園の生徒の毒使い。リーズをさらおうとして俺がボコボコにした奴だ。さぞかし俺を恨んでいるだろう。
「いまおまえと魔法を交換されているのは、実はオレっちなんだぜぇ。おまえに新鮮な空気をくれてやれって言われてんだぁ。本当はなぁ、あのときやられたみたいにボッコボコのボコの助にしてやりてぇんだけどよぉ」
どうりで風の動きが恣意的だと思った。俺はできることなら一酸化中毒による中毒死をしたいと思っていたが、それを妨げていたのはこいつだったようだ。
毒使いは俺を見上げ、ニヤニヤしながら右に左にと歩きまわる。
炭化は膝まで進んでいた。だがこいつが空気の操作型魔法で俺に新鮮な酸素を吸入させつづけているせいで、磔による呼吸困難にもならないし、火あぶりによる一酸化中毒にもならない。
「熱い……痛い……」
足もそうだが、腕や背中も熱い。十字架が金属製のせいで熱をよく伝えるのだ。エアの死の哀しみが完全に吹き飛ぶほどの苦痛が俺を責めつづける。
いま願うのは、この苦痛からの解放、ただそれだけだ。少しでもいいから早く死にたい。いまばかりは死へ抗う人体の生命力が恨めしい。
「おっ、死にそうかぁ? 俺ちゃん優しいからよぉ、回復させてやるぜぇ。空気の概念化魔法でよぉ。リフレッーシュッ! つってなぁ」
こいつ、概念化魔法まで使えるのか。いくら能力を入れ替えたといっても、概念化魔法は馬鹿に使える代物ではない。何がなんでも俺に苦痛を与えつづけるという強い意思が感じられる。
「ふふふ。顔に出ているわよ、考えていること。この状況でまだ他人を見下せるなんて、さすがは下衆君ね。じゃあ次のステップに行きましょうか」
次のステップだと?
まあ、フルコースと言っておきながら磔と火あぶりの刑で終わるわけはないか。それに、机の上に並んだビンや箱がまだ控えている。
いまの俺にとっては両手の杭と足の炭化と背中の熱がまだまだ続くという事実が何よりもの絶望だが、このビンたちが解放されたら、いまの俺には想像もつかない、さらなる苦痛が待っているのだろう。
ティーチェは俺の正面にある簡易机の前に立ち、三つの容器を見渡してから不愉快な笑みで俺を見上げた。
そして白衣を風になびかせながら言う。
「次はこの三つのどれかを使うわ。ゲス・エスト、この三つの中から一つ選んでいいわよ」
机の上にあるのは、褐色のビン、蓋つきの陶器の壷、金属製の箱だ。七つの責め苦と言っていたから、この三つは全部使うつもりだろう。
だが次に使うものを選べるのであれば、これは重要な選択だ。なにしろ、これは処刑であり最後には俺を殺すのだから、この中に殺傷力の高いものがあれば、それを選ぶことで地獄の苦痛から解放されるかもしれない。
しかし、いまの俺は冷静に頭を働かせられる状態にはない。
褐色のビンは見るからに何かの薬品だが、壷と箱は中身が見えないので何が入っているのか想像もつかない。
だから直感的に選ぶ。少なくとも選択を放棄するよりマシなはずだ。
「箱にする。金属の箱だ」
ティーチェはゆっくり歩き、箱の前で立ち止まった。
「ふふふ。いい選択ね」
そう言いつつも、ティーチェは箱には触れず、陶器の壷のところへ移動してそれを手に取った。両手ですくうように壷を持ち、簡易机から離れる。
「おい、それ違うぞ!」
違わないわ、とでも言うようにティーチェは首を横に振った。
そして口の端を吊り上げて俺を見上げる。
「選んでいいとは言ったけれど、それを使うとは言っていないわ。どれを使うかは私が決める。つまり、あなたには選ぶっていう行為をさせてあげただけってこと。あなたがどれを選んでも、次に使うのはこれに決まっていたのよ」
いまは肉体的苦痛に完全に精神を支配されているので、そこで立腹することもなかった。少しでも早く死にたいと、ひたすらそれを念じていた。
壷の中に何が入っているのかと思っていたら、ティーチェは壷を頭上高くへと掲げた。そして、それを強く地面に叩きつけた。
壷はパリーンッと割れ、中からは何か透明な粘性液体が飛び出した。まるでスライムだが、その動きには見覚えがあった。
「おまえ、まさかメターモか!?」
メターモはドクター・シータに食われたはず。もう存在しないはずなのだ。
メターモからの返事はない。無言でうごめき、そして俺の方へウネウネと近づいてくる。
そうか、同種のイーターがいたっておかしくはない。こいつはメターモではない。
「こいつの名前はメタモルスライムって言うの。ああ、ネームドイーターとしての名前ではなく、イーターの種族名だから勘違いしないでね」
「くっそどうでもいい! ああ、痛い……熱い……痛い!」
いまなお俺を苛む苦痛の隙間で、俺の意識はメタモルスライムから目が離せなかった。
いったい何をしてくるのだ。液体の体を活かすのなら、おそらく呼吸を責めてくるはず。
果たして、その予想は半分当たっていた。
メタモルスライムは人型に変形し、そして人に変身した。
その姿には見覚えがある。マンマ・ママ。リオン帝国、農業・畜産区域の五護臣であり、相手が何かを選択する場合にその選択権を奪ってしまう魔術師だ。
もちろん、メタモルスライムがマンマに変身したからといってその能力を使えるようになるわけではないし、仮に使えたとしても一方的になぶられる俺に使っても意味がない。
その変身の意味は、人の動きができるようになることと、俺が倒した相手になることで俺のプライドを傷つけるためだろう。
奴が最初にやってきたことは、左腕を液状に戻して俺の顔前まで伸ばし、水の球体で俺の頭部をすっぽり覆うことだった。
もちろん、俺は息ができずに苦しむ。大量に水を飲んでしまう。
しかしスライムとして体内で暴れることはしない。俺が死ぬ前に口を解放して呼吸をさせるのだ。
俺は肺にも水が入って咳き込み、それが落ち着くころにまた頭部を水で覆う。それを繰り返す。
水攻めも地獄だった。だが、なんとメタモルスライムの行動はそれだけではなかった。
三度目に口が水から解放されて激しく空気を吸ったとき、俺の胸部に鋭い痛みが走った。まるでつま先から脳天まで電流が走りぬけたかのような衝撃を受けた。
「ふふふ。気づいた? 壷一つからの責め苦は一つとは限らないのよ」
そう、水攻めが半分当たっていたというのは、単純に俺に与えられる苦しみが予想の半分だったということだ。
マンマの姿をしたイーターは、右手に自身の体を変身させて作った鞭を持っていて、俺が水から解放されて大きく呼吸する瞬間に合わせ、激しい一鞭を入れてくるのだ。
痛みが来ると分かっていたら、普通はその瞬間に息を止めて耐えようとする。だがこいつはそれをさせてくれない。鞭が最大効率で痛覚に働きかけてくる。
「ぐはぁっ、ごほっ、がはっ」
何度かそれが続いた後、ティーチェがようやく動きだす。次に彼女が手に取ったのは、褐色のビンだ。
存分に俺の恐怖を煽るためか、マンマの責めが一時的に止まった。
「これ、何だと思う? 正解したらこれは無しにしてあげてもいいわ」
その言い方だとおそらく当てても無しにはならない。これもさっきみたいな精神攻撃の類だろう。分かっていればこの精神ダメージだけは無効だ。
「それは試薬瓶だろう? 塩酸か? いや、硫酸か?」
「これね、瓶は瓶でもガラスじゃないのよ」
ティーチェはそう言って、プラスチックのボウル上で褐色瓶を傾け、中身をボウルに移し替えはじめた。
見た目には水のような透明な液体。色的に塩酸ではなさそうだ。臭いは分からない。自分の肉体が焼ける臭いが強いから分からないのだ。
だったら、やはり硫酸か? だが硫酸ならガラス瓶で保管するはずだが……。
「触れれば塩酸は炎症を起こし、硫酸は火傷を負う。どちらも劇薬よね。でもこれはね、どちらでもないのよ。フッ酸って知ってる? フッ酸はね、細胞内に浸透して骨を溶かすのよ。内側から破壊されるってわけ。痛みはほかの酸の比じゃないわ」
「そんな危険な代物を素手で扱うなんて正気じゃないな」
俺が蚊の鳴くような消えかけの声でそう言うと、ティーチェはハッとした表情を浮かべた。
しかしそれは自分の身の危険に気づいたからではない。憐憫と愉悦を含んだ、えもいわれぬ顔で俺を見上げてくる。
「まさかとは思うけれど、これが現実だとは思っていないわよね? ここはあなたの夢の中なのよ。覚めても覚めても新たな夢が訪れ、そして新鮮な地獄を味わうの。いわば悪夢の牢獄。だからね、痛いのも辛いのも苦しいのもあなただけなの」
そう言ってティーチェはフッ酸の入ったボウルに手を突っ込んで見せた。彼女は平気そうな顔どころか、愉悦の笑みをたたえている。
そして、大胆にボウルの中身を前方にいるメタモルスライムへとぶちまけた。
マンマの姿が一瞬崩れたが、スライムはウネウネと上下左右に大きく形を動かした後、再びマンマの姿になった。
「くそっ、そこまでやるか!」
マンマの左腕がさっきのように俺へと伸びてくる。
しかしさっきまでと違うのは、水の塊が俺の頭部だけを覆う大きさではなく、俺の全身を覆う大きさに肥大化しているということ。
そしてついに、フッ酸が俺の全身を包み込む。
「んんんんんんんっ!! んんんんんんんんんんんんんっ!!」
表現のしようがない。いや、表現が思いつかないのではなく、あまりにも苦痛が大きすぎていっさいの思考が許されない。
じきにスライムは俺の体から身を引いたが、体内に浸透したフッ酸は残ったままだ。
死にたい、と思うことすらできなくなっていた。
「ああ、あああ、ヤバイわね。まだ残っているのに事切れそう。まだ三つやりたかったのに、これで仕上げるしかないわね」
ティーチェが金属の箱を掴み、俺へと投げつけた。
箱の蓋が外れると、中から黒い何かがブワッと散った。
それは蟻だ。蟻たちはいっせいに俺の全身にまとわりつき、そしていっせいに俺を刺す。
「聞こえているかしら? まだ意識は残っている? それはね、サシハリアリよ。刺されたときの痛みはあらゆる蜂や蟻の中で最大らしいわ。その蟻に刺されれば震えが止まらなくなり、のたうち回って痙攣し、その後は……。ああ、これは強い人の場合だから関係ないわね。普通の人なら痛みのあまり数秒で卒倒するか錯乱するから、いまのあなたならショック死間違いなしだったわ。死ぬ瞬間に最大の苦痛を花火のようにパッと弾けさせて散る。素敵でしょう?」
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しかしリュウジは知る。あの胡散臭い占い師に押し売りされた小枝が【ミストルティン】という様々なアイテムを吸収し、その力を自由自在に振るうことが可能で、更に経験を積めばレベルアップしてさらなる強力な能力を手に入れることが出来るチートアイテムだったことに。
「ミストルティン。アブソープション!」
『了解しましたマスター。レベルアップして新しいスキルを覚えました』
「やった! これでまた便利になるな」
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