物語は始まりませんでした

王水

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物語は始まりませんでした

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「デュだか、ヴァンだか、何なのよ!
何で爵位が変わるとそこも変わるのよ、せっかく覚えたのに!」
  はしたなくもわ~んと喚き、手にしていた分厚い貴族名鑑を放り投げた。



  私がその記憶を思い出したのは7歳の誕生日を迎えたときだ。
  貴族の多くは魔力を生まれたときから身に帯びてるためか、赤子のうちは制御が上手くいかず、時には自ら命を削ってしまうために出生率はそれなりにあっても育成率は良くはなかったそうだ。
   かつては二人、三人生まれても、成人を迎えるのは一人いればいいほうだったと聞く。それぐらいに魔力は未発達な幼子には毒なのだ。
  医学、魔学もそれなりに発達し、幼子には魔力が毒であることが判明し、出生して身体が魔力に耐えられる年齢になるまで封印するようになってからは育成率も良くなったそうだ。
  その魔力に耐えられる身体になるのが7歳だ。
7歳を迎えた貴族の子どもたちは、その封印を解除してもらうために誕生日を迎えたら神殿に赴く。
  そして女神ルチア様に本日無事7歳を迎えたことへの感謝を述べ、大人への第一歩に封印解除を願うのだ。
願うのだが、どうやら私は願いすぎてしまったようで、余計な前世の記憶までもが解除されてしまった。



  突然、膨大な記憶が魔力とともに自分の中から溢れてきた私は、あまりな出来事にその場で目を回し、昏倒した。
  何しろ魔力と同時に、28年生きた女性の記憶も一気に脳へと押し寄せてきたのだ。
  そう、私には岸田沙知として生きた記憶がある。
  人見知りで大人しく、陰キャで趣味は読書だった女性の記憶が。
  可もなく不可もなく、実に平々凡々だった沙知。
  最期は病に倒れ、病室で親不孝にも両親に看取られながら徐々に視界が黒く塗りつぶされていったことは覚えている。

(ああ、物語の最終章読んでないや……)

  そう思いながら亡くなったせいか、沙知として入院したベッドの上で読んでいた小説の世界に転生したようだ。
  何を言ってるか、よくわからない?
  大丈夫、私自身も当初は自分の頭を疑ったことがあったけれど、今、私が生きている世界はその沙知が最後に読んでいた『素晴らしきこの世界の中で』の物語の中だ。
  所謂、一時ネット小説界で流行した異世界転生というやつである。
  内容もこれまたありがちなやつで、伯爵家令嬢であるエリアナが王立学園に入学し、そこで出会う高位貴族の子息たちとの交流を経、その中の一人と恋人となって結ばれ、最終的には学園の卒業イベントをもって結婚へと至るベッタベタな恋愛小説だった。
  二年近くを闘病していた私は、暇を持て余すあまりそれまで読まずにいたネット小説に手を出してしまったのだ。
  そこで出会ったのが『素晴らしきこの世界の中で』だった。



  ベッタベタな恋愛小説だったこの物語に嵌ったきっかけは、主人公エリアナたちの恋のエッセンスとなる悪役令嬢シルヴィアにある。
  第一王子の婚約者で公爵家令嬢のシルヴィアは、その立場にありがちな高飛車なところはあるものの、ツンデレの、恋に一生懸命な女の子だった。
  王子が好きで大好きで、そのため血が滲むような努力も欠かさず、でも泣き言は口にせず、好きすぎるあまりにその気持ちを素直には口に出来ず、ツンツンしてしまう健気だけど不器用な女の子。
  好きになるでしょう、そりゃあ。
  ただそれは裏側を知る読者側の話。
  実際にどれだけ美しかろうが会えばツンツンし、嫌味をつい口にしてしまう女の子と、会えば可愛らしく笑顔で素直に好意を寄せる女の子とを比べれば、後者に気持ちはいきがちだ。特に若い男の子ならば。
  だから第一王子とエリアナが恋に落ちたとしても仕方がない。
  ただ、そのシルヴィアが私でなければ。
  そう、長いこと語ったのは、私が異世界転生した先がシルヴィアであるからだ。
  つまりはツンデレのあまりにフラレ、恋を取り戻そうと焦るあまりに嫌がらせをし、最終的に恋する第一王子に断罪される悪役令嬢なのだ、私が。
  私が?
  このままいけば私はいずれ断罪されるのだ。
  断罪といってもそもそもシルヴィアがしていたのは小さな嫌がらせ程度で、イジメに発展するような内容でもなければ命に関わるようなものでもない。
  だから断罪だって公衆の面前で婚約破棄されるだけだ。
  ただ体面を重んじる貴族社会でそれは致命的ではあるが。
  その最後の章を読まずに終わってしまったため、シルヴィアがどうなったのかがわからないが、彼女にとってはいい終わり方をしているとは思えない。
  そうならないためにも頑張るしかない。
  例えば第一王子の婚約者にならないようにするとか、ツンデレの高飛車にみられないよう言動に注意するとか、断罪されないためにいろいろと考えていた時期が私にもありました。



「お嬢様、サヴォイア家は子爵家から伯爵家へと陞爵しましたので、そこはデュではなくヴァンとなります」
「……ヴァン・ サヴォイア」
「そうです。デュ・サヴォイアからヴァン・サヴォイアと今年から変わります」
「ヴァン・サヴォイア……」



  私には前世の記憶がある。
  28年、前世の世界からしてみればけして長くはない生ではあるが、まだ7歳でしかない私にしてみれば長く重い記憶だ。
  7歳を迎え、属する社会への勉強をし始めた私がまず覚えなければならないのが、王家はもちろん、三大公爵家の家名に始まり、八大侯爵家、二十二大伯爵家の家名だ。まずはこれが基本知識。10歳からはこれに続き、子爵家、男爵家をも網羅するのが高位貴族の嗜みとなる。
  なるのだが、その前世が、日本で生きてきた記憶がアダとなり、私の脳は貴族の家名を受け付けないのだ。
  考えてほしい、日本人にとってみたら貴族社会の家名なんてすべてカタカナでしかない。
  そして沙知はカタカナの名前をなかなか記憶できない人だった。
  読書好きで、ミステリー好き。
  ならばまずは基本となる古典ミステリーも読んでおきなさいと同じミステリー好きな父親からアガサ・ク〇スティだとか、エドガー・ア〇ン・ポーだとかの本をもらったことがある。
  わくわくして読み始め、でも名前に頓挫して。
  本を読みながら指は常に人物紹介のページに差し込まれ、数ページ読んではこの人物は……と差し込んだ指から人物紹介ページを開いて確認をし、また続きを読み始めてはあれ、この人物は……以下略。となったことはないだろうか。私はある。
  あるというよりは海外作品はすべてそうなった。
  なぜかカタカナで記載された名前は頭の中を滑り続け、記憶出来ず、物語に集中出来ない。
  そして今もそうだ。
  知らないわよ、陞爵したらデュがヴァンになるとか。
  そもそもカタカナの時点で苦手なのに、そんな変化球やめてくれないかしら。



「お嬢様、まずはこの二十二大伯爵家までを10歳までに覚えなくては王宮へ足を踏み入れることは出来ませんよ」
「はい……」
「基本中の基本ですからひたすら繰り返して覚えていけば簡単ですわ。頑張ってくださいね」
「はい……」



  血が滲むような努力を重ねて私は頑張った。
  頑張って、頑張り続け、でもやはりカタカナ名は脳が受け付けなかった。
  だから10歳を迎えても基本とされる貴族家名はカンペがなければ怪しいし、そんな娘を王宮につれていき、トラブルがあってはいけないと両親からの許可も出ないため、いまだ王宮に足を踏み入れたことはない。
  ただ家名を覚えらない致命的な部分はあれど、それ以外は自画自賛になってしまうもののそれなりに優秀なため、両親から見捨てられることなく愛され、日々幸せに暮らしている。

「あら?」

  普通10歳となれば王宮へ行き、王家と顔合わせを果たす公爵家だが、まさかそんな理由で王宮に行けないなどと馬鹿正直に言うはずもなく、娘は病弱なのでを理由にしているらしい。
  だからか、三大公爵家のひとつで第一王子と年齢的に釣り合うスポレート家の次女が先日彼と対面を果たし、互いに好印象を抱いたからと婚約が相成ったと発表されたのは。

「あれ……? ま、いっか」

  つまり狙ったわけではないが、私は知らずうちに婚約者への道を絶つことに成功していたらしい。
  沙知の苦手とするカタカナ名が。
  いずれ大きくなれば沙知の記憶も薄れ、貴族名=カタカナ名という苦手意識も薄れていくだろう。
  だが問題はない。
  そもそも物語は始まらなかったのだから。




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