必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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古戦場

第3話

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 リリアは、まだ胸の奥のざわめきを抑えきれずにいた。
 心臓の鼓動が落ち着かない。冷たい汗が背筋を伝っていった。

 カリムは、何事もなかったかのように立っている。
 彼の姿は変わらず静かで、彫像のように動かない。けれど、その背中がほんの一瞬だけ揺らいだようにリリアには見えた。
 見間違いかもしれない。けれど、あの揺らぎには、隠しきれない影が宿っていたような気がしてならなかった。

 大丈夫ですか、そうリリアが口にしようとたときだった。
 石畳を踏む足音が近づいてきた。
 革靴の硬い音がひとつ、ふたつ。規則正しく響き、重く沈んだ広場の空気を切り裂いた。

 リリアが慌てて振り返ると、ヴァルガン、ミリエラ、そしてカイの三人が戻ってくるところだった。
 見慣れたはずの仲間たちの姿が、今はどこか遠く感じられる。足音は確かに近いのに、彼らとの間に流れる空気がやけに重く、歩みが異様にゆっくりに思えた。

 ヴァルガンの顔には険しい影が浮かんでいた。
 いつもは落ち着き払っている座長が、唇を固く結んでいる。

「どうだったんですか?」

 リリアは思わず声をかけていた。
 ヴァルガンは深く息を吐き、全員を荷馬車の陰へ集める。

「……この街は、祭りどころじゃねぇ」

 そのひと言で、全員の空気が固まった。
 リリアも胸のざわめきがさらに強まる。

「夜になると幽霊が出るそうだ」

「……それだけ、ですか?」

 ぽろっと出た言葉に、自分でも間抜けだと思った。

「ふふ。慌てない慌てない」

 ミリエラが楽しそうに笑う。場違いなほど明るい。
 リリアが戸惑っていると、セラが呆れ声を上げた。

「普通の女の子はね、幽霊って聞いたら怖がるの! それだけですかー、じゃないの!」

「……え、えっと……?」

 なんだかますます置いていかれている気分だ。
 そこへ、ヴァルガンが咳払いで空気を戻した。

「街の裏手が古戦場になっていてな。夜な夜な幽霊が徘徊し、生者をさらっていくと、そんな噂だ。実際、死人も出ている」

 リリアは息を呑む。
 あの静かすぎる街並み、閉ざされた窓、怯えたような人々。すべてがつながっていく。

「噂じゃ亡霊の仕業だが……俺は霊ごときが人の命を簡単に奪うなんて信じちゃいない」

 ヴァルガンにうながされるように、リリアは小さくうなずく。
 だが、胸のざわめきは強まるばかりだった。

「裏取りしてきた。人が消えてるのは紛れもない事実だったよ」

 カイの言葉が、冷たい刃みたいに空気に刺さる。

「そこが問題だな」

 ヴァルガンが舌打ちする。静まり返った広場に響いた。

「総合すると、古戦場にいるのは実体のない幽霊じゃなく……アンデッドあたりだと俺は考えている」

「ア、アンデッド……?」

 リリアは思わず声を震わせた。
 想像しただけで冷たい何かが足元から這い上がってくる。

「ただの推測だ。確認するまでは結論を急ぐな」

 怯えるリリアの背を、ヴァルガンが軽く叩く。

「夜を待つ。亡霊が騒ぐのは深夜らしい。その時間なら……お前の出番だろ?」

 仲間たちがうなずく。
 しかし、リリアの胸はざわざわしたままだ。

 ――アンデッド。本来ありえないはずの存在。

 古戦場は国の管理下で、供養も浄化もされている。
 そんな場所でアンデッドが発生するなんて、普通は考えられない。

 なのに街の人はそろって「幽霊が出る」と怯えている。
 これはどう考えても、ただの噂じゃない。

 ――誰かが意図的に流している。祠のときみたいに。

 人外の影より、人の悪意のほうが濃く漂っているように思えた。

「……確かめるしかあるまい」

 ヴァルガンの声はいつになく硬い。
 全員の視線が彼に集まる。

「夜になったら、俺がここを見張る。古戦場へ行くのは三人だ」

 そして名が告げられる。

「リリア。カイ。そして……カリム」

 予想していたはずなのに、実際に呼ばれると胸がどくんと跳ねた。

「……わたし、ですか」

 声が震える。

「お前の眼は夜に強い。普通の人間が気づかないものも見えるだろ」

 肩に置かれたヴァルガンの手が、ずしりとした重みで覚悟を迫る。
 カイは両手を広げて笑ってくれた。

「リリアと一緒に仕事できるなんて嬉しいよ。音で探すのは任せてね」

 軽い口調だが、瞳の奥はしっかり緊張している。
 カリムは短く言う。

「……命じられたことは、果たす」

 その声は冷静すぎて、逆に揺れているように聞こえた。
 リリアは思わず彼の横顔を見る。
 ほんの一瞬、深い影が瞳に浮かんだような気がした。

 ヴァルガンはうなずき、残りの仲間へ視線を向ける。

「他は俺と馬車を守る。……三人が戻らなければ、その時は――」

 言葉の先は誰も口にしないが、全員が理解していた。
 重たい沈黙を破ったのはミリエラだ。

「ふふ、物騒なことになっちゃったわね。でも、任されたからには仕方ないわ。リリアちゃん、あんまり気を張りすぎないでね」

 その声でほんの少し空気が柔らかくなる。
 けれど、リリアの胸のざわつきはまだ止まらない。

 アンデッド。ありえないはずの存在。
 そして、それを裏で動かしているかもしれない
 夜になれば、すべてが見えるのだろうか。

 リリアは唇を引き結び、跳ねる鼓動を押し込めようとした。
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