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序の段 納屋御寮人の遭難 毒(二)
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用意があった。
カイゲの水を口に含むと、汗まみれのあやめの躰を起こした。顎に手をやり、唇をつけた。水を口移しにする。
乾ききったあやめの躰に、その水は甘露にしか思えなかった。無意識に飲み干してしまう。
「好きなだけ、飲まれるがよい。」
新三郎はまた水を含んだ。あやめははっとして、顔をそむける。怒るでもなく、新三郎は頬をやや膨らませたまま、待っている気配だ。そのごく数秒が、あやめには長くつらい。
頭に痛みが走った。喉に奇妙な音がする。全身が、もっと水が欲しいと訴えていた。ねだるつもりはないが、顔が傍らの男のほうに向いた。
とたんにまた唇が押しつけられた。水が男女の頬と顎をつたって流れ落ちる。しかし、あやめは嚥下した。
さらにもう一度。ぶつかるような勢いで唇がまた襲った。離しはせぬ、とあやめの後頭部を分厚い掌が押さえつけていた。あやめはまた飲んだ。
今度は妙な味がするようだった。最悪の脱水状態から、少し余裕ができたから、かすかな味や匂いがわかるのかもしれない。先ほどまで字義通り厭というほど味あわされた、男の口の臭いとは違うようだ。
男の腕が、躰に巻き付いた。痛いほどに固く抱きしめられる。
(十四郎さま、……痛いよ。)
あやめは十四郎の抱きすくめる力に驚いて、細い声で訴えたものだ。抱きしめられる時の、この上なく落ち着いた気持ち、それとはうらはらのように昂揚する「その先」への期待に、あやめは大きく息をつくのだった。
すまぬ、と十四郎が力任せの抱擁を緩めてくれるときに、雲を踏むような幸福感に包まれて、……
そのまま床に倒された。少し頭を打った。男の体重がかかる。あやめは蘇生できたようになっていたから、少し抵抗できる。
(これ以上は、もう、ならぬ。)
と本能的に思っている。
当然のことだが、穢されるのはこれきりにしたい。一刻も早く解放されたい。
そして、また犯される行為の先にくるものへの、説明できない深い不安がある。この男は、自分をどうしようというのか。
(十四郎さま、助けて!)
そこから力が出た。下半身はすでに固められているが、握られた手首を動かし、男の裸の胸に固く握った拳を懸命に当てたりできる。ただ、そんなもの、男には、かえって女に愛撫されるようなものだ。
「放してくだされ!」
「……」
「厭がる女にこのような真似をして、恥ずかしくはござらぬか?……恥を知りなされ!……それでもお武家か?…… ご、ご存知じゃったろう、わたくしは、あなた様の弟君の」
「あやめ、」呼び捨てた。「先ほどの水は、特に、うまかったであろう?」
あやめはその態度にも口移しの行為の記憶にも二重の屈辱を覚えたが、ふと相手の言葉の意味に気づいて、慄然とした。
そして、自分を押さえつけながら器用に汲んだ水をまた口に含む男に、一層激しく抵抗の身悶えをくりかえした。
だが、また唇を割られてしまう。どっと水が流れ込み、乾いたあやめの喉にやすやすとはいった。
新三郎はしきりに唾を吐きながら、
「今ので、仕上げじゃ。先ほどの分でも、十分だったが。」
「まさか、……まさか、毒?」
「案じずともよい。命に別状はない。」
かっと頭の芯が熱くなった。薬か。致死性の毒ではないらしいし、そうであろう。ここでそんなものを使う道理はない。なにかの薬、こんな場で、女に使うとすれば……
「卑怯者。」
武家に対して口に出す言葉ではなかったが、もうあやめはそれも抑えようがない。
ただ、新三郎は自分の腕の中にある女の言葉は意に介さない。黙って聞き流した。
一方では、直截的な怒りの言葉を聞いて、この女を無理体にでも犯した甲斐があったとすら思った。
(納屋の御寮人が怒ると、こんな顔になるのか。)
「なに、ともに楽しもうということ。」
一種の媚薬、あるいは催淫剤だというのだろうか。首筋に舌を這わされながら、あやめは思い出している。
(蠣崎の家の者は、毒を使う……!)
蝦夷地の原住民アイノがおこなってきた北の海の貿易は、大陸沿岸部を経由して明にも通じて、日本には乏しい数々の薬物も手に入れてきた。
貴重な医薬品として、それらは越後、越中といった海沿いの土地や、京や南都といった上方に運ばれた。現にあやめの納屋も、堺の薬種問屋小西家に少量とはいえ、明からアイノの貿易に流れてきたらしい薬品の原料を送ったことがある。
また、アイノには独自の毒物を使う狩猟が盛んだ。あやめには見慣れなかった、上方のそれと似て異なる自生植物から絞った毒物を何種類も混ぜて使う。
イケマという草の乳白色の汁からとった毒を餌に混ぜて野鳥を狩るのに使うのを、あやめはこの松前で見せられたことがある。また、アイノがケツハスとよぶ黄色い花と小さな果実をつける灌木からは、ここよりもはるかに遠い西蝦夷の海に住むセイウチとかいう異形の巨獣も倒す猛毒が含まれているという。
「アイノは、毒の製法を和人には決して教えない。」
のだという。しかし、と十四郎はいったのだ。
「我が家には、アイノ由来の毒がいくつか、伝わっております。」
青年は溜息をつくようだった。蠣崎家のように、蝦夷地での始祖武田信広の時代以来、蝦夷地の原住民と血みどろの関係を続けていれば、そういうこともできたのであろう。部族の秘法をかれら部族間の抗争に乗じて盗み取りもすれば、抑えつけて奪うような形で手に入れることもあったはずだ。
いや、そもそも蠣崎家は若狭武田源氏どころか、蝦夷地の南や津軽で商業をいとなむ「蝦夷」の一派から出たとさえもいわれる。「渡党」にはそうした人びとが加わっていた。この「蝦夷」が民族的にアイノの流れだとすれば、蠣崎のひとびとも、かつての自前の毒すら受け継いでいたのかもしれない。それは一門の十四郎にもわからないことのようではあった。
ただ、蠣崎家は代々、当代の「おやかたさま」―「お屋形さま」だとすれば、公許もなく僭称もいいところであったが、いつの間にかこう呼ばれるようになっている―こと当主の季広に至るまでは、偽りの和睦の宴に招いて、アイノの首長を不意打ちで殺してきた。この手で、その時々のアイノとの死闘のかたをつけてしまう癖があったと聞く。 酒に酔わせて斬り伏せたというだけで卑劣ではないかと思ったが、屈強な戦士たる首長たちをさらに弱らせるため、 酒の中に何を入れていたかわかったものではない。
そして、ちょうどあやめや十四郎たちが生まれるすぐ前には、毒は、蠣崎家の中で使われたのである。戦国のならいとはいえ陰惨な事件であり家門の恥であったから、明るい陽光の下なのに、若者の声色は珍しく暗かった。
三男の兄、新三郎が当代の継嗣となったのは、一番上の姉の手で、長男と次男が立て続けに毒殺されたからである。蠣崎季広の長女は重臣南条廣継の室だったが、家督を思う儘にするために、父の後継者たる実兄たちに毒を盛ったという。
あやめたちの生まれる前、ちょうど「桶狭間の合戦」の前の年のことらしい。
「女の身では継嗣足りえないという恨みからだということでござる。おやかた(蠣崎季広)は、長姉を南条もろともに自害させたが、夫のほうはあずかり知らぬことだったとのこと。」
(女の身では……)
あやめは息を呑んだが、十四郎はこちらを振り向いて、よく見せてくれる、困ったような柔らかい笑みを浮かべていた。
あのとき、早すぎる秋の海風に吹かれる河口の岸辺で、従者たちから少し離れて、二人は敷物の上に座っていた。茶というものは外でも飲みます、と信長の茶道頭・宗久の娘が、野点に誘ったのだ。
実に簡単に作法をなぞったあと、男女は日が陰るまで飽かず話しこんだ。他愛もない笑い話や、蝦夷地の北のほうの珍しい見聞が主だったが、ふと家族の話が出た。
「御寮人殿などとは、まったく違う女だったのであろうな、その姉は。」
「……左様、でございましょうか?」
(この御曹司様でも、わかりはせぬ。)
この世に、女の身に生まれたというだけでかぶさる苦しさや辛さ、女だからといって望む場を得られない怒りと悲しみは、である。
十四郎の言葉が自分への愛情を示す以外の意味はないことに、あやめが気づいたのは、少し先のことであった。
そのときは、別のことがあやめの心に重く、深く沈んで、残った。
十四郎は、左様、とうなずき、しかし、つけくわえたのではなかったか。
「ああ、……だが、そういえば、その姉にも名があった。たしか、……」
(女の身……!)
あやめの目から、耐えていた涙がまた一筋流れ、仰向けにされた顔を滑って板の間に落ちた。
晴れやかだった日の回想は、忌まわしい刺激の前に消えた。
男の頭が、先ほどの後ろ向きからの交接では存分に味わえなかったのだろう、胸乳にかぶさっている。
狭い蒸風呂の中である。あやめの躰はすでにびっしりと浮いた汗に光っていた。その汗の味を好むように、褐色に光る男の体躯がのしかかり、ぴったりと抑えつけて、女の躰の隅々までを舐めた。抵抗する片足を持ち上げ、腿の裏を股に向かって舐めた。ざらざらとした触感が、あらぬところに走った。
あやめは悲鳴を漏らした。息遣いが荒い。
文字通り貪ってくる男の行為をあさましく、いやらしいと嫌悪しながら、不作法に躰の隠すべき個所をさらされているのをますます憎みながら、まぎれもなく感覚に変調があると気づいて、情けなくてたまらない。
(苦しいのだ。苦しいから、こんなに息が……それだけ、それだけだ。……あっ? あ、またっ……)
懐かしい感覚に目をきつく閉じずにいられない。
(胸は、……いけないっ。)
つよい力で持ち上げられてあらわになった腋のくぼみに突然舌があてられたとき、おどろきとともに跳ねあがりそうな違和感が直接、頭蓋に届き、狼狽した。
痛いほどにまた躰の先端が固くなっているのを感じる。喘ぎと震えがとまらない。
唇が熱く燃え、思わず舌で舐めた。それを見て何を思ったのか、男の唇が強く重なったとき、その行為にはじめて淡い快さを一瞬だけおぼえた。
(ありえないっ。)
舌が腫れたように重く、それに男の舌が絡むとき、匂いを覚えながら、どこか甘く感じてしまう。
(そんな、そんな馬鹿なことが。)
さきほどから、懐かしい、もどかしい感覚が下半身から立ちのぼり、また十四郎とのことを思ったが、目の前にいるのは違う男である。あやめはさらに固く目を閉じたが、身をよじらずにいられない。
「おう、薬が効いたか。」
(やはり……!)
あやめは目を閉じた赤い暗闇のなかで勝ち誇る男の声を聴き、叩きのめされるような絶望と燃え上がる憎悪のなかでまた喘いだ。
だが、新三郎はわざといってみたのである。わかっている。たしかに水にごく少量の薬を混ぜたが、媚薬や催淫剤などといえるものではない。短時間で人間の精神を狂わせ、意思に反して好色多淫にしてしまう薬などは、もとよりこの世にないのを知っていた。
ただ「毒」というのは実はあたっていて、大量に飲んだり塗ったりすれば、ただでは済まぬケツハスの樹脂液を薄めたものである。どんな使い方でも粘膜を充血させ、その意味でのみは「媚薬」や「催淫剤」として使えるかもしれない。あれほどの少量でも、もし薬に慣れぬだろうあやめの躰のあちこちにすでに充血や痒覚が起きていれば、その意味で効果はあったといえよう。
だが、そんなものにどの程度の効き目があろうかは、新三郎にとって実はどうでもよいことであった。たしかに少しも効いていないでもないようだが、女の心までは粘膜への刺激に支配されているわけではないのも、この男は知っていた。
媚薬、催淫薬を飲ませたと信じ込ませれば、それでいい。あやめは動揺し、些細な薬効の兆しに頭を働かせて、やがて観念してしまうかもしれぬ。新三郎の狙いはそれであった。
そうしてやれば、このような誇り高い女に限って、やがて勝手に堕ちる。すでにそうなりつつあるではないか。こうしたことをくりかえしていけば、やがて我が肉体の技に溺れ、心から唯々諾々として従うようにもなろう。――新三郎はそんなことを考えていた。
そうなって欲しい、というあさましい欲望の裏側に、納屋の御寮人に限って簡単にそんな風にはならないでいてほしい、という矛盾した思いがある。そんなものが淡く、凌辱者の心にある。
(これしきのことで……)
と自分を鼓舞する声を頭の中であげたとき、あやめは自分の両足がたかだかとあげられているのに気づいた。汗が幾条も流れ落ちる。自分の胸が何かの仕掛けのようにはげしく上下しているのが見える。顔を持ち上げて腹のほうに目をやると、叢が水に濡れて、黒々と立っていた。
まさか、忘我の中で自分は無抵抗に、ただ喘いでいたのか。
両腕をあげて自分を見下ろしている男は、女の足と足のあいだを無言で眺めている。
あやめは憎悪に歯噛みする思いでまた呻いたが、足首を掴まれたままで少しも動かせない。恥辱に上半身をのたうちまわらせ、中腰になった男が見せつけるかのような隆起した肉塊には、唾を吐くような勢いで目をそむける。だが、そのとき、躰の部分に、異様な熱と、もどかしく遣る瀬無い空白感が襲うように思った。
「おぬし、欲しがっておる。」
男は覗きこむようにして、何か真面目に宣告するかのようにいった。
あやめは衝撃を受けた。何度も首を振ったが、声が出ない。
女の足首を固く掴んでいた手を素早く膝の後ろにまわし、男はゆっくりと腰を進める。
(ああ、また穢される……)
あやめは顔をそむけたが、不思議な声が漏れるのを抑えられなかった。
自分の声か。こんな声を、自分はこんなときに、こんな男を相手に出すのか。あやめは、激しい狼狽に襲われた。
男は細かい震えがとまらない女体に、無慈悲に荒々しくのしかかった。
カイゲの水を口に含むと、汗まみれのあやめの躰を起こした。顎に手をやり、唇をつけた。水を口移しにする。
乾ききったあやめの躰に、その水は甘露にしか思えなかった。無意識に飲み干してしまう。
「好きなだけ、飲まれるがよい。」
新三郎はまた水を含んだ。あやめははっとして、顔をそむける。怒るでもなく、新三郎は頬をやや膨らませたまま、待っている気配だ。そのごく数秒が、あやめには長くつらい。
頭に痛みが走った。喉に奇妙な音がする。全身が、もっと水が欲しいと訴えていた。ねだるつもりはないが、顔が傍らの男のほうに向いた。
とたんにまた唇が押しつけられた。水が男女の頬と顎をつたって流れ落ちる。しかし、あやめは嚥下した。
さらにもう一度。ぶつかるような勢いで唇がまた襲った。離しはせぬ、とあやめの後頭部を分厚い掌が押さえつけていた。あやめはまた飲んだ。
今度は妙な味がするようだった。最悪の脱水状態から、少し余裕ができたから、かすかな味や匂いがわかるのかもしれない。先ほどまで字義通り厭というほど味あわされた、男の口の臭いとは違うようだ。
男の腕が、躰に巻き付いた。痛いほどに固く抱きしめられる。
(十四郎さま、……痛いよ。)
あやめは十四郎の抱きすくめる力に驚いて、細い声で訴えたものだ。抱きしめられる時の、この上なく落ち着いた気持ち、それとはうらはらのように昂揚する「その先」への期待に、あやめは大きく息をつくのだった。
すまぬ、と十四郎が力任せの抱擁を緩めてくれるときに、雲を踏むような幸福感に包まれて、……
そのまま床に倒された。少し頭を打った。男の体重がかかる。あやめは蘇生できたようになっていたから、少し抵抗できる。
(これ以上は、もう、ならぬ。)
と本能的に思っている。
当然のことだが、穢されるのはこれきりにしたい。一刻も早く解放されたい。
そして、また犯される行為の先にくるものへの、説明できない深い不安がある。この男は、自分をどうしようというのか。
(十四郎さま、助けて!)
そこから力が出た。下半身はすでに固められているが、握られた手首を動かし、男の裸の胸に固く握った拳を懸命に当てたりできる。ただ、そんなもの、男には、かえって女に愛撫されるようなものだ。
「放してくだされ!」
「……」
「厭がる女にこのような真似をして、恥ずかしくはござらぬか?……恥を知りなされ!……それでもお武家か?…… ご、ご存知じゃったろう、わたくしは、あなた様の弟君の」
「あやめ、」呼び捨てた。「先ほどの水は、特に、うまかったであろう?」
あやめはその態度にも口移しの行為の記憶にも二重の屈辱を覚えたが、ふと相手の言葉の意味に気づいて、慄然とした。
そして、自分を押さえつけながら器用に汲んだ水をまた口に含む男に、一層激しく抵抗の身悶えをくりかえした。
だが、また唇を割られてしまう。どっと水が流れ込み、乾いたあやめの喉にやすやすとはいった。
新三郎はしきりに唾を吐きながら、
「今ので、仕上げじゃ。先ほどの分でも、十分だったが。」
「まさか、……まさか、毒?」
「案じずともよい。命に別状はない。」
かっと頭の芯が熱くなった。薬か。致死性の毒ではないらしいし、そうであろう。ここでそんなものを使う道理はない。なにかの薬、こんな場で、女に使うとすれば……
「卑怯者。」
武家に対して口に出す言葉ではなかったが、もうあやめはそれも抑えようがない。
ただ、新三郎は自分の腕の中にある女の言葉は意に介さない。黙って聞き流した。
一方では、直截的な怒りの言葉を聞いて、この女を無理体にでも犯した甲斐があったとすら思った。
(納屋の御寮人が怒ると、こんな顔になるのか。)
「なに、ともに楽しもうということ。」
一種の媚薬、あるいは催淫剤だというのだろうか。首筋に舌を這わされながら、あやめは思い出している。
(蠣崎の家の者は、毒を使う……!)
蝦夷地の原住民アイノがおこなってきた北の海の貿易は、大陸沿岸部を経由して明にも通じて、日本には乏しい数々の薬物も手に入れてきた。
貴重な医薬品として、それらは越後、越中といった海沿いの土地や、京や南都といった上方に運ばれた。現にあやめの納屋も、堺の薬種問屋小西家に少量とはいえ、明からアイノの貿易に流れてきたらしい薬品の原料を送ったことがある。
また、アイノには独自の毒物を使う狩猟が盛んだ。あやめには見慣れなかった、上方のそれと似て異なる自生植物から絞った毒物を何種類も混ぜて使う。
イケマという草の乳白色の汁からとった毒を餌に混ぜて野鳥を狩るのに使うのを、あやめはこの松前で見せられたことがある。また、アイノがケツハスとよぶ黄色い花と小さな果実をつける灌木からは、ここよりもはるかに遠い西蝦夷の海に住むセイウチとかいう異形の巨獣も倒す猛毒が含まれているという。
「アイノは、毒の製法を和人には決して教えない。」
のだという。しかし、と十四郎はいったのだ。
「我が家には、アイノ由来の毒がいくつか、伝わっております。」
青年は溜息をつくようだった。蠣崎家のように、蝦夷地での始祖武田信広の時代以来、蝦夷地の原住民と血みどろの関係を続けていれば、そういうこともできたのであろう。部族の秘法をかれら部族間の抗争に乗じて盗み取りもすれば、抑えつけて奪うような形で手に入れることもあったはずだ。
いや、そもそも蠣崎家は若狭武田源氏どころか、蝦夷地の南や津軽で商業をいとなむ「蝦夷」の一派から出たとさえもいわれる。「渡党」にはそうした人びとが加わっていた。この「蝦夷」が民族的にアイノの流れだとすれば、蠣崎のひとびとも、かつての自前の毒すら受け継いでいたのかもしれない。それは一門の十四郎にもわからないことのようではあった。
ただ、蠣崎家は代々、当代の「おやかたさま」―「お屋形さま」だとすれば、公許もなく僭称もいいところであったが、いつの間にかこう呼ばれるようになっている―こと当主の季広に至るまでは、偽りの和睦の宴に招いて、アイノの首長を不意打ちで殺してきた。この手で、その時々のアイノとの死闘のかたをつけてしまう癖があったと聞く。 酒に酔わせて斬り伏せたというだけで卑劣ではないかと思ったが、屈強な戦士たる首長たちをさらに弱らせるため、 酒の中に何を入れていたかわかったものではない。
そして、ちょうどあやめや十四郎たちが生まれるすぐ前には、毒は、蠣崎家の中で使われたのである。戦国のならいとはいえ陰惨な事件であり家門の恥であったから、明るい陽光の下なのに、若者の声色は珍しく暗かった。
三男の兄、新三郎が当代の継嗣となったのは、一番上の姉の手で、長男と次男が立て続けに毒殺されたからである。蠣崎季広の長女は重臣南条廣継の室だったが、家督を思う儘にするために、父の後継者たる実兄たちに毒を盛ったという。
あやめたちの生まれる前、ちょうど「桶狭間の合戦」の前の年のことらしい。
「女の身では継嗣足りえないという恨みからだということでござる。おやかた(蠣崎季広)は、長姉を南条もろともに自害させたが、夫のほうはあずかり知らぬことだったとのこと。」
(女の身では……)
あやめは息を呑んだが、十四郎はこちらを振り向いて、よく見せてくれる、困ったような柔らかい笑みを浮かべていた。
あのとき、早すぎる秋の海風に吹かれる河口の岸辺で、従者たちから少し離れて、二人は敷物の上に座っていた。茶というものは外でも飲みます、と信長の茶道頭・宗久の娘が、野点に誘ったのだ。
実に簡単に作法をなぞったあと、男女は日が陰るまで飽かず話しこんだ。他愛もない笑い話や、蝦夷地の北のほうの珍しい見聞が主だったが、ふと家族の話が出た。
「御寮人殿などとは、まったく違う女だったのであろうな、その姉は。」
「……左様、でございましょうか?」
(この御曹司様でも、わかりはせぬ。)
この世に、女の身に生まれたというだけでかぶさる苦しさや辛さ、女だからといって望む場を得られない怒りと悲しみは、である。
十四郎の言葉が自分への愛情を示す以外の意味はないことに、あやめが気づいたのは、少し先のことであった。
そのときは、別のことがあやめの心に重く、深く沈んで、残った。
十四郎は、左様、とうなずき、しかし、つけくわえたのではなかったか。
「ああ、……だが、そういえば、その姉にも名があった。たしか、……」
(女の身……!)
あやめの目から、耐えていた涙がまた一筋流れ、仰向けにされた顔を滑って板の間に落ちた。
晴れやかだった日の回想は、忌まわしい刺激の前に消えた。
男の頭が、先ほどの後ろ向きからの交接では存分に味わえなかったのだろう、胸乳にかぶさっている。
狭い蒸風呂の中である。あやめの躰はすでにびっしりと浮いた汗に光っていた。その汗の味を好むように、褐色に光る男の体躯がのしかかり、ぴったりと抑えつけて、女の躰の隅々までを舐めた。抵抗する片足を持ち上げ、腿の裏を股に向かって舐めた。ざらざらとした触感が、あらぬところに走った。
あやめは悲鳴を漏らした。息遣いが荒い。
文字通り貪ってくる男の行為をあさましく、いやらしいと嫌悪しながら、不作法に躰の隠すべき個所をさらされているのをますます憎みながら、まぎれもなく感覚に変調があると気づいて、情けなくてたまらない。
(苦しいのだ。苦しいから、こんなに息が……それだけ、それだけだ。……あっ? あ、またっ……)
懐かしい感覚に目をきつく閉じずにいられない。
(胸は、……いけないっ。)
つよい力で持ち上げられてあらわになった腋のくぼみに突然舌があてられたとき、おどろきとともに跳ねあがりそうな違和感が直接、頭蓋に届き、狼狽した。
痛いほどにまた躰の先端が固くなっているのを感じる。喘ぎと震えがとまらない。
唇が熱く燃え、思わず舌で舐めた。それを見て何を思ったのか、男の唇が強く重なったとき、その行為にはじめて淡い快さを一瞬だけおぼえた。
(ありえないっ。)
舌が腫れたように重く、それに男の舌が絡むとき、匂いを覚えながら、どこか甘く感じてしまう。
(そんな、そんな馬鹿なことが。)
さきほどから、懐かしい、もどかしい感覚が下半身から立ちのぼり、また十四郎とのことを思ったが、目の前にいるのは違う男である。あやめはさらに固く目を閉じたが、身をよじらずにいられない。
「おう、薬が効いたか。」
(やはり……!)
あやめは目を閉じた赤い暗闇のなかで勝ち誇る男の声を聴き、叩きのめされるような絶望と燃え上がる憎悪のなかでまた喘いだ。
だが、新三郎はわざといってみたのである。わかっている。たしかに水にごく少量の薬を混ぜたが、媚薬や催淫剤などといえるものではない。短時間で人間の精神を狂わせ、意思に反して好色多淫にしてしまう薬などは、もとよりこの世にないのを知っていた。
ただ「毒」というのは実はあたっていて、大量に飲んだり塗ったりすれば、ただでは済まぬケツハスの樹脂液を薄めたものである。どんな使い方でも粘膜を充血させ、その意味でのみは「媚薬」や「催淫剤」として使えるかもしれない。あれほどの少量でも、もし薬に慣れぬだろうあやめの躰のあちこちにすでに充血や痒覚が起きていれば、その意味で効果はあったといえよう。
だが、そんなものにどの程度の効き目があろうかは、新三郎にとって実はどうでもよいことであった。たしかに少しも効いていないでもないようだが、女の心までは粘膜への刺激に支配されているわけではないのも、この男は知っていた。
媚薬、催淫薬を飲ませたと信じ込ませれば、それでいい。あやめは動揺し、些細な薬効の兆しに頭を働かせて、やがて観念してしまうかもしれぬ。新三郎の狙いはそれであった。
そうしてやれば、このような誇り高い女に限って、やがて勝手に堕ちる。すでにそうなりつつあるではないか。こうしたことをくりかえしていけば、やがて我が肉体の技に溺れ、心から唯々諾々として従うようにもなろう。――新三郎はそんなことを考えていた。
そうなって欲しい、というあさましい欲望の裏側に、納屋の御寮人に限って簡単にそんな風にはならないでいてほしい、という矛盾した思いがある。そんなものが淡く、凌辱者の心にある。
(これしきのことで……)
と自分を鼓舞する声を頭の中であげたとき、あやめは自分の両足がたかだかとあげられているのに気づいた。汗が幾条も流れ落ちる。自分の胸が何かの仕掛けのようにはげしく上下しているのが見える。顔を持ち上げて腹のほうに目をやると、叢が水に濡れて、黒々と立っていた。
まさか、忘我の中で自分は無抵抗に、ただ喘いでいたのか。
両腕をあげて自分を見下ろしている男は、女の足と足のあいだを無言で眺めている。
あやめは憎悪に歯噛みする思いでまた呻いたが、足首を掴まれたままで少しも動かせない。恥辱に上半身をのたうちまわらせ、中腰になった男が見せつけるかのような隆起した肉塊には、唾を吐くような勢いで目をそむける。だが、そのとき、躰の部分に、異様な熱と、もどかしく遣る瀬無い空白感が襲うように思った。
「おぬし、欲しがっておる。」
男は覗きこむようにして、何か真面目に宣告するかのようにいった。
あやめは衝撃を受けた。何度も首を振ったが、声が出ない。
女の足首を固く掴んでいた手を素早く膝の後ろにまわし、男はゆっくりと腰を進める。
(ああ、また穢される……)
あやめは顔をそむけたが、不思議な声が漏れるのを抑えられなかった。
自分の声か。こんな声を、自分はこんなときに、こんな男を相手に出すのか。あやめは、激しい狼狽に襲われた。
男は細かい震えがとまらない女体に、無慈悲に荒々しくのしかかった。
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そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
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