25 / 210
一の段 あやめも知らぬ 庫裏のふたり(一)
しおりを挟む法源寺の庫裏の奥まった場所にある壺屋(倉庫)が、十四郎に年の離れた兄が与えてくれた居場所であった。
この住持もまた、家督争いに跳ね飛ばされた者だったといえる。父季広に、頭を丸めさせられたのだ。すぐ上の三男が主家の猶子より戻ることが決まっている以上、無用の争いは避けたかったのであろう。
蠣崎家の家督争いは、そのころにすら既に一度、暗殺と刑殺という凄惨な結末を迎えている。その後も、相続争いめいたことは残った三男以下のなかで起きてしまった。新三郎の出仕していた津軽北畠家が急に衰えた一方、主家安東家には五男正広が出仕していたことが、事態をこじらせ続けた。結局のところ新三郎が選ばれた形にはなったが、まだ正式に老父のあとを継ぐに至っていない。当の季広は家内の相克を繰り返したくはなかったはずだろうが、そうこうするうちに、今度は八男が腹を切った。
「考えてみるまでもなく。拙者も親不孝。」
十四郎は埃くさい倉の板の間に座って、自嘲する笑いをみせた。
あやめだけが正対して、それを聞いている。袴に置いた手を握りしめていた。緊張している。
「拙者などが生まれる前に、いちばん上の兄たちが姉によって毒を盛られた話は、いたしましたな。」
あやめは黙って頷く。
「姉はもちろん、誅され……」十四郎は言葉に詰まったが、「しかし、おやかたは娘を憐れんで、長泉寺に新たに寺領をつけ、葬ってやった。ところが困ったことに、新寺領の川にはそれ以来、鮭がのぼらなくなってしまったというのだ。とすると、この十四郎がいくところ、いくところの川にも、鮭がのぼってこなくなるかな。これは困った。アイノたちも気の毒な。」
笑ったが、あやめが少しも笑わないのをみて、気まずそうに黙った。
気まずいといえば、この昼下がり、突然、市女笠の納屋の御寮人がひとり寺を尋ね、女は入れぬはずの禅寺なのに、なにを誰にどう言いくるめたものか、この倉にまでやってきたときから、気まずいのである。
倉の戸口にあやめは立っていて、止めるのも聞かずあがりこんできた。そして、型通りの兄への悔やみを述べると、あまり何もいわずに座っているだけだ。
「いや、納屋の御寮人殿にお越しいただくような場所ではない。お許し下され。しかし、包み隠さずいえば、うれしい。またお目にかかれるとは思わなかった。再会のご約定が果たせましたな。」
あやめが黙って顔を伏せた。
「で、あらためてお尋ねするが、何でございますかな、ご用件は?」
「お願いが……」
あやめはようやく口を開いた。声が震えている。
「お願いがあって、参りました。」
「は。」
「納屋のような、いつもやかましき者が急にお邪魔をいたし、さぞやお驚きと存じます。」
「驚きましたぞ。……今日は少しもやかましくないが。いや、いつもうるさいと申すのではござらぬよ。」
あやめは笑わず、宙に視線をあげて、口上を述べるかのように、つづける。
「御曹司さまは、おやさしく、ものまめやか(誠実)にて、此度のことも、その御心のまことゆえのご災難かと存じます。」
「……かたじけない。」
「聞けば、この蝦夷島のさらに北にご巡察の旅に出られるとのことですが、アイノの者ども……方々とも、きっと誼みを深められましょう。」
「いや、わたくしは、そのような、……兄とは」違うのだ、といいかけたが、あやめがこう続けたので苦笑いする。
「あるいは、かの地にて、二世のご縁(夫婦の縁)もあらんかと。」
「これは、これは。」
十四郎は笑った。いつもの冗談めいたやりとりかと、あやめの顔をみなおし、はっとした。
あやめは上気して、震えている。泣かんばかりだ。
「……しかしながら、納屋は、勇を鼓して申し上げます。」
「……」
「厭なのでございます。」
あやめは叫んだ。
「十四郎さまが、行ってしまわれるのは……!遠くに、離れてしまうのは……」
あやめの目からぼろぼろと涙が落ちた。
「泣き虫ではないと、御寮人殿はいわれた筈。」
「御曹司さま、あやめは肝を据えて、お願い申し上げます。」
「それをお聞かせあれ。ほれ、涙を拭いて。」
「拭きませぬ。」
座ったまま背を伸ばし、顔をあげた。大粒の涙が次から次へと落ちる。
「泣いておりませぬ。」
「泣いておられる。大人のくせに、泣かれるな。」
「あやめは人前では決して泣かぬのです。……涙、など……」
「拭かぬか。」
十四郎は布を目で探したが、仕方がない、とあやめの着物の袖を持ち上げて、むりやりに顔に当てた。女は袂で涙を拭うのだろう、という思い込みからきた奇妙な所作だ。
「あっ。」
あやめは息を引いた。かすれたような声が出た。十四郎が、自分に触っている。手が、自分の顔のそばにある。男の躰がこんなに近づいている。あやめの躰が凝固した。
十四郎の無意識だった所作がとまった。手が離れた、あやめの着物の袂が落ちる。
ふたりの目が合った。あやめは目をそらす。
十四郎のなかで、何者かがそれを命じた。両手が、あやめの肩に回る。あやめが息を詰めて、ひとつ震えたのがわかる。
(細い……?)
納屋の御寮人は日ごろ姉が弟に対するような高々とした物言いすらあるほどなのに、この女の肩はなんと細いのだろう、と十四郎は思った。自分の手が、骨を砕いてしまいそうだ。
十四郎は、女の顔を間近にみた。目を閉じている。まつ毛が震えている。
(目を閉じると、あどけないように見える。ああ、きれいな顔だ。柔らかそうな唇だ……。)
十四郎の唇が、自然にあやめのそれと重なった。
すぐに離れた。あやめは目を伏せる。頬が熱い。合わせた唇の甘さに驚いていた。
「御寮人殿は、得難い友達(ともどち)と思っておりましたが……」
「……?」
「友達では、いられなくなり申したの。」
(何をおっしゃるのか。それでようございます。)
あやめの心の声は、はにかんだ笑みになる。
十四郎の唇が、あやめの額に触れた。また目を閉じて、あやめはそれを受ける。表情が自然にほころんだ。
(ああ、きれいだ。なんてかわいいひとだ。)
十四郎の手は、あやめの背中に回った。やや力を入れて、抱きしめた。
(あ、痛い。それよりも、もう一度、口を吸って……)
あやめの願い通り、十四郎の顔が下りてくる。今度は強く吸った。吸いあった。
あやめはおずおずと舌を差し入れた。男が驚く気配がする。が、十四郎もそれに応じた。
(こうすればいいと聞いていたが、……)
あやめは堺の、悪い使用人たちから聞き覚えた知識をはじめて実践している。
不器用に舌が探り合い、やがてからみあう。十四郎の手があがって、あやめの頭をしっかりと押さえた。放してくれない。唇が互いを求めあった。
(あっ、気持ちがよいっ。)
あやめは息が苦しくなりながらも、懸命に舌で相手の口腔をさぐっているうちに、頭の芯がとろけるような快感をおぼえて、また驚いた。唇が温かく、甘い。そんなはずはないのに、蜜よりも甘い。
最初は痛かった男の羽交いも、快いものにかわる。座った姿勢が不自由で、それだけが足の痛みとして感じられたが、十四郎の与えてくれる快感にあやめは酔っている。躰が熱い。
口が離れた。二人で同じように息をつき、きっと同じように顔を熱く赤らめている。そう思うと、いたたまれない羞恥があやめを襲った。
「帰りまする。」
つい、いってしまう。
ひとつには、これ以上進むことへの本能的な恐れもあった。
「お願いがおありだ、と。」
「それは……」
「お聞かせください。聞きたい。」
「……」
さあ、あやめよ、いえばいいではないか、とおのれを叱りながら、あやめは突然のように生じた事態に、用意したつもりの口上が出てこないのだ。
「お帰りあるな。」
十四郎は、羽交いを強くした。あやめもそれにこたえ、手を男の厚い背中にまわす。
(ああ、なんて気持ちがよい。ぽかぽかとする。)
ずっとこうしていたいと思ったあやめだったが、十四郎の中ではさらに前へ進めと叱咤がかかっている。
(このひとは、おれを好きなのだ。許される。)
敷物の上に、あやめの躰をゆっくり倒した。
「ああっ?」
あやめは目を見開いたまま、十四郎の口吸いを受けた。すぐに目を閉じる。
(うれしい……。十四郎さまがここにいる。)
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる