えぞのあやめ

とりみ ししょう

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五の段 顔  秋田からの使者(一)

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「このたびは安東様ご家中に、当方のみすぼらしい店などにわざわざのお出向きを賜り、まことに恐悦に存じまする。」
 番頭の弥兵衛が深々と低頭し、中年の武士を迎えた。
「生憎、当家主人は出払っておりまするが、ご用向きの件は、主人より言付かっております、この者がうかがいます。」
 部屋の外で平伏している、小山のような背中を差した。コハルである。
「大儀。いや、蝦夷代官殿の信望厚い今井殿のお屋敷で、種々確かめておくべきところがあり、無理をいった。……人払いを頼めるか。今井殿よりの言付けとやらも、その上で聞きたい。」
「これは気が付かず、粗相をいたしました。お許しください。……ご用向きありましたら、お呼びありますように。」
 武士は自分の伴の者も下がらせた。コハルが上座に向けて少しだけにじり寄り、あらためて平伏する。
「茶の席も同様と心得よ。直問直答を許す。」
「はっ。」
 コハルは顔をあげ、またすぐに下げた。
「うむ。」
 武士は満足げに微笑み、そして、その笑いが声になって漏れ出した。
 平伏するコハルの背も震えている。笑いをこらえている。
「笑ってよいのか。」
 武士は身を揉むようにして、笑い声が弾けるのをおさえながら、コハルに尋ねた。
「支障ございますまい。今は店の中も、締めてございますれば。」
「結構なことだ。では、楽にさせてもらうぜ。」
 武士の威儀らしきものは消し飛び、野卑な顔が覗く。
「そうされるがよい。」
 コハルは座り方をくずさないが、平伏はやめて、男の顔をまじまじとみる。寺男に扮していたのと同じ顔だが、やはりこうも笑み崩れても、武家で通る。
「巧く化けたものだな、おぬし。」
「化けているわけではないさ。今のおれは、こうだ。山寺主膳五郎忠則。れきとした、安東家中よ。」
「ほんとうにお武家になって仕官してしまうとはな。」
「おかしら、お前さまの打った、面白い碁のおかげだ。秋田で武家に扮していろいろ探っているうちに、自然にこうなった。しばらくは、この格好よ。いや、……武士の世はしばらく続きそうだ。ならば武家に収まってしまうのも、おれのように、もう役立たずになりかけた身には悪くない。……おかしら、お前さまもどうだい、考えてみては?」
「止さぬか。それに、山寺主膳さまにおかしらなどと呼ばれると、恐縮いたしまするので、ご勘弁くださいませ。」
「気に病むでない。その方は、まだ余の雇い主ではないか。」
「……たわぶれはこれまでじゃ。で、なにを伝えてくれる?」
「蠣崎の六男、玄蕃頭長広が腹を切ったな。」
「知っておる。」
 安東家の査問を受けるため、蝦夷代官の名代として秋田に赴いた蠣崎長広は、取り調べの席で痛憤し、その場で腹を切ってしまったのである。兄と蠣崎家の忠誠を疑われることには我慢がならぬ、赤誠を自分のハラワタで示そう、という古典的な切腹であった。
「介錯すら拒否して、十文字に腹を掻っ捌き、座敷にハラワタをぶちまけて死んだぜ。立派だと思うてしもうたな、おれは。」
「おぬしはもうお武家なのだから、それでよかろう。で?」
「しばらくはそれで収まる、と伝えたかった。」
「新三郎が秋田に呼び出されはせぬのか。」
「こうやっておれたちが松前に来ている。やつの弁明を聞く。それでまずは終わりだ。秋田に同道することはない。ここでおれたちが、やつに詰め腹を切らせることもできん。」
(そうか。やはり、やつひとりでは済まぬか。)
「おかしら、おれはいい報せをもってきてやったと思っていたが、違うのかね。御寮人さまの『図』では、新三郎ご処断だけあってもかえって困るのだろう?」
「そうよ。新三郎は、そう簡単にくたばって貰っては困る。これからあがいて貰う。蝦夷地ご宰領様のことがあるからな。」
「御曹司さまか。たしかに乱なくば、堂々のご帰還ともいかぬかな。そこまでが、御寮人さまの『図』であったな。」
「よくわかっておる。」
「であらば、なぜだ?……新三郎にじたばたさせておけるのだから、好都合ではないか。」
 男―山寺と呼ぼう―は、コハルがなにを気に病んでいるのかわからない。
「おぬしは、やはりお武家になってよかったの。」
「なんの皮肉だい。久しぶりに会ったというのに。……おお、御曹司さまは仕方がないが、御寮人さまのお顔をどうにか拝みたいものだ。」
「貴様、また覗こうというのか。」
「堺の方さまは、お気の毒で、お肌を拝見したいとは思わねえよ。お元気なときに遠くからお姿だけでいい。大舘の、奥かい?」
「お元気なときが、ないのじゃ。」
「まさかご病気か? 新三郎は鬼畜のような奴、ご心労が絶えぬのは知っていたが、やはりご心気にお乱れがあろうな。お気の毒に。」
「……まあ、そうなのじゃが。」
「……ご自分の『図』が厭になられておるのだろうかの。」
「おぬしは。」
「武家になって結構、といわれたから、わかったよ。あのお心やさしい御寮人さまだ。ご自分の『図』がついにはまりだすと、恐ろしくなられたのだろう。だが、たくさんの血をみないと、御曹司さまとのご再会はかなわない。そこでお悩みというのは、たしかに武家女の心根ではないね。」
「あらかた当たっておる。……あらかたな。」
 コハルの溜息をつかんばかりの表情に、山寺主膳は訝し気な表情になる。

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