えぞのあやめ

とりみ ししょう

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終の段 すずめ(五)

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 寒くなった。堺の町にも薄くだが、しばしば雪が降り積もった。
 すずはお正月には赤いお餅が出ると聞いて、楽しみにしている。餅など堺のお店では珍しくもないが、置いておいて持って帰り、村の母親に食べさせてやれればと思っている。自分にこの団栗眼をくれた母に、礼をいいたい気分もある。
 要はまた、里心が芽生えている。あのつまらないばかりの村が、堺で半年を過ごすと、なにか懐かしい。
お使いを済ませて御屋敷に戻ったときに、おい、とふと手を引かれて驚いたが、そこにあるのが中ノ家の次男坊のおじさん、安吉の顔だった。そこで思わず笑ったのも、淡い里心ゆえだった。
 小春さんはしかし、あからさまに迷惑顔で、すずには、庭先にでも回らせよと命じる。濡れ縁に立って、いきなりお越しでは困りますね、といった。
「よくお店にお越しですが、こちらにもご用件がおありでしたか。」
「……ご存知じゃったか。ならば、大抵、ご推察かと。」
「座敷におあげするまでも、やはり、なかったようじゃ。そんなことなら、ここで十分。」
「あまりのお言葉。……お金はお返しします。ただ、少し待っていただきたいのじゃ。」
「もう、お待ちしました。利銀(利息)くらいはお入れなされ、とお伝えした筈。」
「あれからも、もの入りでござって。近年はお大名のご普請が多いよって、日雇い人が足らぬ。雇ったら雇ったで、支払いがかさみます。それに、金肥じゃ。……納屋さまのニシンの干鰯は、少々お高い。」
「おや、手前どもが無理して買わせたようなお言葉。そちらからお頼みがあった。」
 安吉はまたにやにやしはじめた。厭な笑いじゃ、とすずは思う。小春さんも気に障ったのだろう、すずがまだそばにいるのを忘れたのか、声を張る。
「安吉さんが、松前納屋ではご精勤と伺ったからこそ、お分けしている。それを高いだのというのなら、裏山の藁でも焼いてお使いなさい。近在の干鰯も、そう安くはないはずじゃ。安吉さん、棉花はよく売れだしている。御宅さまにも、もうそろそろ笑いが止まらぬほどのお儲けが出ておるはず。それが、お貸しした元手はともかく、利銀すら入れられぬとは? うちのニシン干鰯のせいにされては、たまらぬわ。御寮人さまにも、ご無礼でございましょう。」
「その、御寮人さまでござりますが、……」安吉は、待ってましたとばかりに、「お目にかかりたくて参じました。」
「御寮人さまはご気分がすぐれぬ。お客様にお目にかかりませぬ。」
「ようやく、お客扱いいただけたか。御寮人さまのお名のご霊験あらたかじゃ。」
「いうことはいうた。利銀だけは、お待ちできぬ。」
 小春が背を返そうとすると、安吉が笑いながら、すずに近づいた。思わず逃げようとするのを、手を握って、離さない。
「すずめ、お前もずいぶん大人びてきたの? 堺のお店で垢ぬけよって。」
「子どもになにをなさいますか?」
 小春さんの声が怒気を帯びる。
「懐かしい御寮人さまに、お目通しくだされ。直接、お願いしたい。」
「なりませぬ。この小春が伺っておりましょう。」
「……コハルというのは、わしらにとっては別のお方よ。」
安吉の声にも、怒気がある。およそ理不尽だが、たしかに、目の前の小春さんへの不信や妬みのようなものがあるのだろう。小悪党じみた企みばかりでもないようだ。
「松前納屋の水を飲んだ人間同士にしか、わからぬことがある。あんたは、お店の人間と違う。箱舘にもおらんかったそうな。何者じゃ、あんた? なぜ、御寮人さまのお傍にえらそうに侍っている?」
(そういえば、小春さんはそもそも何者で、なんでお側にいるのじゃろう?)
無理矢理に手を握って離して貰えないのは閉口だが、すずもそう思った。
「おぬしなぞが、知らなくてもよい。」
 小春さんの声が、冷え冷えとしたものにかわる。
「わしら松前帰りを御寮人さまから遠ざけておるのも、あんたか?」
「おぬしは、お店を辞めた者じゃろ。いきり立つまでもなかろう。それに、違うな。あたしなどではないわ。」
「誰じゃ?」
「大旦那様、旦那様じゃ。と聞いたら、黙って帰るかい?」
「帰りはせぬわ。おそれ入ったりはできぬわ。……ならば、なおさらに御寮人さまがお可哀想よ。『堺のお方さま』のご苦労を、そんな風にお家の恥のように隠されようというのか、あれは、蝦夷代官とは名ばかりの畜生どもから、お店と儂らをお守りくださるために我慢なさったのじゃ。それを、なんじゃあ?」
「ほお。」
小春さんは感心したような表情になった。だが、すぐに薄く笑って、
「……安吉さん、もう二度と堺のお方さまなどという名を口に出すでない。」
 安吉の手が冷たくなったのが、すずにはわかった。
「さんざ綺麗ごとを抜かしたが、おぬしは、納屋今井を強請ろうとでもいうのかの。」
「違う。わしは」
「そもそもこの子を雇わせたのも、そういうことか? あんたは、松前のどこかで、あの侍女のすずめを目にしていたな? あの顔を思い出して、強請りのとっかかりにでもしようの胸算用だったか?」
「そこまでは考えておらん。……だが、そう思えば、それでよろしいわ。そうしてやろうか。あのな、すずめ、お前は蝦夷の顔をしておる。そして御寮人さまは、お前そっくりの侍女を松前でお持ちであった。」
「知っております。」
「な、なんだ、教わったか。しかし、その侍女というのがどこで」
「黙らぬか。死ぬぞ。」
「……何をいいおる。いくら何でも、殺された者など、わしらの中にもおりはせぬわ。」
「……そういえば、松前納屋になんとかという若い手代がおったな。あれはどこにいったか、あんたは知らぬか。」
 すずは、安吉が凄い力で手を握りしめたので、痛い、と顔をしかめた。
「まず、子どもの手を離されよ。」
「ふん、わしはこの子に話を」聞かせてやるのだ、といいながら、安吉は、冷たい汗をかいた手を、ぽんと離した。そのまま肘が持ち上がり、止まる。それは、自分の意志とは関係なく、小春の言葉に自然に従ってしまったのだ。
安吉が当惑し、狼狽している間に、すずは、小春さんのそばに駆け寄る。
「さて、これで殺してしまえるかな。……ほほ、ほ、たわぶれじゃ。女ひとりで何ができる?」
 片手が固まったように上がったままの安吉は、小春の声の冷たさに震えあがった。この腕はなにかの手妻(手品)であろうが、そんなことよりも、蝦夷島や上方の侍たちなどより、もっと人殺しに手慣れた者の声ではないか。
 戦慄しているのは、すずも同じである。小春さんが、こんな風に喋って、こんなことができるのか。横を振り仰ぐと、少しも怒っているように見えないのが、恐ろしかった。
「手を下してよいぞ。」
 小春さんがいうと、安吉の手が、からだが傾くほどの勢いで下ろされた。
「すずめ、そのおばさんに気を許すな。そいつは、化け物連中の仲間じゃ。」
「ほう、よくわかっておる。そして、村へ戻ってもよく覚えておけ。」
 小春さんが嗤った。
「利銀は何とかせよ。ご長男に泣きつけばよいではないか。……あたしが、さっきの調子で頭を下げさせてやろうか?」
 次男坊の安吉は、青ざめながら歯噛みしたが、
「すずめ。藪入り(正月中旬の帰省日)のときに、聞かせてやる。」
早口で囁いて、辺りを窺いながら庭を出て行った。
小春さんは黙っている。すずがどこにも怪我をしていないのをたしかめると、
「すずは、わかっていような?」
「はい、おじさんのこと、どなたにも申しませぬ。」
よろしい、お仕事にお戻り、といって小春さんはお部屋に入っていく。
(藪入りには、おじさんの話を聞きに中ノ家にいこう。)
 すずはひそかに決意していたが、それはかなわなかった。

 安吉は、頑として家に入れてくれなかった。すず、悪いのう、と妻らしい女が出てきてくれた。顔に覚えがあるとおもえば、今井の古株の下女だった女ではないか。
「それまでにも店に会いに来やがったんじゃが、なんやら急に話がまとまっての。まあ、あたしもええ齢で、あいつとも古馴染じゃし。ここいらで、と。」
「おミツさんも、松前のお店で?」
「すず、それはあんまりいわんほうがええよ。……ただ、御寮人さまと、それに徳兵衛さんに会うたら、ミツがよろしくとな。……いや、御寮人さまには、ええ。それではな、元気でな。」

「利銀だけは何とか入れおったから、それでよい。あと、あの御新造にももう会わぬほうがよいぞ、すず。」
 こちらから何も話さぬのに、お屋敷に戻ったすずに、小春さんはつまらなそうにいった。

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