花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

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7話「イヴ・シャンテマリー」

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   7話「イヴ・シャンテマリー」



 次の日も菊那は樹の花屋敷に向かっていた。自分が行っていいのか?とも思ったが、樹の方から「同席して貰えませんか?」と、言ってくれたのだ。理由は、「男の私だけより、優しい菊那さんが居てくれた方が、紋芽さんが安心すると思いますから」と、言っていた。
 菊那も紋芽の事を心配していたので、ついて来てもいいと言われるとホッとした。それに樹の事も気がかりだった。

 確かに樹は自分のために花を取り返そうとしたのだろう。けれど、怖がられるらほどに紋芽を叱ったのだ。人の事を叱ってくれる人はとても重要だ。誰だって怒りたくない。他人から嫌われるし、恐れられるのだから。
 それでも紋芽を叱ったのは彼の優しさなのだろうと菊那はわかっていた。けれど、樹にそう話しても「自分の事を優先しただけです」などと言いそうなので、菊那はこの気持ちを胸の奥底に閉じ込めておこうと思った。

 けれど、紋芽はわかってくれているだろうか。ただ怖いと思ってはいないか。紋芽はしっかりした子だと理解はしているものの、子どもの頃に叱られた記憶は「怖かった」という記憶が多いような気がしてしまったのだ。


 「………私何にも役に立ってないな。ただニコニコしながら紋芽くんの隣に座っていただけだ」


 今、思えば樹は彼の事を「紋芽さん」と呼んでいた。呼び方さえも対等に扱っていたのだとわかると、自分はどうだったか?と振り返って溜め息が出てしまう。
 全然駄目だ。と、自分の考えの甘さに恥ずかしささえ覚えてしまう。



 「………明日はしっかりしないと。………紋芽くんが少しでも安心出来るようにしないと」


 と、思いながらも自分はどうすればいいのか、考えつづけたけれどいい案が出ないままに夜が深くなってしまったのだった。







 次の日は昨日の春のような気温が嘘だったかのようにとても寒い日だった。
 寒さが苦手な菊那はクリーニングに出そうと思っていた厚手のコートを引っ張りだして、タイツをしっかりと履いて対策をした。それでも、おしゃれには気を抜けないのが女と言うものだ。
 丈が長めのフレアスカートに、ショートコートを合わせ、足元はショートブーツにした。長い髪はハーフアップにして少しだけまとめることにした。お姉さんらしい雰囲気になればいいなと思いつつ考えたコーデに身を包み、菊那はまた花屋敷へと向かったのだった。



 外に出るとあまりの寒さに体が震えた。手袋を付けて、菊那は歩くことにした。
 もうすぐ花屋敷に到着するという時に、頬や鼻を寒さで真っ赤にした紋芽と偶然会った。
 紋芽はすぐに気づき、「菊那さん、こんにちは」と、小走りで駆け寄り小さくお辞儀をした。やはり礼儀正しい子だ。菊那と紋芽は並んで歩き、袋小路を歩く。すると、屋敷から2人が歩いてくるのがわかったのだろう。ブラウンのスーツにダークブラウンのチェスターコートを羽織り、手には菊那と同じように手袋をはめた樹が門の扉を開けて出迎えてくれた。
 その手にはとても薄いピンクのバラと、チョコレートコスモスの茶色の色合いが綺麗なブーケを手にしていた。


 「こんにちは。菊那さん、紋芽さん。寒い中、ご足労ありがとうございました」
 「こんにちは」
 「こんにちは、樹さん」


 紋芽は少し緊張した様子で彼に挨拶をしていた。菊那は心配ではあったもののに、その様子を笑顔で見守った。


 「屋敷に上がって貰おうかとも考えたのですが、紋芽さんはきっとすぐにお母様に渡したいだろうと思いまして……玄関先ですみまさん。さて、紋芽さん。約束の物は持ってきていただけましたか?」
 「………はい。勝手に取ってきてしまってすみせんでした」


 樹は自分のコートやズボンが地面に着くのを気にもせず、片膝をつけてしゃがみ紋芽と視線を合わせた。そして、彼が持っていた紙袋を預かり、中身を確認した。
 樹は手袋をした手で、紙袋から花を取り出した。紋芽が探し求めていた、そして樹が取り戻そうとしたチョコレートコスモスの1輪だった。その花はあの時と同じように綺麗に花びらを咲かせ、樹の元に戻ってきた。
 だが、それを見た菊那は素直に「綺麗な花」とは思えなかった。紋芽が花を取ってしまってから1週間が経っているのだ。それなのに、その花は枯れもせず、どこも傷んでいなかったのだ。普通ならありえない事だろう。
 やはりこの花屋敷は噂通りなのだろうか。
 菊那は、まじまじと樹を見つめてしまう。けれど、そんな菊那の視線には気づいていないのか、樹はその花を見ると満足そうに微笑んだ。


 「確かに頂きました。とても大切にしてくれていたのですね。どこも傷んでいませんでした」
 「………母さんの病室に飾ってあっただけなので」
 「そうですか。……それでは、約束の花束です。お母様にプレゼントしてあげてください」


 そう言うと、樹は1輪のチョコレートコスモスを紙袋にしまい、持っていたブーケを紋芽に手渡した。紋芽は受けとると、キラキラした表情でその花をジッと見つめていた。


 「チョコレートコスモスと一緒にブーケにしてもらったのはイヴ・シャンテマリーというバラです。このうすピンクのバラの名前の由来は、イエス・キリストの母マリアに謳う、という意味のもので、謳うとは褒めるという事です」
 「母を褒める……」
 「えぇ。お母様を大切にしているあなたにはピッタリなものだと思って、プレゼントさせていただきました。それと、これを………」


 樹は、そう言うとコートのポケットから小さな小瓶を出した。表には可愛らしいお菓子の絵が書かれたパッケージシールが貼られていた。


 「これは………?」
 「チョコの香りがする香水です。お部屋に吹き掛ければ、きっとお母様も喜ぶのではと思いまして。おせっかいだったでしょうか?」
 「ううん!欲しい………です。ありがとうっ!」


 紋芽は目を輝かせながらそれを受け受け取る。そして、すぐにその香水を空中に吹き掛けた。すると、その場所にふわりとチョコレートとバニラのケーキのような甘くおいしそうな香りがひろがった。それを感じて紋芽は「わぁ……」と小さな歓声を上げたのだ。菊那もそんな子どもらしい紋芽の姿を見て、つい笑顔になることが出来た。


 「紋芽さんは今から病院ですか?」
 「はい。すぐに母さんの所へ行きます」
 「今日は寒いですので送りますよ。今日は予定がなかったのでドライブをするつもりだったのです。もちろん、菊那さんもどうぞ」


 そう言って樹は手に持った車のキーを見せて優しく微笑んだのだった。



 彼が屋敷から出した車は誰でも知っている高級車だった。黒か白など落ち着いた定番色を想像していた菊那だったが、彼が乗っていたのは赤い車だった。その車の運転席から美男子が降りてくるのだ。車のCMか映画の撮影か何かだと思ってしまうほど、樹には似合っていた。

 2人は後ろの席に乗り、革シートのひんやりとした感触とふわりとした乗り心地、そして樹の安全運転でドライブを楽しんだ。車の中で、紋芽は貰った花束と香水の瓶をとても大切そうに抱きしめていた。向かった先は、紋芽が教えてくれた病院。紋芽の母親が入院しているのは大型の総合病院だった。


 「一人でお母さんのところまで行ける?」
 「はい。いつも学校帰りに行ってるから大丈夫です。それに今日はお父さんも来るって行ってたので」
 「そうなの。それはよかった。お母さん喜ぶといいね」
 「はい」


 そう返事をした後、紋芽は何か考え込んだ後、運転している樹と隣に座る菊那を交互に何回か見た後、とんでもない事を質問したのだ。


 「樹さんと菊那さんは恋人同士なんですか?」
 「えっ!?」


 菊那は思わず声を上げてしまい、その後真っ赤になって声を失った。彼がどのような反応をしたのかが気になりもしたけれど、怖くて樹の方を見れないまま、不思議そうに樹の返事を待っている菊那を見つめた。


 「どうしてそう思われたのですか?」
 「何だか父さんと母さんと雰囲気が似てたから。優しい雰囲気………とか」


 少し照れた様子でそう言うと紋芽を見て、菊那はハッとした。
 樹の事を自分の父親のように優しいと紋芽は感じられていたのだ。叱られても自分の事を思ってくれ、そして自分の家族を思ってプレゼントを準備してくれた樹の事を優しいと思えたのだ。
 そんな恥ずかしそうにする紋芽を見て、菊那はホッとしたのだった。

 やはり、少し厳しくても気持ちを込めて接した樹の行動は正解だったのだ。改めて、彼の本当の優しさを菊那は感じられた事に心が温かくなった。


 そんな事を心の中で考えていると、樹が口を開いた。


 「そうですか。それは嬉しいですね。………実は、まだ恋人同士ではないのですが、この後彼女をデートに誘おうと思っていたところです」
 「え…………」
 「そうだったんだ。菊那さん可愛いし、樹さんはかっこいいから、とってもピッタリだと思う!結婚式には呼んで欲しいですっ!あ、菊那さん、チョコレートコスモスのブーケも似合いそうですね」
 「け、結婚………っ!?」
 「確かにそうですね。それは素敵です」
 「い、樹さん………っ!」


 突然の話題に焦って顔を真っ赤にしている菊那をよそに、紋芽はとても真剣に、そして樹は楽しそうにまだ恋とも言えない2人の関係の未来を語っていたのだった。



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