花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

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9話「レモン&ジンジャー」

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   9話「レモン&ジンジャー」



 
 
 「菊那さんが私の所に来た理由はなんですか?」


 まっすぐな視線とこの言葉を受け、菊那は驚きのあまり、持っていたフォークを落としてしまいそうになった。
 けれど、きっと表情には出ていない。そう思いつつも、菊那はどうにかぎこちない笑みを浮かべる事が出来た。


 「い、樹さんのところに来た理由なんて……散歩をしていた時にたまたま通りかかったんです。そしたら、偶然紋芽くんとぶつかって……」
 「私の屋敷は袋小路の奥にあります。通りから見れば屋敷の方は行き止まりだとすぐにわかるはずです。………それなのに、わざわざ袋小路に入った理由は何ですか?」
 「それは………」
 「………あなたも、この町に伝わる噂話を聞いて私の屋敷に興味を持った……いや、用件があった。だから訪れたのではありませんか?」
 「…………」


 菊那は一度小さく息を吐く。
 もう、ダメだなと思った。


 「…………さすが、樹さんですね。そこまでわかっていたなんて………」


 菊那は正直に認めた。
 樹が話した通り、用件があって樹の屋敷へ向かったという事を。
 バレてはいないと思っていた。紋芽とぶつかったのは偶然であったし、樹の話が出来、屋敷に入る事が出来たのも偶然だと思っていた。
 けれど、樹は全てわかっていたようだった。菊那が花屋敷の主人に会いに訪れていた事を。


 「………始めからわかっていたのですか?」
 「えぇ。この屋敷に繋がる袋小路を歩く人などほとんどいません。それに、私が誘ったからと言って不気味な噂がある屋敷に入りたいとは普通なら思わないでしょうから」
 「不気味ではないです。不思議、ではありますが」
 「それはよかったです」

 
 いつもと変わらない優しい笑み。
 それを見て安心しつつも、心が痛む。彼の笑みはどこか作られたものであると、菊那は気づいていた。バラの種類の話しをした時の楽しそうな笑みは違っていた。その屈託のない笑みを見せてくれていたと思ったけれど、今は出会ったばかりの時と同じように感じられた。
 仕方がない事だ。菊那が本心を隠して樹に近づいていたのだから。


 「………菊那さんの話を聞かせてくれませんか?」
 「………はい」
 「ありがとうございます。それでは屋敷に戻りましょうか。ここでは話しにくいでしょう」


 個室になっていない、隣同士が近いカフェ。隣には誰もいなかったが、客が少しずつ増えてきていた。樹の配慮に感謝しつつ、菊那は小さく頷いたのだった。


 また樹の車に乗って屋敷へ戻る。今度は助手席に座らせてくれたので、菊那は彼と何を話せばいいのか戸惑ってしまった。
 けれど、樹は先ほどの話は全くせずに、紅茶の話をしてくれた。菊那が「チャイが好き」と伝えると「屋敷にあったと思うのでお出ししたいのですが……上手く淹れる自信がないですね」と残念そうに言いながらも「ですが、きっと気に入ってくれるものを思いついたので、屋敷につきましたら、楽しみにしてくださいね」と言ったのだった。

 屋敷に戻ると天気が良くなり、庭には陽の光が差し込んできていた。気温はほとんどかわらない庭は、寒いところから来たため暖かくも感じられた。人も花も過ごしやすい気温に設定されているためか、心地がいい空気感だった。


 「今は寒くないので、庭でお話しましょうか?」


 菊那が庭を眺めていたのに気づいたのか、樹はそう言って庭にあるソファに案内してくれた。1番始めに彼と紋芽で話をひたあの座り心地の良いソファだ。菊那「はい」と返事をすると、「それでは温かいものを準備してきますので、庭を見て待っていてください」と言い残して屋敷に入ってしまった。


 一人残された菊那は、うろうろと庭を回った。庭には花達を見てまわれるように小道が出来ていた。屋敷と同じ色のレンガが土に埋まっている。そこの上をゆっくりと歩きながら菊那は不思議な四季の庭園を歩いた。桜の下にはコスモスがあったり、ラベンダーの隣に向日葵があったり。花に特別詳しいわけでもないが、メジャーな花を見ているだけでもこの庭が特別だと言う事が見てわかる。


 「ここにくれば、助けてくれると思ったの……だから、花屋敷の主人に会いに来た」


 ここの花達はきっと特別な力を与えられたのだろう。あの不思議な主人である樹に。すぐに相談してしまえれば、彼から話をされる事はなく聞いてくれたのかもしれない。けれど、紋芽の事があり話すタイミングがなかったのだ。
 ………いや、それは言い訳にすぎない。彼に話を聞いて欲しいと伝えたいれば樹ならば聞いてくれたはずだ。
 それが出来なかったのは怖かったからだ。樹が怖かったからではない。断られたり、失敗するのが怖かったのだ。
 あの人との繋がりが本当に切れてしまうようで。


 「菊那さん………?」
 「………あ……」
 「大丈夫ですか?難しい顔をして花を見ていましたが……」


 花を見て癒されるつもりが深く考え込んでしまったようだ。紅茶が入ったポットとティーカップが乗ったトレイを持った樹が、いつの間にか庭に戻ってきており、菊那の傍で心配そうに立っていたのだ。


 「あ、ご、ごめんなさい。ぼーっとしてしまって。……お花が綺麗だったので見惚れてしまったみたいで」
 「そうですか。お茶が入りましたので、座りましょう」
 「はい」


 咄嗟に誤魔化したものの、考え事をしていたのは明らかだったはずだ。それでも樹は何も言わずに微笑み、ゆっくりと先を歩いてくれる。
 そんな彼にならば話してもいいだろうか。菊那はそう思ってしまう。


 「菊那さんがお好きではないかと思って淹れました。お口に合うといいのですが」
 「ありがとうございます。いただきます」


 向かい合うようにソファに座り、中央に置かれたティーカップに手を伸ばした。色は普通の紅茶のようだ。ゆっくりと湯気が出ており、少しだけ甘い香りもした。
 どんな味がするのだろうか。
 そんな期待を持ちながら、一口飲んでみる。すると、甘味を感じた後にピリッとした小さな刺激を舌で感じたのだ。それが何か、菊那はすぐにわかった。


 「生姜……ですか?」
 「そうです。少しレモンを入れた、ハニージンジャーティーです。今日は寒いですし、ちょうどいいかと思いまして。チャイのような香辛料が好きなのでしたら、ジンジャーも気に入るかと思いまして」
 「はい。とってもおいしいです!すぐにでも飲み干してしまいそうなぐらいに」
 「そうですか。おかわりは沢山あるので、召し上がってください」


 樹のその言葉に甘え、菊那はゴクゴクと温かいハニージンジャーを飲み続けた。あっという間にティーカップは空になる。けれど、紅茶のおかげなのか、菊那の体はポカポカと温まり、ホッと体の力が抜けたような気がした。


 すると、思い出したくも、口にしたくもないと思っていた事を彼に話してみたい。不思議とそんな風に思えたのだ。
 
 ここに来た本当の目的を話せば、樹もわかってくれる。そして、ちゃんと謝罪をしよう。自分から訳を話せずに黙っていたことを。
 そう、心に決めて菊那は重い口を開けたのだ。


 「樹さん……その決して楽しい話ではないのですが………私の話を聞いていただけますか?」
 「えぇ………もちろんです。お話ししたように、私はあなたの事が気になっているのですから。菊那さんの話を聞きたいのですよ」
 「………ありがとうございます」


 そんな優しい言葉に菊那は笑みがこぼれた。
 樹が「気になっている」のは菊那がここに訪れた理由なのだとわかっている。
 彼が冗談を言って楽に話せるように配慮してくれたのだとわかっている。
 けれど、その気持ちが菊那にとって、嬉しいのだ。
 大丈夫。最後まで話せる。
 菊那はそう思えた。


 「私が小さい頃の話です。………クラスの人達からいじめを受けていたんです」


 惨めで悲しくて苦しかった過去の記憶。
 けれど、もう逃げたくない。その思いから、菊那は話を続けたのだった。


 
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