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19話「ラベンダードリーム」
しおりを挟む19話「ラベンダードリーム」
樹が連れてきてくれた場所は街中にある高級感漂う高層ビルのホテルだった。
流行りものにも疎い菊那でも知っている冷泉グループの新しい高級ホテルだ。
その地下に車を止め、樹は慣れた様子でホテルのロビーへと向かった。
少し和風さを感じられる玄関は綺麗な染め紙でつくった障子がかざられていた。その前には大きな花のアレンジメント置かれており、2人を出迎えてくれた。大理石の床をカツカツと歩くと、近くの人は樹を見ていた。若い女性の集団から「あの人モデル?かっこよすぎるんだけど」と、悲鳴にも似た声が聞こえてきた。けれど、そんな視線や声に全く気にする事もなく颯爽とフロントへと向かった。
「予約していた史陀です」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。史陀様。お部屋まで荷物をお持ちしますか?」
「少ないので大丈夫です。すみませんが、レストランの予約もお願いします。なるべく、遅めがいいのですが」
「かしこまりました。時間の方は、それでは、19時はいかがですか?」
「では、そちらで」
フロントスタッフが予約をしている間、樹は後ろに立っていた菊那の方を向いて、「空いていてよかったです。時間まで休めますね」と、菊那の体調を気遣って遅い時間にしてくれたのがわかった。菊那は感謝しつつも「このホテルの値段って高いよね……食事だって………」と、不安になってしまっていた。菊那が足を踏み入れた事がない場所なのだ。やはり樹とは住む世界が違うのだと、改めて思い知らされた。
「それではこちらが、部屋のカードキーになります。ごゆっくりお過ごしください」
「…………カードキーが1枚しかないのですが。シングルを2部屋予約したはずですが」
渡されたカードキーを見て、樹はそう尋ねた。確かに、彼の手には1枚のカードキーしかない。なにか、トラブルがあったのだとわかり、菊那は彼の後ろからフロントを見た。すると、スタッフがパソコンを操作した後に、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ごさいません。こちらダブルのお部屋をご予約になっています。こちらの不手際かと思います。大変申し訳ございません。他の部屋を確認させていただいてもよろしいですか?」
「………そうですか。それでは、部屋はほのままでいいので、もう一部屋予約出来ますか?」
「…………お待ちください。連休初日という事もありまして、ほとんどが埋まっております。最上階のスイートでしたら予約可能なのですが」
何やら予約を間違っていたようで、スタッフが何度も頭を下げている。
そして、聞こえてきた「スイート」という言葉に、菊那は驚き、咄嗟に樹のスーツの裾を掴んだ。
「………菊那さん、どうしました?体調が悪くなりましたか?」
「ち、違います。その………私は気にしていないので、一部屋で大丈夫です………だから、スイートなんて………」
こんなにも豪華なホテルだ。最上階のスイートとなったら、菊那の1ヵ月分の給料でも足りないはずだ。
樹にはここまでの連れてきてくれ、日葵に再会させてもらった恩がある。ホテル代ぐらいは自分が払おうと思っていた矢先にスイートの話が出たのだ。菊那は真っ青になってしまった。
けれど、そのスイートに泊まらなければ、菊那と樹は同じ部屋に泊まる事になる。一瞬の躊躇いはあったものの、菊那の手は動いていた。
相手は、目の前の紳士である樹なのだ。気になる相手でもあるのだから、何も迷う必要などない。
そう思い、菊那は顔を赤くしながら彼にそう言ったのだ。
それを聞いた樹は驚いた顔をした後に、「すみません。あなたにそんな事を言わせてしまって……」と耳元で囁いた後、菊那の片手を取り、手を握ってくれたのだった。菊那は声を上げてしまいそうになるのを必死に堪えて、樹の背中を見つめた。
「それでは、こちらでお願いします」
樹は1つのカードキーを受けとると、菊那の手を繋いだまま歩き出した。フロントスタッフの「ごゆっくりお過ごし下さい」の言葉は、菊那の耳には入ってこなかった。
「先ほどはお気遣いありがとうございました。………ですが、本当によかったのですが。こう見えても男なのですよ?」
「わかってます………。ですが、樹さんなので、いい………って思ったんです」
「………ありがとうございます」
樹がクスリと笑った時に、繋いだ手の力が強くなるのを感じ、菊那は恥ずかしくなり、視線を逸らした。
ポンッと音がして、目の前のエレベーターの扉が開いた。
自分の手が熱くなっているのか……彼の手が熱くなっているのか。菊那は繋がれた部分が熱くなっているのがわかった。どうか、彼も同じ気持ちであって欲しい。そんな風に思った。
「1度、ここのレストランを利用したことがあるのですが、とても美味しいのです。野菜が多めなのですが、しっかりお腹も満たされます。あぁ、菊那さんの嫌いなものとかありますか?」
「………生物以外でしたら。すみません、それだけはどうしても苦手で」
「わかりました。私も苦手な物はありますので、仕方がない事です」
「樹さんの嫌いなものは甘いもの、ですか?」
「……バレていましたか」
樹は苦笑しながらも、声のトーンが花の事を話している時のように明るくなっている。菊那は緊張しながらも、目の前の彼との会話を楽しんだ。
そして、緊張しながら部屋へと向かい、樹がドアを開け「どうぞ」と言って促してくれたので、冷静を装ったまま部屋へと入る。すると、菊那の緊張した気持ちは目の前の景色を見て吹き飛んでしまった。
夕焼け色に染まった空が見える部屋で角部屋なのか、大きな窓から真っ赤な窓が見えた。そして、ソファや豪華な装飾のある机、そしてダイニングのような長いテーブルや簡易キッチン。菊那が今まで泊まったホテルとは全く違う部屋が出迎えたのだ。
「い、樹さん………ここってまさか………」
「最上階の部屋になります。私も初めて泊まりますが、とてもいい景色ですね」
「スイートですよね!?……そんな……こんな立派なホテルに泊まる事だけでも大変なのに……スイートなんて……」
「私にかっこをつけさせてください。それに、私もここに泊まってみたかったのです」
「………樹さん」
そう言うと、樹は菊那が手に持っていた宿泊用のボストンバックをひょいと取り、菊那の手を引いて歩き始めた。
「夕食まで時間があります。ベットルームでゆっくり休んでいてください。あぁ、服が心配でしたら着替えてもかまいませんよ」
「や、休まなくても私は大丈夫です!」
「私は別室で仕事をしてますので。時間になりましたら起こします。ゆっくりしていてください」
菊那の必死な言葉も虚しく、樹は笑顔で菊那に小さくお辞儀をした後、ベットルームから去っていってしまった。
扉はないので、部屋としては繋がっているが、ここからは窓しか見えなかった。
「……しっかりお礼も言ってないのにな」
そう言いながら、菊那はゆっくりとベットに腰を下ろす。ふんわりと弾力のあるベット。その感覚を味わってしまうと、横になってしまいたくなる。ポフッと頭を枕に落とした瞬間。体の重くなるのを感じた。
今から寝てしまうのであれば、日葵と再会出来たのも、樹と同室で泊まる事になったのも、すべて夢ではないのだ。
「………今日は、幸せな日だな……」
うとうとしながら、菊那は言葉を漏らすと、ゆっくりと目蓋が落ちてきた。
遠くからカタカタと樹がパソコンのキーボードを打つ音が聞こえてくる。
本当に樹が傍にいる。
そんな安心感と幸福感に包まれながら、菊那は眠りに落ちたのだった。
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