花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

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20話「シャンパンロマンティカ」

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   20話「シャンパンロマンティカ」



 甘いお花の香りがする。
 この香りは最近どこかでかいだ気がするのだ。
 菊那はそんな事をボーッと考えながらウトウトとした目を擦った。いつの間にか寝てしまっていたようだ。
 先ほどまで真っ赤だった窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
 菊那がベットから起き上がろうとした時に、別室へと繋がる所から樹が顔を出した。


 「あぁ……菊那さん。起きたのですね。おはようございます。今、ちょうど起こしに行こうと思っていたのです」
 「おはようございます。………本当に寝てしまったみたいで。すみません」
 「いえ。ゆっくり出来たのなら良かったです。お水飲みますか?」
 「………いただきます」


 トレーの上に乗ったグラスを受け取り、菊那はそれをゴクゴクッとすぐに飲み干した。ほんのりとレモンの香りがする。レモン水だったようだ。


 「さっき紅茶の香りがしました。樹さんが前にいれてくれたものと同じ香りの………」
 「そうなんです。わざわざ茶葉を持ってきてしまいました。簡易的な淹れ方になってしまいますが、この味が好きなので。菊那さんも飲みますか………は、だめですね。今から食事なので飲み物でお腹いっぱいなってしまいます」
 「そうですね」
 「まだ時間がありますので、準備をしてから向かいましょう。紅茶はまた淹れますよ」
 「………はい」


 そういうと樹は寝室から出ていってしまった。菊那はギュッとグラスを握りしめ、笑みが溢れるのを我慢していた。


 「1つ、約束出来た………!」


 向こうの部屋にいる樹に聞こえないほどの声で、菊那は跳びはねて喜びたい気持ちを発散した。

 紋芽の事件が解決した後も、菊那は彼との関係が終わってしまう事を恐れていた。けれど、今回の菊那自身の問題を解決してくれたことで、また同じようにもう会う必要もなくなってしまう。菊那が花屋敷を訪れた目的は、向日葵の種を咲かせてもらうためだった。それは最も大切な事だったけれど、それも別の形、いや、最高の結果で終わりを迎えた。そうなると、またもや彼との最後の日を考えてしまう事になっていた。
 けれど、彼が紅茶を飲ませてくれると言ってくれた。彼にとって社交辞令だったのかもしれない。そうだとしても菊那は嬉しかった。
 次がある、それだけで今は幸せだと思えた。






 幸い、シワにならない素材の洋服だったので、身なりを整えて、化粧直しをしてからレストランへと向かった。
 予想通りに菊那が今までドラマや映画などでしか見たことがない場所だった。
 照明が少し落とされ、テーブルにあるキャンドルがほんわりとした優しい光を発して、ムードある雰囲気を演出してくれる。そして、高層階にあるレストランなため、夜景も楽しめる。
 他のお客さん達はスーツやドレスのようなワンピースを着た女性などがたくさんおり、菊那は場違いではないかとビクビクしてしまう。
 すると、菊那の気持ちが伝わってしまったのか「結婚式やパーティーがあったのかもしれませんね。着飾った方が多い。……連休ですと賑やかですね」と、さりげなくフォローをしてくれる。
 その言葉だけで、菊那の緊張はほぐれてしまうのだ。彼と一緒ならば大丈夫、そう思えるのだ。







 「今日は………いえ、今回は本当にありがとうございました。樹さんには何度お礼を伝えても足りないほど感謝しています」


 樹が注文したコース料理は、季節の野菜をふんだんに使ったもので、彩りも綺麗で菊那の心も舌も楽しませてくれた。そんな料理を堪能しながら、菊那は1度フォークを置いて、樹にそうお礼を伝えた。

 「菊那さん、あまり気にしないでください。ずっと心の中にあった苦しいものから解放されたのですから。喜ばしい事です。日葵さんと私が知り合いになったのは、あなたのためだったのかもしれませんね。それほどに偶然が重なった出来事でした」
 「そうですね………。本当に、樹さんが日葵くんと知り合いだったなんて……でも、名前を聞いただけですぐに思い出してもらえてよかったです」
 「向日葵好きの日葵といったら、彼しかいないでしょう」
 「確かに、そうですね」


 菊那と樹はクスクス笑い合った。
 シャンパンを頂きながら、菊那はちらりと樹を見つめた。彼が食事をするする姿はとても様になっており、見ているだけでうっとりとしてしまうものだった。


 「日葵さんにも刺繍したものをプレゼントするのですか?」
 「え、はい。日葵くんの絵と交換しようと約束したんです。今から楽しみです」
 「なるほど………では、私にも何か作ってくれませんか?私があげられるものは……何もないので制作費はしっかり渡しますので」
 「そ、そんな!!いただけません!ここまで連れてきていただいたし、ホテルや料理のだって樹さんが払ってしまったじゃないですか。それぐらい、私にさせてください」


 菊那が起きてから支度をした後に、こっそりとフロントに電話をしてお会計をしに行くと伝えると、「すでにお支払済みとなっています。レストランの方もメニューは注文されているので、こちらでお支払いしていただくものはございません」と、言われてしまったのだ。
 

 「………だめですか?」
 「いえ、とても嬉しいです。プレゼント楽しみにしていますね。あぁ、でも花の刺繍を持っていたらさすがに似合いかもしれませんね」
 「そんな事ないです!とても、似合うと思います」


 思わず大きめな声が出てしまい、菊那は次第に音量を下げながらそう言う。
 自分の作ったものを持っていて欲しい、という気持ちもあるが、樹が持っていたら更に素敵に見えるのではないか、と想像するだけで楽しみになってしまう。
 これは早く作らないといけない!と、心の中で意気込んでしまう。


 「楽しみにしていますね」
 「はい!頑張ります。……私の刺繍のグッツを買ってくれる男の人は意外にも多いんです。もちろん、恋人や家族にプレゼントとして選んでくれる方もいます。それと………樹さんはよく知っていると思いますが、花枯病(はなかれびょう)と方が買ってくれる事があるんです」
 「………花枯病………ですか」


 その言葉を口にした樹から、いつもの笑みは消えていた。
 やはり彼はその病気の事を知っているようだった。どちらかと言うと医者の方が詳しいはずだが、植物学としても調べている人がいると聞いたことがあったのだ。


 「花に嫌われた病気、ですね」

 
 彼はそう悲しげに言って、あまり飲んでいなかったシャンパンに手を伸ばした。


 花枯病。

 その病気にかかった人は、花や植物に触れると、その植物がすぐに枯れてしまう。そんな不思議な病気だった。人間はもちろん、動物に触れても何も起こらない。草や花など植物と呼ばれる生き物だけが枯れてしまうのだ。
 そのためその病気を発症した人たちは、手袋をして生活する事が多いと聞いた。もちろん、指先だけではなく肌に触れると枯れてしまう。そのため、生活には不自由していると聞く。そして……何故か若くして亡くなる事が多い。
 そんな難病だった。



 「花に触れられない人たちが触れてみたいと思う花の刺繍なのですね」


 そう言った樹の顔は、泣きそうに見えた。とても辛く苦しそうな、そんな苦痛を隠して微笑む表情だった。



 
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