花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

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23話「シーアネモネ」

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   23話「シーアネモネ」



 春も終わりが近づいてきたのか、少しずつ暑いぐらいの日差しが照りつけていた。
 菊那は薄手のロングカーディガンに、タンクトップとジーパンにローヒールのサンダルで樹の屋敷へと向かっていた。樹は用事があるようで迎えに行けないと連絡が入ったので、菊那は久しぶりに歩いて彼の家へと向かった。

 彼と恋人になって数週間が経っている。
 それでも、こうやって樹とデートをする事が今だに信じられなかった。
 町を歩けば老若男女に視線を向けられるほどに、容姿が整った彼。それに性格も優しく、知的でもあり、そして甘い事も好きでいてくれる。恋人として、最高の相手だと思っている。

 でも、気になっている事もある。
 付き合って間もないので、仕方がないとは思うが、樹は自分の事をあまり話してくれないのだ。菊那の話を楽しそうに話してくれるが、自分の事はあまり話さない。
 もちろん、花屋敷の秘密だってわからないままだ。
 
 付き合えただけでも、大切にしてくれているだけでも幸せな事なのに、次を求めてしまうのは贅沢すぎるとわかってはいた。
 けれど、やはり彼を知りたいと思ってしまうのだ。



 「今日はいろいろ自分から聞いてみようかな」


 そんな思いは思わず言葉に漏れてしまう。菊那は苦笑いを浮かべなから、袋小路への道へと曲がった。
 すると、予想しなかった樹の姿が目に飛び込んできた。


 「い、樹さんっ!?」
 「こんにちは。時間ピッタリですね」


 細身のパンツに黒のブルゾンジャケットという全身真っ黒な今まであまり見たことがないラフなスタイルだった。
 そして、彼の隣にあるのはいつもの車ではなく、大型バイクだったのだ。黒の車体と機械部分がシルバーのシンプルなデザインだったが、とても大きい。
 菊那は驚き目を大きくさせながら彼に近づくと、樹はクスクスと笑っていた。


 「思っていた以上の反応をしてくれるので嬉しいです。今日は天気もいいですし、近い場所だったのでバイクで出掛けようと思ったのですが……いかがですか?」
 「だから、動きやすい服装で来てくださいって連絡があったんですね………それにしても、樹さんがバイクに乗るなんて意外でした」
 「そうですか?春や秋の過ごしやすい時期は、一人で遠出するんですよ。風がとても気持ちいいですよ。………怖いですか?」
 「いえ……始めてなので、少し緊張しますが、乗ってみたかったので嬉しいです」
 「それはよかった」


 菊那はキラキラした視線でバイクを見つめる。これに跨がり長い手足でバイクを操縦する姿は本当にかっこいいのだろうなーと想像してしまう。ヘルメットを被ってしまうのが、少し残念でもある。
 菊那の荷物を最低限に纏め、残りは屋敷に置いておく事にした。彼の荷物は肩から斜めにかけるウエストバックだった。


 「菊那さんのロングカーディガンは薄く長い丈は危険なので、私のジャケットをお貸ししますね」
 「いいんですか?」
 「少し大きいと思いますが…………オーバーサイズで可愛いですね」


 そう行って、着せてくれたのはライダースジャケットだった。身長が高い樹のものは確かに大きかったけれど、菊那は思わず笑みがこぼれた。彼の紅茶のような甘い香りがしたのだ。


 「さて、これが菊那さんのヘルメットです。どうぞ」
 「わぁーかわいい!ありがとうございます!」


 白いヘルメットに薄い黄色で花が描かれているものだった。パッと見るとシンプルに見えるが華やかさがあり、菊那は一気に気に入ってしまった。


 「菊那さんは黄色のお花のイメージですからね。あ、でも猫の耳がついたヘルメットもありましたよ」
 「………こっちで安心しました」


 菊那がむつけた顔でそういうと、樹は目を細めて楽しそうに笑った。

 


 初めてのバイクはとても迫力満点で始めは悲鳴しか出なかったが、少しずつ慣れ始めた頃には周りの景色も堪能する事が出来た。
 彼の体に手を回し、ヘルメット越しに頭を背中につける。ヘルメットがなかったら、もっと幸せだったんだろうなーと思う。運転中に大きな声で会話するのも、少しスピードを上げられて、菊那が樹を強く抱きしめると彼の笑い声が振動で伝わってくるのも……どれも新鮮で、どんな事も楽しかった。


 少しずつ潮の香りを感じ始めた頃、晴天の下でキラキラと波打ちながら輝く海が見えてきた。「わー………」と自然に声がもれる。始めて見たわけでもないが、久しぶりの海と、バイクに乗りながらの海は、とても開放的な夏のような雰囲気に見えた。実際はまだ寒くて泳げないが、サーフィンを楽しむ人たちは多くいた。

 菊那が海を見つめているのに気づいたのだろう。樹は、海岸沿いの駐車場にバイクを止めた。
 

 「少し散歩をしましょうか。お昼の時間ですから、お店で何か買うのもいいですね」
 「さっき、パン屋さんを見かけましたよ」
 「では、行ってみますか」


 樹と菊那は手を繋いで、その店まで歩いてそれぞれのパンを買った。樹はシンプルなものが多く、菊那は甘いものが多い。好みは違うものだなーと思ったけれど、飲み物はついつい紅茶を選んでしまう。樹の影響を受けてか、いつのまにか紅茶好きになっているようだ。

 浜辺に座って、2人でランチの時間を過ごす。波と風の音、眩しいほどの日差しに包まれながら、ゆったりとした時間を過ごした。
 ブカブカの彼のライダースジャケットを肩掛けにしながら、菊那はご機嫌で大きな口を開けて食べているのを、樹は微笑ましそうに見ている。


 「………樹さんに、見られていると恥ずかしくて食べれませんよ」
 「おいしそうに食べてくれるなと思いまして」
 「おいしいですよ。外で食べるとまた格別なきがします」
 「確かにそうですね。こんど、屋敷の庭でご飯を食べてみましょうか。実際には外、ではないんですが」
 「いいと思います!幻想的になりそうですね。楽しみだなー」


 その時はキャンドルなどをつけても雰囲気が出るだろうか。お酒ものんでゆっくりしたいな……でも、そうすると彼に送ってもらえなくなるからお泊まりだろうか。初めてキスした時のように、彼は酔って甘いキスをしてくれるのだろうか。…………いや、あの時も酔ってはいなかったけど。

 そんな想像をしながら、にこにこしていると、樹は菊那に問いかけた。


 「菊那さんは普通に話してもらっていいのですよ?」
 「え………?」
 「私は昔から敬語が癖なので、敬語を使ってしまいますが……菊那さんは、普通に話していいんですよ?」
 「でも……菊那さんの方が年上ですし」
 「でも、恋人です。では、私もさん付けはやめるので、菊那さんも普通に話してみてください。そうですね………菊那ちゃん………菊那…………の方がいいですか?」
 

 いつもと違う呼ばれ方というのは、気恥ずかしくも嬉しいものだった。
 彼がとても優しく自分の名前を呼んでくれる。さん付けでも嬉しかったけれど、身近な呼び方は、菊那をドキッとさせた。


 「き、菊那、でいいです」
 「わかりました。では、菊那。普段のように話してみてください」
 「あ、あの!普通に話すので………じゃなくて、普通に話すから、さん付けでもいい……かな?」
 「………わかりました。ではそうしましょう。慣れるまで少し照れくさいですが、すぐに馴染むはずです」
 「は………うん、そうだね」


 少しずつ少しずつ、歩み寄って近くなる。それは、身体的な距離だけではない。
 言葉は見えないけれど、その言葉が近くなるも、自然と距離も近くなる気がする。

 そうやって1つずつの新鮮が、普通になっていけばいい。
 願わくば、もっと早く距離が縮まりますように、と菊那は心の中で願った。

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