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第三話「村長の憂い、少女の決意」
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パンを焼き始めて三日。
村の雰囲気が、少しずつ変わってきた。
朝、共同炉に向かう道すがら、村人たちが挨拶してくれるようになった。子供たちは俺を見つけると、「パンのお兄ちゃん!」と駆け寄ってくる。
「おはよう、ケン君」
「おはようございます」
中年の女性が、バケツを抱えて微笑む。
「昨日のパンも美味しかったわ。夫が、もう何年も笑ってなかったのに、笑ったのよ」
「それは良かったです」
「ありがとうね。あなたは、この村の光だわ」
そう言って、女性は井戸へと向かっていった。
光、か。
そんな大層なものじゃない。ただ、パンを焼いているだけだ。
でも――
(こういう、ささやかな幸せを積み重ねていきたい)
共同炉に着くと、すでにリーゼが待っていた。
「おはよう、ケン!」
「早いね、リーゼ」
「だって、楽しみなんだもん! 今日は何個焼く?」
「そうだな、村人全員分だから……百個くらいかな」
「了解! あたしも手伝うから!」
リーゼは、この三日間、毎日手伝いに来てくれている。
最初はぎこちなかったが、今ではすっかり手際が良くなった。生地をこねる手つきも、様になってきている。
「リーゼ、才能あるよ。パン職人になれるんじゃない?」
「本当!? えへへ、嬉しい!」
彼女の笑顔は、本当に眩しい。
まるで太陽みたいだ。
「でも、あたし、村長の娘だから……」
ふと、表情が曇る。
「村長の娘? それが何か問題なの?」
「うん……あのね――」
言いかけた時、扉が開いた。
「リーゼ、ここにいたのか」
現れたのは、五十代くらいの恰幅のいい男性。立派な髭を蓄え、質素ながらもしっかりとした服を着ている。
「父さん!」
「父さん?」
ということは、この人が村長か。
「初めまして。ケン・サトウと申します」
「ああ、噂のパン職人か。私はハインリヒ、この村の村長をしている」
ハインリヒは、温和そうだが、どこか疲れた表情をしていた。
「ケン君、君のパンは素晴らしい。村人たちが、久しぶりに笑顔を見せてくれた。感謝している」
「いえ、当然のことをしただけです」
「しかし……」
ハインリヒは、言葉を濁した。
「少し、話がある。私の家に来てくれないか。リーゼ、お前もだ」
「……わかった」
リーゼの表情が、さらに暗くなる。
嫌な予感がした。
村長の家は、村の中では比較的大きな建物だった。
だが、それでも前世の一般家庭より質素だ。家具も最小限。この村の困窮ぶりが伝わってくる。
「座ってくれ」
粗末な椅子に腰を下ろすと、ハインリヒは深く息をついた。
「ケン君、単刀直入に言おう。このベルガルド村は、今、滅びかけている」
「……滅び?」
「ああ。ここ数年、不作が続いている。税は増える一方だ。若者は村を出て、残ったのは老人と子供だけ。このままでは、あと数年で村は消える」
ハインリヒの声には、深い絶望が滲んでいた。
「そんな中、君が現れた。君のパンは確かに素晴らしい。村人の心を癒してくれた。だが――」
「だが?」
「パンだけでは、村は救えない」
その言葉が、胸に刺さる。
「もちろん、わかっています。パンは、あくまでも食べ物。それだけで全てが解決するわけじゃない」
「いや、違う」
ハインリヒは首を振った。
「君のパンには、可能性がある。あれほど美味いパンなら、都市で売れば、高値がつくだろう。村の収入源になるかもしれない」
「!」
俺の経営知識が、反応する。
確かに、差別化された商品は、市場で強い。
この世界にふわふわのパンがないなら、それは独占市場を作れるということだ。
「でも、問題がある」
「流通ですか?」
「その通りだ。この村は辺境すぎる。最寄りの町まで馬車で三日。しかも、街道は整備されていない。パンは日持ちしない。運ぶ手段がないんだ」
確かに、それは大問題だ。
どんなに良い商品でも、届けられなければ意味がない。
「それに――」
ハインリヒは、リーゼを見た。
「リーゼには、婚約者がいる」
「え……」
リーゼが、唇を噛む。
「隣村の地主の息子だ。裕福な家で、村に援助もしてくれる。リーゼが嫁げば、当面の食糧は確保できる」
「父さん……」
「リーゼ、わかってくれ。これは、村のためなんだ」
「わかってる。わかってるよ……」
リーゼの目に、涙が浮かぶ。
「でも、あたし、彼のこと好きじゃない。会ったこともほとんどないのに……」
「好きとか嫌いとか、そんなことを言っている場合じゃないんだ」
ハインリヒの声は、苦しげだった。
「村を守るためだ。お前だって、村のみんなを見捨てられないだろう?」
「…………」
リーゼは、何も言えなかった。
その横顔が、あまりにも悲しくて。
俺は、思わず口を開いていた。
「待ってください」
「ケン君?」
「その婚約、いつまでに決めなければならないんですか?」
「来月だ。相手の家が、それまでに返事をしろと」
「なら、それまでに、村の経済を立て直します」
「何?」
ハインリヒが目を見開く。
「一ヶ月で、村に収入をもたらします。パンを商品化して、流通ルートを確保します」
「できるのか、そんなことが?」
「やってみます。俺には、経営の知識がある。それに――」
俺は、リーゼを見た。
「リーゼには、自分の幸せを選ぶ権利がある。村のために犠牲になるなんて、間違ってる」
「ケン……」
リーゼの目が、潤む。
「君は、優しいな。でも、現実はそんなに甘くない」
「甘くないのは、わかってます。でも、やらなきゃわからない。可能性がゼロじゃないなら、挑戦する価値はある」
ハインリヒは、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐いた。
「……一ヶ月だけだ。それで結果が出なければ、リーゼは嫁ぐ。いいな?」
「わかりました」
「父さん、ありがとう……」
リーゼが、父の手を握る。
「ケン、頼むぞ。お前が、最後の希望だ」
その言葉の重さに、俺は背筋を伸ばした。
一ヶ月。
短い。
でも、できる。やってみせる。
村長の家を出て、リーゼと二人で歩く。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「ごめんね、ケン。巻き込んじゃって」
「いいよ。俺が勝手に言ったんだから」
「でも……本当にできるの? 一ヶ月で」
「正直、わからない。でも、やるしかない」
俺は、空を見上げた。
「リーゼは、どうしたいの?」
「……パンを、焼きたい」
小さな声。
「ケンと一緒に、パンを焼いて、みんなを笑顔にしたい。それが、あたしの夢」
「なら、叶えよう。その夢」
「ケン……」
「俺も、同じ夢を見てる。だから、一緒に頑張ろう」
そう言って、手を差し出す。
リーゼは、少し躊躇してから――その手を、握り返した。
「……ありがとう」
その手は、小さくて、温かかった。
その夜。
俺は一人、森を歩いていた。
パン作りに使える食材がないか、探すためだ。
ベリー類や、ハーブ、ナッツ。そういったものがあれば、パンのバリエーションを増やせる。
「この辺りに、野イチゴが生えてるって聞いたんだけど……」
月明かりを頼りに、茂みをかき分ける。
その時。
「……たすけ、て……」
微かな声が聞こえた。
「!」
声のする方へ走る。
そこには――
小さな女の子が、倒れていた。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄って、抱き起こす。
年は十歳くらいか。金色の髪に、青い瞳。痩せ細って、服はボロボロ。
「しっかりして!」
「……おなか、すいた……」
か細い声で、そう呟いて。
少女は、意識を失った。
村の雰囲気が、少しずつ変わってきた。
朝、共同炉に向かう道すがら、村人たちが挨拶してくれるようになった。子供たちは俺を見つけると、「パンのお兄ちゃん!」と駆け寄ってくる。
「おはよう、ケン君」
「おはようございます」
中年の女性が、バケツを抱えて微笑む。
「昨日のパンも美味しかったわ。夫が、もう何年も笑ってなかったのに、笑ったのよ」
「それは良かったです」
「ありがとうね。あなたは、この村の光だわ」
そう言って、女性は井戸へと向かっていった。
光、か。
そんな大層なものじゃない。ただ、パンを焼いているだけだ。
でも――
(こういう、ささやかな幸せを積み重ねていきたい)
共同炉に着くと、すでにリーゼが待っていた。
「おはよう、ケン!」
「早いね、リーゼ」
「だって、楽しみなんだもん! 今日は何個焼く?」
「そうだな、村人全員分だから……百個くらいかな」
「了解! あたしも手伝うから!」
リーゼは、この三日間、毎日手伝いに来てくれている。
最初はぎこちなかったが、今ではすっかり手際が良くなった。生地をこねる手つきも、様になってきている。
「リーゼ、才能あるよ。パン職人になれるんじゃない?」
「本当!? えへへ、嬉しい!」
彼女の笑顔は、本当に眩しい。
まるで太陽みたいだ。
「でも、あたし、村長の娘だから……」
ふと、表情が曇る。
「村長の娘? それが何か問題なの?」
「うん……あのね――」
言いかけた時、扉が開いた。
「リーゼ、ここにいたのか」
現れたのは、五十代くらいの恰幅のいい男性。立派な髭を蓄え、質素ながらもしっかりとした服を着ている。
「父さん!」
「父さん?」
ということは、この人が村長か。
「初めまして。ケン・サトウと申します」
「ああ、噂のパン職人か。私はハインリヒ、この村の村長をしている」
ハインリヒは、温和そうだが、どこか疲れた表情をしていた。
「ケン君、君のパンは素晴らしい。村人たちが、久しぶりに笑顔を見せてくれた。感謝している」
「いえ、当然のことをしただけです」
「しかし……」
ハインリヒは、言葉を濁した。
「少し、話がある。私の家に来てくれないか。リーゼ、お前もだ」
「……わかった」
リーゼの表情が、さらに暗くなる。
嫌な予感がした。
村長の家は、村の中では比較的大きな建物だった。
だが、それでも前世の一般家庭より質素だ。家具も最小限。この村の困窮ぶりが伝わってくる。
「座ってくれ」
粗末な椅子に腰を下ろすと、ハインリヒは深く息をついた。
「ケン君、単刀直入に言おう。このベルガルド村は、今、滅びかけている」
「……滅び?」
「ああ。ここ数年、不作が続いている。税は増える一方だ。若者は村を出て、残ったのは老人と子供だけ。このままでは、あと数年で村は消える」
ハインリヒの声には、深い絶望が滲んでいた。
「そんな中、君が現れた。君のパンは確かに素晴らしい。村人の心を癒してくれた。だが――」
「だが?」
「パンだけでは、村は救えない」
その言葉が、胸に刺さる。
「もちろん、わかっています。パンは、あくまでも食べ物。それだけで全てが解決するわけじゃない」
「いや、違う」
ハインリヒは首を振った。
「君のパンには、可能性がある。あれほど美味いパンなら、都市で売れば、高値がつくだろう。村の収入源になるかもしれない」
「!」
俺の経営知識が、反応する。
確かに、差別化された商品は、市場で強い。
この世界にふわふわのパンがないなら、それは独占市場を作れるということだ。
「でも、問題がある」
「流通ですか?」
「その通りだ。この村は辺境すぎる。最寄りの町まで馬車で三日。しかも、街道は整備されていない。パンは日持ちしない。運ぶ手段がないんだ」
確かに、それは大問題だ。
どんなに良い商品でも、届けられなければ意味がない。
「それに――」
ハインリヒは、リーゼを見た。
「リーゼには、婚約者がいる」
「え……」
リーゼが、唇を噛む。
「隣村の地主の息子だ。裕福な家で、村に援助もしてくれる。リーゼが嫁げば、当面の食糧は確保できる」
「父さん……」
「リーゼ、わかってくれ。これは、村のためなんだ」
「わかってる。わかってるよ……」
リーゼの目に、涙が浮かぶ。
「でも、あたし、彼のこと好きじゃない。会ったこともほとんどないのに……」
「好きとか嫌いとか、そんなことを言っている場合じゃないんだ」
ハインリヒの声は、苦しげだった。
「村を守るためだ。お前だって、村のみんなを見捨てられないだろう?」
「…………」
リーゼは、何も言えなかった。
その横顔が、あまりにも悲しくて。
俺は、思わず口を開いていた。
「待ってください」
「ケン君?」
「その婚約、いつまでに決めなければならないんですか?」
「来月だ。相手の家が、それまでに返事をしろと」
「なら、それまでに、村の経済を立て直します」
「何?」
ハインリヒが目を見開く。
「一ヶ月で、村に収入をもたらします。パンを商品化して、流通ルートを確保します」
「できるのか、そんなことが?」
「やってみます。俺には、経営の知識がある。それに――」
俺は、リーゼを見た。
「リーゼには、自分の幸せを選ぶ権利がある。村のために犠牲になるなんて、間違ってる」
「ケン……」
リーゼの目が、潤む。
「君は、優しいな。でも、現実はそんなに甘くない」
「甘くないのは、わかってます。でも、やらなきゃわからない。可能性がゼロじゃないなら、挑戦する価値はある」
ハインリヒは、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐いた。
「……一ヶ月だけだ。それで結果が出なければ、リーゼは嫁ぐ。いいな?」
「わかりました」
「父さん、ありがとう……」
リーゼが、父の手を握る。
「ケン、頼むぞ。お前が、最後の希望だ」
その言葉の重さに、俺は背筋を伸ばした。
一ヶ月。
短い。
でも、できる。やってみせる。
村長の家を出て、リーゼと二人で歩く。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「ごめんね、ケン。巻き込んじゃって」
「いいよ。俺が勝手に言ったんだから」
「でも……本当にできるの? 一ヶ月で」
「正直、わからない。でも、やるしかない」
俺は、空を見上げた。
「リーゼは、どうしたいの?」
「……パンを、焼きたい」
小さな声。
「ケンと一緒に、パンを焼いて、みんなを笑顔にしたい。それが、あたしの夢」
「なら、叶えよう。その夢」
「ケン……」
「俺も、同じ夢を見てる。だから、一緒に頑張ろう」
そう言って、手を差し出す。
リーゼは、少し躊躇してから――その手を、握り返した。
「……ありがとう」
その手は、小さくて、温かかった。
その夜。
俺は一人、森を歩いていた。
パン作りに使える食材がないか、探すためだ。
ベリー類や、ハーブ、ナッツ。そういったものがあれば、パンのバリエーションを増やせる。
「この辺りに、野イチゴが生えてるって聞いたんだけど……」
月明かりを頼りに、茂みをかき分ける。
その時。
「……たすけ、て……」
微かな声が聞こえた。
「!」
声のする方へ走る。
そこには――
小さな女の子が、倒れていた。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄って、抱き起こす。
年は十歳くらいか。金色の髪に、青い瞳。痩せ細って、服はボロボロ。
「しっかりして!」
「……おなか、すいた……」
か細い声で、そう呟いて。
少女は、意識を失った。
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