声を聞かせて

はるきりょう

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26 涙

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  朝日が窓から差し込む。その光に反応するように、サーシャは身体を起こし、ベッドから降りた。カーテンを開ければ、太陽の温かい陽射しが目に入る。青い空が鮮やかだった。
『サーシャ、おはよう。…大丈夫?』
 心配そうなオースの声に、サーシャは振り返った。サーシャの顔はどこか疲れていた。昨日、あんな事件があったのだから無理もない。眠りが浅かったのであろうとわかるその顔に、オースはどんな言葉をかければいいのかわからなかった。
 けれどそんなオースにサーシャは両頬を持ち上げ、笑う。
「おはよう、オース。ありがとう。…私は、大丈夫だよ」
 顔に浮かぶのは笑みなのに、どこか悲しかった。オースは何も言えず、頷くだけにとどめる。
 サーシャはいつもどおり朝の準備を始めた。じっと止まってはいられなかったから。白と黒を基調としたメイド服に袖を通す。マルカと同じその服。溢れて出来る思い出を消そうと頭を左右に振った。感じる胸の痛みには、気づかないふりする。
『…僕が人間だったら、よかったのにね』
 ひとりごとのような小さな呟きだった。サーシャは動きを止め、オースを見つめる。
『そしたら、サーシャを幸せにしてあげられるのに』
 自嘲的にオースは笑った。
 サーシャは一つ息を吐く。自身の左肩を数回叩いた。その意図を汲んだオースがサーシャの肩にとまる。サーシャは手を伸ばし、オースの頭を数回撫でた。その心地に、オースは目を細める。
「…そんなこと、言わせてごめんね」
『サーシャ…』
「ねぇ、オース。私、幸せだよ」
『…』
「だって、今も、11年前も、オースが傍にいてくれたから」
『…うん』
「人間でも、人間じゃなくても関係ない。オースは私の一番の親友でしょう?」
『…当たり前だろ?』
 オースの言葉にサーシャは、本当の笑みを浮かべる。
「オース、ありがとう。いつも、大切にしてくれて」
『だから、当たり前だって』
「…うん」
 頷いたサーシャにオースは笑った。その顔が優しくて、泣きそうになる。

 音が聞こえた。隠し戸を叩くノック音。2回鳴ったそれは「こちらへ来い」の合図。
『サーシャ。ユリウスが呼んでる』
 オースの声に頷くと、一度深く息を吸い、ゆっくり吐き出した。両手を顔にあて、ぱちんと叩く。隠し戸に手をかけ、ゆっくり開ける。
「おはようございます」
 入ってきたサーシャをユリウスは立って出迎えた。サーシャの姿を確認するとソファーに腰かける。視線でサーシャも座るよう促した。
「…どうかされました?朝食の用意でしょうか?」
 頭を下げて隣に座る。声は明るく聞こえるように努めた。
「いや、いい。簡単に食べた。…お前は?」
「私は…その…少しだけ、食欲がなくて」
「そうか」
 脳裏に浮かぶのは、狂ったように叫ぶマルカの姿。「あんたなんか、死ねばいいのよ!!」
金切り声が脳内で再生される。苦しくなる胸。今度は気づかないふりはできなかった。
 叫び出しそうになるのを懸命に堪える。
「報告がある」
「報告…?」
「ああ。あのマルカというメイドのことだ」
「…」
「結論から言おう。あの女は、何も知らなかった。ただ、俺と相思相愛だと思い込み、お前を消そうとしただけのようだ」
「…そう、ですか…」
「もちろん、詳しいことはヴォルス将軍が探っている。だが、おそらく、俺への懸想とお前への憎悪をうまく利用されただけだろう」
「…」
 告げられた「憎悪」という言葉。わかっていた。死ねばいい、とまで言われたのだから。けれど、声にされたその言葉はサーシャに深く突き刺さる。
「そう、…なん、ですね」
「まだ、憶測の域を出ないがな」
 マルカはサーシャにとって、初めてできた同年代の友達だった。距離を置かれている宮中で唯一声をかけてくれた人。廊下ですれ違えば話をした。けれど向けられていた笑顔は偽物で、声をかけてきたその行動の裏に別の意味があった。
 急に、視界がぼやけた。まずい、と思う間もなく、雫が頬を伝う。泣いている、と他人事のように思った。
『…サーシャ』
 心配そうに名前を呼ぶオース。けれどサーシャには何もできなかった。「大丈夫だよ」ということも、涙を拭うことさえも。
 ユリウスは何も言わず腰を上げた。かすかに空いていた距離を詰め、サーシャの隣に座る。
「つらいなら泣けばいい」
 サーシャを見ずに、何気ないことのように言った。
「気の済むまで泣け。声を出してもいい。どんな醜態でも構わない。…ここには、俺とお前の親友しかいない」
「……はい」
 張っていた気が緩む。涙が後から後からあふれ出した。サーシャはユリウスの肩に自身の頭を預ける。ユリウスは腕を回し、サーシャの髪に触れた。ぽんぽんと頭に触れるその手が優しかった。
「友、達…だったんです…」
「ああ」
 笑顔の可愛い友達。部屋で一緒に話しをした。一緒に笑い合った。けれど、全て作り物。
「…友達だと、思ってた。…でも、…違った」
「…」
「…殺したいほど、嫌われてた…んですね、私」
「…そうかもな」
「私、嬉しかったんです。…友達ができて。…同い年の友達は…初めてだったから。…でも、…嘘だった、んですね。…バカみたい」
「…」
「…本当に、私、…バカ、ですよね…」
「思い切り泣けばいい」
「…っ」
「好きなだけ泣いて、忘れてしまえ」
 ユリウスの大きな手が子供をあやすようにサーシャの頭を撫でた。その温かさにサーシャはただ声を出して鳴き続けた。

 涙が枯れるまで泣いた。どのくらい経ったのか見当もつかない。長かったのか、短かったのか。それでもユリウスはずっとサーシャに肩を貸していてくれた。
 少しずつ落ち着いてくる心に、サーシャは掴んでいたユリウスの肩から手を離した。近すぎる距離に慌てて、少し離れる。ユリウスを見る目は赤くなっていた。
「王子、ありがとうございました。…その、すみませんでした」
「ここまで泣かれるとは思わなかったな」
 ユリウスはそう言って肩を触る。視線を向ければ、サーシャが掴んでいたユリウスの肩はしわになっていた。少し濡れているのは、サーシャの涙が付いたからだろう。
 申し訳なさと恥ずかしさがサーシャを包む。
「あ、その…も、申し訳ありません」
 慌てて頭を下げるサーシャにユリウスはふっ、と小さく笑いをこぼした。
「冗談だ」
「え?」
「気の済むまで泣けと言ったのは俺だ」
「…王子も、冗談なんて言うんですね」
「言うだろ、冗談くらい」
 サーシャの素直な感想にユリウスは呆れたように言う。
「ふふ。そうですね。……王子、ありがとうございました」
 もう一度深く頭を下げる。そんなサーシャにユリウスは首を横に振った。
「もとはと言えば、原因を作ったのは俺だ。俺が、お前を巻き込んだから。…謝るのは俺の方だ。すまない」
「王子の…せいなんかじゃないです。ずっと、…オースもずっと、マルカさんのこと気にしてました。でも、…私は、気づかなかった」
『サーシャ。…ごめん、僕がちゃんと伝えるべきだ。そしたらこんな風に傷つくことはなかったのに』
 サーシャはオースの言葉に首を振る。
「ううん。…言えなかったんだよね。…あの時、私、友達ができたと思って浮かれていたから。…ごめんね、オース」
『ごめんね、サーシャ』
「大丈夫だよ、オース」
 そう言うとサーシャはオースに微笑みかける。
「サーシャ」
「…え?」
 いつも「お前」と呼ぶ聞きなれた低い声が名前を呼んだ。突然のことに反応が遅れる。顔を上げれば、思いつめたような表情。
「王子?」
「…家に、帰るか?」
 風が吹いた。空は綺麗な青なのに、吹く風は強い。強風に窓が音を立てる。それはサーシャの心を表しているようだった。
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