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番外編
番外編3 星を繋ぐ紋様(精霊ブラド視点)
しおりを挟む――我が主人は、今宵も星を仰いでいらっしゃる。
庵の裏手に据えた石の観測台に、草履のまま軽く腰を下ろされ、砂地の帳面に光の線をすっと引いては、夜空の点と点をつないでいかれる。あの指先が描く細い軌跡を、我はもう何百回も眺めてきたが、飽きる気配はない。飽きないのは、我が主人も同じであろう。
背後では、風と水の小娘どもが今日も勝手気ままに騒いでいる。
「主様の髪、三つ編みにしますね!」
「私は細い編み込みをもう一本……クレセントの櫛、ここで留めよっか」
「毛先、風でそろえておくから動かないでね」
イリスもティアもラーラも、よう飽きぬことだ。だが、そうやってきゃあきゃあ笑っている声が、この庵に灯をともす。静けさに張りつめすぎた夜の中で、主様の肩に余計な重さが降りないようにしているのだと、我は知っている。
……炎のカルラなら、焚き火の上でひときわ明るく跳ねて「今日は金平糖!」と叫んだはずだ。だが、もういない。あやつは炎の精霊王の核の一部となって、遠い高みへ出掛けて行った。
賑やかしいその空白は、我らが埋めねばならぬ。
「我が主人よ、また星の線がずれておりますか」
我は低く問う。敬意を込め、火のはぜる音にまぎれるほどの声で。
「ええ。……またひとつ、辻褄が合わなくなったね」
我が主人は短くお答えになる。声音は穏やかだ。焦りも嘆きも見せられない。だが、我にはわかる。瞳の奥で、消えない火が静かに燃え続けていることを。
「……お、おにいさま」
控えめな気配が、袖口をちょんと引く。妹のアナイナだ。
「や、やっぱり、これは……主様の、ひ、暇つぶし……なのかな……?」
「アナイナ、言い方ぁ」
イリスが笑い、ラーラが肩をすくめる。
「でもさ、いい暇つぶしだと思うよ? だって主様、楽しそうに見えるもん」
「主様は偉いなぁ。ずっと同じことを続けるのって、けっこう難しいのに」とティア。
まったく、騒がしい連中である。だが、その無邪気こそが薬だ。主人様は孤独を口にされない。だから、この騒がしさで周りをあたためておけば、冷え込みすぎることもあるまい。
我が主人の指先が、砂の上をすべる。淡い光が、星図の欠け目をなぞるように走った。
紋様魔法――今ではほとんど使い手のいない古い術だ。物や自然に宿る「かたち」を抽出し、記号として読み解く。主人はそれで夜空の「書き換え」を読む。文明が倒れ、世界が塗り直されるたびに、星座の対応は微かにずれる。あれは季節や歳差だけの揺らぎではない。明らかに「継ぎ目」がある。何度も、だ。
「……確認できるだけで三度。でも、たぶん五度。抜け方が規則的すぎるから」
主人様は独り言のようにおっしゃる。
我は盃をひと口。酒はうまい。だが、酒気は我の舌の上で止まる。主様の背に寄りつく冷たい気配を、曖昧にはしたくない。
「我が主人よ。あなた様は、なぜそこまで星をお繋ぎになるのです」
「会いたいのよ。……セカイさんに」
我が主人の目が、すこしだけ笑った。
「創世神、と言い換えたほうが、あなたたちにはわかりやすいかしらね」
「神様……」と、ファーナが柔らかに息をこぼす。
「主様、またあのひとのこと思い出してる?」とラーラ。
「ええ。最後に見た“あのひと”の笑い方は、まだ残ってるの。『すべては巡るもの』って、あの声が言ってた」
前世の名も顔も、そして『セカイさん』とよぶ創世神様との思い出も、主様は泣いてまで追おうとはされない。たまに夢の縁から手を伸ばして届かぬことがあっても、涙は見せられない。
それでよい。精霊の感覚から見れば、命は巡り、記憶は風と塵のようにほどけていく。手で包めばあたたかいが、強く握ればこぼれ落ちる。それを、主様は理解しておられる。
「……それに、わたしはイレギュラーだから」
我が主人は砂の線を一度止め、空に視線を置く。
「この世界の本筋から見れば、わたしは異物。アイテムボックスが欲しいなんてお願いしたせいで、不老長寿まで抱え込んだ。だったら、観測装置みたいに、長い暇でも使って、世界の継ぎ目を数えてみるのも悪くないでしょ」
イリスが「観測装置の主様、かわいい」と笑い、ティアが「じゃあ観測装置にはおやつが必要だね」と精霊草を手のひらにころがす。
「……お、おやつ。チョコ、す、少し分けるね……」
アナイナがおずおずと差し出し、主様は「ありがとう」と微笑まれる。
うむ、甘い匂い。カルラがいたら「金平糖は?」と騒いだであろう。あやつの欠片は、いまも焚き火の火柱の芯に残っている気がする。火の音が、たまに彼女の笑い声に似た拍で弾けるのだ。
谷の向こうに、灯の列が現れては消えた。
遠い街道を、研究者らしき一団が登ってきては引き返す。ここ数年、星座と神話の資料を集める学究の徒が増えた。主様の残した無数の書き文字と断章が、ようやく別の手の中で線になりつつあるのだろう。
だが、我が主人は姿を見せない。見せないでよい、と我も思う。主様はここで、森の呼吸と星の脈を見ていればよい。他人の時間は、他人の器で満たされる。主様の時間は、主様の器で満たされるべきだ。
「我が主人よ、寒うございます。羽織を」
「うん。……ありがとう、ブラド」
「いえ。我が主人の観測が止まっては、酒の肴が減りますので」
「ふふ。動機が不純」
「純粋と申します」
言葉を交わす間にも、砂の上の紋様は増える。星の群れの「ずれ」を重ね写し、欠け目と欠け目をつなぐ。欠けは無秩序ではない。規則の芯がある。おそらくそれは「座標」だ。誰かが、どこかへ至るために踏んだ足跡の、抽象図形。
「……ここ」
主様の人差し指が止まり、淡い光がそこに結ばれる。
ひとつの円環が閉じ、別の円環に噛み合っていく。幾重にも重ねた星の写しが、ふいに「地図」に姿を変えた瞬間だった。
我は盃を置き、身を乗り出す。
「見えましたか、我が主人よ」
「ええ。……やっと」
主様は細く息を吐かれる。
「星座は、ただの目印じゃなかった。文明が“塗り直される”たびに、誰かが『座標術式』を投げなおしている。過去の星図の位相を固定して、次の“世界”へブリッジを渡すみたいに。
わたしが追っていたのは星図じゃない。座標列――『道』だったのよ」
ラーラが手を叩き、イリスとティアが肩を寄せ合ってはしゃぐ。
「主様、すごい!」
「道だって、道!」
ファーナはおっとりと笑い、「主様、よかったですね」と手を合わせる。
「……お、おにいさま。これで、主様は……行っちゃうの……?」
アナイナが不安そうに袖を握る。
「行くかどうかは、我が主人が決められる」
我は妹の頭を軽く撫でる。
「我らは、ただ並んで歩けばよい。呼ばれれば声を返し、止まれば風よけになる。それで十分だ」
主人様はしばし黙し、遠い山脈の影を見やられる。
夜の底で、雪解けの川音が微かに響いている。季節がひとつ、またひとつ輪を重ねる音だ。
――すべては巡るもの。
あの声が、確かに主人様の胸に残っているのだと、我にはわかった。
「我が主人よ」
我は正面に回り、焚き火の明かりを背にしてひざまずく。
「我らは、あなた様が飽きるその日まで、お供いたします。炎の王に還ったカルラも、きっと火の奥で笑っております。どうか、行かれるときは一声おかけくださいませ」
「ええ。……行くときは、みんなで」
「承知いたしました」
我が主人が立たれる。
櫛で留めた編み込みが月光を拾い、三日月の銀がちろりと光る。あの銀の小さな輝きが、いまは星図よりも確かな「道しるべ」に見えた。
「行こう。……ずっと、会いたかったんだ」
そのひと言は、胸の奥底に沈む石を、そっと指で突いたみたいに静かで、そして軽かった。使命ではない。義務でもない。長い暇の底に沈めていた、ささやかな願い――それを、ようやく拾い上げただけの声。
「主様、足元にお気をつけて」
「うん。ありがとう」
「ラーラ、灯りを。ティア、露を払え。イリス、風を後ろから」
「はーい!」
「は、はい……!」
「……お、おにいさま、わ、わたしは、チョコ……少し、もってくね……非常食……」
「よし、持て。非常に重要だ」
我は盃を空にし、焚き火に一礼する。火は小さく弾け、どこかでカルラが「いってらっしゃい」と笑った気がした。
谷底の灯は、すでに眠っている。山の尾根を越える風だけが起きていて、星図の新しい線に沿うように頬を撫でた。
遠くで、研究者たちの足跡がまたひとつ山道に刻まれていく。彼らは彼らの器で、彼らの物語を織る。よい。好きに織れ。
我が主人は我が主人の器で、世界の継ぎ目を読む。その先に何があるかは、誰にも決められない。
――我? 我は酒をもらえればそれでよい。
それでもなお、ひとつだけ欲を言うならば。
我が主人よ、あなた様が辿り着く光景を、この目でご一緒に眺めさせていただきたい。炎の奥でカルラが頷き、風の輪の中で子らが笑い、世界樹の根がいつも通り土を押し上げている。そんな、当たり前の夜のままに。
星はまたひとつ瞬き、砂の紋様に新しい点が灯った。
道は、もう見えている。
我らはただ、並んで歩けばいい――我が主人の歩幅に合わせて。
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