【本編完結】転生隠者の転生記録———怠惰?冒険?魔法?全ては、その心の赴くままに……

ひらえす

文字の大きさ
115 / 115
番外編

番外編3 星を繋ぐ紋様(精霊ブラド視点)

しおりを挟む
 

 ――我が主人は、今宵も星を仰いでいらっしゃる。
 庵の裏手に据えた石の観測台に、草履のまま軽く腰を下ろされ、砂地の帳面に光の線をすっと引いては、夜空の点と点をつないでいかれる。あの指先が描く細い軌跡を、我はもう何百回も眺めてきたが、飽きる気配はない。飽きないのは、我が主人も同じであろう。

 背後では、風と水の小娘どもが今日も勝手気ままに騒いでいる。
「主様の髪、三つ編みにしますね!」
「私は細い編み込みをもう一本……クレセントの櫛、ここで留めよっか」
「毛先、風でそろえておくから動かないでね」
 イリスもティアもラーラも、よう飽きぬことだ。だが、そうやってきゃあきゃあ笑っている声が、この庵に灯をともす。静けさに張りつめすぎた夜の中で、主様の肩に余計な重さが降りないようにしているのだと、我は知っている。

 ……炎のカルラなら、焚き火の上でひときわ明るく跳ねて「今日は金平糖!」と叫んだはずだ。だが、もういない。あやつは炎の精霊王の核の一部となって、遠い高みへ出掛けて行った。
 賑やかしいその空白は、我らが埋めねばならぬ。

「我が主人よ、また星の線がずれておりますか」
 我は低く問う。敬意を込め、火のはぜる音にまぎれるほどの声で。

「ええ。……またひとつ、辻褄が合わなくなったね」
 我が主人は短くお答えになる。声音は穏やかだ。焦りも嘆きも見せられない。だが、我にはわかる。瞳の奥で、消えない火が静かに燃え続けていることを。

「……お、おにいさま」
 控えめな気配が、袖口をちょんと引く。妹のアナイナだ。
「や、やっぱり、これは……主様の、ひ、暇つぶし……なのかな……?」
「アナイナ、言い方ぁ」
 イリスが笑い、ラーラが肩をすくめる。
「でもさ、いい暇つぶしだと思うよ? だって主様、楽しそうに見えるもん」
「主様は偉いなぁ。ずっと同じことを続けるのって、けっこう難しいのに」とティア。
 まったく、騒がしい連中である。だが、その無邪気こそが薬だ。主人様は孤独を口にされない。だから、この騒がしさで周りをあたためておけば、冷え込みすぎることもあるまい。

 我が主人の指先が、砂の上をすべる。淡い光が、星図の欠け目をなぞるように走った。
 紋様魔法――今ではほとんど使い手のいない古い術だ。物や自然に宿る「かたち」を抽出し、記号として読み解く。主人はそれで夜空の「書き換え」を読む。文明が倒れ、世界が塗り直されるたびに、星座の対応は微かにずれる。あれは季節や歳差だけの揺らぎではない。明らかに「継ぎ目」がある。何度も、だ。

「……確認できるだけで三度。でも、たぶん五度。抜け方が規則的すぎるから」
 主人様は独り言のようにおっしゃる。
 我は盃をひと口。酒はうまい。だが、酒気は我の舌の上で止まる。主様の背に寄りつく冷たい気配を、曖昧にはしたくない。

「我が主人よ。あなた様は、なぜそこまで星をお繋ぎになるのです」
「会いたいのよ。……セカイさんに」
 我が主人の目が、すこしだけ笑った。
「創世神、と言い換えたほうが、あなたたちにはわかりやすいかしらね」
「神様……」と、ファーナが柔らかに息をこぼす。
「主様、またあのひとのこと思い出してる?」とラーラ。
「ええ。最後に見た“あのひと”の笑い方は、まだ残ってるの。『すべては巡るもの』って、あの声が言ってた」

 前世の名も顔も、そして『セカイさん』とよぶ創世神様との思い出も、主様は泣いてまで追おうとはされない。たまに夢の縁から手を伸ばして届かぬことがあっても、涙は見せられない。
 それでよい。精霊の感覚から見れば、命は巡り、記憶は風と塵のようにほどけていく。手で包めばあたたかいが、強く握ればこぼれ落ちる。それを、主様は理解しておられる。

「……それに、わたしはイレギュラーだから」
 我が主人は砂の線を一度止め、空に視線を置く。
「この世界の本筋から見れば、わたしは異物。アイテムボックスが欲しいなんてお願いしたせいで、不老長寿まで抱え込んだ。だったら、観測装置みたいに、長い暇でも使って、世界の継ぎ目を数えてみるのも悪くないでしょ」

 イリスが「観測装置の主様、かわいい」と笑い、ティアが「じゃあ観測装置にはおやつが必要だね」と精霊草を手のひらにころがす。
「……お、おやつ。チョコ、す、少し分けるね……」
 アナイナがおずおずと差し出し、主様は「ありがとう」と微笑まれる。
 うむ、甘い匂い。カルラがいたら「金平糖は?」と騒いだであろう。あやつの欠片は、いまも焚き火の火柱の芯に残っている気がする。火の音が、たまに彼女の笑い声に似た拍で弾けるのだ。

 谷の向こうに、灯の列が現れては消えた。
 遠い街道を、研究者らしき一団が登ってきては引き返す。ここ数年、星座と神話の資料を集める学究の徒が増えた。主様の残した無数の書き文字と断章が、ようやく別の手の中で線になりつつあるのだろう。
 だが、我が主人は姿を見せない。見せないでよい、と我も思う。主様はここで、森の呼吸と星の脈を見ていればよい。他人の時間は、他人の器で満たされる。主様の時間は、主様の器で満たされるべきだ。

「我が主人よ、寒うございます。羽織を」
「うん。……ありがとう、ブラド」
「いえ。我が主人の観測が止まっては、酒の肴が減りますので」
「ふふ。動機が不純」
「純粋と申します」
 言葉を交わす間にも、砂の上の紋様は増える。星の群れの「ずれ」を重ね写し、欠け目と欠け目をつなぐ。欠けは無秩序ではない。規則の芯がある。おそらくそれは「座標」だ。誰かが、どこかへ至るために踏んだ足跡の、抽象図形。

「……ここ」
 主様の人差し指が止まり、淡い光がそこに結ばれる。
 ひとつの円環が閉じ、別の円環に噛み合っていく。幾重にも重ねた星の写しが、ふいに「地図」に姿を変えた瞬間だった。
 我は盃を置き、身を乗り出す。

「見えましたか、我が主人よ」
「ええ。……やっと」
 主様は細く息を吐かれる。
「星座は、ただの目印じゃなかった。文明が“塗り直される”たびに、誰かが『座標術式』を投げなおしている。過去の星図の位相を固定して、次の“世界”へブリッジを渡すみたいに。
 わたしが追っていたのは星図じゃない。座標列――『道』だったのよ」

 ラーラが手を叩き、イリスとティアが肩を寄せ合ってはしゃぐ。
「主様、すごい!」
「道だって、道!」
 ファーナはおっとりと笑い、「主様、よかったですね」と手を合わせる。
「……お、おにいさま。これで、主様は……行っちゃうの……?」
 アナイナが不安そうに袖を握る。
「行くかどうかは、我が主人が決められる」
 我は妹の頭を軽く撫でる。
「我らは、ただ並んで歩けばよい。呼ばれれば声を返し、止まれば風よけになる。それで十分だ」

 主人様はしばし黙し、遠い山脈の影を見やられる。
 夜の底で、雪解けの川音が微かに響いている。季節がひとつ、またひとつ輪を重ねる音だ。
 ――すべては巡るもの。
あの声が、確かに主人様の胸に残っているのだと、我にはわかった。

「我が主人よ」
 我は正面に回り、焚き火の明かりを背にしてひざまずく。
「我らは、あなた様が飽きるその日まで、お供いたします。炎の王に還ったカルラも、きっと火の奥で笑っております。どうか、行かれるときは一声おかけくださいませ」
「ええ。……行くときは、みんなで」
「承知いたしました」

 我が主人が立たれる。
 櫛で留めた編み込みが月光を拾い、三日月の銀がちろりと光る。あの銀の小さな輝きが、いまは星図よりも確かな「道しるべ」に見えた。

「行こう。……ずっと、会いたかったんだ」

 そのひと言は、胸の奥底に沈む石を、そっと指で突いたみたいに静かで、そして軽かった。使命ではない。義務でもない。長い暇の底に沈めていた、ささやかな願い――それを、ようやく拾い上げただけの声。

「主様、足元にお気をつけて」
「うん。ありがとう」
「ラーラ、灯りを。ティア、露を払え。イリス、風を後ろから」
「はーい!」
「は、はい……!」
「……お、おにいさま、わ、わたしは、チョコ……少し、もってくね……非常食……」
「よし、持て。非常に重要だ」
 我は盃を空にし、焚き火に一礼する。火は小さく弾け、どこかでカルラが「いってらっしゃい」と笑った気がした。

 谷底の灯は、すでに眠っている。山の尾根を越える風だけが起きていて、星図の新しい線に沿うように頬を撫でた。
 遠くで、研究者たちの足跡がまたひとつ山道に刻まれていく。彼らは彼らの器で、彼らの物語を織る。よい。好きに織れ。
 我が主人は我が主人の器で、世界の継ぎ目を読む。その先に何があるかは、誰にも決められない。

 ――我? 我は酒をもらえればそれでよい。
 それでもなお、ひとつだけ欲を言うならば。
 我が主人よ、あなた様が辿り着く光景を、この目でご一緒に眺めさせていただきたい。炎の奥でカルラが頷き、風の輪の中で子らが笑い、世界樹の根がいつも通り土を押し上げている。そんな、当たり前の夜のままに。

 星はまたひとつ瞬き、砂の紋様に新しい点が灯った。
 道は、もう見えている。
 我らはただ、並んで歩けばいい――我が主人の歩幅に合わせて。

しおりを挟む
感想 6

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(6件)

道産子
2025.10.07 道産子

ボンボンの名前の「ヤクドル」を「ヤクルト」と読んでしまいました。すみません……m(__)m

解除
ぽんた
2022.09.20 ぽんた

 こんにちは。リッカさんと一緒に世界のいろんな謎を読み解く旅、とっても楽しかったです。旅の感想をお伝えしたく、たったかキーボードを叩いております。
 転生系で完結済みの作品を探していたところ、このお話に出会いました。あらすじとタイトルが気になり、徹夜で最後まで読破させて頂きました。

 リッカさんのお家がある森や精霊の聖地の情景、町並みとか、白い森の景色、想像するとワクワクして、隣や後ろを歩いているような気になりました。
 ギルドの面々サイドの話が挟まる時の、特にサブマスさんが好きです。良いお父さんなのに、魔法のことに関して興味津々でめちゃくちゃ少年なところ、良いなあと思いました。
 セカイさんにお祈りが届く場面のところとか、精霊さんたちの反応、周りの人々の反応がかわいくて、神気ってどんな感じだろう、とか想像を膨らませてました。
 あとがきにて、終わり方を迷ったと仰られていますが、すごく落ち着くと言うか、ホッと安堵するような終わり方で、優しい世界観の中の少しの闇と言うか、世界に寄り添っている、世界の意識的な部分が見えて、とても好きでした。
 細かく書くと延々出てくる気がするのですが、徹夜の朝日が眩しいのでそろそろ寝ます。今日は(今朝は)良い夢が見られそうです。長文読んでいただきありがとうございました。

解除
璃紅
2020.12.27 璃紅

最近読み始めた小説のなかで、一番のお気に入りです。
更新楽しみに待ってます!

2020.12.28 ひらえす

ありがとうございます。何よりの励みになります!面白くなる様に頑張りますので、また読みに来てくださると嬉しいです。よろしくお願いします。

解除

あなたにおすすめの小説

異世界に転生したので幸せに暮らします、多分

かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。 前世の分も幸せに暮らします! 平成30年3月26日完結しました。 番外編、書くかもです。 5月9日、番外編追加しました。 小説家になろう様でも公開してます。 エブリスタ様でも公開してます。

【完結】異世界に召喚されたので、好き勝手に無双しようと思います。〜人や精霊を救う?いいえ、ついでに女神様も助けちゃおうと思います!〜

月城 蓮桜音
ファンタジー
仕事に日々全力を注ぎ、モフモフのぬいぐるみ達に癒されつつ、趣味の読書を生き甲斐にしていたハードワーカーの神木莉央は、過労死寸前に女神に頼まれて異世界へ。魔法のある世界に召喚された莉央は、魔力量の少なさから無能扱いされるが、持ち前のマイペースさと素直さで、王子と王子の幼馴染達に愛され無双して行く物語です。 ※この作品は、カクヨムでも掲載しています。

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

異世界に転生したけど、頭打って記憶が・・・え?これってチート?

よっしぃ
ファンタジー
よう!俺の名はルドメロ・ララインサルって言うんだぜ! こう見えて高名な冒険者・・・・・になりたいんだが、何故か何やっても俺様の思うようにはいかないんだ! これもみんな小さい時に頭打って、記憶を無くしちまったからだぜ、きっと・・・・ どうやら俺は、転生?って言うので、神によって異世界に送られてきたらしいんだが、俺様にはその記憶がねえんだ。 周りの奴に聞くと、俺と一緒にやってきた連中もいるって話だし、スキルやらステータスたら、アイテムやら、色んなものをポイントと交換して、15の時にその、特別なポイントを取得し、冒険者として成功してるらしい。ポイントって何だ? 俺もあるのか?取得の仕方がわかんねえから、何にもないぜ?あ、そう言えば、消えないナイフとか持ってるが、あれがそうなのか?おい、記憶をなくす前の俺、何取得してたんだ? それに、俺様いつの間にかペット(フェンリルとドラゴン)2匹がいるんだぜ! よく分からんが何時の間にやら婚約者ができたんだよな・・・・ え?俺様チート持ちだって?チートって何だ? @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 話を進めるうちに、少し内容を変えさせて頂きました。

神による異世界転生〜転生した私の異世界ライフ〜

シュガーコクーン
ファンタジー
 女神のうっかりで死んでしまったOLが一人。そのOLは、女神によって幼女に戻って異世界転生させてもらうことに。  その幼女の新たな名前はリティア。リティアの繰り広げる異世界ファンタジーが今始まる!  「こんな話をいれて欲しい!」そんな要望も是非下さい!出来る限り書きたいと思います。  素人のつたない作品ですが、よければリティアの異世界ライフをお楽しみ下さい╰(*´︶`*)╯ 旧題「神による異世界転生〜転生幼女の異世界ライフ〜」  現在、小説家になろうでこの作品のリメイクを連載しています!そちらも是非覗いてみてください。

【完結】憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅

あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり? 異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました! 完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。

異世界成り上がり物語~転生したけど男?!どう言う事!?~

ファンタジー
 高梨洋子(25)は帰り道で車に撥ねられた瞬間、意識は一瞬で別の場所へ…。 見覚えの無い部屋で目が覚め「アレク?!気付いたのか!?」との声に え?ちょっと待て…さっきまで日本に居たのに…。 確か「死んだ」筈・・・アレクって誰!? ズキン・・・と頭に痛みが走ると現在と過去の記憶が一気に流れ込み・・・ 気付けば異世界のイケメンに転生した彼女。 誰も知らない・・・いや彼の母しか知らない秘密が有った!? 女性の記憶に翻弄されながらも成り上がって行く男性の話 保険でR15 タイトル変更の可能性あり

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。