3 / 11
3 悪いひと
しおりを挟む
幸いにもコンサートの時のもめ事は兄に知られずに済んだようだと、私は三日が過ぎる頃にほっと胸を撫で下ろした。
「お嬢様、お客様です」
午前十時を少し回る時間帯、手習いである琴の先生がお帰りになった直後のことだった。
「どのようなご用件でしょう?」
「お嬢様にお助け頂いたということで、お礼の品をお持ちしたとのことですが」
「助けた?」
そのようなことがあったかしらと首を傾げた時だった。
「レオニード・カルナコフという方だそうです」
私は思わず使用人の前で声を上げそうになる。
どうしてカルナコフさんがここにと、信じられない思いで必死に驚きの声を飲みこむ。
「追い返しましょうか」
「いいえ」
咄嗟に否定の言葉が出てしまった。それをさらに覆すことも私にはできなかった。
「お会いしましょう。案内してください」
なんとかそれだけ告げると、私は使用人の後に続いた。
廊下を渡って母屋の方にある客室に足を踏み入れる。
カルナコフさんは障子を開いて朝の日差しの中に立っていた。日本家屋の中で銀髪碧眼の彼は明らかに異質で、クリスタルの細工物のように透明な輝きを放っていた。
「……おはようございます」
家の中とはいえ私の側には常に人がいる。私の言動一つでもすぐに兄に伝わってしまう。
ためらいながら私が口を開くと、彼はくすっと笑う。
『秘密の言葉で話そうか?』
はっとして顔を上げる。カルナコフさんは悪戯っぽく首を傾げて私を見ていた。
『この家であなたの言葉がわかるのは私と兄だけだと思います』
『そう。じゃあ肩の力を抜けばいいんじゃない?』
彼はさらりと言葉を口にする。
『この間は君に助けてもらったからね。お礼に、君のお願いを一つ聞くよ』
『とんでもない。私が勝手にしたことです。それより』
私は目を伏せて首を横に振る。
『私とは関わり合いにならない方がよろしゅうございます。表からお越しになったなら、私がどういった家の者かはおわかりでしょう?』
『うん。ヤクザ屋さんだね』
カルナコフさんはあっさりと認めて続ける。
『でもそれは君に会った時からわかってたことだよ。君を監視してるその筋の人を何人も見かけたからね』
『え……』
『住所を調べた時に、君のお兄様がその頭だってことも知った』
にこと底の見えないような笑い方をして、彼は目を細める。
『まあそんなことは僕にはどうでもいいことだよ。それで、君は僕に何を望む?』
『望むだなんて、そんな……』
『欲しくないなら何もあげないよ。今度こそさよなら。それでいい?』
私は言葉に詰まった。
「お嬢様、何の話をしていらっしゃるのですか?」
困った様子の私に、控えていた家の者が怪訝そうに近付いてくる。
私は俯いてから、意を決して顔を上げた。
『……あなたの時間を少し頂けますか。私に、あなたと過ごす時間を』
カルナコフさんは優雅に笑い返した。
『いいよ。でもそれはここでは自由にできないね』
カルナコフさんは辺りを見回して、一つ頷く。
『場所を変えよう』
ふいに離れの方が騒がしくなった。家の者たちが集まる気配を感じる。
私はあまりのタイミングの良さに、咄嗟に使用人へ振り向いていた。
「様子を見て来てください」
「いや、しかし」
「行きなさい」
私が短く命じると控えの者が出て行って、私はカルナコフさんと二人きりになる。
「こっち」
彼は手招きをして、私を玄関とは逆の方へと導いた。
巧みに人のいない場所をくぐりぬけて裏口まで来ると、彼は私を連れていとも簡単に家の外に出てしまった。
「あなたは何者なのですか?」
「誘拐犯」
路地にたてかけてあったバイクをけとばしてエンジンをかけると、彼はヘルメットを私に投げてよこす。
「ハルカ、誘拐されてみる?」
大輪の花のような微笑を刻んで、カルナコフさんは振り向いた。
「……あなたは悪い人なんですね」
私はそんな彼に見とれた自分に呆れながら、ヘルメットを被った。
「お嬢様、お客様です」
午前十時を少し回る時間帯、手習いである琴の先生がお帰りになった直後のことだった。
「どのようなご用件でしょう?」
「お嬢様にお助け頂いたということで、お礼の品をお持ちしたとのことですが」
「助けた?」
そのようなことがあったかしらと首を傾げた時だった。
「レオニード・カルナコフという方だそうです」
私は思わず使用人の前で声を上げそうになる。
どうしてカルナコフさんがここにと、信じられない思いで必死に驚きの声を飲みこむ。
「追い返しましょうか」
「いいえ」
咄嗟に否定の言葉が出てしまった。それをさらに覆すことも私にはできなかった。
「お会いしましょう。案内してください」
なんとかそれだけ告げると、私は使用人の後に続いた。
廊下を渡って母屋の方にある客室に足を踏み入れる。
カルナコフさんは障子を開いて朝の日差しの中に立っていた。日本家屋の中で銀髪碧眼の彼は明らかに異質で、クリスタルの細工物のように透明な輝きを放っていた。
「……おはようございます」
家の中とはいえ私の側には常に人がいる。私の言動一つでもすぐに兄に伝わってしまう。
ためらいながら私が口を開くと、彼はくすっと笑う。
『秘密の言葉で話そうか?』
はっとして顔を上げる。カルナコフさんは悪戯っぽく首を傾げて私を見ていた。
『この家であなたの言葉がわかるのは私と兄だけだと思います』
『そう。じゃあ肩の力を抜けばいいんじゃない?』
彼はさらりと言葉を口にする。
『この間は君に助けてもらったからね。お礼に、君のお願いを一つ聞くよ』
『とんでもない。私が勝手にしたことです。それより』
私は目を伏せて首を横に振る。
『私とは関わり合いにならない方がよろしゅうございます。表からお越しになったなら、私がどういった家の者かはおわかりでしょう?』
『うん。ヤクザ屋さんだね』
カルナコフさんはあっさりと認めて続ける。
『でもそれは君に会った時からわかってたことだよ。君を監視してるその筋の人を何人も見かけたからね』
『え……』
『住所を調べた時に、君のお兄様がその頭だってことも知った』
にこと底の見えないような笑い方をして、彼は目を細める。
『まあそんなことは僕にはどうでもいいことだよ。それで、君は僕に何を望む?』
『望むだなんて、そんな……』
『欲しくないなら何もあげないよ。今度こそさよなら。それでいい?』
私は言葉に詰まった。
「お嬢様、何の話をしていらっしゃるのですか?」
困った様子の私に、控えていた家の者が怪訝そうに近付いてくる。
私は俯いてから、意を決して顔を上げた。
『……あなたの時間を少し頂けますか。私に、あなたと過ごす時間を』
カルナコフさんは優雅に笑い返した。
『いいよ。でもそれはここでは自由にできないね』
カルナコフさんは辺りを見回して、一つ頷く。
『場所を変えよう』
ふいに離れの方が騒がしくなった。家の者たちが集まる気配を感じる。
私はあまりのタイミングの良さに、咄嗟に使用人へ振り向いていた。
「様子を見て来てください」
「いや、しかし」
「行きなさい」
私が短く命じると控えの者が出て行って、私はカルナコフさんと二人きりになる。
「こっち」
彼は手招きをして、私を玄関とは逆の方へと導いた。
巧みに人のいない場所をくぐりぬけて裏口まで来ると、彼は私を連れていとも簡単に家の外に出てしまった。
「あなたは何者なのですか?」
「誘拐犯」
路地にたてかけてあったバイクをけとばしてエンジンをかけると、彼はヘルメットを私に投げてよこす。
「ハルカ、誘拐されてみる?」
大輪の花のような微笑を刻んで、カルナコフさんは振り向いた。
「……あなたは悪い人なんですね」
私はそんな彼に見とれた自分に呆れながら、ヘルメットを被った。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
王宮地味女官、只者じゃねぇ
宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。
しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!?
王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。
訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ――
さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。
「おら、案内させてもらいますけんの」
その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。
王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」
副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」
ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」
そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」
けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。
王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。
訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る――
これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。
★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる