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4 彼の心配事
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三者面談に来たのはこれで三度目になるが、希乃はほとんど話せないまま終わってきていた。
めったに学校に来れない自分は先生にとってお荷物の生徒に違いないと負い目があったし、そんな自分の保護者として出向く司にも迷惑をかけ通しだと思っているからだった。
「先生、学校での希乃はどうだろう。ちゃんと食べているだろうか?」
開口一番に司が切り出したのは、いつもと同じ始まりだった。
高校生にもなれば学業が主な話題だと思うのに、司は一度も学業のことを持ち出したことがない。彼が一番知りたいのは、希乃が八歳の頃から変わらず、小さな子どもに対する心配事と変わらないのだった。
それに返す担任の先生の顔は、いつも引きつっていた。高校生に対する関心事とは思えない問いかけに絶句して、けれど彼の極道という背景に、うっかり笑うこともできなかった。
ところが今年の担任である森川は、動揺らしい動揺を表情に浮かべずにさらりと返した。
「お弁当の量が多いんじゃないでしょうか。いつも申し訳なさそうに持って帰っています」
事実をそのまま言った森川に、希乃は穴に入りたい思いでうつむいた。
希乃はお弁当を自分で作ろうとするのだが、一度も実現したことがない。代わりに持たされるのは、橘家の料理人が朝早くから作った、老舗料亭の仕出し弁当のような豪奢な代物だった。
「希乃には食物アレルギーがある。食も細い。既製品は食べられないし、そんなものは食べなくていい。なに、普段食べる量より多めに持たせてあるから残して当然だ。そうか、お腹を空かせていないならそれでいい……」
司は慈しみのまなざしで希乃を見やってから、森川に問いを重ねた。
「いじめられてはいないか?」
「大人しくて、人に近づくのを怖がっているような素振りがあります。逆に私から、いじめられていないか訊きたいのですが……」
「……なに?」
司はすっと目に冷たい光を宿して、危うい目で希乃に振り返る。
「希乃、誰かに意地悪されたか? ……まさか怖いこと、されなかっただろうな?」
もしされたと言ってしまったら相手にどんな報復をするのだろうと思うくらい、司の目の奥の光は恐ろしいものがあった。
「な、なに、も……」
希乃は慌ててふるふると首を横に振ると、話題を変えてくださいと縋るようなまなざしで森川を見た。
森川は別段の体温を感じない目でそれを受け止めて、ただ希乃の願い通り、露骨に話題は変えてくれた。
「それより希乃さんは、真面目で勉強熱心な生徒です。休みがちですが、代替レポートはきちんと提出しています。進学にも……」
「勉強はどちらでもいいんだ」
司は先ほどまでの話題で見せた裏の顔とは打って変わって、甘やかに微笑する。
「希乃がお腹を空かせていなくて、泣いていないなら、足し算なんてできなくていいし、漢字なんて書けなくてもいい。かわいいかわいい、うちの子なんだから」
その過保護の域を超えた慈愛に、今までの先生は一種の恐怖を浮かべて黙ってしまった。
「……橘さん」
ただ希乃にとって驚きだったのは、四月から担任になったこの森川という先生は、無関心そうに見えて生徒思いの顔を持っていることだった。
「進路の話をしましょう」
「進路? 何の話だ。希乃はずっと」
「希乃さんは、就職を希望されています」
森川が机に出した紙に、司がいぶかしげに目を細める。
希乃が事前に森川に提出した進路票は、震える手で「介護職に就職」と書いてあった。
資産家の娘がほとんどを占めるこの学園では、いずれ親の勧める相手と結婚させることが前提だからか、あまり進学そのものには力を入れていない。ただそれでもこの時代の体面上、大学に進学させるのは普通で、希乃のように就職と書く生徒はめったにいなかった。
森川は希乃を視界に収めながら、聞き違えることのないようはっきりと言う。
「お母様に障害があるので、世話をしながら働けるように、介護の資格を取りたいとご本人から聞きました」
希乃自身が寝込んでばかりなのに世話をする側の仕事などできないだろうと、笑われることも考えた。
でもたとえ離れていたとしても、今でも母は希乃が庇ってやらなければいけない弱い存在で、心を寄せる愛しい家族だった。
「希乃……のばらさんの世話は何も心配いらないと、何度も話しただろう?」
司は怒る素振りもなく、ただ心配そうに希乃に声をかけた。
「八歳のときの事件はそんなに希乃の心を傷つけたんだな。それでまさか、介護の資格を取りたいだなんて……」
司は深くため息をついて、考え込むように沈黙した。
森川がその沈黙をどう取ったかはわからないが、教師として言うべきことはきちんと告げた。
「卒業は出席日数が厳しいですが、独学を続けて、代替レポートを重ねていけば不可能ではありません。私としては進学をお勧めしたいですが……まずは希乃さんとよく話し合ってください」
沈黙する司と希乃を見据えたまま森川が言って、三者面談はそれで終わった。
「……あ」
「希乃」
面談室を出ると、希乃はいきなり司に抱きしめられた。
人が通りかかるかもしれないと慌てた希乃に構わず、司は希乃の背をさすってその場を動こうとしない。
「つかさ、さま……?」
「俺が足らなかったな……。希乃はずっと、不安だったんだな。ごめんな」
希乃は小さい頃から包まれたその力強い腕に、親以上の安息を感じるのを止められなかった。
「……希乃が傷を忘れるように。これからはもっともっと、めいっぱい、愛情をかけてやるからな……」
先生の意図と司の意思はどこか食い違っていると思いながら、希乃は立ちすくんでその抱擁を受けていた。
めったに学校に来れない自分は先生にとってお荷物の生徒に違いないと負い目があったし、そんな自分の保護者として出向く司にも迷惑をかけ通しだと思っているからだった。
「先生、学校での希乃はどうだろう。ちゃんと食べているだろうか?」
開口一番に司が切り出したのは、いつもと同じ始まりだった。
高校生にもなれば学業が主な話題だと思うのに、司は一度も学業のことを持ち出したことがない。彼が一番知りたいのは、希乃が八歳の頃から変わらず、小さな子どもに対する心配事と変わらないのだった。
それに返す担任の先生の顔は、いつも引きつっていた。高校生に対する関心事とは思えない問いかけに絶句して、けれど彼の極道という背景に、うっかり笑うこともできなかった。
ところが今年の担任である森川は、動揺らしい動揺を表情に浮かべずにさらりと返した。
「お弁当の量が多いんじゃないでしょうか。いつも申し訳なさそうに持って帰っています」
事実をそのまま言った森川に、希乃は穴に入りたい思いでうつむいた。
希乃はお弁当を自分で作ろうとするのだが、一度も実現したことがない。代わりに持たされるのは、橘家の料理人が朝早くから作った、老舗料亭の仕出し弁当のような豪奢な代物だった。
「希乃には食物アレルギーがある。食も細い。既製品は食べられないし、そんなものは食べなくていい。なに、普段食べる量より多めに持たせてあるから残して当然だ。そうか、お腹を空かせていないならそれでいい……」
司は慈しみのまなざしで希乃を見やってから、森川に問いを重ねた。
「いじめられてはいないか?」
「大人しくて、人に近づくのを怖がっているような素振りがあります。逆に私から、いじめられていないか訊きたいのですが……」
「……なに?」
司はすっと目に冷たい光を宿して、危うい目で希乃に振り返る。
「希乃、誰かに意地悪されたか? ……まさか怖いこと、されなかっただろうな?」
もしされたと言ってしまったら相手にどんな報復をするのだろうと思うくらい、司の目の奥の光は恐ろしいものがあった。
「な、なに、も……」
希乃は慌ててふるふると首を横に振ると、話題を変えてくださいと縋るようなまなざしで森川を見た。
森川は別段の体温を感じない目でそれを受け止めて、ただ希乃の願い通り、露骨に話題は変えてくれた。
「それより希乃さんは、真面目で勉強熱心な生徒です。休みがちですが、代替レポートはきちんと提出しています。進学にも……」
「勉強はどちらでもいいんだ」
司は先ほどまでの話題で見せた裏の顔とは打って変わって、甘やかに微笑する。
「希乃がお腹を空かせていなくて、泣いていないなら、足し算なんてできなくていいし、漢字なんて書けなくてもいい。かわいいかわいい、うちの子なんだから」
その過保護の域を超えた慈愛に、今までの先生は一種の恐怖を浮かべて黙ってしまった。
「……橘さん」
ただ希乃にとって驚きだったのは、四月から担任になったこの森川という先生は、無関心そうに見えて生徒思いの顔を持っていることだった。
「進路の話をしましょう」
「進路? 何の話だ。希乃はずっと」
「希乃さんは、就職を希望されています」
森川が机に出した紙に、司がいぶかしげに目を細める。
希乃が事前に森川に提出した進路票は、震える手で「介護職に就職」と書いてあった。
資産家の娘がほとんどを占めるこの学園では、いずれ親の勧める相手と結婚させることが前提だからか、あまり進学そのものには力を入れていない。ただそれでもこの時代の体面上、大学に進学させるのは普通で、希乃のように就職と書く生徒はめったにいなかった。
森川は希乃を視界に収めながら、聞き違えることのないようはっきりと言う。
「お母様に障害があるので、世話をしながら働けるように、介護の資格を取りたいとご本人から聞きました」
希乃自身が寝込んでばかりなのに世話をする側の仕事などできないだろうと、笑われることも考えた。
でもたとえ離れていたとしても、今でも母は希乃が庇ってやらなければいけない弱い存在で、心を寄せる愛しい家族だった。
「希乃……のばらさんの世話は何も心配いらないと、何度も話しただろう?」
司は怒る素振りもなく、ただ心配そうに希乃に声をかけた。
「八歳のときの事件はそんなに希乃の心を傷つけたんだな。それでまさか、介護の資格を取りたいだなんて……」
司は深くため息をついて、考え込むように沈黙した。
森川がその沈黙をどう取ったかはわからないが、教師として言うべきことはきちんと告げた。
「卒業は出席日数が厳しいですが、独学を続けて、代替レポートを重ねていけば不可能ではありません。私としては進学をお勧めしたいですが……まずは希乃さんとよく話し合ってください」
沈黙する司と希乃を見据えたまま森川が言って、三者面談はそれで終わった。
「……あ」
「希乃」
面談室を出ると、希乃はいきなり司に抱きしめられた。
人が通りかかるかもしれないと慌てた希乃に構わず、司は希乃の背をさすってその場を動こうとしない。
「つかさ、さま……?」
「俺が足らなかったな……。希乃はずっと、不安だったんだな。ごめんな」
希乃は小さい頃から包まれたその力強い腕に、親以上の安息を感じるのを止められなかった。
「……希乃が傷を忘れるように。これからはもっともっと、めいっぱい、愛情をかけてやるからな……」
先生の意図と司の意思はどこか食い違っていると思いながら、希乃は立ちすくんでその抱擁を受けていた。
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