29歳のいばら姫~10年寝ていたら年下侯爵に甘く執着されて逃げられません

越智屋ノマ

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【12】シスターではなく……?

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「これからは『シスター』ではなく、ただ、エルダと呼んでもいいですか? 私はあなたを名前で呼びたい」
熱を帯びた瞳で、ラファエル様はそう言った。私の腰に手を添えて、反対の手で優しく私の手を握りながら、少しずつ距離を狭めてくる。

(え? ちょっと待って、なんで呼び捨て? というか何、この状況!?)
おかしい。この距離感はどう考えても近すぎる。
たとえ子ども時代のことで深い恩義を感じてくれているとしても、名前で呼んだり私専用のお花畑を作ってくれたりするのは、行きすぎというか何というか……いえ、嬉しいけれど。嬉しいけれど……!?

「…………だっ」
私は上ずった声で彼を制止した。

「だっ……だだだ、だめですよ。呼び捨ては、絶対にダメです。これでも私、シスターですので! お互い、立場は、きちんとしませんと」

そう叫びながら、全力で彼を押しのける。
「私は自分の職務に、ほ、誇りをですね、持っていますので!! これからも『シスター』って呼んでくださいね!」

ラファエル様は、ぽかんとしていた。だが、次の瞬間、
「……………………なるほど?」

(――ひっ!?)
私の背筋がぞくりと凍った。ラファエル様が、異様な圧のこもった微笑を私に向けてきたからだ。
(な、なに、その笑い方。……ひょっとして、イラっとしてる!?)

「あなたは職務に誇りをお持ちなんですね、大変すばらしい。……ですが残念ながら、あなたはすでに修道女んですよ」

「へ?」
今度は、私がぽかんとする番だった。

「ずっと言いそびれていたのですが、あなたが昏睡に陥っていた間に、正式な除籍手続きを済ませておきました。ですので、あなたはすでに修道会所属のシスターではありません」
と、美しい微笑を溜めながら、彼は言った。

「なっ!?」
何よ、その話……!? 私はラファエル様の肩を掴まえて「うそでしょ!?」と叫んでいた。

「だって私、死ぬまで修道女のはずですよ? そういう手続きを、ミリュレー修道院に入る前に済ませていたんですから」
「知っています。ですが、侯爵家の権限でそれを撤回させていただきました」
「!?」
「修道女のままだと宗教上の制限によって長期延命措置を受けさせることができなかったので、やむを得ず。権力と財力に物を言わせれば、多少の無理は通るものです」

「~~~~~っ!!!」
言葉にならない叫びをあげて、私はパニックになっていた。

(それじゃあ私、本当はとっくにシスターじゃなくなっていたの!? ミモザ達も、全部知ってて『シスター』って呼んでくれてたわけ!?)
がっくりとうなだれて、言葉が何も出てこない。しばらくそのまま静止していると……。

「少し意地悪な言い方をしてしまいましたね」
と、申し訳なさそうな声でラファエル様が言ってきた。

ちらりと、彼のほうを見る。さっきまでの凄絶な笑みや熱を孕んだ表情とは違って、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。

「大人げない態度を取って、すみませんでした。あなたを敬う気持ちは、今も昔も変わりませんよ。むしろ昔より、ずっと深くなっているくらいです」
「……ラファエル様」
「いつかは事実を伝えなければとは思っていましたが、あなたが望むならこれまで通りにシスターと呼ばせていただきます」
「…………」

少し考え込んでから、私は深呼吸をした。
冷静に頭を巡らせれば、私のするべき発言はひとつしかない。

「……いえ。これからは、『シスター』でなくて結構です。私も、きちんと現実を受け入れて前を見なければいけませんからね」
私がそう言うと、ラファエル様は美しい目を大きく見開いた。

――そう。これは現実なのだ。シスターだった過去を卒業し、私は新しい道に進まなければいけない。
これからどう生きるか全然見通しが立たないけれど、それでも前を向いて生きよう――そんな気持ちで『名前で呼んでください』と頼んだ。

――ところが。

「わかりました。エルダ」
(……ぐはっ)
艶のある声で囁かれ、何かに射抜かれた気がした。この人の声音は芳醇なワインのようで、無防備に聞くと酔いしれそうだ。

(ど、動悸が……。落ち着きなさい私。たかが名前を呼ばれたくらいで、何をうろたえているの……)
と、私が心を鎮めていると。

「本当に嬉しいです。あなたと前に、大切なことを伝えられて良かった」
「……会えなくなる前?」

驚いて問い返すと、彼は寂しそうに微笑していた。
「ええ。実は来週から、1か月半ほど所領に戻らなければなりません。普段は家令に領地の管理を任せているのですが、今回はどうしても外せない仕事がありまして」
「そうなんですか」

ラファエル様の長期不在なんて、私が目覚めて以来初めてだ。毎日一緒にいてもらっていたから、彼のいない生活が想像できない。

「エルダのリハビリを近くで見守れないのが、心配でたまりません。いっそ一緒に所領へ連れて行ってしまいたいくらいですが、さすがに遠出はまだできませんからね」

「心配性ですね、ラファエル様は」
彼の心配そうな顔を見ていたら、つい笑ってしまった。

そういえばこの人は子どもの頃から意外と心配性で、私が力仕事をしたり、高い梯子に登ったりするたびに不安がっていた。『シスターはあぶないから、ぼくがやるよ!』って、小さい騎士みたいで可愛かったな……。

「行ってらっしゃい。お帰りをお待ちしていますね。ご不在の間も毎日リハビリを進めておきますから、安心してください」
「エルダ……」
「ご不在は1か月半の予定ですね? それじゃあ、あなたが戻る前にきちんと歩けるようになっておきます」

なぜか、彼は切なそうな顔をした。ひとつ溜息をつくと、私の頬へと手を伸ばす。

(――え?)

彼の掌は私の頬をかすってから、うなじのほうへと流れていった。そして、髪を束ねていたリボンをしゅるりと抜き取ってしまう。
「ラファエル様……?」
空色のリボンが解かれ、私の赤毛が春風に舞った。

リボンをぎゅっと握った彼は、それを自身の口元に寄せた。
「このリボンを私に下さい。会えない間はこれを肌身放さずに、毎日エルダを想います」
(そんな、恋人じゃあるまいし……)

恋人。という言葉をふと思い浮かべてしまい、そわそわしてしまった。

「ええと、どうぞ? リボンなんて、もちろん1本でも2本でも! ……というか、私のリボンも服もすべて侯爵家の購入品じゃありませんか」
あはははは。と誤魔化し笑いのような態度を取った私を、ラファエル様は表情を薄くして見つめていた。

「――どうやら私には、尚一層の努力が必要なようですね」
「えっ。ちょっと……」
彼はガセボの椅子から私を抱き上げて、花園の出口に向かった。私を車椅子に座らせると、ゆっくりと押して進める。

「せっかくですので、もう少し屋敷を見て回りませんか? この侯爵邸内には、きれいな場所がたくさんあります。私が時間をかけて、一本ずつ丁寧に雑草を抜きました。エルダと安心して暮らせる環境を作ったつもりです」


そう言って、ラファエル様は車いすを転がしていった。

「所領での件が済み次第、できるだけ早く戻ります。私が不在にしている間に、エルダがいなくなってしまうのではないかと思うと生きた心地がしませんので」

私って、意外と信用がないのだろうか……? いくらなんでも、勝手にいなくなったりはしないのに。

「大丈夫ですよ、ラファエル様ったら」
彼を安心させようと思い、車椅子からふり返って笑みを浮かべた。でも、ラファエル様は相変わらず物言いたげな顔をしていた――。
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