ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版

人の海

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クララ、グラント将軍歓迎会に参加するのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第83回  クララ、グラント将軍歓迎会に参加するのこと

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 今回分は、世界漫遊旅行の道中、日本へとやって来た南北戦争の英雄にして、元アメリカ大統領グラント将軍の歓迎会の模様がメインとなります。

明治12年6月26日 木曜 
 ダイアー夫人の家で開かれた東京図書クラブの打ち合わせ会に行って楽しかった。
 ド・ボワンヴィル夫人、アンダーソン夫人と一緒に行った。
 出席者は、私たちとダイアー夫人の他、グレイ夫人、ダイヴァーズ夫人、ジェームズ夫人、ウィラン夫人、ブッケマ夫人と、プリマドンナのメイエ夫人で、会員が三十人もいるのに出席者は少数だった。
 男の人に特に出席するよう要請したのだが、誰も出なかった。
 ダイヴァーズ教授の家で、アジア協会の会合があるせいだろう。
 本務とは必ずしも関係のない話で沢山とても気の利いた意見もあった。
 ド・ボワンヴィル夫人はストーン氏からの手紙を読んだ。
「雑紙等が不規則なので新しい配布方法をとってはどうか?」というものだった。
「それならば現在、雑紙の配布を受け持っているウッドの代わりにストーン氏に頼んだらどうです?」
 ということで、長い討論があった。
 遂に投票になり、大多数がウッドに投票したので、ストーン氏はやめになった。
 それから新しい会長、初期、会計、図書委員の投票があった。
 会長はケネディー夫人、書記ブッケマ夫人、会長メイエ夫人、図書委員はド・ボワンヴィル夫人。
 夫人が病気だったり、忙しい時は代理を務める副図書委員が私だった。
 土曜の午前中ずっと本や雑紙に囲まれて過ごすことができるなんて、私には最高の場所だ!
 六時ちょっと過ぎに、十分満足して帰った。
 会に出席していたアメリカ人は私一人で、フランス人、ドイツ人、スコットランド人、イギリス人は全部出席していた。
 私の友達の大部分はイギリス人かスコットランド人のようだ。
 ド・ボワンヴィル夫人はアンダーソン夫人を自分の車で送っていったが、私は虎ノ門まで歩いてから、人力車を拾った。
 その車夫が「ディクソンさん、ヨロシイ、ヒカワチョウマデ」と云うので面白かった。
 ディクソン氏が私の家に来る時は、いつもこの男を雇うことが分かった。

明治12年6月29日 日曜 
 今朝、チャイナ号で郵便物が沢山届いた。
 ミス・ティクナーが、日本音楽についての私の論文に批評を沿え、嬉しいお手紙を下さった。
 美しい装丁の本も届いた。
 キーリーの『歴史のあけぼの』、ヒルの『修辞法の原理』とアラベラ・バックルの綿密な『科学の世界』の三冊だ。
 ビールズ夫人も私の修正したエッセーを返送して下さり、親切な手紙を書いて下さった。
 今朝の礼拝でインブリー氏が、口先だけの告白と心からの信仰について説教なさった。
 本当に私たちが告白をする時、感情に溺れて神の御心に背いてしまったり、心底そう思っていなかったりすることが多いのだ。
 日曜学校はうまくいき、新しい生徒も一人きた。
 今朝の祈祷会は二十六人出席で、とてもよかった。
 ミス・ホアは私たちと一緒にウィリイのいる金沢に行くことになると思う。

明治12年6月30日 月曜
 今日の午後、アジア協会に行き、サーネスト・サトウ氏の日本の儀式についての大変興味深い講演を聞いた。
 一八七九年の協会の行事は非常に面白くなりそうだ。

明治12年7月1日 火曜 
 今日、母とアディは用事で横浜へ行ったが、早く帰ってきた。
 私は留守番をしていた。
 母が帰るとすぐ、ユーイング夫妻がみえた。
 ミカドの音楽家であり、戦舞を大変美しく舞った柴田氏が、グラント将軍の歓迎会の音楽のことで相談に来られた。
 宮廷ブラスバンドは、グラント将軍のレセプションで演奏する適当な曲を集めるよう命じられたが、知っているのはスコットランドかフランスの曲ばかりなので困っているという。
 そこで「ヘイル・コロンビア」「星条旗よ永遠なれ」などを弾いてさしあげ、ディクソン氏から「勇者がやってくる」の楽譜をもらってあげると約束した。
 柴田氏はこの上もなく喜んで帰っていかれた。
 既に「ヤンキー・ドドール」は見つけておられたが、私はこの曲は好きではないので、外すように説き伏せた。
 将軍はこの卑しいしもべの心遣いを喜んで下さるかもしれない。

明治12年7月2日 水曜 
 今日開拓使へ行った。
 夜になってミス・ホア、マーシャル氏、ディクソン氏がいらっしゃり、とても楽しかった。
 ディクソン氏は病気はすっかり治ったが、まだやつれた様子だ。
 マーシャル氏は大きな日本地図を持って来られ「上田か高崎を通って行くなら、この道を行きなさい」と、金沢への道を教えて下さった。

明治12年7月4日 金曜
 今晩はグラント将軍の歓迎会。
 元々は父が私たちと一緒に来てくれる予定だった。
 しかし丁度お昼頃、ホートン夫人から「いっしょに行きませんか?」とお誘いがあったので、母と私は七時半に芝へ出発した。
 すぐにホートン氏の二輪馬車の後について上野に向かい、うちの使用人である田中は洒落た小さな車に乗って後から来た。
 途中、いろいろなところに寄り、危うく人を轢きそうになりながら、沿道の「人の顔の波」をぬって、上野精養軒の石の車寄せに着いた。
 クロークで上のものをとると、森氏がすぐに案内して下さり、気持ちの良い対応だった。
 お客は皆、食堂の後ろの玄関に集まっていた。
 お友達と一緒になって待っていると、やがて一瞬静まって「いらっした」という囁きが聞かれ、人々は将軍一行を通すためにさっと分かれた。
 最初に現れたのはグラント夫妻将軍。
 ヘイル・コロンビアの吹奏裡にしっかりした足取りでホールに入場され、最上段の席に着かれた。
 続いて、ヘップバン博士夫妻、マッカーティー博士夫妻、ビンガム駐日アメリカ公使、同令嬢、ワッソン夫人、ヴァン・ビューレン総領事、デニソン領事ら多数の人々がこれに続いた。
 それから一人一人歩み寄って将軍に謁見した。
 シモンズ博士が母を、森氏が私を紹介された。
 愛する祖国の前大統領との初めての会見に、私は名状しがたい気持ちに襲われた。
「初めまして、ミス・ホイットニー」
 暖かく私と握手され、親切に挨拶された。
 光輝ある星条旗の旗の下で、そのやさしい青い眼と正直そうに日焼けした顔を仰いだとき、私は感動の極に達し、祖国への誇りと、アメリカ人であるという歓びをかみしめた。
 祖国の恥辱となるような振る舞いをすることが決してありませんように。
 グラント将軍は、写真から想像するように、がっしりした体つきだが、背はそれほど高くなく、顎髭の正直そうな顔は、日にさらされたのと旅のお陰で焼けており、やさしげな青い眼と、親しみのもてる物腰だった。
 夫人の方は、ずんぐりした体形でいささかがっかりしたが、笑うと愛嬌があり、物の分かった親切な方のようだ。
「グラント夫人はヘイズ夫人より気取っているのよ」
 ビンガム夫人が以前そう云っておられた。
 噂によると、将軍がこの世で一番賢い人だと思っておられるそうだが、それもまあ当然だと思う。
 全員の紹介がすむと、ビンガム公使が短いスピーチをなさった。
「東京にいる外国人、特にアメリカ人は、偉大な勇者であり、政治家であるこのような方をお客として迎えることを名誉に思い、ここに歓迎会を開き、将軍にご出席頂き、ありがたく出席者一同、将軍が日本で愉快に過ごされますよう、実り多き旅とご多幸をお祈りします」
 大拍手の後、今度はグラント将軍が簡単な答礼をなさった。
「日本でかくも親切に歓迎されたことは大きな歓びであり、帰国後も忘れることはないでしょう」
 拍手が終わると、人々は夕食が美しく盛り付けられた食堂に移った。
 男の人たちは、女の人たちの欲しがる大量のアイスクリーム、レモネード、シャーロット・ルースを取るのに忙しく、自分たちの飲み物まで手がまわらなかった。

 次に、マッカーティ博士がテーブルを叩いて「合衆国大統領」に乾盃をした。
 これを受けて、ヘップバン博士がスピーチをなさった。
 大統領の苦難の道のりについて語り、尊敬は受けても大変な地位で羨ましい段ではないこと、そしてかつては国の支配者の地位まで登ったが、今は私たちとまったく変わりない立場にあられることなどを述べられた。
 博士は明らかにどぎまぎしていらした。
「博士、大統領になれるくらいのスピーチじゃありませんか?」
 スピーチが終わるとビンガム公使が肩を叩いて、そう軽く揶揄したので、みんな笑った。
 それから将軍は立ち上がるとベランダに出、葉巻に火をつけた。
 シルクハット――ここでは殆ど誰でもヘルメット帽か麦藁帽をかぶるのでまったく珍しい――を被って、煙草を吹かしている姿はとても自然だった。
 次に独立記念日を祝って乾盃し、来賓のアメリカ総領事、ヴァン・ビューレン氏がそれに応じてグラント将軍の偉大さと我が祖国について、滔々たる演説をなさった。
 私は教会での説教しか聞いたことがなかったので、ヴァン・ビューレン氏の迸るような雄弁ぶりにすっかり夢中になってしまった。
 大変威厳のある品の良い感じで、雪のように白く長い顎髭、幅広の肩にカールした白い髪が垂れかかり、深い黒い目は鋭いがやさしそうで、男らしいしっかりした足取り、声は力強く極めて音楽的だ。
 だが――書いてもよいだろうか? 
 この素晴らしい人は、外見とは裏腹に道徳的に堕落していて、しばしば大酒を飲んで“けだもの”となり果てるのだ。
 本当に矛盾そのものの人で、紳士的で礼儀正しいと同時に粗野で凶暴なごろつきであり、見かけは素晴らしいが中は腐っているのだ。
 ヴァン・ビューレン氏は生まれついての弁舌家で、ユーモアとペーソス、宗教と愛国心を効果的に混ぜ合わせる術をよく知っている。
 聴衆の反応は奇妙だった。
 今笑い転げていたかと思うと、遙か彼方の故郷や既に逝ってしまった愛する人々を思い起こして眼に涙を浮かべ胸が塞がるようになったり、祖国を困難からお救いになった神のことを、抑えた調子の深い音楽的な声で語ると、人々は自ずと頭を垂れ、また何か愛国心を煽るようなことを云うと、拍手喝采になるのだった。
 とても素晴らしい演説で、食事やその後のダンスと同じくらい楽しかった。
 その後、リッチモンド音楽隊がかなりの出来映えの演奏をし、客は皆、花火を打ち上げている池の方に出て行った。
 グラント将軍はフレッド大佐と葉巻を吸っておられたが、早くに迎えの車で帰られた。
 残った客の大部分は十二時までいた。
 横浜の人たちは二時まで待って、特別列車で帰った。
 私は家がそんなに遠くないのでよかったと思った。

 人影もない静かな通りを飛ばしてくると、7月4日の独立記念日には煌々と照っていた月が、笠を被って遠く霞み、お堀や厳めしい石垣に柔らかい光を投げ、うっとりするように美しかった。
 車がカタカタと通り過ぎると、お堀の上で眠っていた色鮮やかな水鳥は頭をさっと上げ、身を震わせ、皇居の杉の木の鳥の群れの見張りは目を覚まし、車夫の甲高いかけ声に張り合ってからかうように「カーカー」と鳴いた。
 それからマチへ入ったが、どこもかしこも静まりかえっていた。
 ただ頭を青い「ハンカチ」ですっぽりくるんで、目だけを出した怪しげな通行人が、懐を手にして、月明かりの下をとぼとぼ歩いていくのを見かけただけだった。
 ほとんどの家が閉まっており、戸の隙間から遅くまで勉強する光が漏れ、蚊取り線香の匂いが漂った。
 時々、二階の格子窓から通りを見下ろしている人影が見えた。
 蚊か蚤に喰われて眠れなくなったか、愛する人かいない人を思って月にそっと溜息をついている感傷的な若者だろう。
 日本の有名な詩にあるように「あなたを思うと、涙の川が枕の下を流れ、休みを知らない川藻のようだ」。
 速歩機を手に入れ、嬉しくて眠れなくなったらしい青年が、恐ろしいスピードで私たちの側を駆け抜け、ひやりとした。
 やっとお城の通りに来、虎ノ門の荘厳な遺跡を通り抜けると、工部大学校のキューポラの時計が、月明かりにくっきりと見え、一時を打った。
 これは恐ろしい場所と時間だ。
 五十年前、悲劇がここで起こったのだ!
 車夫の一人が云った。
「一時間早かったら、向こうの屋敷の門から、哀れな“おはつ”の亡霊が出てきて、悲鳴をあげながらお堀に身を投げるのを見られたかもしれないですよ」
 ああ、美しき乙女よ!
 もう不実な堪平を恨んで、山の神に丑の刻参りをすることもあるまい。
 安らかに眠りなさい。
 天空の罪なき世界で、もっと明るい運命が待っていたことでしょう。
 やがて二つの道の分岐点になる歴史的榎の大枝が広がった榎坂に着いた。
 ずっとずっと昔のこと、亡君の恨みを晴らすため、一隊の武士がこの木の下に集まり、今夜のような明るい月に向かって形見の血刀を抜き、速やかに復讐することを誓ったのだ。
 宮家のどっしりした門を左手に、広い急な坂を下り、サヤサヤ揺れる竹の葉の間を月光がチラチラ洩れ、松にあたって奇妙な影をなしている薄暗い小路に入った。
 夜番が手をあげて挨拶し、車夫は互いに励まし、門がさっと開かれる。
 門番が甲高い叫びをあげると、玄関に着物をヒラヒラさせ、明かりを持ってお辞儀をしている人影が見え、お寺の鐘がゴーンと二時を打つと、我が家だった。

【クララの明治日記  超訳版解説第83回】
「今回は何と云っても、グラント将軍の歓迎会の話ですわね」
「丁度独立記念日に来日し、そのまま歓迎会を開くなんて如何にもアメリカ人らしいよねー。
ということで、今回から数回にわたりクララの日記はグラント将軍特集になります」
「クララ、宗教心と同じくらい愛国心が強いですものね。
前大統領と直接話せて、よほど感激したのでしょう」
「こうやって見ると、クララって本当に絵に描いたような“保守的愛国者”だよね。
“キリスト教的愛国者”と言い換えても良いと思うけど」
「百三十年前のキリスト教徒としては、かなりリベラルな思想だとはでもあると思いますけれどもね。
 更に付け加えると、クララは特別に何処かの宗派の教義に傾倒していたわけではないことも注目すべきでしょう」
「クララの宗派絡みの話は面白い記述を見つけたのでまた改めてということで。
 今回はまず、グラント将軍の略歴を語ります」
「ただ超訳主、『アメリカ史は全然門外漢なのでもっぱらネット情報基準となる点はご容赦を』とことですわ」
「はい、それでは、早速解説を。
 第18代アメリカ大統領ユリシーズ・S・グラントは、1822年4月27日、オハイオ州で生を受けます。
 17歳のときに陸軍士官学校に入学したものの、卒業時の席次は39人中21番ということで、決して特筆すべき物ではありませんでした。
 これは軍人になってからも同様で、米墨戦争に従軍し、それなりに実績を残したものの、この最初の軍人生活の最終的な地位は中佐止まり。
 しかも1854年に、多量飲酒を理由に軍隊を辞職してしまいます」
「これ以降にもお酒絡みの話が出てくるところを見ると、よほど“呑兵衛”だったようですわね」
「で、軍を退役後はセントルイスで農場経営、不動産仲介業、そして最後にイリノイ州ガリーナで父親の皮革・金物店の経理助手として働いています。
 もしこのまま彼が父親の家業を継いでいたら、アメリカ史がどうなったのか、興味あるところだよね」
「ところが、転機が来る、のですわよね?」
「そう、1861年に勃発したアメリカ南北戦争。
 この年の4月、グラントは自ら募った志願兵を連れてイリノイ州に現れ、州知事は彼を大佐の地位で、歩兵連隊の連隊指揮官に命じます。
 ここからが奇跡の出世街道の始まり。
 同年8月には志願兵の准将に命じられ、西部戦線を任されているけれど、これは下院議員の進言にリンカーンが耳を傾けた結果だと言われていて、この時点で既に軍人として頭角を現していたことを裏付けています」
「激戦の最中、無能者を最前線に置く余裕なんてありませんものね。下手をすれば任命した自分が縛り首になるのですから」
「1862年2月になって東部では北軍の苦戦が続く中、西部では河川砲艦と奇襲を組み合わせて南軍拠点を奪取。
 西部戦線の東西河川交通の要衝を支配することにより、南部連合の中部と西部を分断する大戦略を可能にしたところなんて、ただの戦術家ではなく、大局を見うる戦略家だったことであることも証明してるわよね。
 事実その年の10月、有名なゲティスバーグの戦いの最終日の翌日に南部でのミシシッピ河の重要な渡河点であるビックスバーグ要塞を攻略。
 これにより南軍は東西に完全に分断され、この後、南軍の西部は完全に無力化されます。
 リンカーン大統領はそんなグラントを首都防衛と敵攻略を兼ねるポトマック軍司令官に任命。
 遂に東部戦線において北軍の全面攻勢が始まります」
「ついにアメリカ史上屈指の名将として名高いリー将軍との全面対決になるわけですわね?」
「確かにそうなんだけど、状況がここに至っては『グラント将軍=物量作戦 VS リー将軍=寡兵による防戦』って構図で二人の将軍としての優劣ってつけようがないんだよね。」
「つまり、戦略上で完全に優位に立った立場のグラント将軍に、戦術家としてのリーが対抗していた、と」
「そう、結局のところ、南軍が個々の戦いで一定以上の損害を北軍に与えても、完全に戦略上で優位な立場に立った北軍は痛くも痒くない、というわけ。
 事実、北軍はグラントのポトマック軍司令官就任後、約一年で南軍の首都リッチモンド攻略を成功させ、南北戦争に終止符を打っているからね。
 ということで、トータルで考えれば、戦略家としてのグラントが一枚も二枚も上手だったんだと思う。何故か今日の一般的な評価は逆転しているみたいだけど」
「恐らくそれは後の大統領としてのグラントの“実績”のせいでしょうね」
「……ま、“軍人としての優秀さ”と“政治家としての優秀さ”って、全く別のものだから仕方ないよね。
 ただ本人的には“平和主義者”で“お人好し”だったみたいだし、今日でも50ドル紙幣の肖像画になっていることから、アメリカ国民には今日でも親しまれてるんじゃないかな?」
「残念ながら、50ドル紙幣は一般的にごく僅かしか流通していませんけれどね」
「…………………アメリカはクレジットカードか小切手社会だから仕方ないよね。
 ともあれグラント将軍個人の資質については、この後のクララの日記でご確認下さい」
「それでは、長くなって参りましたので、今回のところはこの辺でお開きにしますわよ?」
「ちょっと待った! 最後に、グラント将軍の歓迎会の帰り道でのクララに、一言だけツッコミ。
『ただ頭を青い「ハンカチ」ですっぽりくるんで、目だけを出した怪しげな通行人が、懐を手にして、月明かりの下をとぼとぼ歩いていくのを見かけただけだった。』
 完璧に、絵に描いたような泥棒スタイルでしょ! とっとと通報なさいよ!!」
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