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クララ、イギリス女王に謁見する際のドレスの決まりごとを知るのこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記超訳版第96回 クララ、イギリス女王に謁見する際のドレスの決まりごとを知るのこと
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今回分は、帰国の予定をディクソン氏に伝えるクララ母、イギリス女王に謁見する際のドレスの決まりごと、そして勝家の隣人藤島氏の宗教問答の話がメインとなります。特に藤島氏の“キリスト教への疑問”は現在でもそのまま通用するものですから、興味のある方は是非。
明治12年11月6日 木曜
大山夫人の赤ちゃんの加減がとても悪く、今週はなかなか来られなかったので、寂しかった。
森有礼氏がイギリス公使として赴任されることは昨日聞いたばかりだ。
しかし今日、森氏はウィリイに「もしあなた方が倫敦に行くようなことがあったらどうぞ来て下さい」と仰ったそうだ。
母も倫敦の富田氏からお手紙を頂いたが、手紙の中で富田氏はディクソン氏の弟さんに会ったばかりですと書いていた。
その当の弟さんが今日本にいるのだから不思議な感じだ。
ドイツ語の授業の後、ディクソン氏はお茶に残った。
ウィリイは横浜に行ってしまっていたので、とても静かで楽しい夕べだった。
ディクソン氏はオルガンを弾き、私は洒落たレースを編んだ。
それから私がオルガンの弾き歌いをし、ディクソン氏はかたわらの椅子に坐って、とてもくつろいだ様子でアメリカの新聞を読んだ。
そのうち、私たちは出発のことについて話し出した。
「私たちは三月に帰国予定ですの」
母がそう云うと、ディクソン氏は「どのルートですか?」と聞いた。
「ロンドンとパリに寄ってみたいですので、ヨーロッパ周りのルートにしたいと思っています」
「もしロンドンに行かれたら絶対スコットランドまで行って、私の母と会って下さい」
「でも時間がないのではないかと思います。
ウィリイが六月までに帰国しなければならないものですから」
「ロンドンまでいらしておきながら、私たちを飛ばすなんてひどいですよ。本当にあんまりです。
それにエジンバラはロンドンと同じく由緒ある場所なんですよ」。
そしてディクソン氏はスコットランドの風景を鮮やかに描写しだした。
明治12年11月8日 土曜
今朝アディを連れて、英国大使館まで歩き、図書館でアストン氏に会った。
背が高く、黒い縮れ毛に、精悍な口ひげ、黒くキラキラした目をしたハンサムな人で、まるでスペイン人のようだ。
私が入ってきたので戸のところにさっと立った時は、本当にそうかと思ったほどだった。
「どうぞ、その暖炉のそばの椅子にお座り下さい。
ああ、なんでしたら、私が事務所の方に行っている間は、書斎もどうぞお使い下さい」
「お忙しいところをお邪魔をしたのでは?」
「いえ、ちょうど書きものを終えたところですので」
やがてブロンドで背が高く物憂げなアストン夫人が入ってきた。
「もうメイエ夫人が戻ってきているので、わざわざ遠いところをご面倒かけるのは気が引けますわ」
それからさも物憂げに二言、三言お愛想を云ったのだけど、私は何故かひどく腹が立った。
森氏は英国公使に任じられ、二週間後には出発なさるので、大好きな奥様にも会えなくなる。
「ロンドンの“私たちの公使館”に来て、三ヶ月位泊まって下さい」
そう仰る奥様に、私はお願い事をした。
ロンドンに着いたら女王様からどんな歓迎を受けたか手紙ですっかり教えて下さるよう約束したのだ。
森夫人は女王様との会見のことをひどく気にしている。
胸の大きく開いたドレスはとても着られないのに、きまりの服装でなければ女王陛下にはお目にかかれないという話だ。
「馬鹿げた慣習だと思いませんか?」
ダイアー夫人にそう尋ねたたら、こんな返事が返ってきた。
「そんなことは決してありません。
もし誰でも好きな格好で行けるようにしたら、どうなると思います?
宮廷はすぐにファッションショーの場と化して、ついにはサーカスみたいになってしまうでしょうよ」
私は特に年配の女性とか、痩せた女性にはこれほどおかしな服装はないと思ったが、ダイアー夫人はカールした髪をふって云われる。
「骨と皮ばかりに痩せていようとどうであろうと関係ありません。
もし女王様にお目にかかるのなら誰でも規則通りの服装をしない訳にはいかないのです」
というわけで、森夫人は服のことでひどく気を揉んでおられる。
確かに森夫人は色が黒く、とても痩せているから、気の毒に、どうしていいのかわからないのだ。
でもロンドンで一ヶ月公使館にいられたらとても楽しいだろう。
でも、実際どうだろう? もう私は砂上の楼閣を建てだしている。
ディクソン氏は私が猫二匹と、蓮と竹を持ってヨーロッパまわりでアメリカに帰る話をしたので、とてもおかしがっているし、もしそんな大荷物を抱えて公使館に行ったら、森夫人も来なさいと云ったことを後悔なさるだろう。
グレイ夫妻が開拓使に連れて行って下さると私を呼びに来られた。
車の中で、この馬は一度ディクソン氏を乗せて暴走し、彼を放り出した馬であることを思いだして、ちょっとドキドキした。
そのあと工学寮に行き、テニスを二、三試合した。
いやな人たちばかりで、形よい指で靴の紐を結んでくれるディクソン氏のような騎士はいなかった。
明治12年11月9日 日曜
主の御心が今日も現わされ、祈りが聞き入れられ、救いの手が差し伸べられたことを、主の御名において感謝いたします。
今朝はディヴィッドソン氏が、真の光キリストについて説教なさり、私はありがたく聞いた。
午後の日曜学校には母、アディ、梅太郎、それに竹次郎も来た。
私も五人の女生徒を相手に非常に面白い授業ができた。
これも主が流暢に言葉を話せるようにして下さったお陰だ。
その後、簡単な礼拝があって、主の御名がとらえられた時、私は頭を低く垂れ神の数々のお恵みに心より感謝した。
だが夜の祈祷会はこの安息日のクライマックスだった。
ジェイミー、つまりディクソン氏の弟であるジェームズに会えるとは思っていなかったから、ツイードの外套に“正式な”帽子を被って、いつものように陽気にノコノコ入ってきた。
「まだ“憂鬱”ですか?」
私が心配げに聞くとジェイミーは「おいおいよくなっています」と答えた。
夕食が楽しくすむと、じきに会が始まり、多数の出席者があった。
津田氏と六人の弟子、勝家からは六人、田中、藤島氏、工部大学校から学生一人、クーパー氏、ターリング氏、ジェイミー、ディクソン氏それに私たち。
賛美歌に始まり、ディクソン氏をリーダーに、心打つお祈りをし、神の導きを願った。
マルコ伝を初め英語で、次に日本語で読み、ディクソン氏が説明し、岡田松生が通訳した。
それから日本の賛美歌を歌い自由討論になった。
ターリング氏はこの機会をとらえて「おさな子のごとくなる」ことについて長い話をした。
それから誰かお祈りする段になって、津田氏の弟子の杉田が立ち上がった。
勝家の隣人、つまり藤島常興氏が何か云いたいことがあるという。
ちなみに藤島氏の息子さんの常明氏は勝氏の門下生らしい。
どうぞということで、みんながしんと静まりかえった中を、かなりの年である――といっても五十歳ということだけど――藤島常興氏が真剣な面持ちで立ち上がり、威儀を正して一同にお辞儀をした。
「今晩読みましたところは、大変素晴らしいと思います。
しかし私は大変無智で、皆様が何の話をしておられるか知りたいと願っておりましたので、この機会にお尋ねしたいと思います。
恐れ入りますが、私の前に立って話を聞いてくださいませんか?」
藤島氏がソファで目を丸くして坐っていた岡田に云うと、指名された本人は吃驚して立ち上がり、誤解して聖書を渡そうとした。
「いいえ、聖書じゃありません。こちらに来て机のそばに立って下さい。
いえ、そこじゃありません。そう、そこにいて下さい。
知りたいことがありますので、どうぞ全身を耳にして聞いて下さい」
驚いている青年をみずから位置につかせると、藤島氏は集まった人たちの方を向いて話し出した。
「皆様もご存じのように、ご親切に云って下さるので、この会にしばらく参っております。
初めのうちは何の気なしでしたが、いろいろ不思議なことを聞くうちにとても興味が湧いて参りまして、是非もっと知りたいという気持ちに現在なっております。
皆様は信仰ということを仰いますが、一体信仰とは何でしょう?
また信じることの必要性も聞きましたが、どうしても信じなくてはいけないのですか?
キリストは神の子だと仰いますが、神とは誰なのですか?
これは私の心を悩ませている問題です。
何か美しいものや素晴らしいものを見た場合、私は必ずそのものについて詳しく調べてから、価値判断することにしております。
なんでも調べてみるのが私のたちなのです。
ご存じのように私は科学者で、さまざまな機械の使い方の発見にいつも努めています。
科学の分野で何か美しいとか、素晴らしいと考えられる者があると、私は自分の意見を出す前に、そのものを十分に調べます。
キリスト教も同じ事で、十分満足が行くまではその美しさとか効用について語りたくありません。
キリスト教には偉大な真実があるような気がします。
そしてもしそれが真の宗教なら、私は知りたいのです」
ここで五、六人の人たちがこの奇妙なスピーチに答えようと腰を浮かせたが、藤島氏はそれを押しとどめ、見得を切るように手を広げ、声を高めて云った。
「まだ話が半分です。質問が終わりましたら、どなたかに答えて頂きたいと思います。
神。皆様は神と仰います。
それこそ私の知りたいところです。
神とは何なのか? 誰なのか? どこにいるのか?
神様はたくさん知っています。私の家にも一つ置いてあります。
浅草には観音様、おびんずる様、阿弥陀様、神道の剣と鏡。蛙、蛇のような爬虫類も信仰されますし、馬、牛、狐、猿のようなもっと大きい動物もそうです。
だが、あなた方はこれらのものは神が造られたもので、神そのものではないと仰る。
神は目に見えず、造られたものでもないという。
観音、おびんずる、稲荷はそれぞれの寺にいるからどこに行けばいいか分かっています。
だがこの神はどこにでもいると仰る。
針の先ほどのところにも天空全体にも、ということは、恐ろしく重大で堪えられないような概念です。
至るところにとは何と偉大で、他に優れた神でしょう。
さて、こんな愚かしい質問ではありますが、答えて下さる方があれば有り難いと思います」
岡田はその間じゅうじっと動かず、怯えたような、畏まったような表情で、質問者の威厳に満ちた熱心な顔を、一瞬も目を離さず見つめていた。
藤島氏が眼鏡を静かにたたんで、期待するような顔つきで坐ると、岡田もまるで呪文でも解かれたかのように、フラフラと坐った。
しばらくシーンとしたが、津田氏の弟子でとても内気な青年が立ち上がって云った。
「藤島殿、あなたのお話は、しばらく前の私の気持ちとまったく同じで、私も同じ疑問を抱いておりました。
しかし現在の私は真の信仰、真の神を見つけたと皆様に申し上げたと思います。
事実、私はそのことに対し感謝の念で一杯なのです」
他の人たちはようやく我に返って説明し出したが、出しゃばるようになってはと、津田氏に先を譲った。
だが例の通り津田氏は蛇の習性について脱線したので、今度は藤島氏が蠅を殺したり生き返らせたりするらしい機械について語り出した。
その間私は心の中でママに話の内容を知らせたいとやきもきしていたし、岡田はイライラしていたが、目上の人の話の腰を折るようなことは出来かねていた。
とうとう藤島氏が焦れったげに云った。
「もうこんなくだらない話はよしましょう。
皆様、私のように商売をしている者は安息日をどう守ったらよいのですか?
それに死者を拝むことは間違ったことなのですか?」
これに対しては津田氏が返事をされた。
「安息日については、全力を尽くして神の日として守るようにしています。
誘惑が多くて破りたくなりますが、出来うる限り守り、後はお任せするのです。
先祖を拝むことについては、先祖の業績をしのんだり、懐かしく思い出すことは悪いことだとは思いません。
しかし先祖を神として祀ることは確かに間違っています。
私は先祖の霊を拝むことは絶対にしませんが、命日は心の中で敬意を表し、威徳をしびます。
これはあやまっているとは思いません。
私も死んだら子供たちにそうしてもらいたいと思っています」
「まったくその通りです。ですが外国には全然こういうことはないのですか」
藤島氏の言葉が訳されると、次はディクソン氏が云われた。
「死者に対する問題は二次的なもので、一番大切なのは信仰であるから、藤島氏の初めの質問を討論してほしいと思います」
更に続けて信仰の本質などについて説明し、訳されると藤島氏は満足した。
それからまた興奮の渦の中を立ち上がり尋ねた。
「イエス・キリストとは誰ですか?」と。
「神の子です」
即座に答えたのは岡田。
「よろしい、それでキリストは神と人の間の仲介者とか、通訳といったものだったのではありませんか」
「はい、そうです」
「それではキリストは、阿弥陀と全く同じ関係にあるお釈迦様と似たようなものなのですね」
岡田はもう我慢できなくなって叫んだ。
「失礼ですが、それはまったく違います。
神なる救い主が、この世の人である単なる賢者と比べられるはずがありません。
釈迦も地上の生まれですし、仏陀はもともと人間です。
だがキリストは神から生まれたのです。
だからこれこそは真の宗教なのです。
天から出たものなのですから。私は手のつけようもない無智の罪人でしたが、このことだけでも、キリスト教が本物だということを分からせてくれました」
ここで津田氏が話をし出し、岡田もまた立ち上がり、杉田は落ち着かぬげにモジモジし、女の人たちは一心に聞いていた。
いつもは居眠りをしている田中さえ目をパッチリあれていた。
クーパー氏は何か云いたくてうずうずしていたし、ディクソン氏は話が完全に思い通りにいっていないことが分かっているのに言葉が通じないので困った顔をしていた。
ディクソン氏が言葉さえできたら、適切な助言をしてあげられるのにと、とてももどかしかった。
皆ますます興奮してきたため、とうとうディクソン氏が次のような提案をした。
「いつもの時間を過ぎているので会はこれで一まず終わりにし、討論は来週に持ち越すことにして、日本語でお祈りしましょう」
幾人かの人たちは「モスコシ」と云ったが、岡田は「私も云いたいことは沢山ありますが来週まで待ちます」と云ったので、杉田が信仰を持てますようにとお祈りし、頒詠を歌った。
こうして参会になったが、神の足跡がこのように真っ直中に目に見えたということですっかり胸を打たれた。
【クララの明治日記 超訳版解説第96回】
「今回の主人公は“宗教問答”の藤島氏ですわね。
先週のお逸のお姉様とクララとの“宗教問答もどき”とは、全く次元が違いますわ。
それもその筈、この藤島氏。非常に“不思議”な経歴の持ち主ですの。
藤島氏は幕臣だとクララの日記では紹介されていますけれど、旗本ではなく、元は毛利家に仕えていた神社社殿の金具類調製などをする金工だったそうですわ。
27歳のとき江戸に出て、当時日本で最高と言われた後藤一乗に金属彫刻を学び……ここからが不思議な展開を見せるのですけれど、どういうわけか高名な江川担庵から西洋兵学を学びます。
明治になってからは、明治5年に工部省勧工寮に出仕。
明治6年に開催されたオーストリア万国博覧会には、自ら製作した測量器を出品し有功賞を受けています。
引き続き、同国において測量機器と船舶用磁石の製造技術、幾何製図などの習得に努め明治7年5月帰国。
同7年内務省地理寮に転任。“測量機器伝習録”を著して、その製造を建言。
同年、更に工部省工作局へ転任し、測量器・理学器の研究・製造にあたっています。
それで、この日の“宗教問答”で藤島氏本人が自分のことを“私のように商売をしている者”と云っているのは、この前年にあたる明治11年に測量器や理学器の製造場を東京八官町に作ったからですわね。
更にこの4年後の明治16年にはこの製造場を藤島製器学校とし、機械器具の製造技術の普及につとめます。
明治20年代には、測量器などについて舶来品を抜く精巧な製造に成功していますわ。
この間、数度にわたり内国博覧会に出品するとともに審査官を兼務。
藤島常興氏が製作した尺原器などは、現在国立科学博物館に寄託されています。
こうして封建期の伝統職人技術を土台にして、西洋技術による精密機器製造へと結びつけた第一人者。
それが藤島常興という人物ですわ。
なお今回の解説は、このリンク先(http://www.weblio.jp/content/%E8%97%A4%E5%B3%B6%E5%B8%B8%E8%88%88)から、引用させて頂きましたm(_)m。
……で、いつまで泣いてますの、お逸?」
「………………………………………(泣)」
「…………………仕方がありませんわね。
というわけで、今回はさりげなく“クララの正式な帰国”が決まり落ち込んでいるお逸抜きで進めさせて頂きました」
明治12年11月6日 木曜
大山夫人の赤ちゃんの加減がとても悪く、今週はなかなか来られなかったので、寂しかった。
森有礼氏がイギリス公使として赴任されることは昨日聞いたばかりだ。
しかし今日、森氏はウィリイに「もしあなた方が倫敦に行くようなことがあったらどうぞ来て下さい」と仰ったそうだ。
母も倫敦の富田氏からお手紙を頂いたが、手紙の中で富田氏はディクソン氏の弟さんに会ったばかりですと書いていた。
その当の弟さんが今日本にいるのだから不思議な感じだ。
ドイツ語の授業の後、ディクソン氏はお茶に残った。
ウィリイは横浜に行ってしまっていたので、とても静かで楽しい夕べだった。
ディクソン氏はオルガンを弾き、私は洒落たレースを編んだ。
それから私がオルガンの弾き歌いをし、ディクソン氏はかたわらの椅子に坐って、とてもくつろいだ様子でアメリカの新聞を読んだ。
そのうち、私たちは出発のことについて話し出した。
「私たちは三月に帰国予定ですの」
母がそう云うと、ディクソン氏は「どのルートですか?」と聞いた。
「ロンドンとパリに寄ってみたいですので、ヨーロッパ周りのルートにしたいと思っています」
「もしロンドンに行かれたら絶対スコットランドまで行って、私の母と会って下さい」
「でも時間がないのではないかと思います。
ウィリイが六月までに帰国しなければならないものですから」
「ロンドンまでいらしておきながら、私たちを飛ばすなんてひどいですよ。本当にあんまりです。
それにエジンバラはロンドンと同じく由緒ある場所なんですよ」。
そしてディクソン氏はスコットランドの風景を鮮やかに描写しだした。
明治12年11月8日 土曜
今朝アディを連れて、英国大使館まで歩き、図書館でアストン氏に会った。
背が高く、黒い縮れ毛に、精悍な口ひげ、黒くキラキラした目をしたハンサムな人で、まるでスペイン人のようだ。
私が入ってきたので戸のところにさっと立った時は、本当にそうかと思ったほどだった。
「どうぞ、その暖炉のそばの椅子にお座り下さい。
ああ、なんでしたら、私が事務所の方に行っている間は、書斎もどうぞお使い下さい」
「お忙しいところをお邪魔をしたのでは?」
「いえ、ちょうど書きものを終えたところですので」
やがてブロンドで背が高く物憂げなアストン夫人が入ってきた。
「もうメイエ夫人が戻ってきているので、わざわざ遠いところをご面倒かけるのは気が引けますわ」
それからさも物憂げに二言、三言お愛想を云ったのだけど、私は何故かひどく腹が立った。
森氏は英国公使に任じられ、二週間後には出発なさるので、大好きな奥様にも会えなくなる。
「ロンドンの“私たちの公使館”に来て、三ヶ月位泊まって下さい」
そう仰る奥様に、私はお願い事をした。
ロンドンに着いたら女王様からどんな歓迎を受けたか手紙ですっかり教えて下さるよう約束したのだ。
森夫人は女王様との会見のことをひどく気にしている。
胸の大きく開いたドレスはとても着られないのに、きまりの服装でなければ女王陛下にはお目にかかれないという話だ。
「馬鹿げた慣習だと思いませんか?」
ダイアー夫人にそう尋ねたたら、こんな返事が返ってきた。
「そんなことは決してありません。
もし誰でも好きな格好で行けるようにしたら、どうなると思います?
宮廷はすぐにファッションショーの場と化して、ついにはサーカスみたいになってしまうでしょうよ」
私は特に年配の女性とか、痩せた女性にはこれほどおかしな服装はないと思ったが、ダイアー夫人はカールした髪をふって云われる。
「骨と皮ばかりに痩せていようとどうであろうと関係ありません。
もし女王様にお目にかかるのなら誰でも規則通りの服装をしない訳にはいかないのです」
というわけで、森夫人は服のことでひどく気を揉んでおられる。
確かに森夫人は色が黒く、とても痩せているから、気の毒に、どうしていいのかわからないのだ。
でもロンドンで一ヶ月公使館にいられたらとても楽しいだろう。
でも、実際どうだろう? もう私は砂上の楼閣を建てだしている。
ディクソン氏は私が猫二匹と、蓮と竹を持ってヨーロッパまわりでアメリカに帰る話をしたので、とてもおかしがっているし、もしそんな大荷物を抱えて公使館に行ったら、森夫人も来なさいと云ったことを後悔なさるだろう。
グレイ夫妻が開拓使に連れて行って下さると私を呼びに来られた。
車の中で、この馬は一度ディクソン氏を乗せて暴走し、彼を放り出した馬であることを思いだして、ちょっとドキドキした。
そのあと工学寮に行き、テニスを二、三試合した。
いやな人たちばかりで、形よい指で靴の紐を結んでくれるディクソン氏のような騎士はいなかった。
明治12年11月9日 日曜
主の御心が今日も現わされ、祈りが聞き入れられ、救いの手が差し伸べられたことを、主の御名において感謝いたします。
今朝はディヴィッドソン氏が、真の光キリストについて説教なさり、私はありがたく聞いた。
午後の日曜学校には母、アディ、梅太郎、それに竹次郎も来た。
私も五人の女生徒を相手に非常に面白い授業ができた。
これも主が流暢に言葉を話せるようにして下さったお陰だ。
その後、簡単な礼拝があって、主の御名がとらえられた時、私は頭を低く垂れ神の数々のお恵みに心より感謝した。
だが夜の祈祷会はこの安息日のクライマックスだった。
ジェイミー、つまりディクソン氏の弟であるジェームズに会えるとは思っていなかったから、ツイードの外套に“正式な”帽子を被って、いつものように陽気にノコノコ入ってきた。
「まだ“憂鬱”ですか?」
私が心配げに聞くとジェイミーは「おいおいよくなっています」と答えた。
夕食が楽しくすむと、じきに会が始まり、多数の出席者があった。
津田氏と六人の弟子、勝家からは六人、田中、藤島氏、工部大学校から学生一人、クーパー氏、ターリング氏、ジェイミー、ディクソン氏それに私たち。
賛美歌に始まり、ディクソン氏をリーダーに、心打つお祈りをし、神の導きを願った。
マルコ伝を初め英語で、次に日本語で読み、ディクソン氏が説明し、岡田松生が通訳した。
それから日本の賛美歌を歌い自由討論になった。
ターリング氏はこの機会をとらえて「おさな子のごとくなる」ことについて長い話をした。
それから誰かお祈りする段になって、津田氏の弟子の杉田が立ち上がった。
勝家の隣人、つまり藤島常興氏が何か云いたいことがあるという。
ちなみに藤島氏の息子さんの常明氏は勝氏の門下生らしい。
どうぞということで、みんながしんと静まりかえった中を、かなりの年である――といっても五十歳ということだけど――藤島常興氏が真剣な面持ちで立ち上がり、威儀を正して一同にお辞儀をした。
「今晩読みましたところは、大変素晴らしいと思います。
しかし私は大変無智で、皆様が何の話をしておられるか知りたいと願っておりましたので、この機会にお尋ねしたいと思います。
恐れ入りますが、私の前に立って話を聞いてくださいませんか?」
藤島氏がソファで目を丸くして坐っていた岡田に云うと、指名された本人は吃驚して立ち上がり、誤解して聖書を渡そうとした。
「いいえ、聖書じゃありません。こちらに来て机のそばに立って下さい。
いえ、そこじゃありません。そう、そこにいて下さい。
知りたいことがありますので、どうぞ全身を耳にして聞いて下さい」
驚いている青年をみずから位置につかせると、藤島氏は集まった人たちの方を向いて話し出した。
「皆様もご存じのように、ご親切に云って下さるので、この会にしばらく参っております。
初めのうちは何の気なしでしたが、いろいろ不思議なことを聞くうちにとても興味が湧いて参りまして、是非もっと知りたいという気持ちに現在なっております。
皆様は信仰ということを仰いますが、一体信仰とは何でしょう?
また信じることの必要性も聞きましたが、どうしても信じなくてはいけないのですか?
キリストは神の子だと仰いますが、神とは誰なのですか?
これは私の心を悩ませている問題です。
何か美しいものや素晴らしいものを見た場合、私は必ずそのものについて詳しく調べてから、価値判断することにしております。
なんでも調べてみるのが私のたちなのです。
ご存じのように私は科学者で、さまざまな機械の使い方の発見にいつも努めています。
科学の分野で何か美しいとか、素晴らしいと考えられる者があると、私は自分の意見を出す前に、そのものを十分に調べます。
キリスト教も同じ事で、十分満足が行くまではその美しさとか効用について語りたくありません。
キリスト教には偉大な真実があるような気がします。
そしてもしそれが真の宗教なら、私は知りたいのです」
ここで五、六人の人たちがこの奇妙なスピーチに答えようと腰を浮かせたが、藤島氏はそれを押しとどめ、見得を切るように手を広げ、声を高めて云った。
「まだ話が半分です。質問が終わりましたら、どなたかに答えて頂きたいと思います。
神。皆様は神と仰います。
それこそ私の知りたいところです。
神とは何なのか? 誰なのか? どこにいるのか?
神様はたくさん知っています。私の家にも一つ置いてあります。
浅草には観音様、おびんずる様、阿弥陀様、神道の剣と鏡。蛙、蛇のような爬虫類も信仰されますし、馬、牛、狐、猿のようなもっと大きい動物もそうです。
だが、あなた方はこれらのものは神が造られたもので、神そのものではないと仰る。
神は目に見えず、造られたものでもないという。
観音、おびんずる、稲荷はそれぞれの寺にいるからどこに行けばいいか分かっています。
だがこの神はどこにでもいると仰る。
針の先ほどのところにも天空全体にも、ということは、恐ろしく重大で堪えられないような概念です。
至るところにとは何と偉大で、他に優れた神でしょう。
さて、こんな愚かしい質問ではありますが、答えて下さる方があれば有り難いと思います」
岡田はその間じゅうじっと動かず、怯えたような、畏まったような表情で、質問者の威厳に満ちた熱心な顔を、一瞬も目を離さず見つめていた。
藤島氏が眼鏡を静かにたたんで、期待するような顔つきで坐ると、岡田もまるで呪文でも解かれたかのように、フラフラと坐った。
しばらくシーンとしたが、津田氏の弟子でとても内気な青年が立ち上がって云った。
「藤島殿、あなたのお話は、しばらく前の私の気持ちとまったく同じで、私も同じ疑問を抱いておりました。
しかし現在の私は真の信仰、真の神を見つけたと皆様に申し上げたと思います。
事実、私はそのことに対し感謝の念で一杯なのです」
他の人たちはようやく我に返って説明し出したが、出しゃばるようになってはと、津田氏に先を譲った。
だが例の通り津田氏は蛇の習性について脱線したので、今度は藤島氏が蠅を殺したり生き返らせたりするらしい機械について語り出した。
その間私は心の中でママに話の内容を知らせたいとやきもきしていたし、岡田はイライラしていたが、目上の人の話の腰を折るようなことは出来かねていた。
とうとう藤島氏が焦れったげに云った。
「もうこんなくだらない話はよしましょう。
皆様、私のように商売をしている者は安息日をどう守ったらよいのですか?
それに死者を拝むことは間違ったことなのですか?」
これに対しては津田氏が返事をされた。
「安息日については、全力を尽くして神の日として守るようにしています。
誘惑が多くて破りたくなりますが、出来うる限り守り、後はお任せするのです。
先祖を拝むことについては、先祖の業績をしのんだり、懐かしく思い出すことは悪いことだとは思いません。
しかし先祖を神として祀ることは確かに間違っています。
私は先祖の霊を拝むことは絶対にしませんが、命日は心の中で敬意を表し、威徳をしびます。
これはあやまっているとは思いません。
私も死んだら子供たちにそうしてもらいたいと思っています」
「まったくその通りです。ですが外国には全然こういうことはないのですか」
藤島氏の言葉が訳されると、次はディクソン氏が云われた。
「死者に対する問題は二次的なもので、一番大切なのは信仰であるから、藤島氏の初めの質問を討論してほしいと思います」
更に続けて信仰の本質などについて説明し、訳されると藤島氏は満足した。
それからまた興奮の渦の中を立ち上がり尋ねた。
「イエス・キリストとは誰ですか?」と。
「神の子です」
即座に答えたのは岡田。
「よろしい、それでキリストは神と人の間の仲介者とか、通訳といったものだったのではありませんか」
「はい、そうです」
「それではキリストは、阿弥陀と全く同じ関係にあるお釈迦様と似たようなものなのですね」
岡田はもう我慢できなくなって叫んだ。
「失礼ですが、それはまったく違います。
神なる救い主が、この世の人である単なる賢者と比べられるはずがありません。
釈迦も地上の生まれですし、仏陀はもともと人間です。
だがキリストは神から生まれたのです。
だからこれこそは真の宗教なのです。
天から出たものなのですから。私は手のつけようもない無智の罪人でしたが、このことだけでも、キリスト教が本物だということを分からせてくれました」
ここで津田氏が話をし出し、岡田もまた立ち上がり、杉田は落ち着かぬげにモジモジし、女の人たちは一心に聞いていた。
いつもは居眠りをしている田中さえ目をパッチリあれていた。
クーパー氏は何か云いたくてうずうずしていたし、ディクソン氏は話が完全に思い通りにいっていないことが分かっているのに言葉が通じないので困った顔をしていた。
ディクソン氏が言葉さえできたら、適切な助言をしてあげられるのにと、とてももどかしかった。
皆ますます興奮してきたため、とうとうディクソン氏が次のような提案をした。
「いつもの時間を過ぎているので会はこれで一まず終わりにし、討論は来週に持ち越すことにして、日本語でお祈りしましょう」
幾人かの人たちは「モスコシ」と云ったが、岡田は「私も云いたいことは沢山ありますが来週まで待ちます」と云ったので、杉田が信仰を持てますようにとお祈りし、頒詠を歌った。
こうして参会になったが、神の足跡がこのように真っ直中に目に見えたということですっかり胸を打たれた。
【クララの明治日記 超訳版解説第96回】
「今回の主人公は“宗教問答”の藤島氏ですわね。
先週のお逸のお姉様とクララとの“宗教問答もどき”とは、全く次元が違いますわ。
それもその筈、この藤島氏。非常に“不思議”な経歴の持ち主ですの。
藤島氏は幕臣だとクララの日記では紹介されていますけれど、旗本ではなく、元は毛利家に仕えていた神社社殿の金具類調製などをする金工だったそうですわ。
27歳のとき江戸に出て、当時日本で最高と言われた後藤一乗に金属彫刻を学び……ここからが不思議な展開を見せるのですけれど、どういうわけか高名な江川担庵から西洋兵学を学びます。
明治になってからは、明治5年に工部省勧工寮に出仕。
明治6年に開催されたオーストリア万国博覧会には、自ら製作した測量器を出品し有功賞を受けています。
引き続き、同国において測量機器と船舶用磁石の製造技術、幾何製図などの習得に努め明治7年5月帰国。
同7年内務省地理寮に転任。“測量機器伝習録”を著して、その製造を建言。
同年、更に工部省工作局へ転任し、測量器・理学器の研究・製造にあたっています。
それで、この日の“宗教問答”で藤島氏本人が自分のことを“私のように商売をしている者”と云っているのは、この前年にあたる明治11年に測量器や理学器の製造場を東京八官町に作ったからですわね。
更にこの4年後の明治16年にはこの製造場を藤島製器学校とし、機械器具の製造技術の普及につとめます。
明治20年代には、測量器などについて舶来品を抜く精巧な製造に成功していますわ。
この間、数度にわたり内国博覧会に出品するとともに審査官を兼務。
藤島常興氏が製作した尺原器などは、現在国立科学博物館に寄託されています。
こうして封建期の伝統職人技術を土台にして、西洋技術による精密機器製造へと結びつけた第一人者。
それが藤島常興という人物ですわ。
なお今回の解説は、このリンク先(http://www.weblio.jp/content/%E8%97%A4%E5%B3%B6%E5%B8%B8%E8%88%88)から、引用させて頂きましたm(_)m。
……で、いつまで泣いてますの、お逸?」
「………………………………………(泣)」
「…………………仕方がありませんわね。
というわけで、今回はさりげなく“クララの正式な帰国”が決まり落ち込んでいるお逸抜きで進めさせて頂きました」
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