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幼い恋の憧憬
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翌朝――とんとん、と扉を叩く音が響いていた。
「羅華様?お加減が悪いのですか?」
梅の控えめな声が、聞こえてくる。陽が高くなっても、僕が起き出してこないから、心配させちゃってるんだ。
「ふぐ……」
僕は寝床に丸くなったまま、もぞりと身じろぐ。掛け布団の隙間から、眩しい朝日が差し込んできた。僕は日を嫌う屍鬼のように、布団に丸まる。
「……だいじょうぶ。ちょっと、よふかししたの。ねむくって……」
何とか絞り出した声は、がらがらしていた。たぶん、夜通し泣いていたからだ、って思うと情けなくって、心が萎れちゃう。梅にも伝わったのか、返事の声は曇っていた。
「まあ……お風邪でしょうか。薬師をお呼びしましょうか?」
「ううん、いい……もうすこし、ねかせて……」
梅は、しばらく逡巡したあと、「おやすみなさいませ」と言い、去っていった。遠ざかる足音を聞きながら、僕はほうと息を吐いた。
心配性のねえやだけれど、強引に部屋に入ってきたりはしない。お姉様と「羅華が許さないことは、しちゃだめ」と主従の誓いを交わしているんだって。
――これも、主従のブ……なんだよね。
そう思うと、寂しくて胸がぎゅっと痛んだ。そのおかげで、みっともない顔を見せずに済んでいるのに、わがままかな……。僕は自嘲し、布団をかぶったままもぞもぞと身を起こす。
衣架けに掛けた紅の衣が、目に入る。ほとんど完成間近で、向き合う鳳凰と玄武が朝陽にきらきらしていた。
「……ううっ」
夜通し泣いて、熱を持つ頬にまた涙が伝う。
「辰さん……どうして、好きって言ってくれなかったの……?」
僕は昨夜の出来事を思い出し、ひぐっとしゃくりあげた。
かつてプロポーズしてくれた場所で、聞いてしまった辰さんと剛さんの密談。命令で、愛していない相手と結婚するなって怒る剛さんに、辰さんは言ったんだ。
『命令であれ、拒む理由などない。――もともと、玄家に拾われなければ、ならず者になるしか道がなかった俺だ。この美しい夢を前に、俺の気持ちなどは些細なこと』
淡々とした声で紡がれた言葉に、僕はぶわっと涙がこみ上げて来て。必死に、音を立てないように、その場を離れたの。心配する梅に気取られないよう、「刺繍をするから」って部屋に籠って……。
それで、一晩泣き明かして――今に至るんだけれど。僕は、ぐすぐすと鼻を啜る。
「め、めいれいって。俺の気持ちなどは、ささいなこと……って」
あんまり悲しい言葉に、胸が詰まった。
聞いたことがないほど辛辣な声も、淡々とした口ぶりも……なんだか、結婚を嬉しくないって言ってるみたいで。いつも、優しくほほ笑んでくれていた辰さんと、全然違う。
『あのね、お式では桃のお菓子がたっくさん出るんですって!僕、辰さんと半分こしたいですー!』
『いいですよ、あなたの望むままに』
結婚に浮かれて、話しまくる僕を、優しく見つめてくれていた辰さん。でも……よく考えたら、辰さんから「どうしたい」とか、希望を聞いたことない気がする。
――そういえば、接吻だって……一度も、してくれない!
あの時の、どこか堪えるような、気まずそうな顔を思い出し――さあっ、と全身から血の気が引く。
「……じゃ、じゃあ……ほんとうに。お兄様が……僕と結婚するようにって言ったから……プロポーズしてくれたの?」
昨夜、剛さんが言っていたように――。
考えただけで、胸がつぶされそう。ぶんぶんと頭を振って、嫌な考えを振り払う。
「そ、そんなこと、ないよ。辰さんは嘘なんか、つかないもん……!」
あの桃の花が咲き乱れていた夜を思い、心を奮い立たせた。あの夜の、辰さんの真剣な眼差しは、嘘なんかついていなかったと思う。
僕は立ち上がって、衣架けに駆け寄った。紅の衣を、そっと抱きしめる。
「婚礼衣装、楽しみにしてるって……言ってくれたもの。僕が、辰さんの衣を縫うって夢……小さいころから、ずっと……」
ずっと、大好きで追っかけてきた人。
「お嫁様になってって、言ってくれたんだ……!!」
その言葉が嘘かも知れないなんて、思いたくないよ。
紅の衣に涙がつかないよう、おんおんと泣いた。
次第に泣きつかれて、僕は眠ってしまっていた。
*
小さい僕が、辰さんを物陰から見つめていた。
「辰さん、がんばって……」
玄家の敷地内にある鍛錬場では、見習の武人の人達が鍛錬していたんだ。列になった見習の人達に、怖い顔したお師匠さまが檄を飛ばしている。
「雑に振るうな! 型をおろそかにしてはならぬ!」
「はい!」
少年たちが声を合わせ、木剣を構える。
強き剣は、美しさも備えるもの――というのが玄家に伝わる剣の極意。一撃を必殺の力で振るいながらも、その姿は舞のように美しくなければならない。何十通りもある基本の型を覚え、完ぺきにこなすためには、ひたすらに鍛えて鍛えて、鍛えるのみ。ひたすら木剣を構え、振る。気が遠くなるような反復練習に、見習の武人さん達は、バタバタと石床に倒れ込んでいった。
――うわああ……きびしい……
僕は、壁にかじりついてさあっと青ざめた。数十人いた少年たちは、いつしか三人しか立っていない。硬そうな黒髪のがっしりした少年と、ひょろりと背の高い少年。僕の目を引くのは、鉄色の髪の華奢な少年――辰さん、だった。
――辰さん、すごい……!
辰さんは汗みずくで、荒い息を吐いていた。
「辰! 軸が振れておるぞ!」
「……ッ!」
鉄扇で肩を打たれ、辰さんがよろめく。僕は悲鳴を上げかけて、ぐっと堪える。――ここで駆け寄っては、辰さんの邪魔をしてしまうのだと、お姉様に言われていたんだ。泣きたい気持ちで見守っていると、「申し訳ありません」と辰さんが立ち上がった。
――辰さん……!
闘志を漲らせ、木剣を手に構える姿は、しなやかな樹のように綺麗だった。
お師匠様が、満足そうに頷く。
「そなたらはあと百回素振りをし、上がるがいい。倒れたものは鍛錬場の掃除をせよと伝えておけ」
「はい!」
辰さん達が礼をすると、お師匠様は去っていく。
「……辰さん、まっててね!」
僕も、いつのまにか濡れていた頬を袖で拭うと、部屋に戻った。お薬を取りに行ったんだよ。それで、戻ってきたら――辰さんはすでにいなくて、他の人達がお掃除してた。
「辰さん、辰さん……」
僕は、恋しい人の姿を探し、屋敷をさ迷った。桃の並木を歩いていると……大きな岩の上に座る、鉄色の後ろ頭を見つけたんだ。肩肌を脱いだ腕に、真っ赤な痣が出来ている。恋しい人が傷ついていて、ぶわ、と涙が溢れた。
「辰さんっ!」
「……えっ?」
驚いて振り返った辰さん。僕は泣きながら駆け寄って――木の根に躓いて、すっころんだ。
べしゃ。
両手を掲げていたせいで、顔から倒れ込む。辰さんが慌てて、抱き起してくれた。
「あてて……」
「何をやってるんです、あなたは! 足下には気をつけて。転ぶときは、ちゃんと手をついて!」
頭から角の幻がみえそうなほど、辰さんは怒っていた。僕は、しゅんと小さくなった。
「ご、ごめんなさいっ……あのっ……お薬、守らなきゃって」
「え?」
心配そうに、鼻についた泥を拭ってくれる辰さんに、僕はお薬を差し出した。貝殻に入った練り薬は、お姉様が作ってくださったもので、とっても良く効くの。
「これ塗ったら、痛いのなおるんです。だから……辰さんにあげたくて……っ」
「……私に?」
緑色の目を丸くしている辰さんに、僕はそっと近づく。薬をとって、赤い痣にそっと塗ってあげる。痛かったのか、息を詰めた辰さんに、胸がズキズキした。大切な人が痛いのが、辛くて。
「ごめんね、辰さん……僕、もっとしゅぎょうしますっ。いたいの、なおせるように……っ」
「羅華様……」
しくしく泣きながら、薬を塗りつける。辰さんは、少し狼狽えたような、不思議な顔をしていた。
大きな手が伸びて、頬に触れる前に握られる。代わりに布が押し付けられて、目を瞬くと……辰さんは微笑んでいた。
「あなたを守るのが、俺の仕事ですよ」
風が吹きあがり、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。
「あ……」
木漏れ日を受けた、辰さんの笑顔があんまり綺麗で――息が出来なかったの。
「羅華様?お加減が悪いのですか?」
梅の控えめな声が、聞こえてくる。陽が高くなっても、僕が起き出してこないから、心配させちゃってるんだ。
「ふぐ……」
僕は寝床に丸くなったまま、もぞりと身じろぐ。掛け布団の隙間から、眩しい朝日が差し込んできた。僕は日を嫌う屍鬼のように、布団に丸まる。
「……だいじょうぶ。ちょっと、よふかししたの。ねむくって……」
何とか絞り出した声は、がらがらしていた。たぶん、夜通し泣いていたからだ、って思うと情けなくって、心が萎れちゃう。梅にも伝わったのか、返事の声は曇っていた。
「まあ……お風邪でしょうか。薬師をお呼びしましょうか?」
「ううん、いい……もうすこし、ねかせて……」
梅は、しばらく逡巡したあと、「おやすみなさいませ」と言い、去っていった。遠ざかる足音を聞きながら、僕はほうと息を吐いた。
心配性のねえやだけれど、強引に部屋に入ってきたりはしない。お姉様と「羅華が許さないことは、しちゃだめ」と主従の誓いを交わしているんだって。
――これも、主従のブ……なんだよね。
そう思うと、寂しくて胸がぎゅっと痛んだ。そのおかげで、みっともない顔を見せずに済んでいるのに、わがままかな……。僕は自嘲し、布団をかぶったままもぞもぞと身を起こす。
衣架けに掛けた紅の衣が、目に入る。ほとんど完成間近で、向き合う鳳凰と玄武が朝陽にきらきらしていた。
「……ううっ」
夜通し泣いて、熱を持つ頬にまた涙が伝う。
「辰さん……どうして、好きって言ってくれなかったの……?」
僕は昨夜の出来事を思い出し、ひぐっとしゃくりあげた。
かつてプロポーズしてくれた場所で、聞いてしまった辰さんと剛さんの密談。命令で、愛していない相手と結婚するなって怒る剛さんに、辰さんは言ったんだ。
『命令であれ、拒む理由などない。――もともと、玄家に拾われなければ、ならず者になるしか道がなかった俺だ。この美しい夢を前に、俺の気持ちなどは些細なこと』
淡々とした声で紡がれた言葉に、僕はぶわっと涙がこみ上げて来て。必死に、音を立てないように、その場を離れたの。心配する梅に気取られないよう、「刺繍をするから」って部屋に籠って……。
それで、一晩泣き明かして――今に至るんだけれど。僕は、ぐすぐすと鼻を啜る。
「め、めいれいって。俺の気持ちなどは、ささいなこと……って」
あんまり悲しい言葉に、胸が詰まった。
聞いたことがないほど辛辣な声も、淡々とした口ぶりも……なんだか、結婚を嬉しくないって言ってるみたいで。いつも、優しくほほ笑んでくれていた辰さんと、全然違う。
『あのね、お式では桃のお菓子がたっくさん出るんですって!僕、辰さんと半分こしたいですー!』
『いいですよ、あなたの望むままに』
結婚に浮かれて、話しまくる僕を、優しく見つめてくれていた辰さん。でも……よく考えたら、辰さんから「どうしたい」とか、希望を聞いたことない気がする。
――そういえば、接吻だって……一度も、してくれない!
あの時の、どこか堪えるような、気まずそうな顔を思い出し――さあっ、と全身から血の気が引く。
「……じゃ、じゃあ……ほんとうに。お兄様が……僕と結婚するようにって言ったから……プロポーズしてくれたの?」
昨夜、剛さんが言っていたように――。
考えただけで、胸がつぶされそう。ぶんぶんと頭を振って、嫌な考えを振り払う。
「そ、そんなこと、ないよ。辰さんは嘘なんか、つかないもん……!」
あの桃の花が咲き乱れていた夜を思い、心を奮い立たせた。あの夜の、辰さんの真剣な眼差しは、嘘なんかついていなかったと思う。
僕は立ち上がって、衣架けに駆け寄った。紅の衣を、そっと抱きしめる。
「婚礼衣装、楽しみにしてるって……言ってくれたもの。僕が、辰さんの衣を縫うって夢……小さいころから、ずっと……」
ずっと、大好きで追っかけてきた人。
「お嫁様になってって、言ってくれたんだ……!!」
その言葉が嘘かも知れないなんて、思いたくないよ。
紅の衣に涙がつかないよう、おんおんと泣いた。
次第に泣きつかれて、僕は眠ってしまっていた。
*
小さい僕が、辰さんを物陰から見つめていた。
「辰さん、がんばって……」
玄家の敷地内にある鍛錬場では、見習の武人の人達が鍛錬していたんだ。列になった見習の人達に、怖い顔したお師匠さまが檄を飛ばしている。
「雑に振るうな! 型をおろそかにしてはならぬ!」
「はい!」
少年たちが声を合わせ、木剣を構える。
強き剣は、美しさも備えるもの――というのが玄家に伝わる剣の極意。一撃を必殺の力で振るいながらも、その姿は舞のように美しくなければならない。何十通りもある基本の型を覚え、完ぺきにこなすためには、ひたすらに鍛えて鍛えて、鍛えるのみ。ひたすら木剣を構え、振る。気が遠くなるような反復練習に、見習の武人さん達は、バタバタと石床に倒れ込んでいった。
――うわああ……きびしい……
僕は、壁にかじりついてさあっと青ざめた。数十人いた少年たちは、いつしか三人しか立っていない。硬そうな黒髪のがっしりした少年と、ひょろりと背の高い少年。僕の目を引くのは、鉄色の髪の華奢な少年――辰さん、だった。
――辰さん、すごい……!
辰さんは汗みずくで、荒い息を吐いていた。
「辰! 軸が振れておるぞ!」
「……ッ!」
鉄扇で肩を打たれ、辰さんがよろめく。僕は悲鳴を上げかけて、ぐっと堪える。――ここで駆け寄っては、辰さんの邪魔をしてしまうのだと、お姉様に言われていたんだ。泣きたい気持ちで見守っていると、「申し訳ありません」と辰さんが立ち上がった。
――辰さん……!
闘志を漲らせ、木剣を手に構える姿は、しなやかな樹のように綺麗だった。
お師匠様が、満足そうに頷く。
「そなたらはあと百回素振りをし、上がるがいい。倒れたものは鍛錬場の掃除をせよと伝えておけ」
「はい!」
辰さん達が礼をすると、お師匠様は去っていく。
「……辰さん、まっててね!」
僕も、いつのまにか濡れていた頬を袖で拭うと、部屋に戻った。お薬を取りに行ったんだよ。それで、戻ってきたら――辰さんはすでにいなくて、他の人達がお掃除してた。
「辰さん、辰さん……」
僕は、恋しい人の姿を探し、屋敷をさ迷った。桃の並木を歩いていると……大きな岩の上に座る、鉄色の後ろ頭を見つけたんだ。肩肌を脱いだ腕に、真っ赤な痣が出来ている。恋しい人が傷ついていて、ぶわ、と涙が溢れた。
「辰さんっ!」
「……えっ?」
驚いて振り返った辰さん。僕は泣きながら駆け寄って――木の根に躓いて、すっころんだ。
べしゃ。
両手を掲げていたせいで、顔から倒れ込む。辰さんが慌てて、抱き起してくれた。
「あてて……」
「何をやってるんです、あなたは! 足下には気をつけて。転ぶときは、ちゃんと手をついて!」
頭から角の幻がみえそうなほど、辰さんは怒っていた。僕は、しゅんと小さくなった。
「ご、ごめんなさいっ……あのっ……お薬、守らなきゃって」
「え?」
心配そうに、鼻についた泥を拭ってくれる辰さんに、僕はお薬を差し出した。貝殻に入った練り薬は、お姉様が作ってくださったもので、とっても良く効くの。
「これ塗ったら、痛いのなおるんです。だから……辰さんにあげたくて……っ」
「……私に?」
緑色の目を丸くしている辰さんに、僕はそっと近づく。薬をとって、赤い痣にそっと塗ってあげる。痛かったのか、息を詰めた辰さんに、胸がズキズキした。大切な人が痛いのが、辛くて。
「ごめんね、辰さん……僕、もっとしゅぎょうしますっ。いたいの、なおせるように……っ」
「羅華様……」
しくしく泣きながら、薬を塗りつける。辰さんは、少し狼狽えたような、不思議な顔をしていた。
大きな手が伸びて、頬に触れる前に握られる。代わりに布が押し付けられて、目を瞬くと……辰さんは微笑んでいた。
「あなたを守るのが、俺の仕事ですよ」
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