聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ

文字の大きさ
41 / 105

040. 王都からの使者

しおりを挟む
辺境の厳しい冬も、ようやく終わりの兆しが見え始めていた。降り続く雪は止み、日中の陽射しには、ほんのわずかだが力が感じられるようになった。分厚い雪の下からは、少しずつ黒い大地が顔を覗かせ始め、リリアーナが村人たちと準備を進めてきた畑にも、春の訪れと共に希望の種を蒔ける日が近づいていた。

砦の騎士団は、リリアーナの支援のおかげで、例年になく高い士気と練度を保ったまま冬を乗り切ろうとしていた。魔物の被害も最小限に抑えられ、辺境領全体の雰囲気は、以前とは比べ物にならないほど安定し、明るさを取り戻しつつあった。その中心には、常にリリアーナの存在があった。彼女の料理、ハーブティー、栄養ドリンク、そして彼女自身の温かい人柄が、凍てついていた辺境の人々の心と体を確実に温めていたのだ。

アレクシス・フォン・ヴァルテンベルクもまた、その変化を領主として高く評価していた。リリアーナに対する個人的な感情の葛藤は依然として続いていたが、彼はそれを表面に出すことなく、領主としての冷静な判断を優先しようと努めていた。リリアーナから贈られた香り袋は、彼の執務室の引き出しに密かにしまわれ、時折それを取り出しては、その穏やかな香りに心を慰められる自分がいることを、彼はまだ誰にも知られたくなかった。

彼は、リリアーナが進める農業改革計画を、より積極的に支援する体制を整えていた。春になれば、砦の兵士の一部を動員して開墾作業を手伝わせ、王都との(限られた)交易ルートを通じて、寒冷地に適した作物の種や、改良された農具を取り寄せる手配も進めていた。それは、辺境の未来にとって極めて重要な投資であり、同時に、リリアーナとの公的な接点を増やすことで、自身の内なる感情をコントロールしようとする試みでもあった。

そんな、辺境にようやく訪れようとしていた雪解けと希望の季節。その穏やかな空気を破るように、ある日、王都から一人の使者が訪れた。

使者は、立派な馬に乗り、王家の紋章を掲げた旗を持っていた。辺境の地には不釣り合いなほど豪奢な服装に身を包み、その態度は尊大で、辺境の者たちを見下すような視線を隠そうともしない。彼は、砦の門前で辺境伯アレクシスへの面会を要求し、ゲルハルト副団長に伴われて、すぐに執務室へと通された。

「……して、王都からの急使とのことだが、用件は何か?」
アレクシスは、執務机の向こうで、表情一つ変えずに使者に問いかけた。彼の声は、いつものように低く、冷ややかだった。内心では、この時期に王都からわざわざ使者が来ることに、一抹の不穏な予感を覚えていた。

使者は、アレクシスの冷たい態度にも怯むことなく、むしろ尊大な態度で答えた。
「辺境伯殿には、ご健勝のこととお慶び申し上げる。さて、本日は他でもない。国王陛下、並びにエドガー王太子殿下からの勅命を伝えに参った」
使者は、もったいぶるように一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、確かに王家の印璽が押されている。
「陛下並びに殿下は、最近、この辺境領で起こっているという『奇跡』について、深くご関心をお持ちである」

「奇跡……?」
アレクシスは眉をひそめた。彼が知らない間に、辺境での出来事が王都にまで伝わっているというのか。
「左様。曰く、追放されたクラインフェルト家の娘が、不思議な力を持つ料理を作り、騎士団を強化し、病人を癒し、あまつさえ聖獣を従えているとか。荒唐無稽な噂かとも思われたが、どうやら全くの嘘というわけでもないらしい」
使者の口調には、侮蔑と好奇が入り混じっていた。

(……情報が漏れていたか……。どこからだ……?)
アレクシスは内心で舌打ちした。辺境は王都から遠く、情報の往来は限られているはずだった。しかし、リリアーナの起こした変化は、あまりにも劇的すぎたのかもしれない。あるいは、意図的に情報を流した者がいるのか……?

「それで、勅命とは?」
アレクシスは、内心の動揺を悟られまいと、平静を装って尋ねた。
使者は、したり顔で続けた。
「陛下と殿下は、そのクラインフェルト嬢の『力』を、王国の、ひいては王家のために役立てるべきだとお考えである。ついては、早急に彼女の身柄を王都へ移送するよう、辺境伯殿に命ずる、とのことだ」

「……なに?」
アレクシスの声が、わずかに低くなった。その氷の瞳の奥で、危険な光が揺らめくのを、使者は気づかなかった。
「聞こえなかったかな? クラインフェルト嬢を、王都へ送り返せ、という命令だ。彼女の力は、このような辺境で埋もれさせておくには惜しい。王都で、真の聖女であるマリア様を補佐し、王国の安寧に貢献させるべきであろう」
使者は、当然のように言い放った。そこには、リリアーナ本人の意思など、全く考慮されていない響きがあった。彼女は、ただ利用すべき「道具」としか見なされていないのだ。

アレクシスの全身から、冷たく、鋭い圧力が放たれ始めた。執務室の空気が、一瞬にして凍りついたかのように張り詰める。使者は、ようやく目の前の男が「氷の辺境伯」と呼ばれる所以を肌で感じ、わずかに顔色を変えた。
「……断る」
アレクシスの口から発せられたのは、短く、しかし絶対的な拒絶の言葉だった。
「なっ……!? き、貴殿、今、何と……!? これは勅命であるぞ!」
使者は狼狽し、声を荒げた。
「勅命であろうと、断るものは断る。リリアーナ・フォン・クラインフェルトは、現在、ヴァルテンベルク辺境伯である私の管理下にある。彼女の力は、この辺境の防衛と発展に不可欠であり、王都へ移送することは断じて認められん」
アレクシスの声は、静かだったが、鋼のような硬い意志が込められていた。

「ば、馬鹿な! 貴殿は、王家に逆らうというのか! それがどれほどの意味を持つか、分かっているのか!?」
「分かっている。だが、私の第一の責務は、この辺境領と、ここに生きる民を守ることだ。そのためならば、いかなる相手であろうと、この身を賭して戦う覚悟はできている」
アレクシスの言葉には、一片の揺らぎもなかった。その瞳は、絶対零度の氷のように冷たく、使者の心を射抜いた。

使者は、完全に気圧され、言葉を失った。目の前の男は、本気だ。王命に逆らってでも、あの女を手放すつもりはないのだ。その理由が、領主としての責任感だけなのか、それとも……何か別の感情が絡んでいるのか。使者には判断できなかったが、これ以上ここで言い争っても無駄だと悟った。
「……っ! よ、よろしい。その言葉、確かに陛下と殿下にお伝えしよう。だが、ただでは済まされんぞ! 覚悟しておくがいい!」
使者は、捨て台詞を残すと、慌てて執務室を飛び出していった。

一人残されたアレクシスは、しばらくの間、固く拳を握りしめたまま、窓の外を見つめていた。彼の内には、王家への反逆という決断に対する冷静な計算と、それ以上に強い、激しい怒りが渦巻いていた。

王都の連中は、リリアーナを何だと思っているのだ。都合が悪くなれば辺境に追いやり、今度は利用価値があると見るや、再び道具のように扱おうとする。彼女の意思も、彼女がこの地で築き上げてきたものも、全て無視して。
そして、何よりも許せなかったのは、「マリア様を補佐し」という言葉だった。あの偽りの聖女のために、リリアーナの力が使われるなど、あってはならないことだ。

(……あの女は……リリアーナは……私が守らねばならん……)

その思いが、アレクシスの胸に、これまでにないほど強く込み上げてきた。それは、領主としての責任感だけではない。もっと個人的で、深い感情。彼女の優しさ、ひたむきさ、そして彼女がもたらしてくれた温もり。それらを、誰にも奪わせはしない。たとえ、相手が王家であろうとも。

彼は、リリアーナにこのことを伝えるべきか、迷った。彼女に余計な心配をかけたくないという思いと、しかし、彼女自身の問題でもあるのだから知らせるべきだという思いが交錯する。

結局、彼はひとまず状況を見守ることに決めた。王都が次にどのような手を打ってくるか分からない。軽率に行動すべきではない。だが、彼は心に誓った。何があろうとも、リリアーナ・フォン・クラインフェルトは、このヴァルテンベルク辺境領から、誰にも渡さない、と。

王都からの使者の来訪は、辺境に新たな嵐を呼び込もうとしていた。それは、リリアーナの運命を左右するだけでなく、アレクシスの内に秘められた想いを、そして彼とリリアーナの関係を、決定的な方向へと動かすことになる、重要な転換点となるのかもしれなかった。氷の辺境伯の決意は、固く、そして熱いものだった。
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ
恋愛
申し訳ありません、物語の内容を確認しているため、一部非公開にしています この物語は完結しました。 前世では小さな庭付きカフェを営んでいた主人公。事故により命を落とし、気がつけば異世界の貧しい村に転生していた。 「何もないなら、自分で作ればいいじゃない」 そう言って始めたのは、イングリッシュガーデン風の庭とカフェづくり。花々に囲まれた癒しの空間は次第に評判を呼び、貴族や騎士まで足を運ぶように。 そんな中、無愛想な青年が何度も訪れるようになり――?

【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~

魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。 ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!  そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!? 「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」 初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。 でもなんだか様子がおかしくて……? 不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。 ※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます ※他サイトでも公開しています。

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

喪女なのに狼さんたちに溺愛されています

和泉
恋愛
もふもふの狼がイケメンなんて反則です! 聖女召喚の儀で異世界に呼ばれたのはOL・大学生・高校生の3人。 ズボンを履いていた大学生のヒナは男だと勘違いされ、説明もないまま城を追い出された。 森で怪我をした子供の狼と出会ったヒナは狼族の国へ。私は喪女なのに狼族の王太子、No.1ホストのような武官、真面目な文官が近づいてくるのはなぜ? ヒナとつがいになりたい狼達の恋愛の行方は?聖女の力で国同士の争いは無くすことができるのか。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。 人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。 それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。 嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。 二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。 するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー

『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ
恋愛
この物語は完結しました。 現代で過労死した原田あかりは、愛読していた恋愛小説の世界に転生し、主人公の美しい姉を引き立てる“妹モブ”ティナ・ミルフォードとして生まれ変わる。今度こそ静かに暮らそうと決めた彼女だったが、絵の才能が公爵家嫡男ジークハルトの目に留まり、婚約を申し込まれてしまう。のんびり人生を望むティナと、穏やかに心を寄せるジーク――絵と愛が織りなす、やがて幸せな結婚へとつながる転生ラブストーリー。

処理中です...