聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ

文字の大きさ
89 / 105

084. エドガー、屈辱の救援要請(宰相代行)

しおりを挟む
ヴァルテンベルク辺境伯、アレクシス・フォン・ヴァルテンベルクの執務室。その部屋の空気は、かつてないほどの緊張感に満ちていた。窓の外には、生命力溢れる初夏の辺境の景色が広がっているというのに、室内にはまるで真冬のような冷たく重い空気が漂っていた。

アレクシスの前に立つのは、王都から命からがら辿り着いた老宰相だった。かつては矍鑠とし、王国の重鎮としての威厳を漂わせていた宰相も、今は見る影もない。その顔はやつれ、目には深い絶望と疲労の色が浮かび、纏う衣服も旅の汚れでみすぼらしくなっていた。彼は、長年仕えた王国が崩壊していく様を目の当たりにし、最後の望みを託してこの辺境の地へとやって来たのだ。

「……それで、宰相殿。貴殿が、この私に何の用かな?」
アレクシスは、椅子に深く腰掛けたまま、感情の読めない冷たい声で問いかけた。彼の氷のような瞳は、目の前の老宰相を値踏みするように見つめている。彼は、宰相がここに来た理由を、おおよそ察していた。しかし、それを自ら口にすることはなく、相手に語らせるつもりだった。

宰相は、アレクシスのその冷徹な態度に、一瞬言葉を詰まらせた。辺境伯が王命に逆らい、王都と距離を置いていることは知っていた。しかし、これほどまでに冷ややかな拒絶のオーラを放っているとは。それでも、彼はここで引き下がるわけにはいかなかった。背負っているものが、あまりにも重すぎるのだ。

宰相は、震える膝を叱咤し、深く、深く頭を下げた。その額が、床につくのではないかと思うほどだった。
「……辺境伯アレクシス殿。この度は、まことに……まことに、申し訳ございませぬ!」
老宰相の声は、かすれ、涙で震えていた。それは、これまでの王家の非礼を詫びる言葉であり、そして、これから口にするであろう屈辱的な願いへの、前置きでもあった。

アレクシスは、宰相のその姿を、表情を変えずに見下ろしていた。彼の心の中には、様々な感情が渦巻いていた。かつて自分を冷遇し、辺境へと追いやった王家への冷めた怒り。国の惨状を招いたエドガーとマリアへの侮蔑。そして、目の前で頭を下げる老宰相への、わずかな憐憫。

「……頭を上げられよ、宰相殿。それで、用件は何かな?」
アレクシスは、あくまで冷静に促した。

宰相は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、涙が溢れていた。
「……お願い、申し上げます……! どうか……どうか、この危機に瀕した王国を、そして王都の民をお救いください……!」
それは、絞り出すような、悲痛な叫びだった。
「王都は……もはや、地獄と化しております! 聖女マリア様の力の暴走により、街は瘴気に覆われ、原因不明の疫病が蔓延……。さらに、封印されていた古の魔物どもが目覚め、街を蹂躙しております! 王国騎士団は……騎士団は、壊滅いたしました……!」
宰相は、途切れ途切れに、王都の惨状を語った。その内容は、アレクシスが掴んでいた情報よりも、さらに深刻なものだった。

「……エドガー殿下は……王太子殿下は、なすすべもなく……。もはや、我々には、辺境伯殿のお力と、そして……リリアーナ様の、お力にすがるしか……道は残されておりません……!」
ついに、宰相はリリアーナの名前を口にした。辺境で「奇跡」を起こし続ける彼女の力が、最後の希望なのだと。

アレクシスは、宰相の言葉を黙って聞いていた。彼の表情は依然として硬かったが、その瞳の奥では、激しい思考が巡らされていた。王都の民を救う? リリアーナの力を、自分たちを追放した者たちのために使う? 馬鹿げている。そう切り捨ててしまいたい気持ちもあった。

しかし、彼は辺境伯であり、同時に、この王国に属する貴族でもある。王都の崩壊は、いずれ辺境にも深刻な影響を及ぼすだろう。瘴気がここまで広がってくる可能性もある。魔物の脅威が、さらに増大するかもしれない。そして何より、苦しんでいるのは、エドガーやマリアだけではない。罪のない多くの民なのだ。彼らを見捨てることは、果たして正しいことなのか……?

そして、リリアーナはどう思うだろうか? あの、誰よりも優しく、困っている人を放っておけない彼女が、この惨状を知れば……。

アレクシスは、一度目を閉じ、深く息を吸い込んだ。感情に流されてはならない。これは、極めて重要な政治的判断だ。
「……宰相殿。貴殿の言葉、そして王都の状況は理解した。だが、我々が救援に向かうことが、果たして可能か、そしてそれが辺境領にとって最善の選択か、慎重に判断する必要がある」
彼は、即答を避けた。
「我々には、守るべき辺境の民がいる。騎士団も、無限ではない。そして……リリアーナ嬢の力は、決して、安易に利用されるべきものではない」
彼の言葉には、リリアーナを守ろうとする強い意志が込められていた。

「……もちろんです……! 無理を承知でのお願いであることは、重々承知しております……! ですが……どうか……!」
宰相は、再び床に額を擦り付けんばかりに懇願した。

アレクシスは、しばらくの間、沈黙していた。そして、やがて口を開いた。
「……この件、私一人で決められることではない。……リリアーナ嬢の意見も聞く必要があるだろう。そして、いくつかの条件を提示させてもらう。それが受け入れられなければ、救援は不可能だ」
彼の声には、最終的な決断を下す前の、重い響きがあった。

その言葉に、宰相はわずかな希望を見出し、顔を上げた。
「……ありがとうございます……! いかなる条件であろうとも……!」

アレクシスは、すぐにリリアーナを執務室へと呼んだ。彼女は、やつれ果てた宰相の姿と、部屋の重苦しい雰囲気に、事態の深刻さを察した。アレクシスは、宰相から聞いた王都の惨状と、救援要請があったことを、包み隠さずリリアーナに伝えた。

リリアーナは、その話を聞き、顔面蒼白になった。飢餓、疫病、魔物の襲来、そして騎士団の壊滅……。想像を絶する悲劇が、かつて自分が暮らした場所で起こっている。彼女を追放した人々への複雑な感情はあったが、それ以上に、苦しむ人々への同情と、見過ごすことのできない義憤が、彼女の胸を強く打った。

「……そんな……酷いことが……」
彼女の声は震えていた。目には涙が浮かんでいる。
「リリアーナ」アレクシスは、彼女の名前を呼び、その肩に手を置いた。「君の気持ちは分かる。だが、これは我々だけの問題ではない。辺境領全体の運命に関わることだ。そして、君自身の安全も。君がどうしたいか、正直な気持ちを聞かせてほしい」
彼の声は、どこまでも真摯だった。

リリアーナは、涙を拭い、アレクシスの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「……わたくしは……行きたいです」
彼女の声には、迷いはなかった。「王都の人々が、罪のない人々が苦しんでいるのなら……わたくしにできることがあるのなら、助けたい。たとえ、わたくしを追放した場所であっても……苦しんでいる人を見捨てることは、できません」
それは、彼女の優しさ、そして強さから来る、偽りのない答えだった。

「……そうか」アレクシスは、彼女の答えを予想していたかのように、静かに頷いた。「君がそう言うのであれば……私も覚悟を決めよう」

彼は、再び宰相に向き直った。その瞳には、もはや迷いはなく、ただ、これから成すべきことへの、冷徹な決意だけが宿っていた。
「宰相殿。我々は、王都への救援に向かう。だが、それには条件がある」
アレクシスは、これから辺境領が負うであろうリスクと、リリアーナの安全を確保するための、いくつかの厳しい条件を提示し始めた。それは、屈辱的な救援要請に来た宰相にとって、さらなる苦渋の選択を迫るものとなるだろう。しかし、王国に残された道は、もはやこれしかなかった。

最後の希望は辺境に。その希望の光は、リリアーナの優しさと、アレクシスの決断によって、ついに王都へと差し伸べられようとしていた。だが、その道は決して平坦ではない。辺境の民とリリアーナを守りながら、崩壊寸前の王都を救う。それは、アレクシスにとって、そして辺境領全体にとって、最大の試練の始まりを意味していた。
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ
恋愛
申し訳ありません、物語の内容を確認しているため、一部非公開にしています この物語は完結しました。 前世では小さな庭付きカフェを営んでいた主人公。事故により命を落とし、気がつけば異世界の貧しい村に転生していた。 「何もないなら、自分で作ればいいじゃない」 そう言って始めたのは、イングリッシュガーデン風の庭とカフェづくり。花々に囲まれた癒しの空間は次第に評判を呼び、貴族や騎士まで足を運ぶように。 そんな中、無愛想な青年が何度も訪れるようになり――?

【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~

魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。 ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!  そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!? 「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」 初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。 でもなんだか様子がおかしくて……? 不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。 ※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます ※他サイトでも公開しています。

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

喪女なのに狼さんたちに溺愛されています

和泉
恋愛
もふもふの狼がイケメンなんて反則です! 聖女召喚の儀で異世界に呼ばれたのはOL・大学生・高校生の3人。 ズボンを履いていた大学生のヒナは男だと勘違いされ、説明もないまま城を追い出された。 森で怪我をした子供の狼と出会ったヒナは狼族の国へ。私は喪女なのに狼族の王太子、No.1ホストのような武官、真面目な文官が近づいてくるのはなぜ? ヒナとつがいになりたい狼達の恋愛の行方は?聖女の力で国同士の争いは無くすことができるのか。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します

美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。 人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。 それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。 嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。 二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。 するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー

『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ
恋愛
この物語は完結しました。 現代で過労死した原田あかりは、愛読していた恋愛小説の世界に転生し、主人公の美しい姉を引き立てる“妹モブ”ティナ・ミルフォードとして生まれ変わる。今度こそ静かに暮らそうと決めた彼女だったが、絵の才能が公爵家嫡男ジークハルトの目に留まり、婚約を申し込まれてしまう。のんびり人生を望むティナと、穏やかに心を寄せるジーク――絵と愛が織りなす、やがて幸せな結婚へとつながる転生ラブストーリー。

処理中です...