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第19話 迷走する勇者たち
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その頃、勇者パーティ『サンクチュアリ』もまた、『惑わしの森』に足を踏み入れていた。
ユキナガを追放してから数週間。彼らのダンジョン攻略は、著しく停滞していた。斥候を失ったことで、彼らは単純なダンジョンですら、無駄な戦闘と消耗を強いられるようになった。かつての快進撃は見る影もなく、世間の評価も少しずつ翳りを見せ始めていた。
「今日の目標は、この『惑わしの森』の踏破だ。我々の実力を見せつけ、停滞の噂を一掃するぞ」
森の入り口で、勇者アレクサンダーは自信満々に言い放った。彼の言葉には、失墜した名声を取り戻そうという焦りが滲んでいる。
「ですがアレクサンダー様、この森は危険すぎるとの情報が……」
聖女セシリアが不安げに進言するが、アレクサンダーはそれを一蹴した。
「だからこそ、我々が攻略する意味がある。Dランクダンジョンごときに、勇者パーティが遅れを取るわけにはいかん」
賢者グレンも、内心では無謀だと感じていた。だが、ここで反対すればアレクサンダーのプライドを傷つけ、パーティの士気を下げるだけだと判断し、黙って眼鏡の位置を直した。戦士ヴォルフも、黙々と大盾を構えている。
ユキナガがいれば、まず徹底的な情報収集と比較検討から始めただろう。だが、今の彼らに、その地味で重要なプロセスを担える者はいなかった。
彼らは、焦りと慢心を抱えたまま、呪われた森へと進んでいった。
森に足を踏み入れて、わずか三十分。彼らはすでに、この森の異常性を身をもって味わっていた。
「くそっ! またこの場所か!」
アレクサンダーが、忌々しげに地面を蹴りつけた。目の前には、三本の巨大な岩が寄り添うようにして立っている。この光景を見るのは、すでに三度目だった。
「おかしい。私の魔力コンパスは、間違いなく南を指しているはずだ。なぜ同じ場所に戻ってくる」
グレンが、コンパスを睨みつけながら苦々しく言った。彼の賢者の知識でも、この現象は説明がつかない。
「道が分からぬのなら、道を創ればよかろう!」
アレクサンダーは苛立ちに任せ、聖剣を振るった。剣から放たれた光の斬撃が、前方の木々を薙ぎ払う。だが、切り開かれた道の先に見えるのは、また同じような森の景色だけだ。
「アレクサンダー様、無駄な体力を使わないでください!」
セシリアの悲痛な声が響く。
ユキナガがいた頃は、こんなことは決してなかった。彼は常に最短かつ安全なルートを見つけ出し、無駄な消耗を徹底的に排除してくれた。彼のナビゲートがいかに貴重なものであったか、彼らは今更ながらに痛感し始めていた。だが、誰もそれを口には出さない。ユキナガを不要だと切り捨てたのは、自分たちなのだから。
その時だった。
「ヴォルフ! 何をしている!」
アレクサンダーの鋭い声が飛んだ。ヴォルフが、突如として大盾を構え、何もない空間に向かって身構えていたからだ。
「勇者様……! 何か……何かが、そこに!」
ヴォルフの顔は恐怖に引きつっていた。彼の目には、巨大な蛇のようなモンスターが、鎌首をもたげているのが見えていた。
「何もないではないか! 疲れているのか、ヴォルフ!」
グレンが叱責する。だが、ヴォルフはガタガタと震え、動こうとしない。
「違う! 確かにいるんだ!」
これが、幻覚。
パーティの盾であるタンクが、見えない敵に怯えて機能不全に陥る。それは、パーティの生命線が断たれたも同然だった。
「ええい、邪魔だ!」
アレクサンダーはヴォルフを突き飛ばし、前に出ようとした。その瞬間、今度は彼自身が息を呑んだ。
彼の目の前に、セシリアの姿が、おぞましい悪魔のように映ったのだ。美しい顔は爛れ、背からは蝙蝠のような翼が生えている。
「セシリア……貴様、化け物だったのか!」
「えっ!? アレクサンダー様、何を……!」
アレクサンダーは聖剣を構え、本気でセシリアに斬りかかろうとした。
「おやめください!」
ヴォルフが咄嗟に二人の間に割り込み、アレクサンダーの剣を大盾で受け止める。ガキン、と凄まじい金属音が響き渡った。
「なぜ止める、ヴォルフ! そいつは偽物だ!」
「偽物はおそらく、勇者様が見ている幻の方です!」
パーティは、完全に混乱に陥っていた。見えない敵、仲間割れ。それは、どんな強力なモンスターよりも、彼らの心を蝕んでいった。
「静まれ!」
グレンが、詠唱を完了させた。「浄化の光よ、邪気を払え! ピュリフィケーション!」
賢者の放った浄化魔法が、辺り一帯を包み込む。アレクサンダーとヴォルフを苛んでいた幻覚が、霧のように晴れていった。
「はっ……。私は、何を……」
アレクサンダーは、聖剣を握ったまま呆然としている。セシリアは、恐怖でその場にへたり込んでいた。
「……今の魔法で、私の魔力はかなり消耗した」グレンが疲れた声で言った。「この森は異常だ。一度、撤退すべきだ」
彼の言葉は、正論だった。だが、アレクサンダーの歪んだプライドが、それを許さなかった。
「撤退だと? 冗談ではない! この私があきらめるなど、ありえん!」
「ですが、このままでは全滅します!」
「それは、お前たちの力が足りないからだ! 聖女が恐怖に竦み、戦士が見えない敵に怯え、賢者の魔法もこの程度か! これでは、私がいくら強くても意味がないではないか!」
責任転嫁。自分の判断ミスを棚に上げ、仲間を罵倒する。彼の焦りは、ついにその本性を露わにさせた。
「なっ……!」グレンが絶句する。
ヴォルフも、悔しそうに唇を噛み締めた。
その、最悪の雰囲気の中で。
セシリアが、ぽつりと、呟いてしまった。
「……ユキナガさんがいれば……」
その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。
それは、このパーティにおける、最大の禁句だった。
アレクサンダーの顔が、怒りで赤く染まった。
「その名を出すな!!」
彼の怒声が、森中に響き渡った。「あんな無能がいて、何になるというのだ! 荷物持ちが一人増えたところで、この状況は何も変わらん!」
彼はそう叫んだ。だが、彼の心の奥底では、別の声が響いていた。
(いや、違う。あいつがいれば、そもそもこんな状況にはならなかった)
ユキナガなら、この森の異常性に最初から気づいただろう。地形の変化を見抜き、幻覚の正体を分析し、最も安全なルートを示してくれたはずだ。
その事実を、アレクサンダーのプライドが認めることを拒絶していた。
グレンもまた、黙り込んでいた。彼はユキナガを、戦闘能力のない雑用係だと見下していた。だが、今なら分かる。ユキナガがもたらしていた情報の価値が、どれほど重要だったか。彼の緻密な分析と報告書が、どれだけ自分たちの攻略を助けてくれていたか。それを失った今、自分たちはまるで目隠しをされたまま戦っているようなものだ。
仲間割れ寸前の、重苦しい沈黙。
誰もが、口に出せない後悔を胸に抱えていた。
結局、彼らは攻略を断念せざるを得なかった。だが、問題は、帰り道すら分からないことだった。
「こっちのはずだ……いや、待て、この木は見たことがない……」
アレクサンダーの先導は、もはや当てにならない。グレンの魔力も尽きかけ、コンパスは役に立たない。
彼らは、自分たちが作り出した迷宮の中で、完全に孤立していた。
かつて、王国最強と謳われた勇者パーティ『サンクチュアリ』。
彼らの栄光は、一人の荷物持ちを追放したあの日から、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。
そのことに、彼ら自身が気づき始めたのは、この呪われた森を、出口のない地獄のように彷徨い始めてからのことだった。
ユキナガを追放してから数週間。彼らのダンジョン攻略は、著しく停滞していた。斥候を失ったことで、彼らは単純なダンジョンですら、無駄な戦闘と消耗を強いられるようになった。かつての快進撃は見る影もなく、世間の評価も少しずつ翳りを見せ始めていた。
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森の入り口で、勇者アレクサンダーは自信満々に言い放った。彼の言葉には、失墜した名声を取り戻そうという焦りが滲んでいる。
「ですがアレクサンダー様、この森は危険すぎるとの情報が……」
聖女セシリアが不安げに進言するが、アレクサンダーはそれを一蹴した。
「だからこそ、我々が攻略する意味がある。Dランクダンジョンごときに、勇者パーティが遅れを取るわけにはいかん」
賢者グレンも、内心では無謀だと感じていた。だが、ここで反対すればアレクサンダーのプライドを傷つけ、パーティの士気を下げるだけだと判断し、黙って眼鏡の位置を直した。戦士ヴォルフも、黙々と大盾を構えている。
ユキナガがいれば、まず徹底的な情報収集と比較検討から始めただろう。だが、今の彼らに、その地味で重要なプロセスを担える者はいなかった。
彼らは、焦りと慢心を抱えたまま、呪われた森へと進んでいった。
森に足を踏み入れて、わずか三十分。彼らはすでに、この森の異常性を身をもって味わっていた。
「くそっ! またこの場所か!」
アレクサンダーが、忌々しげに地面を蹴りつけた。目の前には、三本の巨大な岩が寄り添うようにして立っている。この光景を見るのは、すでに三度目だった。
「おかしい。私の魔力コンパスは、間違いなく南を指しているはずだ。なぜ同じ場所に戻ってくる」
グレンが、コンパスを睨みつけながら苦々しく言った。彼の賢者の知識でも、この現象は説明がつかない。
「道が分からぬのなら、道を創ればよかろう!」
アレクサンダーは苛立ちに任せ、聖剣を振るった。剣から放たれた光の斬撃が、前方の木々を薙ぎ払う。だが、切り開かれた道の先に見えるのは、また同じような森の景色だけだ。
「アレクサンダー様、無駄な体力を使わないでください!」
セシリアの悲痛な声が響く。
ユキナガがいた頃は、こんなことは決してなかった。彼は常に最短かつ安全なルートを見つけ出し、無駄な消耗を徹底的に排除してくれた。彼のナビゲートがいかに貴重なものであったか、彼らは今更ながらに痛感し始めていた。だが、誰もそれを口には出さない。ユキナガを不要だと切り捨てたのは、自分たちなのだから。
その時だった。
「ヴォルフ! 何をしている!」
アレクサンダーの鋭い声が飛んだ。ヴォルフが、突如として大盾を構え、何もない空間に向かって身構えていたからだ。
「勇者様……! 何か……何かが、そこに!」
ヴォルフの顔は恐怖に引きつっていた。彼の目には、巨大な蛇のようなモンスターが、鎌首をもたげているのが見えていた。
「何もないではないか! 疲れているのか、ヴォルフ!」
グレンが叱責する。だが、ヴォルフはガタガタと震え、動こうとしない。
「違う! 確かにいるんだ!」
これが、幻覚。
パーティの盾であるタンクが、見えない敵に怯えて機能不全に陥る。それは、パーティの生命線が断たれたも同然だった。
「ええい、邪魔だ!」
アレクサンダーはヴォルフを突き飛ばし、前に出ようとした。その瞬間、今度は彼自身が息を呑んだ。
彼の目の前に、セシリアの姿が、おぞましい悪魔のように映ったのだ。美しい顔は爛れ、背からは蝙蝠のような翼が生えている。
「セシリア……貴様、化け物だったのか!」
「えっ!? アレクサンダー様、何を……!」
アレクサンダーは聖剣を構え、本気でセシリアに斬りかかろうとした。
「おやめください!」
ヴォルフが咄嗟に二人の間に割り込み、アレクサンダーの剣を大盾で受け止める。ガキン、と凄まじい金属音が響き渡った。
「なぜ止める、ヴォルフ! そいつは偽物だ!」
「偽物はおそらく、勇者様が見ている幻の方です!」
パーティは、完全に混乱に陥っていた。見えない敵、仲間割れ。それは、どんな強力なモンスターよりも、彼らの心を蝕んでいった。
「静まれ!」
グレンが、詠唱を完了させた。「浄化の光よ、邪気を払え! ピュリフィケーション!」
賢者の放った浄化魔法が、辺り一帯を包み込む。アレクサンダーとヴォルフを苛んでいた幻覚が、霧のように晴れていった。
「はっ……。私は、何を……」
アレクサンダーは、聖剣を握ったまま呆然としている。セシリアは、恐怖でその場にへたり込んでいた。
「……今の魔法で、私の魔力はかなり消耗した」グレンが疲れた声で言った。「この森は異常だ。一度、撤退すべきだ」
彼の言葉は、正論だった。だが、アレクサンダーの歪んだプライドが、それを許さなかった。
「撤退だと? 冗談ではない! この私があきらめるなど、ありえん!」
「ですが、このままでは全滅します!」
「それは、お前たちの力が足りないからだ! 聖女が恐怖に竦み、戦士が見えない敵に怯え、賢者の魔法もこの程度か! これでは、私がいくら強くても意味がないではないか!」
責任転嫁。自分の判断ミスを棚に上げ、仲間を罵倒する。彼の焦りは、ついにその本性を露わにさせた。
「なっ……!」グレンが絶句する。
ヴォルフも、悔しそうに唇を噛み締めた。
その、最悪の雰囲気の中で。
セシリアが、ぽつりと、呟いてしまった。
「……ユキナガさんがいれば……」
その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。
それは、このパーティにおける、最大の禁句だった。
アレクサンダーの顔が、怒りで赤く染まった。
「その名を出すな!!」
彼の怒声が、森中に響き渡った。「あんな無能がいて、何になるというのだ! 荷物持ちが一人増えたところで、この状況は何も変わらん!」
彼はそう叫んだ。だが、彼の心の奥底では、別の声が響いていた。
(いや、違う。あいつがいれば、そもそもこんな状況にはならなかった)
ユキナガなら、この森の異常性に最初から気づいただろう。地形の変化を見抜き、幻覚の正体を分析し、最も安全なルートを示してくれたはずだ。
その事実を、アレクサンダーのプライドが認めることを拒絶していた。
グレンもまた、黙り込んでいた。彼はユキナガを、戦闘能力のない雑用係だと見下していた。だが、今なら分かる。ユキナガがもたらしていた情報の価値が、どれほど重要だったか。彼の緻密な分析と報告書が、どれだけ自分たちの攻略を助けてくれていたか。それを失った今、自分たちはまるで目隠しをされたまま戦っているようなものだ。
仲間割れ寸前の、重苦しい沈黙。
誰もが、口に出せない後悔を胸に抱えていた。
結局、彼らは攻略を断念せざるを得なかった。だが、問題は、帰り道すら分からないことだった。
「こっちのはずだ……いや、待て、この木は見たことがない……」
アレクサンダーの先導は、もはや当てにならない。グレンの魔力も尽きかけ、コンパスは役に立たない。
彼らは、自分たちが作り出した迷宮の中で、完全に孤立していた。
かつて、王国最強と謳われた勇者パーティ『サンクチュアリ』。
彼らの栄光は、一人の荷物持ちを追放したあの日から、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。
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