ハズレスキル【地図化(マッピング)】で追放された俺、実は未踏破ダンジョンの隠し通路やギミックを全て見通せる世界で唯一の『攻略神』でした

夏見ナイ

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第62話 破滅への序曲

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王都の酒場は、夜が更けても熱気に満ちていた。
冒険者たちの話題の中心は、今や一つしかない。
「聞いたか? 『フロンティア』の奴ら、今度は王城に呼ばれたらしいぜ」
「ああ、国王陛下直々のご依頼だとか。もう、俺たちとは住む世界が違うな」
「『攻略神』ユキナガか。あいつがいれば、Sランクダンジョンですらただの散歩道に変わるかもしれねえな」
そんな賞賛と羨望が入り混じった声が飛び交う中、酒場の最も奥まった薄暗い席で、一つのパーティが重い沈黙に支配されていた。
勇者パーティ『サンクチュアリ』。
彼らのテーブルの上には、ほとんど手付かずの料理と、空になったエールのジョッキだけが虚しく並んでいた。
アレクサンダーは、握りしめたジョッキがみしりと音を立てるのも構わず、一点を睨みつけていた。その瞳にもはや勇者の輝きはなく、どす黒く燃え盛る嫉妬の炎だけが揺らめいている。
ユキナガの名が、賞賛と共に語られるたびに、彼の心は鋭い刃で抉られるように痛んだ。
自分こそが、この国の英雄のはずだった。
自分こそが、人々の憧れの的であるはずだった。
その全てを、あの男に奪われた。
無能だと切り捨てた、ただの荷物持ちだった男に。
「……我慢ならん」
彼の唇から、地を這うような低い声が漏れた。
その声に、向かいに座っていたセシリアの肩が、びくりと震えた。ヴォルフも、気まずそうに視線を逸らす。賢者グレンだけが、表情を変えずにワイングラスを静かに傾けていた。
「このまま、奴らの好きにさせておくわけにはいかない」
アレクサンダーは、ジョッキをテーブルに叩きつけた。ガシャン、とけたたましい音が響き、周囲の冒険者たちが一瞬だけこちらを振り向く。
「我々も奴らを超えた実績を上げる。奴らが成し遂げたことなど、霞んで見えるほどの圧倒的な偉業をだ」
その言葉には、狂気にも似た決意が宿っていた。
セシリアが、おずおずと口を開いた。
「アレクサンダー様、ですが、今は焦るべき時では……。一度パーティの態勢を立て直すのが先決かと……」
「黙れ!」
アレクサンダーの怒声が、彼女の言葉を遮った。「立て直す? この勇者パーティが、どこぞの新興パーティに劣っているとでも言うのか! 我々に必要なのは休息ではない! 勝利だ! それも、誰にも文句を言わせない絶対的な勝利だけだ!」
彼は立ち上がると、パーティのメンバーを一人一人、射抜くような目で見据えた。
「目標を告げる。我々は、Sランクダンジョン『竜の巣』に挑戦する」
Sランクダンジョン。
その言葉に、セシリアとヴォルフの顔から、さっと血の気が引いた。
Sランクダンジョンとは、BランクやAランクとは次元が違う。それは、一つの軍隊に匹敵する戦力をもって挑むべき国家レベルの災害指定区域だ。生半可な覚悟で足を踏み入れれば、生きては帰れない、文字通りの死地。
「む、無謀です、アレクサンダー様!」
ヴォルフが思わず立ち上がって叫んだ。「今の我々の連携では、Sランクなど……! それに、情報が、情報があまりにも不足しています!」
彼の言う通りだった。Sランクダンジョンは、その危険性ゆえに内部情報がほとんど出回っていない。挑戦すること自体が、暗闇へのダイブに等しいのだ。
「情報だと?」
アレクサンダーは鼻で笑った。「ユキナガのような小賢しい真似が必要だとでも言うのか? 我々に必要なのは情報などではない! 勇者である俺の聖剣と、お前たちの力だ! それさえあれば、どんな敵だろうと正面から打ち砕ける!」
その言葉は、もはやただの自信過剰ではなかった。現実から目を背けた、狂信者の妄信だった。
セシリアも涙ながらに訴えた。
「どうかお考え直しください! このままでは、本当にみんな死んでしまいます!」
「弱いな、セシリア」アレクサンダーは、氷のような目で彼女を見下した。「聖女ともあろう者が、戦う前から死を口にするか。そんな弱い心では勇者の隣には立てんぞ」
二人の必死の説得も、彼の頑なな心を溶かすことはできなかった。
その時、これまで沈黙を守っていたグレンが静かに口を開いた。
「……面白い」
彼は、ワイングラスの中で揺れる赤い液体を見つめながら呟いた。「やってみる価値は、あるかもしれんな」
「グレンさん!?」
セシリアが、信じられないといった顔で彼を見た。
グレンはゆっくりと顔を上げると、その眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせた。
「Sランクダンジョン。そこには我々の知らない未知の魔物、未知の鉱物、そして未知の『理』が存在する。賢者として、これほど知的好奇心をそそられる場所はない。それに……」
彼は、アレクサンダーに視線を移した。「勇者よ。お前の言う通りかもしれん。我々は少し守りに入りすぎていた。原点に立ち返り、己の力だけでどこまで通用するのか試してみるのも一興だろう」
その言葉は、アレクサンダーの暴走を肯定し、後押しするものだった。
ヴォルフとセシリアは、絶望的な表情を浮かべた。パーティの頭脳であるはずの賢者までもが、アレクサンダーの狂気に同調してしまったのだ。
彼らは知らない。グレンの真意が、パーティの勝利などにはないことを。
(Sランクダンジョンという極限環境……。そこでなら、あるいは、ユキナガが持つ『力』の、その片鱗を垣間見ることができるかもしれん。それに、この愚かな勇者が破滅する様を、間近で観察するのも悪くない)
彼の心は、純粋な知的好奇心と歪んだ悪意で満たされていた。
グレンの同意を得たことで、アレクサンダーはもはや誰の意見も聞かなくなった。
「決まりだ! 明日、出発する! 準備を怠るな!」
彼は一方的にそう宣言すると、代金も払わずに酒場から出ていった。後に残されたのは、重い負債と、そして絶望的な未来だけだった。

翌日。
彼らはギルドで『竜の巣』に関する、数少ない情報を収集していた。
だが、そのやり方はあまりにも杜撰だった。
「なるほど。主はエンシェントドラゴン。配下にはワイバーンやリザードマンの軍勢がいる、と。単純な構成だな」
アレクサンダーは、資料に数分目を通しただけでそう結論づけた。「ドラゴンは俺が引き受ける。お前たちは雑魚の掃討に専念しろ。以上だ」
ユキナガがいた頃なら、ここから何時間もかけて詳細な分析が行われたはずだった。
出現モンスターの正確な数と配置パターン。地形の特性と天候の変化。ボスの行動ルーチンと弱点の考察。考えうる全ての不測の事態を想定し、複数の対処プランを用意する。それが、ユキナガのやり方だった。
だが、今の彼らにそれをできる者はいなかった。
ヴォルフは不安を隠せないまま、自分の装備を点検している。セシリアは祈るように、回復ポーションを鞄に詰め込んでいた。グレンは、何事かを考え込むように黙って地図を眺めているだけだった。
パーティは、もはや一つのチームではなかった。
同じ方向を向いていない、バラバラの個人の集まり。
そんな崩壊寸前の状態で、彼らは人類にとって最悪の脅威が眠るSランクダンジョンへと、その足を進めていった。
王都の門を出る時、セシリアは不安げに空を見上げた。
空は、不吉なほどにどんよりと曇っていた。
それは、これから始まる彼らの悲劇的な運命を、暗示しているかのようだった。
破滅への序曲は、もう誰にも止められない。
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